火曜日にKセンターの心理面接に行ってきた。
そこには珍しく、いつもの室長ではなく、館長がいた。
市役所のケースワーカーさんも、私のことで朝からKセンターに出かけていたらしい。
話し合いで、はっきり「ここの通所の利用は、今は無理という結果になりました。何故かというと、精神的に不安定であることと、病院での治療が今は最優先であることと、集団行動がとれないからです」と言われた。
そこからパニックになって、暴れたが、前のように送られることもなく、予定通り15:30の送迎バスまで待って、乗って帰った。
それまで保健室にいて、ずっと誰かが付き添ってくれては、面白い話をしていった。
でもショックはただならぬものだった。
帰ってから、夕食を目の前にしても、手も出せず、彼に電話しても「そうなることは分かってたけどね」と突き放され、泣きながら19:30には寝てしまった。
でも寝る前に、母親や他の人に「死にたい」とメールして困らせた。
次に日、気晴らしにと、前から予定していたママとプールに行くことにした。
行ってる間は楽しかった。
でも帰るころから、大声をあげて暴言を吐いたり、不機嫌丸出しで、結局ママを振り回して、疲れさせて、車で帰った。
その日の夜からだった。
おかしくなったのは。
よだれが止まらない。
動作が出来ない。
自分で何もできない。
トイレも着替えもお風呂も食事も。何もかも。
それは今でも続いている。
ママは来週から1週間北海道へ行ってしまう。
さぁ、どうするか。
さすがにトイレの面倒、着替えなどはパパでは無理だ。
今日は通院日だったので、いつもは一人で行っているけど、とても一人で行動が取れないので、ママに病院まで送ってもらった。
道が混んでいて、15分も心理に遅れてしまった。
首にタオルを巻いて、よだれをガードし、ママが看護士さんに今の状況を説明して、食事介助とトイレの全介助をお願いしていった。
心理でも診察でも、とても心配された。
K先生は、入院も考え、病棟の空き具合を見に行っていたjけど、やっぱり今すぐには無理とのこと。
公的手段(緊急一時保護施設、など)のことは分からないからと、ケースワーカーさんにつないでくれた。
精神のショートステイだと、自分で鍵を管理して、食事の調理を一部介助してもらうくらいなんだそうだ。
私ほどの介護度が高いと、どこにもなくなってしまう、今住んでいる地域で市役所で探すしかないと言われた。
そこはパパとママに頼んだ。
市役所へ出向き、話し合っても、保険士さんに電話しても、らちがあかなかった。
救ってくれそうなのは、ケアKだった。
身体介護と家事援護というものの申請をするそうだ。
でも市役所を通さなければならない。
あと1週間。
間に合わない。
北海道は取り消せない。
そんな中、あれほどかたくなだった愛の手帳の動きがあった。
絶対に取れません、と言っていたのに、今日、書類が届いて、平成18年度以降で、18歳未満に知的に遅れていたことが思い出されれば書いて送ってください、というものだった。
私は平成17年に受けに行っているので、18年以降でと言われたのだ。
しかも「新規」に丸するように書いてあった。
再申請ではないのだ。
新たに初めから審査しようと言うことだ。
私はそのままの姿で行くつもりだけど、ママたちは18歳未満の知的な遅れをどう表現するのだろう。
審査は7/6だ。
やっぱり愛の手帳がないと、私はやっていけない。