群馬県高崎市「ぐるりん」に乗って高崎炭田跡を散歩する♪・・・(2) | ゆるポタで心リセット“おれ野_お散歩日記”by_✡CAMMIYA…ちょいマニアックで開運

群馬県高崎市「ぐるりん」に乗って高崎炭田跡を散歩する♪・・・(2)

街や交通網の衰退を監視する....警「美」報 告 書 ☆彡   ▼CAMMIYA-高崎110326166

先ずは、麓の小さな小路から確認・・・群馬県高崎市寺尾町地区

(本ブログ管理者2011.3.26撮影…↓地図中⑥⑦間の別れ道にて、、、)

赤矢印のほうに進むと、地図中の位置(を背に撮影)
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いよいよ、高崎炭田跡に迫ります。。。

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廃墟っぽい感じは良く出ているのですが、廃坑跡などは見当たらず・・・

水が湧き出て、この先は竹薮になっていて進むことが出来ません。。。
(↑地図中にて本ブログ管理者2011.3.26撮影)
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「館の百庚申」向かい側にも、廃墟っぽい感じの場所が・・・

(↑地図中にて本ブログ管理者2011.3.26撮影

館の百庚申

この百庚申は寛政10(1798)年から造り始めて、2年後の庚申(かのえさる)の年、寛政12(1800)年に完成されたもので、一石ごとに番号が刻まれています。

これらの塔の「庚申」の文字の中には有名な書家の手になるものも多く、本町の問屋の梶山彭、持田盾のほかに、下仁田町の高橋道斎や吉岡町華蔵寺(けぞうじ)の歙浦等の名前が見えて、書道展の役割も果たしていたようです。

しかし道路の開通や後方の山の崖くずれなどのために数が失われ、今は60基余りを残すのみとなっています。

60日に一度めぐって来る干支(えと)の庚申の日に行われる信仰行事のことを庚申待(こうしんまち)といい、60年に一度めぐってくる庚申の年のそれは、特に盛大に行われました。

これらの行事を記念して祈願をこめて建てられた塔を庚申塔といいます。

庚申の夜は、眠らずに語り明かすという習俗が江戸時代には一般的に行われていたようです。

高崎市管理史跡(昭和50年 市指定史跡指定)

資料出所: □外部リンク参照/高崎市役所の公式HP
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竹薮化しつつあるところに、遺構らしきものを見つけました。。。

(↑地図中間…限りなくに近い位置にて本ブログ管理者2011.3.26撮影)
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ついに発見!?

恐らく、

他所のHPで高崎炭田「金井炭鉱坑道跡」と記されている場所は、

この場所で間違いないと思われます。

□外部リンク参照①

□外部リンク参照②

□外部リンク参照③

□外部リンク参照④

□外部リンク参照⑤

(↑地図中の位置にて本ブログ管理者2011.3.26撮影)

高崎炭田

群馬県内には、各所に亜炭の埋蔵地域があり、観音山丘陵に広がる高崎炭田は良質の亜炭が産出しました。

明治初期に乗附村村長・田島元七が採掘をしたのを発端に、近在でも次々と採掘が行われていきました(乗附村=現・高崎市の一部)。

産出した亜炭は、おもに県内の製糸所で使用されたといわれ、上信電鉄の山名駅より富岡製糸場に貨車によって運ばれたという記録もあります

第二次世界大戦後は、石油、ガス燃料の普及によって下火になっていきます。

昭和の初めには15カ所の炭鉱がありましたが、

昭和39年に、最後まで残っていた金井炭鉱と興亜炭鉱が閉山し、高崎炭田の火は消えてしまいました。

本ブログ管理者は、最後まで稼業していた金井炭鉱跡を見学しました。

寺尾・館地区にあるこの跡地は、道路わきに広がる平地を50メートルくらい奥へ進むと見えてきます。
付近は沢と雑草で覆われていて目に付きにくいものの、直径2メートルくらいの半円形の坑口を見ることができます。

入り口は鉄板でふさがれているため内部を見ることはできません。

資料出所: □外部リンク参照

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山道をさらに登って、地図中の⑨⑩の場所にも行ってみたのですが、、、

「それ」らしい(?)雰囲気はあるのですが、

残念ながら、遺構を発見することは出来ませんでした。。。

(群馬県高崎市寺尾町にて本ブログ管理者2011.3.26撮影)