朝霧 裕ブログ~生きるほうへ~

本ブログは、障害を持つ一人の女性が、自分の「心を解放し、肯定し、自由に話し、行動をする」ことで何が起こるか、実験をするブログです。一緒にやってみようかな、という方のプラットホームになれば幸せです。

最新刊エッセイ「バリアフリーのその先へ!-車いすの3.11-」(岩波書店)好評発売中!

オフィシャルHP http://yuhasagiri.jimdo.com/

出演、取材のご依頼は、yuhasagiri@gmail.com  までお願いいたします☆


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うん。今日だ。(・v・)


と、思ってね。


このブログのランキングを、「書籍化ブログ」に移行しました。


宇宙オーダー。


なんだ、ただ、ここに書けばいいんじゃん(・v・)。


っていう声がするから。


自由や、幸せのことについて。

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(さっきの補足☆彡)


だれかが、

何かを、書いて発表したい、とか、やりたいって思うこと。


言いたいことを言うこと。

やりたいことをやること。

自由に、書くこと。

自由に、自分を、生きること。

それについて、(たとえばね)

「あの人感じ悪いよね」とか

「それ、間違ってるよ?」

「最近、あの人って変わっちゃったよね、ちょっとおかしいんじゃない?」

とかって、言われると、勇気がひっこみそうになる人もいるじゃない?


でもさ、そんなこと、言われて、いいのよ(・v・)

だって、何もしなければ何も言われないけど

(そしてノートとかに日記も書いて、だれにも見せない、なら、

誰にも何にも言われないけどね(^▽^))

公の場に、言葉を発信することを、

してるんだもん、

何がしか、言われるのなんか、当たり前。


でも、だれでもね、

「それが世間や社会のジョーシキじゃないですか?!」みたいにものを言うときのね、

「常識」って。

自分が教わってきたことの、価値基準、、、

自分が「これが社会の常識なんだ」と信じているものって、


せいぜい、「自分の親と親戚」に教わったくらいのことなんだよ、

あと学校の先生とか、いたとしたって、

自分に自分の常識とされるものを、子供時代に教える人って、人数にして5,6人。


対して日本人口は、1憶2535万8千834人いるんだからね!!(・▽・)


なのに、あらかただいたいどの人も、

生活習慣とか、

「ここはこうすべきでしょ?!」とかさ、

『べき』、をね、子供の頃にお世話になった5,6人の考えかたの刷り込みで決めているのよ。


自戒として、ただ口ばっかで、<知ったかぶり>みたいなことばっか言う人間になりたくないなあと思う。

体験から、実践から、実感が伴った上で、お話ししたり、シェアできる人ではありたいけどね。

「わたしの体験は、こうだったよ。」って、求められたときにだけ、

ただ、書いたり、話したり、必要なときにだけ、共有できる人、でありたい。(押し付けじゃなく。)


だって、「世の中のほとんどの人」には会ったことないから、

「世の中のほとんどのこと」、わたし、知らないもん。


だからね、知らないくせに、

「ここはこうすべきでしょ?!」

「これが常識でしょ?!」

「あんた間違ってんじゃないの?!」

って 人に非を打つことにばかりエナジイを燃やすような人間にはなりたくないな。


、、、 、、、だって、つまんないもん。


世界は、いつも、そのことをあなたが(わたしが)、知っていてもしらなくても、

本当は本当に素敵だし、

あなたを(わたしを)

見ててくれているんだよ。


選べる世界の、

どこを、見たいか。


今日、今、この、一時間、一分一秒、この時間を、自分が、どういたいか。

自分が、どう過ごしたいか。


自分の心の中がとにかく、

気持ちよくいることが一番よd(・v・)b


自分の心がHappyになると、

必然的にまわりの縁も変わってきたり

目に見えて、変化があるけど、

それは、

「目標を持たなきゃ!!」

「志高くいかなきゃ!!」

と、「先」にガチガチに定めなくても、

「後」に、やりきったら気づくことで、

「幸せになる」、、、っていうよりも、

「心の内を幸せにすること」って、

一日目、一歩目から、「ぜんぶ人がしてくれる」わけじゃないからね?


ご自愛、ご自愛。

リラックス(・v・)♪♪♪


私を愛するのは私。


まずは、そこから。



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HELLO!!!みなさま!!

今日も元気ですか。(・v・)


いやあのね。

ガマンはよくないからと思って。


悪口の悪口(?)書いたらあっという間に100シェア越え、、、 、、、


って、、、どうしたみんな?!

だれにだって似たようなことがあるのかな。


でもさ、ゾクゾクしちゃったよ。わたし、ブログ、こんなにいろんな人が読んでくれているもんだと

ほんとに思ってなくて。


アクセスが多いときは、だれか著名なかたをFBでタグ付けしてリンクしていたりとか、
わたしの力じゃないと思っていたから。

でも、一回ごと「読んでるよー」て言わなくっても、読んでくださっている人は(ほんと、思った以上に!)いるんだね。


昨日はね、高校の頃、なんと10代の頃から今までずーっとお友達だった、まだ朝霧裕って

名前がなくて、本名で雑誌のライターしていたころから、応援し続けてくれた女性が家まで
遊びにきてくれて。
いっしょにごはん食べて、めっちゃ楽しかったよ☆


そのかたが企業でマーケティングをやったことがある女性でね。
人間の「好き・キライ・どちらでもない」の割合は、

「4・2・4」なんだって。

だから、

ライブのお客様や本の読者さんが1万人いたら、

4000人は朝霧裕さんを「好き」

2000人は「嫌い」

4000人は、「別にどっちでもない、興味ない」なんだって。


本を書いたり、歌を歌って、CDを売ったりする人は、

「アンチでもないけど、別に興味もない」っていう人達の中にだけいたら そりゃ一番波風立たないけど

それはそれでしかないってことでもあって。


ああ、声が届いてるんだ、って思った。


本当に影響力がある人やことって、必ず、激しい賛否のまっぷたつになって、「別にどっちでもない」という数が減る、と、、、これは、わたしが出版でお世話になった編集者さんにきいたこと。


でもさ、「相手の反応がこわいから、言いたいことを言わない」

「相手の反応がこわいから、やりたいことをやらない」

っていうふうに生きていると、別にエッセイを書いたり、歌を歌うかの話じゃなくて、


人生が、抑圧の人生になっていくんだよ。


「親の反応がこわいから、言いたいことが言えない」

「介助さんの反応がこわいから、やりたいことができない」

「世間の反応がこわいから、やりたいことが、ほんとうは、あるけれど、やらない」


わたしね、こういうふうに生きている人って、ハンパじゃなく数がいると思ってて。

だって

「だっこみたいに、やりたいことをやっている人は少ないから、

みんな羨ましいから、叩かれたりもするんだよ」

っていうことばを、朝霧裕になって人前に出てからあとは今までに、

100万回くらい聞いてきたから。


でも、自分を幸せにしてあげられるのは自分だよ?!


「親のせいでやりたいことができない」

「お金がないからやりたいことができない」

「昔学校とかでいじめられたトラウマのせいでやりたいことができない」


そりゃ、なにかはあるよ。(ほんとに、ない人もいるのか、それはわかんないけど。)

「なんで、わたしばっかり、こんなに苦労をしてきたのに、

まだ、なんで、こんなにも辛いのか?!」

っていう、地獄みたいな人生の時期ってあるよ?


でも、それは、一生じゃないからね。


他人の動向とか、嫉妬とか、自分の中の嫌いなものとか、怒れることとか、

それにフォーカスし切ったら、


あとは、自分。


でいいの。


今、ブログとか、どんな表現手段からでも、想いを言葉で、表現している人達で

発信力、影響力のある人達は、

とことん、「自分」と向き合って、


はい!!もう、十二分に苦しみましたので、

あとは、もういい加減、この命、自分のために使いまーす!!!って、

神様に宣言をした人達。


わたし、特定の宗教を持っていないけど、「生きる姿勢」って、

自分のご先祖さまとかさ、何がしか、目に見えない、理屈で説明のつかない、

「見えない世界」の方々に、ぜんぶ見られていると思っているから。


それでね、自分のご先祖さまとか、たとえばだけど、亡くなったおじいちゃんおばあちゃんとかね、

わたしは、友達ももうたくさん亡くなっているしさ。

その、「見守ってくれている人達」が、何を思ってくれているかというと、


「この人が楽しく幸せに生きていられますように」って、ずっと想いをこっちに送ってくれているんじゃないかって、本当に、信じてるわけ。

何か日常で、ふと、そう思ったことない?


その「見えない世界の方々」の呼び方が、

「ご先祖さま」でも、「神様」でも「バシャール」でも、「守護霊」でも、「天使」、「妖精」、「精霊」でも、

わたしは、なんでもいいと思ってて。


でもね、

『自分が楽しく気持ちよく幸せに生きること』を、もう、自分に、許可しました!!!

って、歩み出した人と、

まだその前の段階にいる人とが、合わなくなってしまうのは当たり前のこと。


だから、ひとつのものごと、人、できごとなんかを見て、

「どう見る?」

「どう感じる??」

というところで、まあそりゃあ、

「合う・合わない」、「好き・嫌い」

あって当然なのだわね☆彡


そりゃ、わたしに対しても、あるよね。


ただね、わたしは、わたしを好きな人にしか、何もあげない。

(↑これね、同じ言葉を、わたしの大好きな、子宮委員長はるちゃんも、

いつだったか、言っていたと思う。)


だってそういう意味での「(どうでも)いい人」「いい子ちゃん」、、、やってたけどね、昔は。

でももうさすがに時間が無いよ、30代からそれやってたら。


「たくさんの意見の中で、自分を見失いそうになる」

という時がもしもあったら(わたしはこのごろ本当にないけど☆)、

「わたしが、どうしたいか」だけに、集中。


だって、あとになって、「アイツのせいで人生がダメになった」とかさ。

「アイツのせいでわたしはうまくいかない」とかさ、

他人軸で生きて、自分の心の中はからっぽで、

自分を、生きないのって、

最後死ぬとき一番苦しむの、自分じゃん??


たった一回の今生。

生きているうちに、自分の魂を、幸せにするのは、自分だよ?


「魂の幸せ」について

「自由」について


本が書きたいなあと思っている今日この頃です(・v・)


















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最近わたしの悪口書いてる人のことたまに見るんだけどね☆

facebookとかで(ーvー)


しかも、マジで、なんで、あの人が?!っていう顔と名前わかる人が書いてたりとかね。


、、、っていうことについて、いよいよここから一席打ってみようかと思ってたけど、


Coccoのコスモロジーを聴いていたらほんとうにどうでもよくなっちゃった☆


わたしも昔、生活が一番辛かったとき、

負の連鎖で「そこ」にいたから

わかるんだけど


自分の中の「嫌い」と「他人」に焦点が合っている世界にいる時間があまりにも長いと


「自分の幸せ」からは本当に置いてかれるよ?


集中するなら、


自分、自分、自分。


あたしなら、自分が嫌いだと思ってる他人にフォーカスしてる時間なんか一瞬も無い。




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みなさま☆彡


おげんきですか。


わたくしは、埼玉県秩父市宮尾に、ライブにいってきましたd(・v・)b

素材をほぼすべて(野菜は100%)、自家菜園でつくっているイタリアンレストラン、

サルベージにて。


わたしのライブにたびたびきてくださり、今ではすっかりお友達にもなってしまった

田中理寿さんの、お友達が、サルベージオーナーシェフの坪内浩さん。

で、

「だっこちゃんが、このお店でやったら雰囲気があうとおもうんだー」

と、昨年末に、一度おすすめいただいていたのですd(・v・)b


そして、そこから、下見に行き、あれよあれよというまに、

わたしはほとんどなんにもしていないというか、

きょとんとしている間にもd(・v・)b


常人離れしたマルチプレーヤーのひかりちゃんがチラシをつくってくださり、

(↑笛は吹けるし、農業はやるし、チラシやパンフレットは作れるし)

お店とのご縁をつなげてくださった理寿ちゃんや、そのお友達、、、そのまたお友達、、、

と、色々な方が告知を広めてくださり。


「気が付いたら、夢のようにここにいた。」

という感じで、本番を迎えていました。


お店は、カウンターバーがあったり、お客様から厨房の中が見えるようなつくりだったり、

内装もとってもおしゃれで、入口に、ちょっと急な階段があるのですが、

そこは、なんと坪内オーナーシェフがだっこしてくださり、厨房にいた

料理人のみなさんも、車いすを持ちあげてくださったり、助けてくださり、気合いでカバーd(>▽<)b


マンパワーでバリアフリーになりました!!!(>v<)



店内は、実は華道の師範だった(!)理寿ちゃんが、たくさんのお花や野菜で

飾ってくださいました。クレマチス、いちご、麦、カモミール、レタス、、、柿の花、、、

など、田舎暮らしをしたことのあるようなかたならば、

「柿」とか「麦」とか、日常のなかでも目に入っているものなのだけど、

あらためて花瓶にかざっていただくと、とっても美しいテーブルフラワーに大変身していました。




うたもたくさん。


燦燦とおひさまのひかりが注ぐ店内で、

ひかりちゃんと奥野殿は、もはや何かの精霊みたいでした。


ところでみなさま、あの秩父の山並み、、、

あの山々が、地域一帯が、昔昔は海だった、、、って知っていますか。

今でも、山の地層から、少し掘ると貝殻が出てきたりするのだそうです(・v・)

日本自体が、海の底から隆起しているんだもんねえ、島だから。

地球規模の、めぐるいのちのものがたり。


地球の歴史を、わたしたちが踏みしめて立つ足場である、「土(大地)」に

歌のように抱き続けているこの土地で、

天にも地にも届くようにと念じながら

歌えたのはとてもうれしかったです。


そしてお料理も、最高でした!(>▽<)


うたの途中には

「ああ、みなさん(のお料理)が、、、、おいしそう(;v;)」と、

みんなを凝視してしまいましたが、、、、


うたのあとの打ち上げでは、わたしたちもいただきました!!(>v<)

ちょっともうおいしすぎた!!!

夢のよう。夢、夢!!

表現がつきなみですが、

野菜が甘い!苦くない(>v<)

人間の子を育てるように、

菜園の野菜たちにも、

卵料理に使う、たまごを産む、にわとりたちにも、

愛情を注いでいる坪内氏。



育てる愛情を、野菜たちも鶏たちもキャッチするのだなあと思いました。


凄い膨大な有機農業の思考錯誤の日々、

研究知識がほんとうに坪内氏のお体にきっと詰まっていらっしゃり、

お料理についてのお話もすてきでした。







あまりにもすてきな空間で、帰るのを忘れそう。


わたしこのごろ、これは仕事なのか、遊びなのか、こんなにも幸せでいいのだろうか(・v・)

と、思いながら ものすごく幸せな場所でばかり歌えるようになりました。

こんなにしあわせで、「今日の今、この場に、自分がいられること」が、

まず、半端じゃなくしあわせなのに、

歌やお話が、日々を生きるためのお給料にもなって、

さらに、当日きてくれた人同士が、この場から、お友達になって、、、、。


行きたい場所を選ぶことができて、会いたい人が、

「会いたいなあ」と心で思うと、

きてくれて、

おいしいごはんまである(>v<)


これからも、わたしも、きてくれる人も、両方が、

「きてよかったーすてきだったー」

と、絶対に思うと思う!d(・v・)b

と、わたしが思える場でうたやお話をやりたいな、広げたいなあと思いました。

っていうかね、自分でもぞくぞくするほど広がってきている自覚があるのだけれど

まだまだどこまでも拡げたい。


でも、ほんとうに思うんだけど、

「拡げたいな」は、先に来るんじゃなくて、「後」なんだよね。


なんかね、勝手に、広がっている。


「一人ずつが、自分の一番好きなことをただ持ち寄っているだけ」

というやりかたで、

最高に素敵な場の空間で、

わたしに歌わせてくださる、

すべてのみなさまに、感謝です。(・v・)


※とらさん、理寿ちゃん、お料理などの、お写真をお借りしまする。


―満員御礼 ありがとうー

2016年5月22日(日)12:00-13:30 
自家菜園無農薬無添加
イタリアンレストランサルベージ 
ー満月ライブ 土と種から始まるライブ 
まあるい月とはるのうたー
横笛と即興演奏 ソウマヒカリ
ギターとうた 奥野裕介
うたとおはなし 朝霧裕
おいしいごはん 坪内浩
フラワーアレンジメント 田中理寿


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田中みっちさん&岡田哲也さん魔法使いになるセミナーレポート③

さあ!心身調律セラピスト、岡田哲也さん編です!

すごくすごくここまで来るのに時間がかかってしまったのはなぜでしょう?!

それはね、もともとブログの大ファンだったので、

ファンです!!!

としか わたしほんとに書けないんじゃないかと思っているうちに 、今日になっちゃったからです。


現役風俗嬢だったころから、密かにブログを読んでいて、

何の組織にも属さない、たった一人の、個人の女性が、自分の身体ひとつと発信力だけで、

「私はどこまで幸せになれるか」

と、実験に継ぐ実験を「自分自身を生きること」で重ねていって、

今やベストセラー作家になった、子宮委員長はるちゃん。


子宮委員長 はるちゃんブログ↓
子宮委員長はるの子宮委員会
http://ameblo.jp/jj-haru/


彼女は、今まで世間から「女性が人前で話すのはタブー」とされた、性のこと、

ときには不倫のこと、

ときには、その壮絶すぎる人生のこと、、、、

書きたいことを、人の目を気にして、圧したい、と、自ら封印してしまう、心の恐れに負けないで、

多くの女性、今では、男性も大いに巻き込んで、多くの人々、、、もうブログの読者さんも入れたら、

100万人にゆうに届くのではないかと思われる、本当にたくさんの人の光になった。


そして、その、というか「あの!!!!」というか、書いたエッセイは「現代女性の新たな聖書」とも

言われている作家&超カリスマブロガー、はるちゃんの旦那様が、

これまた、トッププロセラピストとして活躍していらっしゃる、岡田哲也さん。


岡田哲也さんのブログ↓
【母の呪いを解放し、本来の自分らしく楽に生きる】
心身調律セラピスト岡田哲也のブログ
ーアダルトチルドレンからの脱却ー↓
http://ameblo.jp/iyashiya1848/


わたしね、10代とか20代のころね、障害をもつ当事者同士で、

たとえば、福祉施設の中で、障害を持つ女性が、職員さんにレイプをされてしまったとかね、

他者に極めて相談しにくい心の苦しみを、身体的な条件が同じ、障害を持つ人でプロのカウンセラーさんと、クライアントさんとが、対等に聞き合う、「ピア・カウンセリング」というカウンセリングのひとつの技法について、興味をもって、お話を聞きに行ったり、体験講座に出たりしたことがあった。


でも、そのときから、「私はこの人生で、歌やお話しがやりたい」という気持ちが一番強かったから

カウンセラーの勉強をしてゆく道は、その岐路では、選ばなかった。


でも、そのあとにも、人生を10年くらい生きたら、

「生活の中に虐待があったとき、本当に、だれにも相談できなかった」とか


「障害者は、家族にも、介助さんにも、友達にも、みんなに支えられて、それはもちろん感謝だけど、

『施設に居る人だっていっぱいいるんだから、地域に生活ができるだけでも感謝しなさい』


『あなたには一人でできないことがたくさんあるんだから、

苦労が多い人生で当たり前。

少しくらい辛くったって、ガマンしなさい。

人様に、親切にしてもらったら、まず、感謝しなさい』


『介助の体制や、生活に多少の不便があっても、こうして外へ出られるだけでも、感謝しなさい』


感謝しなさい、感謝しなさい、感謝しなさい、、、、って、

言われやすいけど、

『本当はいやなことをされても

、『あ!わたしは障害者なんだから、感謝しなきゃ!!』って、思ってないか、今、わたし?」

って 思うような 体験を 日常の中で たまにはしたり。

いろんなことがあって、


誰か人のことをなんとかしてあげたい、助けたい、ではなくて、


「自分自身の、感情の、抑圧からの解放」に、もう一回、興味が出てきた。


それで、〇〇のために、みたいな大義名分もいらなくて、

「今、わたしが、わたしのために、自分の心と向き合いたい」って思ったとき、


はるちゃんのブログを読むようになり。

続いて、岡田哲也さんのブログを読むようになり。


あのね、きっとはるちゃんもだけど、

岡田哲也さんはね、

セルフセラピーの神様だと思っています。


岡田さんのブログには、

・応援しない

・反対しない

・同情しない

・感動しない

・教えない


という、セラピーの場づくりのお話があります。

わたしね、このページが大好きです。


わたしの身体は、応援も感動も同情もされやすい上に、

「あなたは知らないだろうから、教えてあげようか」と 教えてくれようとする人や

「そんなやりかた、あなたが利用されるからだめだよ」と 反対意見を述べてくれる人に出会いやすい人生だった。


でも、応援してくれる人 すすんで反対しようとしてくれる人 同情してくれる人 感動してくれる人 すすんで教えようとしてくれる人 の すべてに 自ら囲まれるような方向へズンズン歩いていってしまうとね


私自身が どうしたいのか 結局 わからなくなっちゃう。


案外 生きている日常で


一発目に 会話の最初に

「わたしはこうしたらいいと思うんだけどっ!!」じゃなくて、

「あなたは、どうしたいの?」

って 聞いてくれる人って いない。


そう、「案外、いない。」って、思ってました。はるちゃんや岡田さんのブログを読むようになるまで。


それで、いろんなことで(音楽のことでも)、ちょっと壁にぶつかって、近しい人ともうまくいかなかったり、

困ってもいた。


でも、岡田氏のブログを、何度も何度も読んで、そのまま実践。

「(その何がしかのできごとがあって)そのとき、どう感じたの?」

「本当はどうしたかったの?」

「今、本当はどうしたいの?」


誰にも会わずに、人に相談せずに、

まず最初は、自分の中で、よく向き合ってから

「私は、こうしたい。」

と、まず、自分の答えが出てから、ただ、それを言うようにした。


そうしたら、「わかってくれる人が外側にいない」んじゃなくて

わたしが、「私はこうしたい」って、伝える気持ちが、すごく弱くて、「まず、意志を伝える」ということを、

できてなかったんだ、っていうことが、ものすごくひくーーーーいハードルから、ぴょこん、と超えるごとに

本当に どんどんわかってきた。


自分の『わたし、本当は、こうしたい。』を伝えてね、人に嫌われるのが、漠然とこわかっただけだった。


それで、これまでだったら、たとえば、ライブをするのに、


チラシも自分で作れます、告知も自分で頑張ります、チケットも自分の手売りでがんばります、

準備をがんばって本番で疲れています


という やりかたをいつまでも抜けられずしていたんだけど


・開催費は応援カンパやクラウドファンティングで集めます

・チラシつくりは人に任せます

・宣伝もぜんぶ人に任せます

・わたしは歌だけをやります


と、「ほんとうは、こうしたかった」に変更。

そうしたら、最高に素敵に手伝ってくれる人は、本当は、そばに、幾人もいてくれた。

本当に、わたしが、

「わたしのことを、助けてくれない?」って、腹を割って、言ったことがなかった、というだけだった。


それから、私生活でね、

「今の介助体制では、泊りでの外出や、日帰りでも一日かけて遠方へいくのは、無理だな」

と、あきらめかけていたんだけど、

「でも、本当は、わたし、行きたいところとか、あるんだ」

と 介助さんたちに 腹を割って話してみたら

今できるやりかたの中での、最大限に、全員が、わたしの思いに心を寄せて考えてくれ、、、

しかも、介助さんだけでは、できないところは、、、、

「わたし、だっこちゃんの着替えとかトイレ介助、覚えたい!だっこちゃんの介助やりたい!

そしたら、旅行とかも、あと県外にライブ遠征とかも行けるじゃん!」

と、複数の友達が手を上げてくださることに、、、、(;▽;)

なんと、中にはライブの共演者の女性陣まで、、、。


ブログを読んで、繰り返し 繰り返し 

「やりたいことを言うこと」

「やりたいようにやること」

の練習(と本番)、、、、、、。


だからね、もちろん、セミナーに行ったから、いきなりできるようになりました!ということではないけれど、

だからこそ、自分の日々の生活に落とし込めることを、岡田さんご自身が、

ただひたすらに、ご自身がやってみて、

余すところなく体験を全部書いて、

「ただ、見せてくださっている」と思うんです。


「もっとこうしたほうがいいよ!!!」

「○○はしちゃだめだよ!!!」

と 人への指示・命令・教えではなくて

ただひたすらに、「僕は、こうしたよ。」


唯一、「道」として書かれてある、お話でもあったことはね、

直観で、ピンときて、ワクワクするほうへ、いくこと。


それから、セミナーのお話やワークショップでとっても印象に残ったのは、

力に力で対抗しようとしないこと。


これはね、実験があってね、もう、体感したいかたは、お話し会へ、行ってくだされ、みなさま。

力に力で抵抗、、、わたし、かなりものすごく、するタイプだったけど


どのくらい、無駄にエナジーを使ってきたか、

「人に上から全力で肩を抑えつけられたときどうするか」


の実験が、カルチャーショックでした。


寿命も一回、力も有限、だからそれを

「一番、何に使いたいのか」

に常にフォーカスをする、その感度を上げることに、心の焦点を合わせろ、ということ。


たとえば、私のこのブログきらい、っていう人からメールがきたとして

「いえいえこれはこれこれこういう理由でこのような高い意識をもって書いているのでございます」

と、反対とかアンチのかたを 説き伏せるとかねじ伏せるとかに(^▽^)

自分のものを書くエナジイや時間を使うより、


そもそもが 波長の合う人に使え


ということ。


それだけのことなんだよね。


そのことが、実際に、ワークに参加をしたら、すべてが、腑に落ちた。

しかも一瞬で。


わたし先月、発起人コンサート(彩の国 ゆめコンサート)のクラウドファンティングをやったときも、

はるちゃん&岡田さんのブログを読んでいたことが、本当に精神的な力になった。

途中で一回、

「ちょっとこれは無理かも、、、」って、あきらめそうになったの。

でもね、はるちゃんのエッセイ「願いはすべて、子宮が叶える」のお守り

『わたしに叶えられないことなどなにもない。』

をパソコンの前に置いてね

今度は、ご主人岡田さんのブログをね

「本当はどうしたいの?」

「本当はどうしたいの?」


本当に 本当は あきらめたいわけ?


と ほんとに 心の中で、ずーーっと唱えたんだよ。

もう御経みたいに(-wー)


で、最後の3日くらい ほんとうに誰にもあわずにパソコンずーっと見てた。

やりたいことに、全神経を集中。


そしたらね、達成しました、コンサート開催資金、クラウドファンティング80万円。


要は、心が、ブレなくなるの。

「やっぱり、ダメかも」

「やっぱり、できないかも、、、」

と、一瞬、思いかけたときに、


「いやいや!!ここに、目の前に、やって見せてくれている人がいるじゃない?

いるのに、なんで、自分だけ、できないと思うの?!」

と、自らの心の足の踏ん張りどころになるんだよ。


同情しない反対しない教えようとしないセルフセラピーの実践者がいてくださるということは。


(ちょっとわたしは、へそがまがっているかもしれないけれど、

同情って、だいたいが、テレビで難病とか生活苦の人を見ても、

2,3日したら、忘れて別の興味の対象を

探すでしょう?ということを、すごく、知っているから、

応援して同情して反対して共感して教えてくれる人よりも

「個々が自分の力を信じればぜんぶそれだけでいいんだ」

と、言い続けてくれる人のほうが、すきです。)


そのあとも、

・行きたかった場所に行くこと(ディズニーランドに行くこと)

・やりたかったこと(熊本被災地にチケットのお金を寄付する為のライブをやること)

・新しいチャレンジ(写真のモデルさんになること)

・泊り掛けでどこかへ行ったり、遠くにも講演やライブ遠征できるように、介助できるお友達を得ること(←これが去年くらいから悩んできて「本当は一番やりたかった」こと。)


いろんなことが 叶ったり 決まっています。


ここまで、具体的な変化に要した期間は、約25日間です。

早いです。


直観で、ピンときて、ワクワクするほうへ、いくこと。


とにかくこれを、生活のできる範囲のところから、あきらめちゃだめだし、

「あの人達ならすごいからできるけど、わたしムリ」

「わたしは願っちゃだめな人間だから」

なんてね、ちょっと前までのわたしみたいにね、

抑えつけちゃだめ、やってみる。


やる側でありたい。


そのことを、ビリビリ感じた、凄い時間でした。


たぶん、わたしは、これから先、

「言って、やってる」

「生きて、見せてる」

そういう人。


素敵な人にしか、きっと、興味を持てません。


私自身が、すてきでありたいからです。


奥様も、はるちゃんという、大魔法使いですが、

岡田哲也さんという、魔法使いに、わたし、会いました。

魔法使いって、この世にいるのか、見たくって。

魔法使いは、、、 、、、いました。(・v・)




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田中みっちさん&岡田哲也さん魔法使いになるセミナーレポート、2!!!\(・v・)/


神話編 と でっかくつけましたが


セミナーのみっちさんのお話の中にあった


「女性は昔 神様だったと思う。だって 古事記や日本神話、

<神話>とも呼ばれる 日本最古の文献でも

男女一対の神様が出てきて

そのふたりが結ばれて

神様を 産み落とすのは 女性でしょ?


でも歴史の中で その力を 忘れてしまっているだけなんだと思う」


というお話が 本当に本当にだいすきだ と思いました。

「だいすき」では足らない

うまくあらわせない

たましいが ビリビリする感覚。


わたしは 日本の歴史や神話の物語の 学者さんではないけれども


特定の人種であったり 歴史の中で その時代、時代で 立場がある時圧倒的に変えられてしまう

本人の意志に関わらず

善になったり 悪になったり

神の如く扱われたり その命そのものさえ軽視されてしきたりや 戦の中にまっさきに殺されたり

そうふうに

あるときは、

神様を産み落とす存在

あるときは 蔑みの対象 生きているさえ危ぶまれる存在


歴史で立場が 簡単に 変えられてしまう 


その一番わかりやすい象徴としての「女性史」そのお話を 聞くことがすきなんだ。


なぜかというと それは

「障害を持つ人の歴史」にも とても重なって見えるから。


昔 昔の ほんとーーーーうの昔の 神話。

古事記の最初。

いさなぎといざなみ。

女性は 神様だった。

神様をうみおとす神様。

、、、っていうか「日本の国をうみおとす神様」。


神話は 古事記とか 日本書紀とか ホツマツタエとか

風土記とかいろんなのがあって わたしはそれらに 

すごく知識があって詳しくて書いているわけでは全然ないんだけれど。

(でも 海外の神話と 日本の神話 世界中に残っている

昔の昔のお話が エピソードがものすごく似ているので

出所はもともとひとつなんじゃないかとか 妄想していることがすきなの)


天照大神は日(太陽)の神様

その日の神様が 天の岩戸に隠れてしまったとき

「女神さまーーーちょっとーーー出てきてー」と、

岩戸の前で踊りを踊った、日本最古の踊り子 あめのうずめも 女神様。


このはなさくやひめ は その名からしてうつくしい 桜の花の化身ともいわれる

元祖 女性の美の神様。


※注)わたしの書いている今これは特定の宗教観にもとずいたお話ではないし、所説あります。


「宇宙から来て宇宙へ帰って行ったんじゃない?」と思われる

かぐや姫のお話も お月さまから来た人の 姿かたちは「お姫様」。


歴史が飛ぶけど

卑弥呼も女性で、国を治めたとされる、女王さま。


、、、 、、、でも、歴史のうちに、大災害のとき、いけにえとして、川に投げ込まれるのも

「こどもや、美女」だったり。


日本の歴史で、「男性上位」の時代 女性は、男性に逆らってはいけなくて

わたしのおばあちゃんの時代くらいまでは 結婚相手を自分で選ぶことさえ 許されなくて

こどもを産めない体だったら それだけで肩身の狭い思いをしたり

仕事を持つことも禁じられたり 忌諱の目で見られたり。


あるときは 神に使えし巫女さんや 神様。

あるときは 人権なんてない 厄災のいけにえ。

あるときは 戦争の時代の最弱者。

絶対的に 抑圧をされる側。


その「時代、時代に、あまりにも、扱われ方が変わってしまう。

命さえ、軽いものと扱われてしまう」


その 時代ごとの 扱われ方の違いの差が 激しすぎること が


障害をもつ人の歴史に 似ているの。


私、古事記のお話をきくと、いつも、身体の奥底が、ぞくぞくっと、する。 


古事記のおはなしの

神産み(国産み)のときに、いざなぎといざなみは たくさんかみさまを

産むのだけれど

そのなかに

「最初の子は 骨の無い子供だったので 船にのせて 川に流しました」

「次の子も 人の形をなさない子供だったので やっぱり 川に流しました」

と 訳されるのではないか?

という文章がある。


わたしはその学者さんでもなんでもない。

でもね


わたし、震災の年くらいに 

「神話とか、昔の文献って、実は今への預言書みたいな役割を成しているんじゃないか」

という、神話のロマンとか 超古代文明は存在するか?(←わたしはするとおもっている)

みたいなお話を読むことに ひととき とてもハマっていて。


その頃、5年前くらいに 古事記のこの部分を見た時


「最初の子は 骨の無い子だったので」

と 現代語訳されるのではなかろうか


という 一文を知ってしまったときに


「これ、、、わたしじゃん?」


って 思ったの。


いや 妄想ですよ?


でも なんていうか ビリビリしたの。


その描写への引き付けられ方が半端じゃなくって。


ただ、そういう一文が、出てくるんだな、って、知っただけなのに、


なんでか自分でもわからないけど 滂沱の涙が出てきたの。


「ああ、そうだ、こういうことだ、思い出したわ」って思ったの。


でも、その5年前には「何を」思い出したのか、すぱっと言語化ができなかったの。


でもね どうしても どうしても 


みっちさんのお話をお聞きしながら やっぱり その古事記のその部分が


心の中に うわーーーーーーーーーっと浮かび続けて離れなかった。


神話だからさ


「神話の本当の意味」を、

「事実がどうだったか」を、

立証することなんてきっとできないよ?


書いた著者本人が今ここに居ないんだから。


でも、もしも、もしもだよ?


「最初の子は 骨のない子供だったので お船にのせて 川に流しました」

「次の子も 人の形をなさない子だったので やっぱり 川に流しました」

と 訳すことが できるのではないか?

とされる 文章が


障害を持つ子供 とも取れる ものならば


わたしたち 障害をもつ子であり 大人は 


少なくとも神話の中では


一番最初(と二番目)にうみおとされた


マジで


神様だったんじゃない、、、?!


、、、 、、、こう 考えると 急に、自分の命の中に 物凄く壮大なのロマンを感じませんか?


神話の中では 川に流されてしまったようだけど


その子たちは ほいっと拾われて 生きていたら どう?


どんな村で どんな人達といっしょに


どんな神様として この国にきたことを エンジョイしたんだろうね?(・v・)


神話から ずっと時代が進んで


縄文時代には、障害のあるかたや高齢者を、家族や、村のコミニュティー単位で

手厚く介護し、助け合って生きたのではないか、という研究もある。


「福子」と呼ばれて 障害をもつ子が生まれると その家や ご近所の中で

むしろ障害のない子よりも大切に扱われ

「福子が生まれた家は栄えるよ」

というように 大切にされた時代の 民間伝承が 「座敷童」の発祥ではないか、

という説もある。

(※ これについては、飢饉や貧しさなどで育つことができなかった子たちのことでは?

という「福子」とは真逆の「座敷童」のお話も多数あるけどね。)


でも、「因果応報」、「悪いことをするとバチがあたるよ」という思想が、

一国の宗教観や思想の背景として強くなった時代には

障害をもつ子の身体は

悪いことをするとああいうふうになるとか 先祖の祟りとか

きっと現代からはとても想像も追いつかないような考えられないような、差別に遭って 


「この子は福を呼ぶ神様の子だから、みんなで大事にしようね」

と 扱われた時代から一転


いきなり 祟りとか呪いとか言われて

生まれてきても

世間から身を隠し 肩身狭く 家の中の奥座敷に一生涯、

いなければならなかった時代もある。


ただ、生まれてきてここにいるという、存在そのものが、

「神さまの子」から 「世間のタブー」とされてしまう。


そして、戦争の時代になれば 

「兵隊さんになれないから、役に立たない」と、

まっさきに、殺されてしまう。


とにかく、神話の時代から、時代・時代で、とても大切にされたり 

とても差別や抑圧をされたり 殺されたり、、、、


でも それでも 現代に近づくほどに


時の声を上げるパイオニアも出てきたり、、、、と、


女性の抑圧からの解放の 神話から現代まで と


障害をもつ人の抑圧から解放の 神話から現代まで とは


時代ごとに、当事者がバトンしていく精神性のような部分で


重ねて考えられる部分がとても多い。


で、やっぱり、わたしたちは、時代の荒波に、人類の起源から今日の今に至るまでの間に


何百代もかけて翻弄されすぎて、


「本当は、だれもが、神様だった(かもしれない)」


「本当は、わたしたちは、だれもが、大切に大切に扱われていい存在だtった」


ということを それが「悪いほうに変化してしまった」のではなくて


「忘れさせられてしまった」んだと思う。


100代かけて心が疲れて 思い出せなくなってしまったんだと思う。


でも


そうか でも だけど 今日の今 わたしがここに生きているってことは


こんなに長い間 何があっても


耐えず 滅びず 子孫まで


命を 継いでくれた すべての過去の人達の営みの


結晶なんだ



わたしは。



思うと


「わたし、自己評価が低くて」

「自分に自信が持てなくて」

って


思う日があっても でも ずっとそればかりは言ってられなくない?


だって 「今ここに生きていること」って


それ自体 「神様の仕事じゃん?」って 思えるくらい すごくない?


わたし そう考えると 本当に 心が自分でふるえるの。


だって どこかで 何かが 違ったら


わたし、存在してないんだよ?


でも、今、「いる」んだよ?


「いる」こと自体 どれほどの わたし自身が「人類の歴史の結晶」なんだろうかと思う。


「僕らは神の子。」


ってある日突然 きのうまで言わなかった人が真顔で言い出したらこの人何食べちゃったんだと思う?


でも、


「そのくらい、今、生きている、この命、この自分には、

生きてるだけで、価値があるのよ?」


ということを、


わたしたちは もう ほんとうに かけねなくただの素直に、


認めちゃったほうがいいんじゃないかと思う。


それで その上で


今って、女性だから働くなとか

障害者は外を歩くなとか

そういう時代が 全部終わって


ほんとうに なんでもできるじゃん?


こうやって、書くことも、話すことだって、規制を受けないで、できるじゃん?


これは すごすぎることで

やっぱり この「自由」をわたしたちは


使い切らなきゃいけないと思う。


いや、人に「どうしなきゃ!」とかはないけど


使い切りたいと思う。


だって ほんとに 今 こんなに素敵な時代は過去には一度もないくらい


「表現が自由にできる」時代だからね。


たった70年前までは、違ったんだもん。


わたしがね、はるちゃんの本のことや、みっちさんと岡田さんのこのレポートのことや、

ブログを読んでることを書くとね

「だっこさん、だいじょうぶですか?!」

「なにか宗教に嵌っちゃったの?!」

みたいに 言う人もいるのね。


でも だれがなにを言っていてもいいんだけどね


わたし、自分が、好きと感じて本を読んだり

講演会やセミナーに行ってみたい と 思う方々って

全員に共通点があるのね。


それは

社会からタブーとされていることへ、『それって本当にタブーなの?』と

疑問を投げかけて タブーなんだからムシ、ってしないで

あえて 言葉にして語ったり

自分が人柱になって 光を当てている人なの。


前にも書いたけど


抑圧から解放へ。


闇から光へ。


不自由から自由へ。


そこに想いが 振り切れて強い人が好きなの。


そして、わたしも、


「わたしたちは、みんな、だれでも、昔は、神様だったのかもしれないよ?!」


という仮説に 共感してる。

いや、本当にそうだったと思ってる。


他者の誰かに心酔し、崇めるのではなくってね、

だれもが、

自分自身の中に、時のメッセンジャーになる素材を

生まれてきた時点ですでにぜんぶ本当は持ってきてるんだよ。


ただ、そのことを、実際に口に出したり本に書いたりするのは

共感してくれる人もいればしてくれない人もいるから 勇気がいること。


だから 多くの人が

何につけ

腹の中で、心の中で、本能で、子宮で 直観で、、、言い方はそれぞれでも、

なにか大事なことを、「本当は思っていても、思っていることを言わない。」

ということに 現代って、慣れ過ぎているけど


もっと ほんとに マジに


「生きてるだけで それ自体 わたしってすごいかもしれない」 って


わたしたちは 信じてもいいと思う。


少なくとも わたしは 信じる。

あと1000年したら


身体はなくなっても


わたしたちも 歌の神様 絵の神様 踊りの神様 本の神様


そんな風に 誰かから 語られているかもしれないよ?


だれだって いつかは 神話の主人公。


ならば そうだなあ わたしだったら


「みんなから座敷童って呼ばれている不思議な背の小さいお姫様がいたんだって」


って言われたい。


「身体の不自由なお姫さまが奥座敷の暗い部屋に日々泣き暮らしていたんだって」

ではなくってね。


お話の中に どう書かれたいか


今 それを紡いでいるわたし。


ならば 願いは この生を 楽しくありたいというだけだ。


そんな想いが 確信になった 魔法使いセミナー みっちさんコーナーなのでしたd(・v・)b

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田中みっちさん&岡田哲也さん魔法使いになるセミナーレポート①
http://ameblo.jp/cafedudacco/entry-12156007856.html

のところで止まっておりました☆(^▽^)


止まっているこのあいだに わたしはなにをしていたかというと

9年ぶりにディズニーランドへ行ったり



わたしの書いたエッセイをきっかけにして、写真家のかたと コラボ企画が生まれたり!


そのコラボ企画が一瞬で発想と、手伝ってくださるかたをつなげて

熊本被災地へチャリティーを出そうという趣旨の音楽ライブが急きょきまったり!

(ごめんなさいこの2点の写真や詳細はあと2,3日内緒です!)


講演へ出かけたり




歌ったり踊ったり


してました。


生きることとは風のよう。


「ワクワク感じる、直観の快・不快で決める」

を そんなに 意識しないと!!!!と 思わなくてもできるようになってきました。

と、いうよりも、本当に、ただやればいいだけ。


ほんとうにセミナーで、なにかこう、あの「場」に
「えい!」と行ってしまったことで 体に入ったんだと思う、感覚的な、何か、

「あ、なんだ、やればいいだけだ(・v・)」

ということが。それに、わたしも今までけして「できてなかった」わけではなくて
「それなりにはできていた」んだと思うし

考えてきたこと、感じてきたことは、正しかったとも思った。

ただ、その「精度を上げたい」と思う。

楽しく、実践中です。


で、その「日常を、心に従って生きる」という
実践の中で、私の場合は、「今の介助の体制では、介助さんの助けではできない」とか
「介助の制度上、困難がありそうだ」
ということにも ぶちあたるけど


1 やりたいかやりたくないかで決めて

2 やるためにはどうするかを決める


だけです。

ほんとうに、シンプルに、そうなの。


わたし、ディズニーランドなんて


「わたしのような、生活保護下に生きている人がいくなんて絶対にだめなことだ」って

自分で決めて

自分で「もう一生行けない」と思ってたけど、

そしてわたしは わたしはお金が 「ない ない ない ないはずだ 自分の楽しみに使うなんてだめなことだ」って

自分に強固に暗示をかけていたのだけれど

講演やコンサートのお金とかでも ちゃんと収入申告して(!)

その収入の中の控除の中で

法律に乗っ取って(!)

行きたいところにも 借金をしてまでとか法を犯してまでとか 不正をしてとか 

そうにじゃなく

今の生活の叶う範囲の 最大限で 堂々と 行けばいいんだし

それを 広げてゆけるように 自分に希望を持っていいんだし

自分が
「言っちゃダメ やっちゃダメ ここまでならいいけど これ以上はあなたは楽しんじゃだめ。
だって生活保護なんだから。」

と あまりにも 自分から 自分の人生を(私生活でね)暗く さえなく してきてしまった

と 思われるところを 約2週で 取り戻してきました☆


9年分 と 思って ディズニーランドで遊んだり

楽しい気持ちのそのままで全力で講演したりしてきました。


(それで、その、講演の日に、家に帰ってきたら、長野県からまた別の講演のご依頼を
いただいたりもしています。
「ワクワクすること、楽しいこと」は、自分を越えて、人に伝わる、ということは
わたしは学識で説明が何もできないけれど

ほんとだよ!!!)


欲しかったのは

「わたしは わたしの 心の通りに 生きていいんだ。」

という やっぱり 自信。


でもそれすらも 「自分で勝手に」 失うほう 失うほうへ 心を向けて いただけで

いざ 「わたしディズニーランドに遊びに行きたいのよ!」って 言ったら

「あんたはだめでしょ 生活保護なんだから」

っていじめてくる人は わたしの生活圏に 今はもう だれもいなかった。


それは、歌やお話しや 人柄や やってきたことを 一番身近な介助さんや

一緒に 行ってくれた友達や 周囲に居る人が 認めてくれたってことでもあった。


わたしの難病は、短命とも言われているけど(←でも今は、医療の発展や介助の制度も
昔と違うから、昔より、長生きするかたもたくさんいるよ!!)


「今日、この日、この、一日24時間を、自分の心の心の通りに生きる」

それができるなら それができる日が増えるなら(いや、そして、毎日がそうなれば!(>▽<))

必ずしも 命の幸・不幸は 「長さ」では決まらない。

そんなことも たくさん感じる2週間を生きていますd(・v・)b


では 次こそ「神話編」へ続く。(>v<)


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【魔法使いになるセミナー レポート☆】


みなさまこんにちは!

行って来ましたミラコスタ。
田中みっちさん×岡田哲也さん。
「魔法使いになるセミナー」!!!!




社団法人 日本性愛セラピスト協会代表理事長の田中みっちさん。
ブログはこちら http://ameblo.jp/micchi222/


心身調律セラピストの岡田哲也さん。
ブログはこちら http://ameblo.jp/iyashiya1848/


身体と心はつながっているし、
心と具現化はつながっている。
それを、まず自分が(あくまでも体験上)信じるところから、
自分の世界を広げていく。


そして、やっぱり、身体と心、
心と具現化がつながっていること(心が現実を結局は表していること)を、
「信じていない人たち」と歩むか
「信じている人たち」と歩むかで
たったひとりの、個人の世界は、
いったいどれほど変わるのか。

自分がそれを、自分の人生を使って体験してゆきたくて。


ブログやエッセイを読んで、
まず最初に、「この人は、すごい!!」と
感動&共感したのが子宮委員長はるちゃん☆

子宮委員長はるちゃんブログはこちら。
http://ameblo.jp/jj-haru/


そのはるちゃんの旦那様として知り、
「この人も、すごい!!!(・▽・)」

と、ブログを読みまくったのが岡田哲也さん。


そして、田中みっちさんは、
子宮委員長はるちゃんとたびたびお話しのコラボステージを行ったり、
性愛の話や、性教育などを
「タブーとして、語りづらさのあるものとして隠す」の

ではなく、公に語り、だれもが自分自身を愛せるようになろう、
という社会的取り組みをしていらっしゃいます。


特に、身体や心を自らが否定してしまうことによって、
「わたしには人に愛される価値がない」などと
思ってしまいやすい女性にとって、
もう一度、女性が自分本来の力を取り戻し、輝くための、
サポート活動をなさっているセラピストのかたです。


お二人ともが超絶大人気のトップ講師。


会場には、ダンスや絵画、音楽などの創作や表現に携わる方、
ファッションを扱う事業で起業をなさっている女性など、
本当に個性豊かで、素敵な女性が集まっていました。


3時間が、本当に楽しく、あっ!という間。


場にいてビリビリ感じたこと、楽しかったこと、

全4回くらいにわけて、書かせていただきます☆

まずは、田中みっちさんのお話しのコーナーですd(・v・)b


田中みっちさん、はじめてお会いしました。
(というよりも、「セミナー」と名のつく場に、
人生ではじめて、来ました!!)


綺麗、かわいい、カッコイイを全部併せ持っているような女性。
「みっちさんは、きっとこんな人だと思う。」
と、生でお会いしても、一言には、到っ底言い表せないような人。


なんかね、素敵過ぎて宇宙人みたい。

身体の中に地球の歴史がぜんぶ入っているような感覚の人。


それから、生きてきたことのそのものの自信を、
身体のど真ん中から、
ひかりとして放っているような人。


ヨガやチャクラのことなどは、
はじめて聞く言葉やお話も多いのに、
「むずかしい話し」と感じるところがない、
まさに魔法。

映画を見ているとか、音楽を聴いているような感覚。
お話に対してずっと「映像がそのまま見える感覚」で
聞かせていただきました。


お話の大枠の大枠、
「流れ」は、このような感じだったかと思います。


①チャクラから知る男女の役割。
②チャクラから知る、日本の歴史。
③チャクラから考える、人類の歴史、日本の歴史の、ひ・み・つ!
④他人軸から、自分軸への、心のパラダイムシフトの話し。
⑤地球の上で、みんなみんなで、横の手をつなぐ、世界平和への願いの話し。


、、、本当はもっともっとぎゅうっと盛りだくさん&全速力のお話しです、

、、、素敵で、壮大で、書ききれないです。


だからこれはほんとにただただ「場に行って、わたしの感じたこと」です。


まず、まったくの知識ゼロ!でした、
ヨーガ!


ヨーガ(ヨガ)とは?

インド六派哲学・ヨーガ派の修行法。
呼吸を整え、心身及び精神を統一し、
極めると解脱を得る。瞑想法のひとつ。
今は健康法としても知られている。


※専門的なことは、サイトなどを検索すると、出てきます!


チャクラとは?
ヨーガ用語で、身体の中心軸の、生命エネルギーの中枢。
「気功法」でいう<気>のエネルギーの出入り口。

第1-7チャクラまであるとされているのだそうですが、
(それぞれの部位とパワーは、
いろいろなヨーガのサイトなどをご覧ください!)


みっちさんのお話では、
「実は、もともとは、1-7だけじゃなく、
第0チャクラ(大地)と、
第8チャクラ(宇宙)が数えられ、
天地とつながるすべを私たちはもっていたのだけれども、
歴史のどこかで、
そのことが表舞台から隠されてしまったのではないか」

という説に基づいてのお考えや、

「地球とつながっている。」と意識する感覚の大切さについての考察が。


「私たちは本当は本来は、自然と調和をして生きることが
もともとはできていて、
たとえば、明日の天気は雨か晴れかと読むとか、
遠くの人とテレパシーで話すとか
危険が迫っているかを察知するとか。
本当は、もともとは、できていて、
すべての人が、
『生きている』というそれだけだって、
輝いている存在だった。


だけど、何百世代も、生きて死んで 生きて死んで
繰り返す わたしたちの歴史の中には、
繰り返し、繰り返し、勢力争い、虐殺、戦争、
そういう、人類史としての争いがあって、
<本当はもともと人間はすてきだったんだ>ということが、
思い出しにくくなっているんじゃないか?」
というお話し。


「もともと、日本には、卑弥呼とか、
女性が国を治めた時代もあって、
日本神話の、イザナギ、イザナミも男女一対で
神様を「産み落とした」のは女性だし、
女性にも大いなる神聖があった。
きっと太古の昔には、男女どちらにも、
昔の人には、
『心に従う』
『直感で生きる』
なんて、『できて当たり前のこと』だったかもしれない。

でも、
男の人が狩をしてきて、女性は家の内を守る。
男の人が何かの仕事で働いてきて、女性が家の内を守る。
男の人が戦争に行って、女性が家の内を守る。


男の人は、外で、仕事で。
女の人は、働いてくれる夫を家で。
お互いを守りあってはいたけれど、
でも
『自分自身が、何をしたいか、
今、生きて、どんな風に生きてありたいか』
考えることが、
男は働くこと。
女は家を、家の中で守ること。
それを何十代もやっているうちに、
みんな、考えられなくなってしまった。


長い長い長い、太古の昔から、今に至る歴史の間に、
自分の頭で考えて
自分の心で感じることを、
「できなくさせられてしまった」んじゃないか。

でも、私は人間は本来、命の輝きを誰もが
持っていると信じています。
ただ、それを、思い出しにくくなっているだけ。」

というお話し。


特に、歴史の繰り返しの中で、

魂が自由に輝くことが

「できないほう、できないほう」

に、進んできてしまったのではないか、という考察に、

本当に本当に共感をしまして。


たとえば、私たちの世代で、
一番近いのは第二次世界大戦のとき。


わたしも、自分のおじいちゃんやおばあちゃんから聞いた話しでしかわらかないけど、、、。
戦争の時は
「将来は兵隊さんになります!」
と、子供が言わなければいけなかった。

それ以外の夢は、いや、もはや「夢」というキーワードすら、なくて、、、

言っちゃ行けなかった。

自分の頭で

自分の心で

考えちゃいけなかった。


感じてはいけなかった。


人間と人間が殺し合いをしていた。
どこの国の人は敵だから、って。お互いが。


そのころの頃のことは、あまりにも恐ろしいことだけれども、
全部、現実にあったことだ。


それで、戦後の焼け野原から、
ただ生きるために、「ここで滅びないため」に、
おじいちゃんおばあちゃん、お父さんお母さんの二世代が、
一身に働いて、すごい便利な乗り物、
すごいたくさんの仕事、建物、オフィスビル、
住むところ、凄まじいまでの戦後の復興を、二代でやった。


物質的な発展は、
おじいちゃんおばあちゃんの世代と、
お父さんお母さんの世代の「生き延びる意志」の具現化だった。


でも、戦後から現代までを、とにかく生き抜く底力の表れでもあった、

高度経済成長期と、バブル時代が、

終わっての、わたしたち。

なんでこんなにも、飢饉でも戦争でもなくて、
物質的豊かさが満たされている世界の中で、
若者が、
一億総うつとか、
先進国で一番自殺者が多い国とか、
みんなで言われるような状態になったんだろう。


少なくとも親たちより、
若い世代のわたしたちが、
「自分のやりたいことに自信が持てない」とか。


人生は、たった1回きりだっていうのに。


地球の歴史とか
日本の歴史とか
そういうスケールの物差しから見たら、
だれの寿命だって一瞬。


やっぱ、生きなきゃ、つまらないよ。


お話を聞きながら、何か、すごい、鳥肌が立った瞬間があって。


私たちが本当に本当の『肝心要』、
今が『肝』っていう、ここが、自分が、その世代なんじゃないか、って、
ビリビリと感じた。


いつの時代の若者も、自分のことを、そう思うかもしれないのだけど、
戦争から 平和へ
不自由から 自由へ

今、この、ここの世代から、
心から発せられる喜びによって人が生きるような
時代に。


過去から未来へ、パラダイムシフトしていく。


その『肝』のところに、わたしたちがいる、と。
わたしもこの感覚って、
ずっと、ずーっと、昔から、感じ続けていたことだったけど、
それが、ますます、確信になって、眼が開いたというか、
ほんとうに、これは、マジだ。、って、思ったんだよ。


もし、私たちが、もう一回、
みんな、どの人も、
「自分の意志は持ちません」
「将来は兵隊さんになります!」
「戦争へ行けと言われたら行きます!」
というような


自分は何が好きかも

自分は何が嫌いかも

わからない人


わかってても、言わない人、言えない人、、、


みっちさんのお話にこのたとえが出てきたのだけど、
千と千尋の神隠しに出てくる、
<カオナシ>みたいな人間になってしまったらさ。


そのときにはもう一回戦争になる。


逆算して、それだけはないように、
この今を、今、守っているのがわたしたちなんだ。


私たちが、今この瞬間に、すでに、
未来を作っているんだよね。


それで、うっかり、みんなで、
カオナシにならないようにするには?


こうやって、ものを書く自由。(ガマンをしないで。)

言いたいことを言いたいように、言う自由。(ガマンをしないで。)

行きたい国へ旅をする自由。(ガマンをしないで。)

うれしいとき笑う自由。(楽しいときには笑うことを恐れないで。)


生きることを喜ぶ自由。


生きることを楽しむ自由。


すべての自由を、感じ切ることが、
わたしたちの根源的な輝きの元なんだよ。


「感じたいことを感じる自由」

「今生を、生きたいように生きる自由」は、


「人」という

生命体としての、いのちの光の源なんだよ。


チャクラのことは、知識ゼロでも、
でも、なぜか、わかる。


わかる。


だから、涙が出る。


戦争から、平和へ

闇から 光へ

不自由から、自由へ

絶対に、行く!!という、この感覚。


私たちの命が、今、あるのは、
何億人の命のめぐり、
平和への渇望の上に、
わたしたちが未だ滅びてはいないから。


それ自体が、もう、奇跡なの。


人間本来の、自由の輝きへの回帰。


私も、自分が歌ったり、お話しをするとき、
ただひとりの女性として(なんかね、「種族」として、みたいな感覚。)
ただひとりの、ひとつのいのちとしての
「願い」を話したい、と思いました。


もう、素敵過ぎてね。

うまく書けない。


実は前日夜、喘息くらい咳が出て(何かの花粉のアレルギーが今年すごくて)

「こんなに咳が出るんだったら、

お話の途中にうるさくして迷惑になっちゃうから、

行かないほうがいいのかな」

と、一瞬、悩んだの。

そのくらい前夜は体調がひどかったの。

介助さんも、心配してくだって

「明日雨で寒いって言うし、無理しないでね」

と言ってくれてた。


でも次の朝。

「わたし、どうしたい?」と、胸に聞いて。

「大丈夫。今日は、幾日も前から前からずーっと楽しみにしていた講演だから、

行くのをやめるのは、いやだ。行きたい。」

だったから。


そしたらね。

ぜんっぜん、咳が出ないのよ。1回もでないのよ。

行きの道でも、会場でも。

出てから帰ってくるまで。

たぶん、全霊の全力で、お話し、この場を、逃すまいと、

「聞くこと、見ること」に、場に、ただ集中をしていたから。

楽しくって。(だってネットの世界が立体の生でいらっしゃるんですもの!(^▽^))


なんて今日、ここにいて、来てよかったんだろう、
なんて今日、うちにいてテレビ見て過ごしてなくてよかったんだろう、
と、ただただ、感じていました。


さて、あと一話、
シンクロを感じた
「昔、女性は神様で、、、」と、神話になぞらえたお話しの部分。
<神話編>。
あわてて書きたくなくて、
書くのがすごくゆっくりですが、またUPします!
②に続きます!



ーーーーちょっとCMーーーー
出演します☆


<土と種からはじまるライブーまあるい月とはるのうた>
日時 2016年 5月22日(日)開場11:30- 開演12:00
場所 イタリアンレストランサルベージ
(埼玉県秩父市宮側町8の4)
チケット 2500円 (畑の自家製野菜イタリアンランチつき)
★限定35席
出演 ソウマヒカリ(横笛と鈴による即興演奏)
朝霧裕(うたとお話し)
奥野裕介(ギターとうた)
ご予約 0494-22-6227(サルベージ)


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皆様へ☆彡


お元気でおすごしですか。

このブログからも、主にFBからも、繰り返し呼びかけさせていただいた


彩の国ゆめコンサートクラウドファンティング 開催費80万円

ご寄附呼びかけのチャレンジ


なんと!!!!!!


クラウドファンティングチャレンジ終了日時4月25日23:59:00 の

40分前に!!!


達成いたしました!!!!!!


モーションギャラリー

<彩の国ゆめコンサートクラウドファンティングチャレンジ>

https://motion-gallery.net/projects/sainokuniyumecon


クラウドファンティングには、そもそも「寄付行為の考え方」

「クラウドファンティングサイトの手数料への価値観」その他、

多くの方々へ呼びかけを行ったとき、まさに十人十色の、個々人のお考えがあります。


今回も、ごくごく少数ではござましたが、

「熊本が大変な時に、今やるべきことではないのでは?」

というご意見も、直接にいただきました。


ですが、これは、

「わたしのやりたいことをわたしがやりたいと言ったとき、そこに共鳴者はいるのかどうか」


「いままでの、ごくごく内輪の身近な応援者たち」

「気心の知れた仲間たち」

以外の 「本当の不特定多数」 に

これまでにとったことのない手段を以て

「このコンサートに開催費くださーい!

そしてもちろん、当日も 会場に きてくださーい!(^▽^)」


呼びかけたときには どんな結果になるのだろうか


わたしが わたしを 試してみたかった というチャレンジでもありました。


何度も何度も書いていますが、


私自身は、講演やコンサート、エッセイの執筆など、

表現活動で謝礼をいただくことももちろんありますが、

生活保護も現在受けながら、24時間の介助を受けて、生活をしている重度障害者です。


日常の生活が、

多くの人の助けを得て

人様の税金から成り立っている社会制度を得ることで

死なずに済んでいる人間なんです。


ですから、

「そんなやつが、地域のためにチャリティーコンサートなんて、バカ言うな。

自分が、社会自立できてない人たちが。」

というご意見も このゆめコンに関しては

毎年ございました。


ですが、日ごろ、人の助けを得て生きている私であり 多くの、このコンサートにかかわってくれた

障害当事者の仲間たち

私たち だからこそ

常にチャリティーの対象者 受け身 待つ姿勢 助けられる ばっかりではなく


いや 実際 ほんとにほんとーうに 助けていただくばっかりなんだけど!(・▽・)


たとえば、 もう死ぬほど体に無理をかけて努力 努力 、、、、努力は、いいことなんだけど

それが「苦しみ」「過労で入院」「過労で障害が進んじゃった」と

ほんとうにそうなってしまうような 苦しい努力 じゃなくて


楽しく 自己犠牲ではなく(これは、私たちの場合であれば、こころももちろんだけど、

一番は、「体力の無理」をするなということ。)


自分たちにもこれならばできるという、

「楽しい 努力(?) 楽しい 集中力」で 社会に参加する。


わずかでも 社会の担い手になる。


そこに夢を持ったって いいんじゃないか


だって障害を持つわたしたちだって


生活保護を受けていたり 低所得に暮らしている人だって


人間なんだから。


やりたいことをやりたいって言っていいんだ。


社会の循環に、自分たちも参加したいという願いを持っているんだ。


生きる場所が今、ないんだったら


自分で作る。


この願いに、「一緒に乗ってくれる人いませんか?!」と、フルスピードで年ごとに進化してゆく

SNSや、クラウドファンティングという手段や、

ブログ配信であったり、

新しい手段を使って

言い続けたら 何が起こるか。


見たかったんです。


そしてコンサートを通じても


共鳴してくださる方々といっしょに、見たい世界を 自分たちの手で 作って、見たい!

と思っています。


よかった、今だから言うけど、結果を出したかったです。


願えば叶う。


っていう、ただ この一言をこのブログから書きたかったです。


そして、二か月前、彩の国ゆめコンサート実行委員会のゆうちょ口座は残高16円でしたが、


クラウドファンティングチャレンジ1か月半掲載をして


最初の一か月で11万円


ラスト2週間で70万円 集まりました。


しかも今年は初めて コンサートのために わたしが街へ出て

多くへ足で(人に会って)準備段階にして駆けずりまわったんじゃなくて


わたしは、メールはたくさん打ったけど(呼びかけのために)

波及が波及を読んで


わたしは家にいたのに、


「このコンサートを絶対に開催してほしい、当日見たい、

だっこさんや仲間たちにもっともっと歌う場に出てほしい!」


「多くの障害を持つ仲間のためにも、あなたが、まず、先陣切って前に出ていてください、

もっとライブの場を広げてください。

応援します!」


と、チャレンジして嫌われるどころか


本当に多くの方が ご自身のお力でさらにさらに広めてくださり、ご支援くださました。


本当に、達成!!!の瞬間に、たくさんの方から


「すごい!感動!びっくり!!!!」とメールをいただきましたが、


誰よりも、わたしと、コンサート実行委員長の大野さんが、びっくりよ!(・▽・)


こんなにも応援していただけるとは、思っていませんでした。


だって、応援金額を80万円に設定して、2週間前まで11万円だったんだから。


最終日の4時間前まで、あきらめかけてたよ!


みなさん。


わたしも、やってみたら、わかったよ。


この世界は お金じゃないけど お金なの。


でもお金だけど お金じゃないの。


「何かを成し遂げること」に際してきっと一番素敵なことは、


人の思いが、たしかにそこに 響きあう っていうことです。


「人の思い」って、目に、見えないはずのものでしょ?


でもね、「思いの波」みたいに、総勢100人くらいが、今回はこのクラウドファンティングチャレンジであり、(サイトのページね!最後の寄付額の、動いていた、リアルタイムの、あのところ!)


コンサートの当日の会場であり


一点の場に集約されると 見えるのよ。


その 思いの集合の


さらに 出力端子が 歌う人のうただったり ギタリストのギターだったり

絵筆もつ人の絵だったり


「表現者である(当日うたったり奏でたりする)わたしたちは、

結局は、みなさまの媒体。」


という想いが私は強い。


皆様の集合意識の出力端子。みたいな感じ。(・v・)


それでね、あといっこ、やってみておもうことは、願わくば、

来年度もう一回 お金くださーい!ってやりたいかっていうと


次年度は次年度の新展開があることにまた想いをかけて

「まったく同じことを同じやりかたでもう1回」って できればやりたくなくて


彩の国ゆめコンサートに関しては、今年9回目と


最終回10回目


まず9回目はこれから、企業協賛で長年助けてくださった企業様や、

クラウドファンティングは参加できなかったけど、当日ふつうにお客さんで行くからね!という方へ また チケットの販売をして


会場費用 チラシ・チケットつくり 出演者・共演者への交通費 クラウドファンティング御礼のCD製作費(これは、枚数が少数だから手作りだけど(・v・))

発送費 などなどを すべて出して


チャリティーも必ず出して


それでもまだそれ以上にお金があったら(たぶんそこまではないけど)


10回目の会場費の一番最初の予約時に払う

最初の実費だけは準備金、出るといいなあ(;v;)

(開催年には、

私が、最初のそこだけは1回建て替えたりもしていたんだけど

(5万円くらいを)

毎回 死ぬ思いだったんだもん)



今時点で 思っていますが、


ただとにかく


やりたいことを 辛く苦しくではなく


共鳴者が集まることで楽しく叶える


それでどこまで何ができるかの 人生は、実験です。


第9回 彩の国ゆめコンサート クラウドファンティングでもたくさん席数が出て


実はもう100席位 出ておりますが


それにしてもあと200席はございますから!!(・▽・)


ぜひとも皆様 引き続き、応援よろしくお願い申し上げます!



彩の国 ゆめコンサート発起人 朝霧 裕

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