日本人「最初で最後」。大統領ロベルト・ミチェレッティと対面。 | 元U-20ホンジュラス代表GKコーチ・山野陽嗣の「世界一危険な国での挑戦」

日本人「最初で最後」。大統領ロベルト・ミチェレッティと対面。


※大統領執務室でインタビューに応じるホンジュラス大統領(当時)ロベルト・ミチェレッティ。




※上の動画でロベルト・ミチェレッティが座っている大統領執務室の椅子に座る、山野陽嗣(スーツが無かったので「万里男」に借りましたが、ネクタイもYシャツも無いので滑稽な姿になってしまいました…無念…)。

「日本→中国→アメリカ→イングランド→ホンジュラス→ジャマイカ→パナマ→オーストリア→南アフリカ→日本→シンガポール→?」 -Yoji en Casa Precidencial 2010 Enero



ホンジュラス大統領官邸に招待され、大統領(当時)と対面しました

果たして、本当に「大統領」まで辿り着けるのか…!?


…の<完結編>です!!!!!(大変、長らくお待たせいたしました)


 いく重もの検問を何とか突破し、ついに、「ホンジュラス大統領ロベルト・ミチェレッティ」との対面まで、あと一歩と迫りました!!

 しかし、大統領は大事な会議か何かに出席中で、待てども待てども姿を現しません。全くのノーアポイントで大統領に会おうってのだから、普通に考えたらまず無理!しかし「普通」じゃないのがホンジュラス…。「別に無理だったエエよ」と「万里男」に言うも、「いやいや、もう少し待ってみよう」とホンジュラス人らしからぬ粘りを発揮し、3時間以上も待つ事に…。

 途中、官邸内で昼食をごちそうになりました。「花より男子」の道明寺家でしか見た事ないような長い長いテーブルに座り、「万里男」や他の何人かの国会議員と共に食事をします。「ジーンズにスニーカー」で…。(きちんとスーツで正装したかったのに…残念!)

 「万里男のアミーゴ」という事と「突然、大統領官邸にやって来た東洋人」という事で官邸内に居た国会議員たちの注目の的となりました。向こうから積極的に話しかけてきて、連絡先の交換を求めてくる国会議員もたくさんいました。(彼らとは後に親交が深まり、今もメールで連絡を取り合う仲となりました。中には、僕が帰国する前に自宅に招待して、食事をごちそうしてくれた議員もいました。感謝!!)

 昼食も食べ終わり、国会議員たちとの会話に花が咲いてた、正にその時…。



 パチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチッ!!!!!



 周囲が一斉に、大きな拍手で包まれます…。

 「一体、何事じゃあ!?」と驚き、振り向いた次の瞬間…。








 !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!







 ついに、「ホンジュラス大統領ロベルト・ミチェレッティ」が姿を現したのです!!!!!

 本当の本当に「大統領官邸で、大統領と対面」が実現!!これぞ「ありえない!がある!」ホンジュラス!!興奮は最高潮に達します!!!!!

 「万里男」と大統領ロベルト・ミチェレッティは旧知の仲…。特別に僕の事が、「万里男」から大統領ロベルト・ミチェレッティに紹介されました。すると大統領がこう口にしたのです…。

 「日本人でサッカーをやっているのか!?そう言えば以前にも、プログレッソのレンカというチームに所属していた日本人サッカー選手と知り合った事があったぞ!!」



 !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!



 「大統領!!その『以前、知り合った日本人サッカー選手ってのも、俺です!!』と即座に大統領にツッコミを入れます!!それ、俺ですよ!!!!!

 …て言うか大統領ロベルト・ミチェレッティは、3年も前の話なのにちゃんと僕の事を覚えてくれていた…。しかもあの時、ほんの一瞬しか会話してないのに…。(さすがに、「顔」までは覚えてなかったようですが…)これが最高に嬉しかった…。Muchas gracias Micheletti!!



※ついに大統領ロベルト・ミチェレッティとの対面(再会)を果たしました。記念に肩を組んで写真を撮ります!!感動!!(何度も言うようですが、きちんとスーツで正装できなかった事だけが唯一、悔やまれます…。本当に申し訳ございませんでした、ミチェレッティ!!)

「日本→中国→アメリカ→イングランド→ホンジュラス→ジャマイカ→パナマ→オーストリア→南アフリカ→日本→シンガポール→?」 -ロベルト・ミチェレッティと!2010年1月



 「今回はホンジュラスに何をしにやって来たんだい?」

 …大統領に質問されます。


 実は僕、別に「冬オフ」を利用してただ遊ぶためだけにわざわざホンジュラスに3年ぶりに来た訳ではなかった…。確固とした「目的」があってホンジュラスまでやって来たのです。

 ホンジュラスで過ごした約1年半…。確かに辛い事もたくさんあったし、おそらく僕の人生の中で最も過酷な日々でもありました。しかしホンジュラスは同時に僕に、数え切れないほどのモノを与えてくれた。生まれて初めて僕を「プロサッカー選手」にしてくれたのもホンジュラス。この人生最大の『』を叶えてくれた『』は一生、忘れる事ができません。

※詳しくは→<大願成就!『プロサッカー選手・Yoji』ついに誕生!『夢』を実現させたものは『努力』でも『頑張り』でもなく…


 その他にもホンジュラスは、普通じゃ「ありえない!」ような奇跡を、星の数ほど実現させてくれました。今回こうして「大統領官邸で、大統領と対面」が実現したのもそう…。

 本当にたくさんの人達が僕を支え助けてくれた…。そのおかげで、「今の自分」がある…。


 こんな「ホンジュラス」に対し、僕が抱く感情はただ1つ…。


 『感謝


 「感謝」、「感謝」、「感謝」…。とにかく「感謝」。それ以外にありません。


 「ホンジュラスという国に、恩返しがしたい


 …世界のどこに居ても、そう考え続けて生きてきました。そのためなら、「南アフリカ」の地から、遥々、「中国」にまで飛んだ事もありました

 そんな「ホンジュラス」が「28年ぶり」にW杯出場を決めた…。しかも今の代表チームにはアミーゴが多数プレーしている…。さらには、W杯が行われる地は、自分が居た事のある国「南アフリカ」…。「自分なら彼らのために、何かしらの力になれる」…そう強く思いました。


 「南アフリカW杯に出場するホンジュラス代表チームを現地でサポートして恩返しがしたい


 北京五輪の時にやろうとして、惜しくも実現しなかった事を、今度こそ…南アフリカの地で実現させたい…。そのためだけに、わざわざ今回、冬オフを利用して3年ぶりに地球の裏側のホンジュラスへと飛んだのです。「自分なら、ホンジュラスのために何ができるか」を書いた具体的な企画書(多数)を片手に…なおかつ誰にも負けない「情熱」を持って…。


 短い時間ではありましたが、自分のこの素直な気持ちを、大統領ロベルト・ミチェレッティに会って直接、伝える事ができました。


 今回こうして大統領と対面する事ができたのも、「ホンジュラスのために」という想いだけで向かった2年前の「北京五輪」で知り合った「万里男」のおかげ…。決して「先」の事を考えて行動してきた訳じゃないけど、結果的に、そうやって自分の「嘘偽りのない素直な気持ち」に従って起こしてきた「過去」の行動の全てが、「今」であり、「未来」の、「ありえない!」ほどの『奇跡』に繋がっている…。


 大統領ロベルト・ミチェレッティは、僕が日本に帰国した数日後、「私の役目は終了した」として自ら大統領の座を辞任しました。

 「クーデターを起こした悪人」として、世界中で批判されてるロベルト・ミチェレッティですが、この問題はそんな単純な論理では説明できません。ミチェレッティに追放された前大統領のメル・セラヤは「4年の任期終了後に、大統領職を継続する事はできない」というホンジュラスの憲法で定められた国の規則を強行的に改正し、5年目以降も自らが大統領に再選しようとしていた…とされています(これは違法行為に当たる)。

 それを阻止しようとしたミチェレッティが、最高裁判所の判断に基づきメル・セラヤ大統領を国外追放した…これがミチェレッティ側の主張です。

※詳しくは→<ホンジュラス大統領官邸に招待され、大統領(当時)と対面しました


 非常に複雑な問題なので何が正しいかなんて言えませんが、少なくともミチェレッティは、新たに行われた大統領選挙が無事に終了した事を確認すると、潔く大統領職を辞任し政権を次の大統領に譲りました。

 政治的な話は置いといて、何にしても僕はこんな突然アポ無しで大統領官邸にやって来た(「万里男」に招待された)、「ジーンズにスニーカー」の日本人を温かく、快く迎え入れ、歓迎してくれたロベルト・ミチェレッティに対する「感謝」の気持ちで一杯です。

 最後は、ミチェレッティと固い握手を交わして別れました。非常に力強い握手の感触が今も忘れられません…。周囲の国会議員には、「大統領官邸で大統領ロベルト・ミチェレッティと対面し、握手し、一緒に写真を撮った日本人は君が初めてだ」と言われました。

 そして、この数日後にミチェレッティは大統領職を辞任したので、「大統領官邸で『大統領』ロベルト・ミチェレッティと対面し、握手し、一緒に写真を撮った」、「最初で最後の日本人」となりました…。


Muchas gracias Roberto Micheletti......

Estoy muy agradecido con Honduras y Me encanta Honduras para siempre.....



「日本→中国→アメリカ→イングランド→ホンジュラス→ジャマイカ→パナマ→オーストリア→南アフリカ→日本→シンガポール→?」 -Yoji con Roberto Micheletti 2010 Enero