朝霧 裕ブログ~生きるほうへ~

本ブログは、障害を持つ一人の女性が、自分の「心を解放し、肯定し、自由に話し、行動をする」ことで何が起こるか、実験をするブログです。一緒にやってみようかな、という方のプラットホームになれば幸せです。

最新刊エッセイ「バリアフリーのその先へ!-車いすの3.11-」(岩波書店)好評発売中!

オフィシャルHP http://yuhasagiri.jimdo.com/

出演、取材のご依頼は、yuhasagiri@gmail.com  までお願いいたします☆


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みなさま☆彡


おげんきですか?(・v・)


昨日の記事、「もう怒りに怒りで返すのを止めない?」というのを書いて。

http://ameblo.jp/cafedudacco/entry-12202916752.html

もういっこなにか書こうかなと思っていたら


がつんと目に飛び込んできた子宮委員長はるちゃんの記事。

【お金 集客の極意は人の縁を切ること。】



もうね、これ!!です!!!


たとえばね、障害を持つ人や病気の人のことを

「ああいう障害者のやつらはどうせ〇〇に決まっているんだ~~!!!」とか

「ああいう病気に甘えたやつらはけしからんやつらでああだこうだ~~!!」って 

ブログとかツイッターとかに書いている人がいたとして。


で?

なに?

いたから、なに???

です。
以上、だよ。


「だっこさん!あなたも障害当事者なのに!

なんでもっと私達と一緒に怒ってくれないんですか?!」


「なんでもっと怒りの記事を書いてくださらないんですか?」


という方々の声もたくさんあります。


でも、わたし、これ↓↓が本音です。


だってわたしレベル低い人と関わりたくないもんもう。


(「「病気や、重い障害のやつらはどうせ〇〇に決まってる~~!!」」

「生活保護の人たちはぐうたらとか怠けてるに決まってる~~」

みたいな記事を

<書けちゃう世界>で生きている人たちって意味ね?


「なんで私達と一緒にもっともっと怒りの声を上げてくれないの?!」っていう側の人じゃなくてね。

少なくとも、そう言ってくれる方々はほとんどが、

障害や大きな病気、貧困の、暮らしの当事者だから。)


だってそうでしょ?


今、本当に

「だれが何をしていてもしていなくても、

ほぼ個人のクチコミだけで、

勝手に名前が世に出て

勝手に世界を拡充させてじゃんじゃんお金も稼いで

それをまた世の中に循環させている人」って。


「私はこれが楽しい!」

「私はこれが大好き!!」

って 

<好き>の世界に生きて居る人たちなんだよ。

わたしはその日本代表がはるちゃんだと思ってて。


「私が稼いだお金で、(たとえば、本がいっぱい売れたりした結果で)

お金が必要な人が豊かに生きられるなら、わたしはうれしいし、誇らしい」


そんなふうに、著書やブログで堂々と公言しているかたの一人。

これね、わたしがこれまでにお会いしたことがある

名実ともに、<ベストセラー作家>と呼ばれる方

企業の社長さんや、

NPOなどでも本当に地域社会に信頼されて

活動が、それこそ「人から人へ」の口コミで

伸び続けてる団体の代表さん。

全員が、同じことをおっしゃる。


人も、お金も、コンサートとかの舞台つくりでも、

とんとん拍子で場から何から

最良の形でぴしゃ!っと決まるときも、

ほんとうに「良縁」と「想いの循環」だと思う。


自分が「怒れるメッセージ」を発信し続けている限り、

「怒れるメッセージ」で繋がっている人を多く身のそばに寄せてしまう。


「わたしこれが好き!!」

「この世界で生きたい!!」

っていう言葉を全霊で発信してる人のそばには、「好き!」の世界で

生きている人が引き寄せられてる。


これは、真理だよ。

そうとしか言えない、書けない、本当のこと。


<攻撃する人を攻撃し返すのが楽しい>なんてさ

そんな世界、、、

自分からわざわざつっこんで行きたい、、、ですか?



私たちは、不老不死ではないじゃない?(今んとこ。将来はわかんないけど。)

「反論の反論」とか

「攻撃の攻撃」とかに


「生きていられる時間」を、使っていられないんだよ。

もちろん「怒りと攻撃の世界」でも


そこにいることが自分の役目!!

そこにいることが私の幸せ!!


って 思ってる人はそれでいい。

だって自分が、それでいいと思ってるんだから。


私は、

「この人とご縁を持ちたい」って本当に思う人としか

もう、ご縁をそもそも持たなくていいように


このブログも

「わたしが書きたいこと」を、ふるいにかけて、

選んで書いてる。(だって書くのも体力使うもん。)


その選んで書いている中に、

「人への攻撃」は
要らないことだと思ってる。


その上で。

思うんだけど、

ブログなんてさ。


「嫌なら読むなよ。」

で、よくない?


ブログも、ネットも、

★自分が自分の書いた言葉を即時発信できる

★それに共鳴する人が必ず見てくれる


「書いた結果で、どんな人(人・モノ・お金)を身のそばに寄せるか」は

ダイレクトに、目に見えて結果が出てしまう、

ものすごい引き寄せツールだよ。


だから、

「書いた結果で、引き寄せる」なら、

どうせ引き寄せるなら(!)、悪縁より良縁がよくない?!


ならば、

「私もあんな風になりたいな!」

「あの人って本当にすてきだな!」
って、自分が尊敬できる人、

素敵だなと思う人に意識を向けるべきで


「ああいう考えの人は頭に来るなあ!」

「あの人は、僕は(わたしは)嫌いだな!!」

と思うなら


見みなければいいじゃん?


で、

「私は、こういうふうな生き方や、社会づくりがしたいと思う」

っていうほうを、ただ ただ ただ ただ 書いて やっていれば、いいじゃん?


「良縁が欲しいなら悪縁を断て」


これね、ブログやネットの見方、使い方、発信のしかた

(自分サイドの文章の書き方!)


全っっっ部に通じるから、


自分にとっての

「キライ、不快、ムカつく(怒り)!!」だけを上げ連ねる記事よりも


私だったら

「好き!!」とか、批判じゃなくて、読んだ人が元気に力が湧いてきちゃう提言を

発信してる記事を書きたいし、

見たい、読みたい、と思うんだ。


大切な大切な大切な自分に

あなたは

何を見せて感じさせてあげたい?


時間は、そんなに、ないはずだよ。

明日は今日に戻らないいし

今日は昨日に戻らない。

そこは、ほんとは、障害なんか、関係ないはずだよ?


とは言え

2年くらい前までは、私も、

「怒りのメッセンジャー」だったと思う。

エッセイやブログの書き方も、全体的に。(・v・)


虐待サバイバーだし、

生活保護や

重い障害を持つ人の生活について、

当事者だから、思いが強いから。


でも、子宮委員長はるちゃんはじめ

ただひたすらに

「自分を生きる」ことをやっている、

実践者や、セラピストの方々の

<実践>の力強さを知って、

価値観が大きく変わってきたと思う。(まだまだ変化中。)


それに、毎度 毎度 100の記事が100、

「今私、怒ってます、怒ってます、怒ってます」

っていう記事ばっかり書いていると

「あー あのひとはなんかよくわかんないけど、いつも怒ってんだね(^▽^)」
だよ?

、、、そうすると、記事、読まれないよ?(←やってみたからどのくらい「読まれない」かもわかる(-v-))


「私は、この人と、縁が持ちたい!」と思える人。

「私は、私を、もっと自由に、こんなふうに、おおらかに輝かせたい」と思う自分の理想像。


そこに意識を向けてのみ、

ものを書いたり 言葉を発していったとき。


「そもそもが、わたし、この人との縁は、要らない」

って思う人のことは。


要らないのだから


口の端にも名前が出ないよ。

わざわざは ブログにも書かないよ。


、、、と、いうわけで、最近わたしが

「怒りのメッセンジャーである自分」、という書き方に、自分で飽きて、


あまり「怒り記事」を多く書かなくなった以降のほうが、

自分でも、以前よりはるかにいいと思えるライブができたり、

講演とかでも私を大切に扱ってくださる主催様に会えたりの

ご縁が広がっている実感があるので、書いてみました。


「良縁を呼ぶか」

「悪縁を呼ぶか」って

<発信者である自分>が、どんな言葉で、何を書いてるか?がすべてで、

たぶんそのレベルも、どんどん変化をしてゆくと思います。

わたしもまだまだ進化、変化中。


たぶんこれはね、「これで完成。これでもうできあがっちゃった」なんてのはないんだと思う、

死ぬ日まで。


最近(ここ半年くらい)の変化。


「もう怒りに怒りで返すのを止めない?」の、補足記事でした。

http://ameblo.jp/cafedudacco/entry-12202916752.html


★子宮委員長はるちゃん公式ブログ

「子宮委員長はるの子宮委員会」
http://ameblo.jp/jj-haru/

※はるちゃん、会社設立(!)、新著出版、心よりおめでとうございます!



みなさま!らぶゆ。


また書きます。



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いやあのね


この言葉 体から 出したーーーーーーい!!!!!!


って思うから書いておく。


世の中には本当にいろんな人がいるからさ。


介助が必要な障害者は死ねばいいって思ってる人とか

人工透析が自己負担できなかったら死ねばいいって思ってる人とか

生活保護を受けている人はメタボ率が高くて喫煙率が高くてあのアレよねって思ってる人とか


いろんな人がいるんだよきっと本当に。


でもさ。


ただやみくもに煽られて

「まわりの健常者に負けないように無理して死ぬ気で必死で頑張ります!!!」

っていうやりかたで重い障害の人ががんばると

たぶん本当に死ぬからね?


行動の原動力が「頑張っていないわたしには価値がない」っていう

無価値観の裏返し。

怒り、

焦り、

人との比較 だと ほんとうに、取り返しのつかない大病になったりするからね?


「仕事」って


「事にお仕えする」って書くでしょ?


あなたが生きていきていることだけで、


たった一人でも人を幸せにしていれば、どんな人ももう宇宙のお仕事を果たしていると私は思うよ?


いるだけで。


そして何より、まず第一に、自分が自分を幸せにする。


「必死」って、「必ず」「死ぬ」だから。


一時それでもほんとの死ぬ気で走んなきゃいけないときもあるのかも。


でもそれはけっして一生じゃないはず。


人の言葉で一喜一憂する必要はない。


怒りに怒りで返しているうちに自分の生きていられる時間(寿命)を搾取される必要はない。


『あなたは』、何がしたいの?


ただそれを、どこかへ発信していれば、必ず、誰かが見てくれて、


生きているあなたを生きていきているだけで


正当に評価してくれる人は 必ずいるから。


繋がるべき人とは必ず繋がるし、


見る人は見てるから。


大丈夫。


「他人を蔑ろにすること」ってね

「自分を生きていない人」がやること。

だからダサイの。

かっこよくないの。


そんなこと、わかる人にはわかってるから、もう一歩二歩先に行っている人は

逐一書くことすらしない。


一文字打つのも、「時間」が必要なんだから。


時間を、寿命を、


自分の動ける身体を、誰と生きて何に使いたいか考えてみて?


これね、自分に言いたいから書いているだけだけど。



大丈夫。

煽られて、怒りに怒りで返すことに時間取られたり

必死に頑張って頑張って苦しんで死んだりしないでね?


ここを読んでる


あなたのことは


死なないように


私が見てるから。



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みなさま☆彡こんばんわ。


おげんきですか?


「やりたい人がやりたいことをやるだけという魔法」

http://ameblo.jp/cafedudacco/entry-12201823619.html


の記事に、松本佳奈さんの木更津かずさキャンドルナイトが最高に素敵で

「わたしも外で歌いたい、だれか主催してー?(>▽<)」

って書いたじゃない?


まだ一週間経ってないよね?


そうしたら、書いた翌日の夜に、大好きなお友達からメッセ―ジ。

「主催に立ってくれそうな人にメールしたよー!!」


あ!(・▽・)そういえば!

半年くらい前に、京都で、「ハナニンゲンプロジェクト」っていう、

人間まるごとお花にしちゃうような

人間とお花のコラボレーション表現をなさっているかたの取り組みをネットで偶然に見て。


今回、連絡をくださったお友達が、華道の師範だったものだから(!)

そういえば、

自分の口で

半年前から


「なんかこういうもう、人間なのかすらわからないような生命体になって歌ってみたい。

モン族の写真見ているのとかすきだし!!」


と たしか言ったのでした。(モン族は言ってないっけ?(-▽ー))


ステージ衣装として、それこそ色とりどりのドレスを着る、ということに、やりきった感があって。


自分で意図して作り出したにしろ、

やっぱりみんなの力がないとこんなに素敵でありがたいと自分で思える人生は歩めなくてね。


稀な人生を歩ませていただいて、

あと何がしたいかっていうと、

できる人が力を出し合って、『この今日に居合わせた自分すごい!!』ってさらに同じ場にいる人が

思えちゃう場を


さらに楽しく 作る!ですよ。(^▽^)


さらにさらに、ファッション、メイク、髪飾りみたいなものの 面白さを追求したくなってきましたよ(・v・)

「それも、演出」みたいなところまで(・v・)


でね、もっともっと

「あんなことあいつしかできない」

って言われるような楽しさを 繰り出したい!!!(>▽<)と 

ただひたすら集中して妄想していましたら


そのお友達 華道の師範 が さらにその大師匠さま!(・▽・)にまで、話をもっていってくださると、、、、。


なんか、半年前に、一回半分くらい話が進んでいたんだけどね、


わたしもそのときはゆめコンに全力投球、


このためにかけられる人・もの・お金のことをちゃんと話してからやりたい、って、止まってた、というか、

みんなの意志が、ぴたっ!!と、止めるほうへ合ってね、止めてたの。


でも


「あ、こんどはスルスルススル~~~ぽん!と生まれる、この流れにただ乗ってれば、できるわ」って


わかったの。


でね、なんと、おまけつきです、もういっこ!!!


「モン族のファッション(頭をお花にするやつ。メイクがすっごいやつね!(・▽・)

写真見てるの大好きなんだよね(-v-)」


と、思いながら写真見てたり


たとえばだけど


「ファッションと自然の融合」みたいな感じってどんなかしら?とか


これはあの映画の妖精っぽいな(指輪物語とか、ディズニー映画とか、いろんな妖精とかでてくるやつ!)


あ これはゲームのキャラのコスプレなんだ、でもすごくきれいだな(・v・)とか


ネットでただいろんなファッションを見てたのね。


そ、う、し、た、ら。


キーワード<ファッション>で!!(・▽・)


すごい人からすごい変化球でものすごいご縁をいただきまして。


「え?!なにそれ、すごすぎて、わたしその場に、いていいの?」


っていう。


場にもね 道が拓けてしまいました。(・▽・)


、、、でも、それも、実は実は、約2か月前、


「わたしあのかたには、会えるかも。しかも近く」


という、論拠はないけどものすごい強いカン、みたいなのが、したんです。


「あ、これ、できる。」

「あ、わたしこの人会うわ。」


っていう人って、必ずわかるよね?


「ね?」っていうと


えーーー?!


って思う人もいるかもだけど 少なくともここを読んでいる人はいま、


うんうん、と、人によってはうなずいたり、心がザワついている人もいるんじゃない?


「わたし、これやりたい!」とか

「この人に会いたい!」とか 願ったことって

どうしてかわからないけど、必ず叶う。


その日即日で叶わなくても、タイムラグあって半年後叶うとかさ。


で、「最初から気の進まないこと」は、ちゃんと、叶わないのね。

なぜなら、ただ、自分が、気が進まないから。


これね、すごいよ?


と、いうわけで、わたしの場合、


「ここに書くと叶う」ので、


外で歌うかもしれないです。(^▽^)


あと、

「歌ったあとにはみんなでバーベキューやりたい!!外でごはん食べたい!」とかね

今 好き放題言いまくり。

叶う時にはすぐ叶うものなので、続報をお待ちくだされ。


なんか急に、展開速くて、アタマが追いつかないよー。


っていうか、アタマは追いつかなくていいのか。


もう、神様 仏様 宇宙様!!


としか言えません。


また書くね。


らぶゆ。





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みなさま☆彡

こんにちは!


日曜日、松本佳奈さんの かずさ木更津キャンドルナイトコンサートへ行ってきて、すっごくいいきもちになったらふっと書きたくなった記事があって。その記事、タイトル「顔。」

でね、写真とか集めてたら、ふとシンクロした、<場を編む人>、舞踊家でもあり、ロケーションからものすごく素敵なお話し会なども企画・実施されている、齋藤麻生さんの記事、

タイトルまさに「顔」だったから、ちょっと貼っておく。(・v・)

「素敵な人は顔が素敵」という記事。「人相学」についての記事、といってもいいかも。

麻生さんは、だっこがよくブログを拝読している、そのエッセイ&生きざまのファンでもある

子宮委員長はるちゃん 公式ブログこちらから→ http://ameblo.jp/jj-haru/

はるちゃんのご主人の心身調律セラピスト 岡田哲也さん 

公式ブログこちらから→http://ameblo.jp/iyashiya1848/

のfacebookを見るようになって知って、


「いつかどこかすてきな人と巡り合えたら

(こちらから必死に人を探す、っていうんじゃなくて、ぱ!!っと会えたら)

踊りと歌のコラボの舞台をまたやりたいな」

と思っていたとき知り合って、すごく「見えないものが見えるかた」でもあって。

岡田哲也さんと、性愛セラピスト田中みっちさんの講演のとき、

会場ではじめて、お写真ではない生の麻生さんと、お話しました!!(・▽・)


ものすっごく綺麗!!!もうね、浄化1000%(・▽・)!!

お化粧できれいにしている綺麗さじゃないの。

生きてきたんだろうなあこの人!!!!!

っていう、

あの、なんでしょう、顔がいのちなのは好徳ですが(雛人形ね!)

「いのちが顔」ですよ、

たましいが まんま そのまんま 顔!(・▽・)


それで、大ファンになったおかたです。


すてきな人って、みんな「いい顔」してる。

たましいの解放感の中にある人。

試行錯誤をしながらも、

「どうせムリ」

「私なんか」

「やりたいことがあるけど、でも、やっぱり、自信もないし、、、、」って

自分を自分で絞殺さないで生きている人は、美しい。


男性ももちろんだけど、たぶん、女性は、強い武器だよ、「いい顔で生きている」って。


でね、ほんとうに。


ふと。


ふと。


書いてみたくなりましたのだ、わたしの「顔」の変遷。


あえて、わっかりやすい写真でお届けします。






 

まず何よりも、人生の前半、なぜか、衣装黒率が高いです。お化粧が眉、目、唇、

すべてぎゅうぎゅうと濃いです、どこか一か所引けなかったんでしょうか、

大人っぽく見せたい!と、気負ったのでしょうか、23才。




まだ衣装が黒いです。顔まで暗いです。というかですね、表情が固いです。

目も固いです。いったいなにがどうしたのでしょうか。24才。


このころは、「同世代の健常者と同じ働き方でがんばりたい!!」という思い、

「わたし頑張る!!!!!」が人生で一番強かったころです。

頑張ることは悪いことじゃないかもしれないけれど、「人と比べて」に、自分で自分を

追い込んで、しょっちゅう、病気にまで追いつめていた頃。



 

これが26才。今より13キロ体重が重かったです。


わたしの身体は生まれつきの難病があるから、健康な体重の基準がちょっと人とは違うけど、

このとき39キロ。

今が、ここ3年くらい、一年中、25~7キロ。変わらないから、

うちには体重計がありません。

太っていたのは、完全に全てストレス!!

このときは、やってゆきたい表現活動にかかる動き方と、

介助の制度がうまくかみ合わず、

「活動のしかた」「介助制度を得ての生活」のすり合わせに

本当に本当に悩んでいたとき。


「障害年金や生活保護で生きている人が歌手活動するなんて

間違っているんじゃないですか?」

と、身近な人や、介助者の中にも一部、当時、表舞台に立つことを

強くバッシングする人もありました。


そして、生活保護に起因する一部介助者からのバッシングは、

年数を経て、じょじょに度を越えたものになってゆきました。


ですが、ご神助、宇宙、神の采配としか言えないタイミングで、

行政に虐待認定されることとなった私生活での大変な状況が

すべて解決。


人生の(なおガマンして放置したら命を取られるかも知れなかった)大変な時期を越えた直後の

2011年、東日本大震災を東京都内で体験。(帰宅難民に。)

「障害があろうがなかろうが、死ぬ日だけは選べないんだな。」

ということが肚からわかり、

ふっきれて、

「自分を生きる」想いが揺らがなくなりました。


もし、自分の今や可能性を信じることへの自信が、他人の言葉で、揺らぎそうになったら、

「じゃあ、災害時や、大きな病気になったとき、その人が代わりに死んでくれるか?」

という質問を、自分に投げかけてみるといいと思います。


ふっきれた翌年の2012年。33歳。







2014年 35歳。


 





2016年 37歳 先々週。







2016年 37歳 おととい。



比べてください、どこをって、目。


わたし、前歯出てるから出っ歯をからかわれたり斜視をからかわれたり、

手足が細いからキモイって電車乗ったら言われたことあるし、とかいろいろで、

若いときからずっと、自分の顔とか身体とかの容姿を

「わたしってきれいでしょ?!」って思ったことって、あまりないです。

写真撮られるとき、あんまり笑わないようにしよう、とか、してたときあります(・v・)

(惜しいことをしたよ20代!)


でもね、生きている、

2011年以降の自分の顔は、大好きです!!


そして、そう思うと、過去の大変な時期のことさえ、

「あの日があったから今がある。」

と、「今」を好きになれたとたんに、

写真を見返せるようになるものだよ☆


そんなこんなで、ますます「いい顔」になりたい。


最近まわりに、あの人暗そうでいやだな、とか、あの人キツそうでいやだな、、、と、

本能で感じるような人が、本当にいなくなったので、書いてみました。


男性はイケメン、女子は本当に美女ばかり!

「会いたい!」と思う人にしか、会わなくなった。

それはきっと、私自身が、「私自身が会いたかった私」に、

紆余曲折経て、帰ってきたからなんだろうと思う。

どんどん、そうなって、

まだきっとわたしの物語には先があるんだ。


ほんとに、今日を、生きてさえいれば。


わたしも、麻生さんの言うところの「目が濁っている人」「澄んでいる人」、

そこの純度を、パワーアップさせてゆきたいです。


らぶゆ。


また書きます。








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みなさまこんにちは!(^▽^)前回ブログ↓


「外へ出ることへの想い」
http://ameblo.jp/cafedudacco/entry-12200853551.html


今見たらぴったりと100シェア、ありがとうございます。(・v・)


と、そんなわけで(※どんなわけかは、「外へ出ることへの想い」へGO☆彡)


行ってきました、木更津へ!(・▽・)!!


巫女シンガー、、、と 勝手にわたしは呼んでおります、松本佳奈さんに会いに。

写真は、解像度がすごいのがたぶん公式ページにも上がっているから見ておくれ?


かずさ木更津キャンドルナイト

http://kazusacandle.jimdo.com


かずさ木更津キャンドルナイト
https://www.facebook.com/kazusacandle/



いやー、、、、楽しかったー。外で歌う場って、いいねえーーーーーー!!!!!!

すごい開放感!先週は佳奈ちゃん(写真わたしの後ろ、中央)がわたしの住む街与野本町へ。

今週はわたくしが、佳奈ちゃんの住む街木更津へ。


こちらは、車で仲間みんなの送迎をしてくださった、facebookだっこファンクラブ会長の菱沼さん

(写真中央)と、ゆめコンのとき、ビデオ撮影をしてくださったとらさん(写真右)。

そして、先週のゆめコンでは、スライド映写の辻友紀子さんの絵画の色補正をしてくださった

(本職はゆきさんの絵本のデザイナーさん!)いづみさん。


想いと空って、つながってるのかな?日のあるうちは小雨がぱらついたりもしていましたが、

最後は満月!!!!

佳奈ちゃんの声、キャンドルの光や、聴く人の個々胸の中にある想いを、

持ちあげて、上へ上へとひっぱって、宇宙に届けるような声なんだ。





わたし、夜に帰りで県外へ行く、、、、って、現状の介助の体制との兼ね合いもあって、

介助の法律でむりということではないんだけれど、あきらめてたの。

「絶対にできないということではないけれど、今年は、無理かな、、、」という感じだった。


でも、じゃあ来年、じゃあ来年、、、 、、、と思っていると、

本当に、絶対的に機を逸してしまうこともあるよね。


自分が、行きたいか、行きたくないか、で、

「行く!!」と決めさえすれば、助けはどっかからあるもの、

「自分も行くんだから行こうよ?」っていう人が、だれかしら、引き寄せられるものなんだ、、、、と、


自分で、決めてみて、実感。


「行きたいか、行きたくないか?」って


「生きたいか、生きたくないか?」みたいじゃないか?


『この一日、今日一日を、たからものの一日にする』。


その繰り返しを、公私ともにひたすら繰り返してやってこうと、あらためて体感したよ☆彡


いやー もー 今日は遊べばいいだけだ(>▽<)!!って思ったらほんっとに楽しくて!

電動車いすでひたすらびゅんびゅん芝ん中走り回ってました(^▽^)


店舗さんも、みんなおいしそうなの!(・▽・)ほんとうに!マジに!

ぜんぶ食べたいっ!!
と、何周もぐるぐるしてから

手作りハンバーガーを食べました!(>v<)

今までの人生で食べたすべてのハンバーガーの中で一番おいしかったかも!


行く前から狙っていた「チーズ工房 千」の、チーズのオイル漬けも

買えて、大大満足(>v<)


、、、と、わたしは花より団子になること多しですが、

天然石やオルゴナイトのアクセサリーショップや、

麻や藍染のお店や、あみぐるみのお店や、とにかく、出店がかわいいの!(>v<)


駐車場、お客様案内、出店やワークショップのみなさん、


そして佳奈ちゃん、本当に、気持ちのおおらかな優しさにじみ出る方々で、

「人がいっぱい来るから主催側がテンパっちゃってピリピリしちゃう」みたいなところがね、

ないのね(・v・)


そういうのって、お客さんとして足を踏み込んだとき、わかるじゃん?


たとえば、

『わたくしどもボランティアで福祉のために

バリアフリーコンサートをやってございますけど?(ねえ、エライでしょ、わたしたち?)』って

自分たちが承認されたいことが主目的になっちゃってる福祉系コンサートの現場とか、、、(汗)


主催さんたちが「滞りなくアクシデントなく『失敗しないように』やらないと!」とか

「自分達の主義主張をお客様にわかってもらわないと!」と、

ビシビシ気負いが先に立っちゃっている現場とか。


お客さんから見てね、


見えてます 見えてます

主催さんたち目がつりあがってますよ?!みたいな。

「あの、ちょっとすみませんけど、楽しさ抜けてますよ?」っていう現場も、

歌旅をしていれば たまにはめぐりあたるもの。


そこは、わたしのやってきたゆめコンも、

「一緒に、楽しい」「一緒にいたい」

って人だけが来てください、
「やらされた」

「やってあげた」

「頼まれちゃったからお義理で」っていうひとは、

ほんとに、こないでね?

って、ここ何回か(輪をかけて特に今回)は、かなりはっきりわたしが言ってきたつもり。


でもね 本当に、それの究極形が今ここに拡がっている光景、、、が

佳奈ちゃんのこのキャンドルナイトでもあって。

総大将(?女将軍?なんでしょう?女神?イコン?わたしこれ書き方へんだけど

もうちょっとナチュラルなかんじよ?!(^▽^))

アーティスト松本佳奈さん、主催さん、出店のみなさん、お客さん、

みんなが広場にまあるく集ったバイブレーションがすごくて!!


「この場にいることが、うれしいし 楽しいし 楽しい」っていう、

優しくてハッピーな気持ちが満ち満ちてたよ!


作る側のみなさんが、なんか、

毛穴からハッピーがこぼれ落ちてますよ、って感じで、

口のはしっこが、にぱっ!てしてるのみんな(>v<)

「なんかよくわかんないけど今開催ができてうれしくてうれしくて!」っていう感じ?(>v<)


それを見ただけで、お客さんだって、

そんなの幸せになるに決まってるじゃん?!(>▽<)


ほんともう最高でした。

あきらめないで、えいっ!って、行く!!!って、行っちゃってよかった!

(しかも、広場からトイレまでのルートに、階段、なかったよ?(・v・))


これはもう、「場づくり」の理想形だなと思った。


「やりたい人が、やりたいことを、やりたいようにやる(しかもお互い相手のことが大好きだから

ごくごく自然に互いを思いやれる。)」


これ以上の魔法って、ないよね。


帰りの足で、

「今度は次回、もっと友達誘ってまたこよう!」って、帰りのほうが余韻で行きよりテンションあがるような

帰り道、、、って、わたし、唯一、ディズニーランドの帰り道ってそれだよなあ、って

思ってたんだけど、

ここにもあったー(>v<)って感じ。


帰り道まで、かえってお布団に寝て、次の朝まで、

めっちゃいい気持ちになる(・v・)


すっごい素敵すぎるコンサートだなと思いました。


、、、雨だったけど、お客様600名きたって!!


また半年後に開催予定だそうです(・v・)


実は、わたしと、ゆめコンで絵を出してくださったパステル画家の辻友紀子さん、

ギターの奥野殿、そして、いっしょに行ったいづみさんの、共通のお友達が、

数日前、満月の日に亡くなったんだ。


ほんとうに急のことでね、まだ信じられないような気持ちなのだけど、

そのかたも、車いすのお兄さんで、

詩を書いたり、大きな声で書いた詩を朗読なさって、

朗読会を開催したり。

だっこは、奥野殿といっしょに、そのかたの企画コンサートに呼んでいただいたり。

すごくお世話になったかただったんだ。


それで、そのかたが大好きで大好きで、よく読まれていた詩の中のひとつが、

宮沢賢治の「星めぐりの歌」だったよ(・v・)


だから、いくちゃんさんが生み出した、白いキャンドルと星の粒いっぱいの、

天使のような精霊のようなこどもの絵を見た時も、


佳奈ちゃんが、星めぐりの歌の 一説目を 暗唱で 語り出した瞬間も。


わたしといづみちゃんは、

「あ!」

って思って同時に、

その、亡くなったばかりの車いすのお兄さんの名前をハモって、

「星めぐりの歌」のあいだ、ぎゅううううううって

手を握り合って聞いた。


帰り道の満月にも、

「おーい!!!!\(・v・)/」って手をふってみた。


歌は魔法だ。(・v・)


場づくりも魔法。


わたしたちが今日もあしたも生きていられたとしたらそれ自体

実は実はだいぶけっこうな真の魔法なんだぜ?


と、、、そんなことをほんとうに思ったよ☆


そして多くの魔法は こんなふうに 

人の手で作り出せるんだ、と、思うだけで、

いつまでも いつまでも たましいがぷるぷるとふるえた。

最高のライブでした☆彡


だっこのともだちのみなさん、次回のときは、ぜったいに早くから誘うから

もっと大勢で行きましょう?!


それから、わたしも、寒くない時期、外でも、ほんと、歌いたーい!!!!!!!

(だれか主催してー?(>▽<))


ではではまたね☆彡






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みなさまこんにちは☆彡


今日は、

「きゃー!うれしいっ!」と悲鳴を上げることがありましたd(^▽^)b


きのうのブログ、「第9回 彩の国ゆめコンサート御礼」にも書いた、ゆめコンのゲストにきてくださいました、ピアノ弾き語りのシンガーソングライター松本佳奈さん。この、紅白の白のほう(^▽^)


昨日のブログ↓「第9回 彩の国ゆめコンサート御礼」

http://ameblo.jp/cafedudacco/entry-12200699729.html?frm_id=v.mypage-checklist--article--blog----cafedudacco_12200699729





わたしはスピリチュアルの研究家とかではないんだけれど、

「霊性」っていうことばを思わずにはいられない、全身全霊で、美しく、優しく強く、

祈りそのもののように歌う人。

 

それで、けっこう、プロフィールは、本当は、多くの度肝を抜くような(ちょっと映画になりそうな)

状況下からのサバイバーでもあって。

会うたびに、なんて美しい人だろう(・v・)と、ほれぼれしてしまうお方なのですが、


その、佳奈ちゃん肝入りのキャンドルナイトコンサート。


まったりマルシェ&かずさキャンドルナイト
http://kazusacandle.jimdo.com/


まったりマルシェ&かずさキャンドルナイトfacebookページ
https://www.facebook.com/kazusacandle

facebookで写真を見ただけで、ほんっとうにほんとうに美しくて!!!!!

ライブってその場にいてこその臨場感が大きいものなのに、

写真1枚で、場の、見えない何か、天に向かって登り立つような空気観が本当に伝わってきて。


2011年が一回目開催ということなんだけど、

「一度は行きたい、一度は行きたい、、、、」と思いながら、自分も何かライブや講演だったり、

年によってはうまく介助さんのシフトを組めなかったりで、

なかなか行けなかったの。


今、うちの介助さんのシフトは、日勤が朝10時から夜18時まで 

夜が18時から、お風呂や、夜中のトイレや寝返りとかがあって、介助さんも一睡もしないということはないから仮眠を入れて(だっこさんの隣の部屋で寝ておりまする)、泊りの翌朝10時まで、という2交代。

女性の介助さんが1名できてくださっています(・v・)


それでね、2交代で、時間を長めに入れる介助さんが今のところまだ少ないこと、

facebookにも書いたのだけど(またここにも書くね!)

今月~年内くらいで、

夜勤さんの欠員があるから、今まさに介助さんを募集していたことが重なり・・・ ・・・。


「もし歩けたら飛んで行きたい!!」

「いや、一人でも行くか?まずバスの会社に電話をしてみましょうか?(・v・)」


「もしもし?はい?高速バスは?車いすごとはのれない?(・v・)

あ、バス側面の?貨物のところに?

たたんで積み込み?

わたしを?あ、いすのほう!

わたしは、通常の座席に、座って乗る、、、のでございますね。

が、バスステップの段差が高め?(・v・)!!

はい、ちょっと、再度検討してみます」


ここはさいたま、、、目指すは木更津、ぜったい必要な介助さん、、、、いやでもうちは、

いまこそ人手不足、、、さあどうか、、、、ちょっとむりかな、、、介助さんにもむりをしてほしくないし、、、


うーん、、、、と 「ロダンの考える人」のポーズになって


今回は、これで押したら、ちょっとわがままかな、、、、と

あきらめそう に なったんです。


と・こ・ろ・が、、、!!


ゆめコンの日も介助に入ってくださった介助さんから助け船。


「だっこさん!佳奈さんのライブ、わたしも行きたいですから、一緒に行きましょう?!」


「で、、、でも、、、、遠いし、介助さんが疲れちゃっても申し訳な、、、」


「だっこさんが行きたいと思っていらっしゃるのなら行きましょう、わたしも行きたいんですから」


そして間髪入れず


「僕も行くから送迎できますよ!」とまた別のゆめコンでも助けてくれた友達が。

さらにもう一人、スタッフをやってくれていた友達が!

「あら!それならば、私も行くよ、だっこちゃん!」


あれよあれよという間に、

「木更津へ遊びに行けるツアー」が、頼れる大人3名+わたしの、大所帯、送迎付きに。


この間、ものの10分。


ばたばたと夜勤の介助さんにも連絡。


「わたしはどうに動いても大丈夫だから、佳奈さんのライブ楽しんできてね」と、、、。



心の中の情景を。

過去を、振り向けば。


ねえ、わたし。


10年前まで、(介助制度が今と違ったからね)


「移動介助は、基本、さいたま市内。県外には、認められません。前例もないですよ。」


と、いろんな窓口で言われて泣いていた、


あの、車いすの女の人よ?


「じゃあ、東京の友達に、介助さんをつけて、会いにゆきたいときは、

どうしたら、いいんですか?」


と、行政のかたとお話しながら、うわづって、声がふるえた。


あれが、わたし。




10年後。


わたし、負けなかったよ。


仲間が、増えたよ。



あのね。


「夜に、介助さんと、友達のライブを、見に行けるなんて在り難い」


って


私は今でも


ふるえるほど今の生活に感動するし感謝するし感謝で泣くことがあるよ?




歩けなくても動ける。


介助さんが私の人としてのやりたいことを理解してくれる、と。



昔、まるで今のようではなく、暮らしていた時が、あったから。


だから、介助が要らない人ならば、


「できることそれ自体」に疑問を持つことのない動作ひとつ。


出かけること。


人に会うこと。


ライブに行くことも映画見ることも友達に会うことも、


自分が、舞台の上にこれを伝えるがために上がることも。


すごくすごく「特別な幸せ」に思えて、今も介助さんたちや友達や

昔の時代とは違う、社会的サポートへの感謝で、泣くことがあるよ?


でも、これが、

「介助を使う人なのにできる特別な幸せ」では、だめなんだ。


もちろん、ほんとのインドアでTVとか本とかパソコンとかあれば

もうそれでじゅうぶんっていう人もいるよ?


でも、「本当はやりたい」のに、

ライブに行きたいけど

旅行をしたいけど

友達に会いに行きたいけれど


介助さんがいないから

サポートの手段がないから


わたしはあきらめます というあきらめ 我慢が


日常化されている あまりにも あきらめることに慣れ過ぎている


「それが、障害者らしい障害者の生活なんだ」っていう


枠の内に自分で自分を押し込めたまま


そのまんま死んだら いやじゃない?


わたしはいやだ。


、、、だからね

会いたい人に会いたいときに会いに行ける生活

その生活の中に生きてこそできることの具現化を これからも 見せる人でありたい。


と、いうわけで、明日は夢の千葉県へ!(^▽^)


超楽しみ!!(>v<)


また書きますね!


読んでくださってありがとう☆

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みなさまへ☆


なんと前回の更新が7月だった!

お久しぶりです。


去る9月10日は、

ふれあい福祉基金チャリティーコンサート、

第9回 彩の国ゆめコンサートにご来場いただきまして、本当にありがとうございました!!


2003年、街中がまだ物理的なバリアだらけの中、

どこへ行くにも、行く手を階段に阻まれ、路線バスの車いすユーザーへの乗車拒否なども

当たり前にあった時代の中で、

「障害を持っていても、堂々と、住みたい街に住み、生きたいように生きたい」と意志を持ったこと。


当時にも、少ないながら、ボランティアさんなどでシフトを埋めた24時間介助で、

施設や病院を出て暮らしている人はいましたが、

それでも、障害をもつ人だけが働く作業所や、生活支援センターなど、働ける場はごく限られ、

「私や、私の知人の2,3人。それ以外の車いすユーザーは、

いったいどこにどうして暮らしているんだろうか?」

と疑問を持ったことが、


私が人前に出なければ、と、歌い語るという夢を持った、その意志の核になる部分です。


今、それで、

「生きる場がないなら自分で作る。」と決めて、思いを語るところから、地域の方々や、支えてくださる方々と大切に作ってきたコンサート。


開催第一回から13年が経ちました。今年は、特に、一回目からほぼ毎年(体調などでできない年はナツミさん)、実行委員長を務めてくれた、養護学校時代からの親友である大野さん、

そして私自身の障害の進行。


個々、実行委員さんや当日ボランティアスタッフさんの主力メンバーの家庭環境の変化などで、

「主催チームを、今と同じボランティアチームで継続していくことの限界ではないか」と、

話し合うところからはじまりました。


ですが、本コンサートは、

「スタッフを、誰さんが大変だから誰さんに変えればいいよね。」

「歩けて体が動いてくれればだれでもいいから頭数いれば誰だっていいじゃないの。」

そういうふうに、作ってきたものではありません。


だから、今年は、わたし、大野が物理的に動けなくなった分、ご協賛の呼びかけなどを

最初から、クラウドファンティングで集めました。

結果、クラファンで応援してくだった方、直接に応援してくださった方、100名に届く個人様や企業様の有志メンバーの方々が、本コンサートの開催をともに願ってくださり、

クラウドファンティングも、9回目で、初挑戦にして達成。


こんなにたくさんの人が、心を寄せて、楽しみにしていてくれるコンサートだったんだ、ということが、

自分たちにも、改めて、身に染みるという体験をさせていただきました。


当日は、ゲストの小澤綾子さん、松本佳奈さんの、想い溢れるトークと、熱唱。

マリンバの高瀬陽子さんの、本当に、丁寧に丁寧に、会場を包み込むような優しい響き、、、。


サポート陣営、ピアノ 大関麻子さん パーカッション 杉本亮平さん ギターと舞台監督 奥野裕介殿の

盤石の信頼による、私自身が歌っていて最高に気持ちがいい演奏(>v<)


そして、「絵はすべて、ばっ!!と湧き上がってきてうわー!っと描くから

ぜんぶタイトルはないです!(^▽^)」というEMIさんのパンキッシュでキュートな極彩色の絵!


そして反対に、すべての絵が、「この日、この時、わたしはどんな場所で何をしていたか」の記録であり、記憶。わたしの詩と対になっているものなど、すべてが絵でありながら、日記や、詩物語の意味を持つ、

ゆきさんの優しい色彩の絵。


スライドスクリーンに映し出した絵画作品も素晴らしく、全編を、がっちりと支えてくださいました。


あえて、「障害を持つ私達も、常にチャリティーの対象者(受け手)ではなく、人の想いの循環に加わりたい」という願いから、収益は、まちづくりに、寄付!!と、掲げた

彩の国ゆめコンサートの在り方あり、

「生活保護を受給しながら、できる形で歌とお話を生業にしてゆく」

というわたしの生き方は、常に、一部の強い批判の対象にもなり続けました。


「自分達が介助が必要な、人様の税金で生きているやつらが、チャリティーじゃねえだろ?」

「生活保護で生きているやつが、人前に立つ資格ないでしょ?!」


内容はそういったものです。


言いたい人には言わせておけばいいよ(^▽^)

と、余裕余裕、と、一線を引いて、笑える自分と


だけど、どれだけの人、もしかしたら何万人、何十万人という数の人が、これらの声に負けて、

わたしは障害者だから

わたしは介助が必要だから

何かをやりたいって意志を持ったら こんなに介助が必要なんだから、まわりに迷惑だから

生活保護で生きているうちは、やりたいことがあっても、我慢しよう

言いたいことがあっても、言っちゃいけない

そうやって

(一部の。すべてではない、)人の声 人目を気にして

我慢して 我慢して びくびくして 目立たないようにして

「自分を生きる」という命の使い方を

自分で殺して 生きているんだろう?

という この問いへの 怒り悲しみ なんていえばいいんだろう 潰えなかった純粋な問い

そこにずっと 向き合っている自分とは 常に心に 両方 存在していました。


少しの批判で 夢をしぼませてしまったり やりたいことを諦めてしまうことは

自分で自分の命をね、首を絞めて殺していることと同じだよ?


だからね 私以前に私みたいな人って誰もいなかったから

まず私が 誰が何を言ってこようが

要介護でも 障害者でも 生活保護の当事者でも

家で床ばっか見てないで

生きたいように生きる前例になってやる

と 決めて


共鳴してくれる人を 増やして 続けてきたんです。


その最たる発表の場としての ほんと わたしの命にも等しかったコンサート。


ハンパに投げなければね 続けていればね


こんなにたくさんの 素敵な同志 そして何より

「生きている私自身」に会えるんだ ということを 証明できて

、、、ちょっと言い方違うかな、わたし自身が実感できて


本当に本当にうれしい。


このうれしい日を 増やしたい。


現代、ネットが発展して、素敵な部分も大きいけれど、

情報伝達が1秒の時代になっちゃったからこそ、

ぱっと見たものを、確かめもせず、すぐ叩いたり、大の大人が、

「自分と意見が違う者をディスるのが趣味」

みたいな人って、この今すら、時代の潮流の中の一過性のことなんだろうけど

もう、わんさかいるじゃない?


でもね、どの人も各位、自分を生きれば、なんかもう、人との差異が許せないとか

鼻につくなんてこと、ほんとに、一瞬で全部なくなるのにな、と、ほんとに思うわけ。


だって各位が自分を生きてるだけだから。


ほんとに、わたしは、たぶん健常者と言われる人で身体的・体力的に元気バリバリの人よりは、

病や死を身体の近くに感じざるを得ない体力、、、身体能力まるでなし(-▽ー)

の中を生きていて、

「一回生きて一回死ぬだけなんだから」

ということに、体感をもって、思いが強い。


だから、別に「あんたもがんばりなさいよ」とは誰にも思わないけど(押し付けはやだから)

「やりたいことが、ある人は、やったほうがいいよ?」

とは 思う。


それで、やりたいことをやっている人を間近に見ると自分もやりたくなってくるし

やっている人のまわりには同じくやっている人が引きあって集まってくるから


場を共有した全員が、良い刺激をびりびりと受け合う、共鳴し合える場としての

コンサートにできていたらいいな と 思います(・v・)


できていたと 思います!!


今回、本番で宣言をさせていただきましたが、

2003年から今まで、主催主力をまったく同じメンツ

わたしが、主催と歌い手の二足のわらじ!

で、やり続けてきた彩の国ゆめコンサートですが、第1回から「目標10回」を夢としてきて、

ほんとうに実現できそうであること。


自分と向き合い、

「今から先、どうしたい?どう生きたい?

どこへ行ってみたい?誰に会いたい?

どんなことをやってみたい?」と、自問自答を本当にし続けてきた中で、

障害の進行との時間との勝負というところもあり、

「もっと歌だけになりたい、言葉で語り、歌を歌う。ただそれだけに生きる人に更になりたい」

という思いが今本当に強く、この思いが、あるのに見ないふりをしてあと10回ゆめコンだけをやるということはできないから、

彩の国ゆめコンサートは、次回第10回で、最終回といたします。


、、、夢としては、30年後に第11回目やりたい(・v・)(←これはけっこうマジに思っています)



本年を、そして長年を、、、お客様によっては、全回を!!

支えてくださいました、すべての皆様に、心より、感謝申し上げますとともに、

次回 最終回 第10回 彩の国ゆめコンサートを 何卒 よろしくお願い申し上げます。


また集まりましょう!!!!!


チャリティー報告も、追ってここやHPに必ず掲載します。














撮影者:橘星詩瑠、とらさん

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みなさんこんにちは☆彡

おげんきですか。


このごろね、いろんな友達と、メールとか、電話とか、会ったり、

いろんな話をしていました。


いろんな話をする、ということに、時間をかけていました。

ただ、そうしたかったから。

ただのおしゃべり。


いろんなこと。

ふつ~うの、日常のこと。

くだらないけど楽しい日々のこと。

やっていきたい活動のことや、やってきたことで効果はこうだったね、という、おさらい的なこと。

政治のこと。

スピリチュアル的なこと。

食生活とか健康とか障害とか病気ついて、みたなこと。

障害のある人もない人も、みんなが幸せになるような、人権について、のようなこと。


でね、わたしあんまり ふだんから

相談をしながらものを決める とか あんまりなくて

「自分の考えやしたいこと 好きなだけ向き合ってから自分で決める」

というタチで。

だいたいこういうことがやりたい という 方向性を、

決めてからは、自分の知恵では足らないところは、じゃんじゃん相談するけどさ(・v・)

ライブや講演のとき、だいすきな人にいっきょにいっぱい会えるから、

ふだんはひとりで本読んだり映画みたりしてるほうが実は好きだし(ーvー)

でもなんで 「人と話す」にすっごく時間をかけたかというと、


いくらひとりで考えていることのほうがすきなわたしでも

ひとーりだけで腕組みをして考えることにちょっとだけ疲れちゃったわ。(ーvー)

という、波が来たのよ。


心が疲れちゃったの。

だから、FBやブログとか一回ぱっと離れて、

「今、この人とこのことをしゃべってみたい」

と、カンで思った人とだけ、一対一でいろいろしゃべってた。


でね、日々についてでも、食生活についてでも政治についてでもスピリチュアルについてでも、

テーマはなんでもいいんだけどさ


関わるのが「純粋に楽しいから」やっている人と、

「そのグループに所属して排他的になりたいから」やっている人とが、いるよね?


ということについて


わたしは心が疲れたんだな、と、いう、波が来たのよね、2,3日(・v・)


現代って、「自分の考えと同じ価値観以外の人を小バカにしたり見下したい」っていう心理から

なにがしかのグループに属してる人が、ほんとうに多いなあ、と。

間違えてる意識高い系。


常に、「自分は意識高い、相手はレベル低い」、

自分は上、相手は下、っていうふうに

マウンティングしたり、見下す対象を探している人。


「自分より意識低い」とか

「自分より不幸せそう」とか

勝手に決めつけた他者と

自分とを比べることでしか

自分の立つ瀬を(自分の立つ足場)を認識できていない人が、


こどものいじめとかでなくって

もうじゅうぶん生きてる大人のトシの人で、ホントに多いなあ~~~と思い始めたら

そっちばかりに目がいっちゃって。


そういう人こそ可哀想 って ほんとはわたしも冷めつつ思うんだけど


間違った意識高い系

間違った正義の人(いきなり上から目線みたいな。「助けてあげる」系??なんていえばいいのよ?)


そういう人にとって、「障害」とか「病気」とかってさ。

恰好の「悪」なんだろうな、って。


ホント、

先週、今週がこの話の大山場で。

だれに会っても、話してた。

「障害や病気」に対する価値観について、とかね。

こう考える人もいるけど、こう考える人もいるよね、とか。


でもそれはね、特定の属性の人を叩きたいとか、誰かを悪く言いたいとかでなくって、

私自身だって、誰かを差別したり、石頭の偏見の目で見たり、

自分が、単に「知らなかったから」、先入観をもって、誰かや、何かのものごとをとらえてしまうことは、

日常の中に、いくらでもあるでしょう。


だから、「私自身が」、偏見を持ったり差別する側に立つことも、あるよね?

という、前提で、話していたわけ。


だって「自分は常に絶対に正しくて、相手が常に絶対に間違ってるから」って、

そんな怖いしむなしいことってないじゃん。

「じゃあ、あなたには、他者が要らないんですね?(人と話す必要がないんですから。)」

ってなって。


でも、そんな「自分が絶対に正義」と思い込んでいる人がさ。

障害や病気は「悪」なんだから

治すべきだ

治さないとだめだ

闘うべきだ

闘わなければだめだ

治すように努力をすべきだ

でもそこまでやっても治らない人は可哀想だ

治らなくて可哀想な人が生きていたって可哀想だ

生きていたって可哀想な人のことは殺してあげるのが思いやりだ


、、、 、、、って、なったら最低最悪の上から目線の人権侵害だよなあ、、、、と。


そんなことをぐるぐる考えていたのが本当に先週で。


それで、きのう、津久井やまゆり園の殺人事件をニュースで知って。


わたし思うんだけどね。


「健康」とか「幸福」とか「人から愛を受けること」とかに


「こうであるべきだ(こうでなければ健康でない)」

「こうでなければだめだ(こうでなければ愛されない)」

って <条件>を付けて考えている人って


身体的に五体満足でも一生不幸だよ?


だって


<条件付け>でまず自分の心をがんじがらめにしてるんだもん。

自分自身が「こうあるべきだ(たとえば、「人の幸せとはこうあるべきだ」)」

と べきべき星人 がんじがらめになっているから、

その 自分が自分に課した条件に沿って

がんばっているのに 評価されなかったら 上司でも会社でも逆恨みするだろうし


「自分より努力してもいないのに なんでこいつが」

と 自分が勝手に見下した相手が

自分より幸せになっていることは許せない。


俺のほうが、わたしのほうが、

こいつなんかより価値がある立派な人間なのに!!って。


その価値観て。


常に「上」「下」で人を見るでしょ?

だから、人を「上下」で見ている限り、ぜったいに

またどこかから<比べる対象となる他者>を探してきては、

何度でも繰り返し、

「こいつより、俺のほうが価値がある人間なのに!!」って、

やるんだよ。


「他人との比較」でしか、

「自分が幸せかどうか」が自分でももう感じられなくなっちゃっている人は、

今、世の中に今回の犯人だけじゃない、きっといっぱいいる。


でも、その極論が、今回。


きっと、「本当の自信」が、ない人だったんだよね?


本当に自分に本物の自信がある人。

自分が自分を信じてあげられる人は、

「自分を大きく強く見せよう」と、しないから。


むしろ、「弱さを肯定すること」が、本当の本物の強さであると、わたしは思うよ?


タイムマシンはないし。

すでに起きてしまったことに「もしも」はないけどさ。


事件の犯人が、こうなるずっとずっとずっと前の段階で、

「自分の心」の問題に向き合う場を提供してくれるプロの、

カウンセラーやセラピストに出会っていたら、、、。


事態は、変わったんじゃないかと思う。


「はいはい、よしよし、いいこいいこ、君は障害者より価値がある人間だよ?」って

他者から言われたかった(けど言われなかった)人の最低の犯行、と思うんだ。


でもさ、

「うちらのほうが、あのグループより意識高いよね?」

「この価値観がわかんない人はバカなんじゃない?」

「あたしのほうが、あの人より価値がある人間!

、、、殺人事件はないまでも。

こういう、日常にある<マウンティング(優劣のつけあいっこ)>って、

今、どこにでもあるでしょう?


「他人との比較」ではなく、「ただ、自分を生きる」。


それができる人が世の中に増えることが、未来への鍵だなあと思います。


いろんなね、心の問題に寄り添って研究をしているプロの人

いろいろな分野の表現者といわれる人が


これからは どんどん幸せや希望のほうを見て幸せになる人と

絶望や怒り悲しみのほうを見て(自分自身も心を囚われすぎてしまい)、

心の地獄のような、負の連鎖から抜け出られなくなってしまう人とが

もう止めるすべがないかもしれないくらい、極端に二極化する

ということを、特に数年前から言い続けていました。


あれは、こういうことなのかな?、と、考えざるを得ないことが明らかに増えているように思います。


でも、この今だからこそ、たとえば、わたしはこうして

言いたいことがあればその瞬間に書けるわけだけど


どうしても自力では書いたり言葉で伝えることができない当事者のこと。

そこをね、自分が何を言うにしても書くにしても、

とりこぼさいでいくぞ、

という気持ちで、表現をし続けたいなあと思うんだ。


「自分を生きる」が、最大限のできることだって思っています。


「今」という日々に対して。






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みなさまこんばんわ☆


おげんきでいらっしゃいますか(・v・)


参院選があってさ。

都知事選でさ。

選挙続きで。


で、思うところはあるわけなんだけど、

「もっと自分の考えと向き合って

自分の言葉で話したい。そしたらブログ書こう。」

って思って、何にも書きませんでした。


なんかね、思うんだけど。

「国が何にもやってくれない」

「行政はなんにもわかってない」

「政治家なんかみんなダメ」

「現政権が許せない」

「誰々だったらなんとかしてくれる(はずだ)」


、、、 、、、そうかなあ?


って。


わたしの、言いたい、ことばは、なんだろう?って

(主に参院選の期間中。)ずっと考えてたんだよね。


わたしにはいつもふたっつの思いがあって。


① 人で何とかできるような人生じゃなかったんだよ。(ウエルドニッヒ・ホフマン症を「○○のせい」にできる要素がどこにもなかったんだよ。)

② でも、この人生を、数えきれないたくさんの人が助けてくれた。

15年。200名を超えるであろう介助さん。

国も行政も民間人もみんな助けてくれたよ?

わたしが生きていることが、その証拠でしょ?


って、思ってて。


いろんな人が 「応援したい人を応援する」でなくてさ

「応援したくない人をdisる」っていうのをネットで見たりして


思うんだけど


「じゃあ、あなたは、どうしたいの?」


が、ないと、先へ いかない この ものどかしさが

わたしは好きではないんだ と いうことに 気づいたの。


今、いろんな人が

「この国の現状と未来のことを考えている」って言う。


でも、国という言葉で外を見る前に 自分の内側と向き合ってみて。


だって わたしたちが国なんだから。


あなたはどうですか?


自分をどう思いますか。


不幸な国の 不幸な国民。


不幸な国の 幸せな国民。


幸せな国の 不幸な国民。


幸せな国の 幸せな国民。


わたしはさ、こんな重度障害者の自分が、やりたいことをどんどんやって生きられる、

それから、人工呼吸器を使っている人たちがどこの国より手厚い介護や医療制度のもとに、

アクティブに生きていると、ほかの先進諸国から言われている、

幸せな国の 幸せな国民だと思っている。


今の、自分のことを。


でも、数年前は、生活の中でいじめに遭っていた時期があって

そのころは、自分は最悪最低に不幸、なんでわたしがこんな目にって思ってた。


でもそれって

国のせい?

行政のせい?

住環境のせい?

介護制度の現状のせい、、、は、多少あったな、でもね、人生で一番つらかった時期も

自分の生きている、生活圏の範囲で、さまざまな助けを得て、解決したよ。


何を言っても

国に対して(市民が、とか)

政治に対して

会社に対して(個人が)

たとえばね

お金持ちの人に対して(低所得の人が、とか)

世間に対して(なんじゃろ、世間て)

さっきやってたテレビ番組に対して

怒りたい人は怒ってる

悲しみたい人は悲しんでいる、だって感情があるから。


でも、じゃあ いつ 自分自身が幸せになるの?って 思うことがある。


(ずっと怒ってる人はずっと怒ってることが幸せなのかな。)


「個人の幸福度」について、ずっと考えていたくって、このごろ。


同じ一日を、幸と思う人と 不幸 と思う人とがいるのは


何が悪いの?


政府の政策が悪いの?

そういう、場合もあるでしょう、だけど だけど

自分が 自分で 自分から

一歩

よし もう幸せになっちゃえ!

と、決めて

幸せになれるように動きだした人から幸せになれるものじゃない?


うまく言えないんだけど わたしは 最近

なにがあってもなくても

「自分を生きる。」と 決めてから

許せないものや人や キライなものや人や

怒りを感じるものや人や が

これなんて言えばいいんだろうね その 怒りとかへの執着が、成仏したように、

一個ずつ消えて 減ってきました。


もちろん、喜怒哀楽、あるけどね(・v・)


でも、減った、「嫌い」や「許せない」のかわりの、

減ってあいたスペースのところに

「好き」「楽しい」が、増えてきました。


なにか、考えを、語るとき、「嫌悪」「怒り」「恨み、憎しみ」とかよりも

「好き」「楽しい」「開放的」「願い」なんかにフォーカスをして

語るほうが

より多くの人の、心に届くんじゃないかなあと、思います。


でね、わたしが うにうに うにうに ずっと考えていてうまくことばにならなったことを

セラピストの岡田哲也さんが だれにでもわかることばでスパッと書いていらっしゃいました。


「幸/不幸」の多くは、どこの国に生まれつくとか、

どんな家に生まれ落ちるとか、

外側では、決まらないんじゃないかなと、思うんだ。


自分がもし、「今わたしは幸せじゃない」と感じるとしたら

それはなんで?で

ほんとはどうしたいのか?

何度でも 聞いてあげたらいいよ。

そうしたら、きっと、最後に、

「じゃあ、ほんとうはどうしたいのかを、叶えるためには、どうするか?」

それが、具体的に心の中に輪郭を持って浮かんでくるはずだから。


おすすめです↓

心身調律セラピスト、岡田哲也さんのブログ↓


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みなさまこんにちは!!
先週のかぐやライブ「手から手へ」本当にありがとうございました。
FacebookにUPしたままこちらに遅くなってしまいごめんなさい。

⭐︎齋藤陽道さんに撮影いただいた、集合写真ができました!!
真っ暗闇の中で撮ったひみつの写真は、もうしばし、お待ちくださいませとのことです。

⭐︎今回は会場にて販売をさせていただきました齋藤さんのご著書の売り上げもすべて、熊本への寄付とするとご連絡をいただきました。

⭐︎会場にて、齋藤さんを撮影していらしたお方は、ドキュメンタリーの映画監督の河合宏樹さんです。
「手から手へ」、この続報は、齋藤陽道さんの写真と、河合監督の動画などを、ワクワクと、お待ちくださいませ。

受付を手伝ってくださった準備チームの仲間が、Facebookのコメントに、
「わたしたちはみんな、ひとりずつがなんでもできるスーパーマンじゃないけど、みんなでやればできるよ!また集まろう!」
と書いてくださったのを読みました。
わたしも同じきもちです。

できることをできるひとができるときにムリをしないやりかたでやる。
この循環の中に自分も生きていたいという思いをあらためて感じました。

手前味噌ですが、みんなの力が重なり合って、
思いがきらきらひかりになって
小さなひかりのつぶつぶが目に見えるような、、、 、、、
わたしがぼけていて歌の出だしなどがふわっとしてしまい、
齋藤殿と奥野殿が大変だった箇所はきっとものすごくありますが、、、、(≧∇≦)
たのしくてかっこいいライブだったと思っています。

災害時であれ常時であれ、障害のある人もない人も、地域にだれでもが生き生きと生きることを当たり前にしたい。
この気持ちを、このブログもそうだし、ライブもそうだし、いろんな場所から、どこからでも伝えます。

いつもありがとう。

がまだせ全国!!
いまいるここ。
この足場。
この足元からできること。

いつもありがとう。
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