【魔法使いになるセミナー レポート☆】


みなさまこんにちは!

行って来ましたミラコスタ。
田中みっちさん×岡田哲也さん。
「魔法使いになるセミナー」!!!!




社団法人 日本性愛セラピスト協会代表理事長の田中みっちさん。
ブログはこちら http://ameblo.jp/micchi222/


心身調律セラピストの岡田哲也さん。
ブログはこちら http://ameblo.jp/iyashiya1848/


身体と心はつながっているし、
心と具現化はつながっている。
それを、まず自分が(あくまでも体験上)信じるところから、
自分の世界を広げていく。


そして、やっぱり、身体と心、
心と具現化がつながっていること(心が現実を結局は表していること)を、
「信じていない人たち」と歩むか
「信じている人たち」と歩むかで
たったひとりの、個人の世界は、
いったいどれほど変わるのか。

自分がそれを、自分の人生を使って体験してゆきたくて。


ブログやエッセイを読んで、
まず最初に、「この人は、すごい!!」と
感動&共感したのが子宮委員長はるちゃん☆

子宮委員長はるちゃんブログはこちら。
http://ameblo.jp/jj-haru/


そのはるちゃんの旦那様として知り、
「この人も、すごい!!!(・▽・)」

と、ブログを読みまくったのが岡田哲也さん。


そして、田中みっちさんは、
子宮委員長はるちゃんとたびたびお話しのコラボステージを行ったり、
性愛の話や、性教育などを
「タブーとして、語りづらさのあるものとして隠す」の

ではなく、公に語り、だれもが自分自身を愛せるようになろう、
という社会的取り組みをしていらっしゃいます。


特に、身体や心を自らが否定してしまうことによって、
「わたしには人に愛される価値がない」などと
思ってしまいやすい女性にとって、
もう一度、女性が自分本来の力を取り戻し、輝くための、
サポート活動をなさっているセラピストのかたです。


お二人ともが超絶大人気のトップ講師。


会場には、ダンスや絵画、音楽などの創作や表現に携わる方、
ファッションを扱う事業で起業をなさっている女性など、
本当に個性豊かで、素敵な女性が集まっていました。


3時間が、本当に楽しく、あっ!という間。


場にいてビリビリ感じたこと、楽しかったこと、

全4回くらいにわけて、書かせていただきます☆

まずは、田中みっちさんのお話しのコーナーですd(・v・)b


田中みっちさん、はじめてお会いしました。
(というよりも、「セミナー」と名のつく場に、
人生ではじめて、来ました!!)


綺麗、かわいい、カッコイイを全部併せ持っているような女性。
「みっちさんは、きっとこんな人だと思う。」
と、生でお会いしても、一言には、到っ底言い表せないような人。


なんかね、素敵過ぎて宇宙人みたい。

身体の中に地球の歴史がぜんぶ入っているような感覚の人。


それから、生きてきたことのそのものの自信を、
身体のど真ん中から、
ひかりとして放っているような人。


ヨガやチャクラのことなどは、
はじめて聞く言葉やお話も多いのに、
「むずかしい話し」と感じるところがない、
まさに魔法。

映画を見ているとか、音楽を聴いているような感覚。
お話に対してずっと「映像がそのまま見える感覚」で
聞かせていただきました。


お話の大枠の大枠、
「流れ」は、このような感じだったかと思います。


①チャクラから知る男女の役割。
②チャクラから知る、日本の歴史。
③チャクラから考える、人類の歴史、日本の歴史の、ひ・み・つ!
④他人軸から、自分軸への、心のパラダイムシフトの話し。
⑤地球の上で、みんなみんなで、横の手をつなぐ、世界平和への願いの話し。


、、、本当はもっともっとぎゅうっと盛りだくさん&全速力のお話しです、

、、、素敵で、壮大で、書ききれないです。


だからこれはほんとにただただ「場に行って、わたしの感じたこと」です。


まず、まったくの知識ゼロ!でした、
ヨーガ!


ヨーガ(ヨガ)とは?

インド六派哲学・ヨーガ派の修行法。
呼吸を整え、心身及び精神を統一し、
極めると解脱を得る。瞑想法のひとつ。
今は健康法としても知られている。


※専門的なことは、サイトなどを検索すると、出てきます!


チャクラとは?
ヨーガ用語で、身体の中心軸の、生命エネルギーの中枢。
「気功法」でいう<気>のエネルギーの出入り口。

第1-7チャクラまであるとされているのだそうですが、
(それぞれの部位とパワーは、
いろいろなヨーガのサイトなどをご覧ください!)


みっちさんのお話では、
「実は、もともとは、1-7だけじゃなく、
第0チャクラ(大地)と、
第8チャクラ(宇宙)が数えられ、
天地とつながるすべを私たちはもっていたのだけれども、
歴史のどこかで、
そのことが表舞台から隠されてしまったのではないか」

という説に基づいてのお考えや、

「地球とつながっている。」と意識する感覚の大切さについての考察が。


「私たちは本当は本来は、自然と調和をして生きることが
もともとはできていて、
たとえば、明日の天気は雨か晴れかと読むとか、
遠くの人とテレパシーで話すとか
危険が迫っているかを察知するとか。
本当は、もともとは、できていて、
すべての人が、
『生きている』というそれだけだって、
輝いている存在だった。


だけど、何百世代も、生きて死んで 生きて死んで
繰り返す わたしたちの歴史の中には、
繰り返し、繰り返し、勢力争い、虐殺、戦争、
そういう、人類史としての争いがあって、
<本当はもともと人間はすてきだったんだ>ということが、
思い出しにくくなっているんじゃないか?」
というお話し。


「もともと、日本には、卑弥呼とか、
女性が国を治めた時代もあって、
日本神話の、イザナギ、イザナミも男女一対で
神様を「産み落とした」のは女性だし、
女性にも大いなる神聖があった。
きっと太古の昔には、男女どちらにも、
昔の人には、
『心に従う』
『直感で生きる』
なんて、『できて当たり前のこと』だったかもしれない。

でも、
男の人が狩をしてきて、女性は家の内を守る。
男の人が何かの仕事で働いてきて、女性が家の内を守る。
男の人が戦争に行って、女性が家の内を守る。


男の人は、外で、仕事で。
女の人は、働いてくれる夫を家で。
お互いを守りあってはいたけれど、
でも
『自分自身が、何をしたいか、
今、生きて、どんな風に生きてありたいか』
考えることが、
男は働くこと。
女は家を、家の中で守ること。
それを何十代もやっているうちに、
みんな、考えられなくなってしまった。


長い長い長い、太古の昔から、今に至る歴史の間に、
自分の頭で考えて
自分の心で感じることを、
「できなくさせられてしまった」んじゃないか。

でも、私は人間は本来、命の輝きを誰もが
持っていると信じています。
ただ、それを、思い出しにくくなっているだけ。」

というお話し。


特に、歴史の繰り返しの中で、

魂が自由に輝くことが

「できないほう、できないほう」

に、進んできてしまったのではないか、という考察に、

本当に本当に共感をしまして。


たとえば、私たちの世代で、
一番近いのは第二次世界大戦のとき。


わたしも、自分のおじいちゃんやおばあちゃんから聞いた話しでしかわらかないけど、、、。
戦争の時は
「将来は兵隊さんになります!」
と、子供が言わなければいけなかった。

それ以外の夢は、いや、もはや「夢」というキーワードすら、なくて、、、

言っちゃ行けなかった。

自分の頭で

自分の心で

考えちゃいけなかった。


感じてはいけなかった。


人間と人間が殺し合いをしていた。
どこの国の人は敵だから、って。お互いが。


そのころの頃のことは、あまりにも恐ろしいことだけれども、
全部、現実にあったことだ。


それで、戦後の焼け野原から、
ただ生きるために、「ここで滅びないため」に、
おじいちゃんおばあちゃん、お父さんお母さんの二世代が、
一身に働いて、すごい便利な乗り物、
すごいたくさんの仕事、建物、オフィスビル、
住むところ、凄まじいまでの戦後の復興を、二代でやった。


物質的な発展は、
おじいちゃんおばあちゃんの世代と、
お父さんお母さんの世代の「生き延びる意志」の具現化だった。


でも、戦後から現代までを、とにかく生き抜く底力の表れでもあった、

高度経済成長期と、バブル時代が、

終わっての、わたしたち。

なんでこんなにも、飢饉でも戦争でもなくて、
物質的豊かさが満たされている世界の中で、
若者が、
一億総うつとか、
先進国で一番自殺者が多い国とか、
みんなで言われるような状態になったんだろう。


少なくとも親たちより、
若い世代のわたしたちが、
「自分のやりたいことに自信が持てない」とか。


人生は、たった1回きりだっていうのに。


地球の歴史とか
日本の歴史とか
そういうスケールの物差しから見たら、
だれの寿命だって一瞬。


やっぱ、生きなきゃ、つまらないよ。


お話を聞きながら、何か、すごい、鳥肌が立った瞬間があって。


私たちが本当に本当の『肝心要』、
今が『肝』っていう、ここが、自分が、その世代なんじゃないか、って、
ビリビリと感じた。


いつの時代の若者も、自分のことを、そう思うかもしれないのだけど、
戦争から 平和へ
不自由から 自由へ

今、この、ここの世代から、
心から発せられる喜びによって人が生きるような
時代に。


過去から未来へ、パラダイムシフトしていく。


その『肝』のところに、わたしたちがいる、と。
わたしもこの感覚って、
ずっと、ずーっと、昔から、感じ続けていたことだったけど、
それが、ますます、確信になって、眼が開いたというか、
ほんとうに、これは、マジだ。、って、思ったんだよ。


もし、私たちが、もう一回、
みんな、どの人も、
「自分の意志は持ちません」
「将来は兵隊さんになります!」
「戦争へ行けと言われたら行きます!」
というような


自分は何が好きかも

自分は何が嫌いかも

わからない人


わかってても、言わない人、言えない人、、、


みっちさんのお話にこのたとえが出てきたのだけど、
千と千尋の神隠しに出てくる、
<カオナシ>みたいな人間になってしまったらさ。


そのときにはもう一回戦争になる。


逆算して、それだけはないように、
この今を、今、守っているのがわたしたちなんだ。


私たちが、今この瞬間に、すでに、
未来を作っているんだよね。


それで、うっかり、みんなで、
カオナシにならないようにするには?


こうやって、ものを書く自由。(ガマンをしないで。)

言いたいことを言いたいように、言う自由。(ガマンをしないで。)

行きたい国へ旅をする自由。(ガマンをしないで。)

うれしいとき笑う自由。(楽しいときには笑うことを恐れないで。)


生きることを喜ぶ自由。


生きることを楽しむ自由。


すべての自由を、感じ切ることが、
わたしたちの根源的な輝きの元なんだよ。


「感じたいことを感じる自由」

「今生を、生きたいように生きる自由」は、


「人」という

生命体としての、いのちの光の源なんだよ。


チャクラのことは、知識ゼロでも、
でも、なぜか、わかる。


わかる。


だから、涙が出る。


戦争から、平和へ

闇から 光へ

不自由から、自由へ

絶対に、行く!!という、この感覚。


私たちの命が、今、あるのは、
何億人の命のめぐり、
平和への渇望の上に、
わたしたちが未だ滅びてはいないから。


それ自体が、もう、奇跡なの。


人間本来の、自由の輝きへの回帰。


私も、自分が歌ったり、お話しをするとき、
ただひとりの女性として(なんかね、「種族」として、みたいな感覚。)
ただひとりの、ひとつのいのちとしての
「願い」を話したい、と思いました。


もう、素敵過ぎてね。

うまく書けない。


実は前日夜、喘息くらい咳が出て(何かの花粉のアレルギーが今年すごくて)

「こんなに咳が出るんだったら、

お話の途中にうるさくして迷惑になっちゃうから、

行かないほうがいいのかな」

と、一瞬、悩んだの。

そのくらい前夜は体調がひどかったの。

介助さんも、心配してくだって

「明日雨で寒いって言うし、無理しないでね」

と言ってくれてた。


でも次の朝。

「わたし、どうしたい?」と、胸に聞いて。

「大丈夫。今日は、幾日も前から前からずーっと楽しみにしていた講演だから、

行くのをやめるのは、いやだ。行きたい。」

だったから。


そしたらね。

ぜんっぜん、咳が出ないのよ。1回もでないのよ。

行きの道でも、会場でも。

出てから帰ってくるまで。

たぶん、全霊の全力で、お話し、この場を、逃すまいと、

「聞くこと、見ること」に、場に、ただ集中をしていたから。

楽しくって。(だってネットの世界が立体の生でいらっしゃるんですもの!(^▽^))


なんて今日、ここにいて、来てよかったんだろう、
なんて今日、うちにいてテレビ見て過ごしてなくてよかったんだろう、
と、ただただ、感じていました。


さて、あと一話、
シンクロを感じた
「昔、女性は神様で、、、」と、神話になぞらえたお話しの部分。
<神話編>。
あわてて書きたくなくて、
書くのがすごくゆっくりですが、またUPします!
②に続きます!



ーーーーちょっとCMーーーー
出演します☆


<土と種からはじまるライブーまあるい月とはるのうた>
日時 2016年 5月22日(日)開場11:30- 開演12:00
場所 イタリアンレストランサルベージ
(埼玉県秩父市宮側町8の4)
チケット 2500円 (畑の自家製野菜イタリアンランチつき)
★限定35席
出演 ソウマヒカリ(横笛と鈴による即興演奏)
朝霧裕(うたとお話し)
奥野裕介(ギターとうた)
ご予約 0494-22-6227(サルベージ)