松山洋による“「Solatorobo それからCODAへ」全記録vol.2”【1】 | ゲーム制作会社 サイバーコネクトツー 松山洋の「絶望禁止」ブログ

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さて。

前号のつづきからになりますので。

『テイルコンチェルト』の開発の後半戦です。

ヒロインも世界観もストーリーも決まり、
アニメーションを挿入することも決まったので、
あとはひたすら作るだけです。


当初は、純粋な箱庭アクションの企画でしたが、
世界観やドラマを重視する方針に切り替わったことで、
企画も“アクションアドベンチャー”に。


また、開発期間もアニメーションの制作の都合や、
そもそもの仕様変更に伴い当初の12ヵ月の予定から、
一年半に変更・延長されました。


それでも結構な物量を抱えていることは変わりません。


スタッフ数だって、当初の10名からわずか2名しか増えていません。
総勢12名。


このメンバーで仕様・脚本・グラフィックリソース・システムプログラム・
アフレコ資料・SE&BGM・アニメーション用の制作発注資料……
などなど、全てをそろえる必要があります。


残された期間はおよそ13か月

最後の調整・デバッグを考えると実質11ヵ月

さあ、全社一丸となって頑張る期間です。
そんなタイミングでバンダイから連絡が。


“人材を二人、預かって欲しい”



突然の連絡に、“は?”と、なりましたが詳しく話を聞くと。
どうやら、我々の知らないところで

“福岡のサイバーコネクトは非常に優秀なので、
自社のスタッフを数名送りこんで勉強させよう”


という話があがっていたようでした。

当時のバンダイで考えても(今のバンダイナムコゲームスで考えても)普通じゃないです。
それくらい、我々を高く評価していただいているということでした。

“勉強のために出向させるので、ぜひ開発の中に入れて仕事をさせて欲しい”とのこと。

その人材は2名ともプログラマーでした。

さて。

ここで当時のメンバーをおさらいしてみましょう。
企画=1名
アーティスト=5名
プログラマー=4名
サウンド=2名
総勢12名

……願ってもない提案!!

しかも(当然ですが)その2人のお給料はバンダイから出てます。
そして2人が生活するウイークリーマンションもバンダイが契約して払ってくれる!


ウチはただで2人の人材を開発に活用できる!!

ステキ!!

なんていい会社・バンダイ!!万歳!!

(今でもやって欲しいくらい!!やって!ぜひ。)

えー……しかし、あとにも先にも“こんなこと”“これっきり”でした……。


先に結論をいうと。


結局、最後までこの2人のプログラマーには仕事をしていただきました。

全ての開発を終えて、バンダイに戻ったのですが。

当時のプロデューサーが退職した今となっては、
これが良かったのか悪かったのかは知るすべがありません。

我々は大いに助かりました。

バンダイにどんなメリットがあったのかはわかりませんが。


さて。


話を元に戻しましょう。
開発中には、バンダイから他にもこんな連絡がありました。

“スーパーバイザーを1名送るから色々と役立てて欲しい”



全く同様に、“は?”となりました。

しかも、当時の我々は“スーパーバイザー”という職種が何を指すのかも知りませんでした。

すいません、“今”も知りません。

この“スーパーバイザー”に関しては

“2週間くらい預けるので、開発に役立てて欲しい。”

とのことで。

なので、ウイークリーマンションを契約することもなく
“長期出張”のレベルでしたのでだいぶ気は楽だったのですが。
そもそも何をする人なのかがわからない。

スーパーバイザー?

なにかのアドバイスをする人?

考える間もなく、そのスーパーバイザーが送り込まれてきました。

現在、開発中の企画や実機を見せて説明して。
意見を聞くと、色々と発言されましたがあまり参考になる意見でもなかったので
割と開発そのものに影響もなく、2週間が経過して。

東京に戻って行きました。

えー……以上です。


これも当時のプロデューサーがもう今はいないので、狙いも正体もさっぱりわかりません。


完全に謎です。


え?そうですよ。この話はこれで終わりです。これ以上は何もわかりません。本当に謎です。


謎の多いプロジェクトだなあ。


まあ、けどね。世の中だいたい“そういう”もん。
わからないことだってたくさんあります。

よし。

再び気を取り直して、話を元に戻しましょう!




当時の私は、アーティストチームの一員。

背景グラフィックを担当していました。

チームリーダーはWAKAこと、磯部孝幸

私は彼にアーティストとしてのノウハウ・テクニックを教わりながら、たくさんの物量もこなして。
完成したものをまた磯部に見せて、チェックを受けます。

基本的にはこの繰り返し。


この頃のテクスチャーは16色で描かれています。

しかし、16色のうち1色は“抜き用”として割り振られるので実質は15色。
この15色で建物の壁や床、そして植物や樹木などを描くのです。

物にもよりますが、最初は樹木を描くのも時間がかかりました。
ドットを少しずつ打って、緑の部分を10色程度、樹の幹の部分を5色程度、
そしてそれぞれを明るい部分・暗い部分で立体感を出していく。

これだけでも慣れてくると、3時間くらいで描けるようになってきて。


よし、これだ!


と、思ったものをまとめて磯部のところに見せに行きます。

そうすると―――


(松山洋による“「Solatorobo それからCODAへ」全記録vol.2”【2】へ続く)


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本コラムは、下記冊子より抜粋したものです。
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