ブラックフンジンによるコンフェッション(告白懺悔)ツアーの背景(1) | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

ブラックフンジン告白懺悔ツアーの記事を紹介する前に「霊人体の憑依」を利用した統一教会内での摂理の変遷を見たいと思います。

案外統一教会が神霊・霊的集団なのは信者には知られていません。文教祖がイエスから啓示を受けて出発した当時から、文教祖は神霊集団から基本的な教義と思想を受け継ぎ、現在の統一教会が形成されました。草創期はそういった霊能者・霊的なことが良しとされていました。異言や按手ができる信者はうらやましがられる存在でした。


■文教祖は「霊的に奇跡を起したら千年の穴があく」と言っていたが

『だから、占星術、そういう人たちはね、そんなことを時々考えるんだね。「おお、私が命令したら太陽系が反対になっちゃう」。霊界と通じる人はそういう事をよく言うんですよ。「世界はこのようになれ!」。一晩でそうなると思ってる。そうはならない。霊力を通して、この岩から何十里の山のその峰まで飛ぶんだよ。そういう限界を超えて、そういう事をやると、蕩減条件を払わなければならない。それ自体に何百年とか、そういう地上の時において、そういう行動を許す時期がある。そういう手段においてそういう事をしてもね、そこに蕩減条件を払わなければならない。非原理の活動をしたら、それに代用する蕩減を払わなければならない。だから霊能者たちは、奇蹟をしたりそういう事をしたら、それはいい現象なんだけど、奇蹟をして大衆に奇蹟の結果、利益になったらいいんだけど、必ず自分がそれを補わなければならない。そういう蕩減の基準が現われるんだね。』
(教養講座での御言一九六五年十月七日本部教会(東京都渋谷区松涛町))



■統一教会の憑依と霊能者の霊界役事の歴史

<文教祖が頼っていた霊能者たち>

※文教祖は常に霊能者にお伺いを立てながら摂理

1950年代 辛玉淳女史(霊能師)1955年入教
1950年代 孫鳳淑夫人
1950年代 金信旭先生(力ある霊能者)
1950年代 金在根ハルモニ(霊能師)

1972年 李伯任論山ハルモニ

1987年 ブラックフンジン(文教祖の次男興進が憑依)

1990年代以降 金英順(36家庭の李相軒・文教祖の母金慶継ほか多数憑依)

1990年代以降 金孝南(大母様憑依(洪順愛・韓鶴子夫人の実母))



■統一教会は憑依・シャーマニズム信仰

●シャーマニズムとは
シャーマニズムは意のままに神・仏その他の超自然的存在と直接的に接触・交流し、その間に神意を伝え、予言・託宣・卜占・治病行為を含むいろいろな儀礼を行う呪術・宗教的職能者シャーマン(巫師・祈祷師)を中心とする一つの宗教形態である。
シャーマンは一定の時間自らが神や仏や祖霊に変身できる存在であり、自由に神霊や精霊を駆使できる人物である。シャーマンが超自然的存在に直接交流・接触しているときの状態は一般に神がかりといわれる。この状態は学問的にはトランスと呼ばれるものである。トランスに入った時の状態はつぎの二つに大別される。

①脱魂(エクスタシー)型
②憑霊(ポゼッション)型


日本のシャーマニズムの特色は、憑霊型シャーマンが圧倒的に多くて多様なこと。憑霊型シャーマンにはさらに次のような種類がありますが、実際にはひとりのシャーマンがこれらを兼ねていたり、やりかたが混ざっていたりするそうです。

憑入型:霊媒・自分が精霊自身の人格に変わり直接話法で語る
憑着型:予言者・自分に憑依した精霊と会話し離れたあと会話の内容を語る
憑感型:見者・精霊を自分に憑依させるのではなく外から見聞した内容を話す
精霊統御者型:修験道の憑祈祷のように他人に憑依させる能力を持つ

精霊統御者型など、別に奇声をあげたり暴れたりしなくても、通常とは違うものを見聞きしている状態はトランスに含みます。夢はトランスではありませんが、夢でお告げを聞くというタイプの憑感型はあるとされます。
(参考:良識園 http://www.pp.iij4u.or.jp/~ka-tana/s_shaman.html)



■シャーマニズムは聖書では悪魔的行為?

<統一教会の伝統の火またぎ・霊媒・占いについて聖書では>

『あなたが、あなたの神、主の与えられる土地に入ったならば、その国々のいとうべき習慣を見習ってはならない。あなたの間に、自分の息子、娘に火の中を通らせるもの、占い師、卜者、易者、呪文を唱えるもの、口寄せ、霊媒、死者に伺いを立てる者などがいてはならない。これらのことを行う者をすべて、主は厭われる。これらのいとうべき行いのゆえに、あなたの神、主は彼らをあなたの前から追い払われるであろう。(聖書・申命記 18章9節-12節)』



■霊界役事と霊界メッセージは現役信者も信用していない?

当ブログ記事「文教祖は予言書に出てくる再臨主なのか?(5)」の引用文に対して現役信者の記事で意外なことが書かれていました。

『「霊界の実相と地上生活」は霊界からのメッセージ文であって、その真偽を疑う人も少なくない。(このメッセージを引用文として使われるからには、これを信じておられるのであろう)大塚会長(徳野会長を含めて)のようなの漫才師講和( 動画 http://yfrog.com/e471hz )もまた、引用文として相応しくない。』
(ブログ奇知外記(【シリーズ】驚くほどの、古今東西の予言書(3)-- 弥勒仏とメシア:救世主は誰か))
http://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/201104090001/

私はこの引用文を信じているのではなくて、統一教会の公式見解はこうです、と紹介・引用したつもりだったのですが、現役信者の方はこれを統一教会の公式見解とは信じていないと言っています。

ということはほとんどの信者はこのように確信もなく教会の主張に賛同しているフリの人も多いのでしょうか?



■文教祖の摂理決定は霊能者と相談して

一方、このみ旨を成すためには神霊に通じる人も必要です。山中にいる多くの神霊に通じる人たちを統合する運動を展開しなければなりません。誰もが聖霊の役事を必要としています。一度恩恵を受けると、それ以降心霊がさらに渇いてくるのです。彼らが食口にならなくても関係ありません。中間的な位置にいる人もいなくてはならないからです。
 私たちは外的には対外活動を中心として、内的には恩恵を受けた人々が結束し、み旨の成就を促進させなければなりません。このようにして韓国の教会を救うのろしの役割をなさなければなりません。これまでは神霊的な体験をした人たちが、教会で完全に無視されてきました。しかし絶対にそうであってはなりません。
 先生も一人ではできません。間違えば大変なことになります。世界的な状況と霊界のプログラムに合わせて決定していくのです。霊能者たちを受け入れ、カインかアベルかを分析しなければなりません。
 すると実際、アベルになる内的な基準とは何でしょうか。それは神様を愛し、神様のみ旨を愛することです。そしてそのことのために祭物となるのです。天の前に祭物となり、アベルの立場が決定されたのちに、その位置からカインに命令すればいいのです。それで、言うことを聞かなければ打たなければなりません。それで砕け散るならば、その人の福をすべて皆さんが引き継ぐことができるのです。
 み旨を愛することにおいて、その人より自分が上に立てるようにしなさい。そうしてアベルとしてみ旨の前に祭物となれば、カインとしてはどうすることもできず、皆さんを通してのみ、み旨の道を歩むことができるようになるのです。
 一九六五年より、既成教会で再び恩恵の役事が始まりました。それまでは統一教会に反対していたので恩恵を失っていました。今は統一教会の二十一年の期間ができ上がったので、既成教会も再逢春(注:不遇な立場に置かれていたのが再び幸福を取り戻すこと)を迎える立場に置かれるようになるのです。なぜならアベルの祭壇が決定されれば、カインの祭壇も設けなければならないからです。』
(真の御父母様の生涯路程4 第四章真の御父母様の聖婚と第一次七年路程 神霊役事の結束)