私たちの面会日はいつも金曜日の夕方でした。この日も5時からだったと思います。

息子と息子を連れて来てくれるボランティアのB夫婦はもういました。それから女の子がいました。

息子は私をみると嬉しそうでしたが、やはりボンヤリしていました。きっと病気で疲れやすかったのだと思います。いつもヨレヨレの服を着させられていました。
女の子の方はまた父親と会っていました。私はその父親が何をして子を離さなければいけない状況に追い込まれたのか知りません。まだ金曜日に面会していない事を願っています。

息子は日本語が第一言語で私と話す時は日本語でしたが、英語しか話してくれません。何度もB夫婦(TとJ)の方を見ていたのできっと彼等に何か言われたのだと思います。私もB夫婦が私達を監察しているのは知っていました。

私はいつもの様にトイレ大丈夫?と息子に聞き、二人きりになる事ができました。

トイレの個室で私はただただ呆然としました。

息子が下着を着ていないのですから…

私は会話の記録を残したかったので動画で撮っていました。これは前に上げたサイトで学んだことです。とにかく証拠を残す事です。

頭が真っ白になりましたが、息子に

「どうしてパンツはいてないのかな?」

と聞くと息子は

「ブラザーにはかなくていいんだよって言われたんだよ」

ブラザー⁇

息子は里親の家には他にも子供がいてブラザーと呼ぶように言われていると説明してくれました。

私は何が何だか分からなくなり、泣きそうになりました。一体、何が起こっているんだ?同時に下着を着ていない息子が不憫で仕方がなくて、悔しかったです。前日の裁判で弁護士さんが息子がオムツをはかされているくらい傷ついている事を裁判官に訴えてくれたのです。私の思い過ごしかもしれませんが、息子のケースが私達に有利になってきたので嫌がらせをさせたような気がしました。

あっという間に息子と別れる時間になりました。私は息子に

「もう少しでママとダダが迎えに行くからね。」

と言い、泣いてしまいました。

先に車に乗っていたJは私の泣き顔をみるなり、嫌そうな顔をしました。

息子は「bye」とだけ言い、それをJが聞くと嬉しそうに

Good job!

とジェスチャー付きで言ったのです。

何となく違う息子…

私は息子が児相や里親に洗脳されている、と感じました。

車に戻ると私は夫に息子が下着をはいていなかった事、ブラザーと呼んでいる子がいることを話しました。私は泣きながら続けました。

多分ね、児相が洗脳しようとしているんだよ。

バックグラウンドチェックは以前、私が日本語通訳者がいないと嫌だ、とか言って延ばしに延ばしたのだ。よりによって息子との面会前。裁判、翌日のことだ。

12時に近くの図書館で待ち合わせをし、館内のミーティングルームを使ってバックグラウンドチェックが行われた。夫と私のそれぞれの家族構成、両親の仕事や兄弟のこと。そして息子が背中にアザが出来たと思われる時のことを聞かれた。
日本語を通訳してくれた男性は日本で日本語を学んだこともあり、日本語が上手だった。

私がネットで集めた情報とは違い、特に私達を徹底的に陥れようという内容ではなかった。だが、とにかく言葉を選び相手に誤解を招くことがないように気を付けた。
ネットではイラストをみせられ、これが何にみえるか、など結構、本格的な心理学を使われてどうにか粗探しをしようという児相の思惑がみえた。なのでペンさんにバックグラウンドチェックは文化が異なる私には不利なのではないか?と聞いた。弁護士さんはどういった事を向こうが聞いてくるか分からないけど、断れば児相の思うツボだよ。と言われた。発言は最低限にしよう、と再確認した。

息子との面会については人生で一番の屈辱を受けた日と言っても過言ではないのといまだにやはり辛いので次回に書きます。

当時の事は写真や動画、録音でも記録を残してあります。
かなり久しぶりの投稿になります。記録として残したいので何とか続けたいです。

裁判当日までは書類をとにかくまとめ、ファイルに入れた。夫の職場のソーシャルワーカーの方が家の私達が住む州基準のセーフティチェックをしてくれ、その書類も提出出来るようにしてくれた。やるべき事はやった。

そわそわしながら早めに裁判所に行くと弁護士さんはもう着いていた。私達は個室に移り、策戦を練ることに。すると、弁護士さんが少し声を荒げて

「実は今朝に児相側の弁護士からやっとメールがあったんだ」

と切り出した。そして

「ITPという病気について知っている?」

と続けた。

ITP?初めて聞く単語だった。

弁護士さんはITPについて資料を渡してくれ、簡単に説明してくれた。ITPは突発性血小板減少性紫斑病という原因不明の病気だ。症状は主に出血しやすい、アザが出来やすい。のちに知った事だが、虐待に間違われやすく、私達と同じ様に児相に子どもを取られた親もいる。
弁護士さんと少し裁判で聞かれるであろう質問と返事を練習し、私と夫は待合室に、弁護士さんは児相側の弁護士さんと話し合うことに。

待合室には沢山の人がいた。
どことなく不安そうな顔をみんなしていた。
また児相がね…とポツリと話し出したおばあさんがいた。
親権争いの人や私達のように児相関連の人。気が重くなりそうで私は廊下で待つことにした。その日はよく晴れていて窓からみえる景色が綺麗だった。

するとケースワーカーMとB達の姿が見えた。

「とにかく母親の監督不届きにしちゃえばいいのよ!」

などと、何が何でも私がきちんと子をみていない、とでっち上げようと廊下に響き渡る声で話していた。

そして私が外国人であるので見下した発言もしていた。

あちらが私がいる事に気付くと

「ちっ、母親が聞いてたわ」

と立ち去った。

すぐ様夫に話すと夫も聞こえたようで弁護士さんが来た時に話してくれた。

一時間か二時間は待っただろうか?

その間にトイレに行って気を紛らわしたりした。

したかった…

「私が行った面会が全て行ってなかった事になってるの!」

スーツを着ておそらくpro bonoで戦線しているあろう女性は悔しそうに電話をしていた。

私は声を掛けたかったが、心の中で頑張って、と言った。

やっと私達の順番が回ってきた。

弁護士さんは児相側の弁護士、息子の弁護士(GALと言われ、離婚裁判でもつくかと思います)、そして裁判官とも話しをしてくれていたので私が発言する事はなかった。
私は席に着くなり、息子の写真が入った分厚いファイルとメモ用のペンをテーブルに置いた。その時のケースワーカーMの驚いた顔が忘れられない。きっと彼女らは私が外国人で法に疎く、何も出来ない女だと思っていたのであろう。
裁判はあっけなかった。裁判官は児相が息子がITPを患っていることを隠し通そうとしたことに苛立っていた。しかし、所詮家裁の裁判官はただのお飾りだ。児相が判断力を持ち、裁判官は児相の意見に逆らわない。

今回は残念なことに息子が帰還することは許されなかった…しかし、私は確実に手答えを感じた。

次の裁判に持ち越されることになった。

弁護士さん曰く、裁判前の話し合いでケースワーカーBが意地でも息子は返さない!という態度だったようだ。このケースワーカーBは人を陥れたり、人が困っているのをみるのが好きなようだ。

翌日は息子との面会。
私は「面会」が嫌いだ。
母親として全てを否定される屈辱を味わう。
息子の寂しそうな表情…別れる時は胸が裂ける思い。私の言語力では表せないが、とにかく色んな感情が混ざり合い母親なのに当然のことが出来ない自分に苛立ち、また息子を想うと頭がおかしくなりそうだった。

Everything has a meaning to be happened. とか神様は越えられない試練は与えない、とか言うが、ふざけるな、としか思えない。こんな事は起こってはいけないのだから。