人馬ともに、幸せな最期。 | お馬さん日和

お馬さん日和

2018年まで一緒だった黒い愛馬との思い出と、
2019年から一緒になった白い愛馬とのこれから。

あと、ヲタク少々。

12月13日 土曜日

乗馬クラブでも古株の、24歳になる白い自馬くんが亡くなりました。


朝飼いをやろうと見回りに来た先生が発見したそうです。
夜飼いを残さず食べ、水もたっぷり飲み、ボロもいつも通り、
敷かれたオガに乱れたところもない。
倒れた時に作ったであろう顔の傷だけで、
馬体にはひとつも傷がついてない状態でした。
つまりは疝痛とかで苦しんだ形跡はない。
2日前には乗り運動して、前日には放牧場でのんびり遊んだあと
馴染みの会員さんにキレイに手入れしてもらってた白い自馬くん。
病気や疝痛ではなく、心臓麻痺か何かの突然死だったかと。
だってね、寝顔がとても穏やかやったんです。
きっとあらかじめ彼に決められてた心臓の鼓動数を
全うして眠ったんやと思います。



競技会で一緒に活躍してたオーナーさんの娘さんが
進学で東京に行ってからは、
オーナーさんとお散歩したり草刈りに行ったりお友達を乗せてあげたり
ゆったりした生活を送ってました。
時々娘さんが帰省した時はこうやってきちんと運動もして。

優しい馬でした。
食いしん坊な馬でした。
だから天国に行くまでに道草食いまくって
なかなか辿り着けないやろうね、って話になってます。


そして、こんなに穏やかな最期の馬を見たのは初めてでした。
馬の身体構造上、彼らに「寝たきり」という選択肢はないので
多くは安楽死で最期を迎えます。
苦しみを長引かせず楽にさせてやることが出来ますが、
オーナーをはじめ獣医やクラブスタッフなどが
「辛い決断」をしなくてはなりません。
この白い自馬くんは、オーナーさんに「辛い決断」をさせなかった
オーナー孝行の馬です。
住み慣れた自分の馬房で、周りの馬たちにお別れを言って、
オーナーさんに心配かけないように誰かが来る前に、
と旅立ったんかな。
人にも馬にも気遣いの出来る馬やったからね。
土曜日やったからスタッフさんみんなと
たくさんのお客さんが見送ることが出来たし。
用事があったのにわざわざ時間を作って来て下さった方もいました。
それだけ彼がみんなから愛されていたということですね。


馬房も放牧場も隣やった鹿毛の馬くんは、
その日一日ずーっと鳴いてました。
仲の良かった牝馬ちゃんは、
朝夕のふすま粥(全頭大好物)に口をつけず
乾草もちょろっとかじるくらい。
運動馬場に放牧した我が家の愛馬くんは、
いつもはひと暴れしたあと
出入り口でウロウロして早く馬房に戻せとうるさいのに、
白い自馬くんの放牧場の前で突っ立ってじーっと見つめてました。


愛馬くんとこっそり同じところに放牧させたりしました。
一緒に外乗散歩しました。、
もっともっと色んなことして遊びたかったけど、
でも白い自馬くんが亡くなったことに関して後悔はありません。
何度か馬の死を経験してその度に
「ああしてやれば良かった」という思いが残るんやけど、
彼には笑顔で「良い馬生やったね、天国でも元気でね!」
と手を振ることができました。

自馬を持つこと。

それは、乗馬クラブにいるお気に入りの会有馬や
新馬調教で育てた馬でも得ることの出来ない「何か」があります。
競技会でブルーリボンを取る。
気ままな外乗に出かける。
乗馬技術を向上させる。
自分とその馬だけの約束事が作れる。
朝目覚めると庭先からの愛馬の嘶きが聞こえる。
上げればキリがないほど良いことはたくさんありますが、
最期を看取らなければならないという思いが
常に頭の片隅に置かれてます。
その馬の命をどうこうする選択権を持つのはオーナーなのです。
金銭面でも、
乗ったり手入れしたりする体力面でも、
底なしの愛情をかける精神面でも、
最期まで面倒をみる覚悟がいるのです。
私もその覚悟は持っているつもり。
って、こんなこと書いておきながら
明日にでも落ちてきた隕石が私の頭にぶつかって、
愛馬くんより先に逝ってしまう可能性も無きにしも非ずなのですが…。


白くて大きくて優しくて、みんなに愛された彼。
道草食べながらで天国への道のりは遠そうやけど、
天国では仲間たちとルンルンしながら走り回ってくれるかなぁ。

いや、「ねぇ、こっちにおいしい草があるんだよ、おいで」って
親切に仲間たちに教えてみんなで食べるんやろな。