世間様の LOVE SONG について   part FIVE  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

   
   
終日、パソコンがないところや
ケータイ画面なんて覗く暇もなく仕事をしている人には困難なことかも知れないけど 
西暦2007年5月現在、いま日本の世の中のインターネットで流行っているブログというもののうち
自分のお気に入りのサイトも含め、いろんな方のページを ぜんぶ読みきることは大変だよな。
最近の俺は自分以外の人のブログを読んでいて
コメント欄には あまりお邪魔することはないものの 
わずか数行であろうと、ひとつのページを何度も読み返してしまうことも多いので 
いつのまにか5時間も6時間も経っまってることもある。
贅沢といえば贅沢かも知れないけど
それ以上に何かを書いている時間も長いので
ある種の気分転換とか 
たくさんの人の日常から、現在の“日本の今”を知ることで
自分自身の現在位置の確認や軌道修正にもなる。
そうした中で、
「へぇー、そんなことってあるんだぁ。」
というほど、男と女しかいない、中間は ありえないはずの世の中でも、
誰かと巡り逢って人生が変わってしまった人の内容もある。
いろいろある。
恋をする。恋愛。誰か人を好きになる。忘れられない。いてもたってもいられない…
そういう話は、ロックンロールやR&Bの音楽の世界以外にも
ラヴソングやバラード、あるいは大勢のブルース・アーティストにも歌われ
シャンソン、ボサノバ、タンゴ、フラメンコ、オペラ、バロック、
クラシック、ジャズ、アイリッシュ、フォーク、カントリー、ゴスペル、
レゲエ、ファンク、ラップ、ヒップホップ…
そういう…洋楽も邦楽もジャンルを問わず、俗にいうメッセージソングや何かの諷刺などとは別に
今を生きている人間の世界にしかない、あるひとつのドラマとして
映画や舞台、文芸や絵画の世界でも様々に表現されてきた。
んで、そういうことは時代がどんなに変貌しても 、 
誰がどんなに何者からかの束縛や迫害を受けたりしても 
どこかの国の国境の向こうで何者かの果敢無き思想支配があろうとも 
戦争も紛争も侵略も経済的な干渉も、都会の人間社会の歪みの中で、犯罪やテロばかりか、
残忍残虐な略奪行為や血で血を洗うような争いが相かわらず、どこでどう繰り返されようとも 
刹那さ傷心あきらめ切れない想いも 含めた 
恋愛。胸のときめき は 
いつの時代も人間に与えられた自由。FREEDOM 。 
そこに人種や言語、方言や風習がどうあろうとも、
言葉を交し、愛を育ませることを知っている人類というものに、
これほど公平に与えられた自由はない。
なのに、そういう相手が今、現実にいない…などという人もいる。
これはいったい、何によって破壊された人類の悪…なのか?  
恋愛経験がない人が悪人ということではない。)
   
   
   「ストーンズ・ファンには美人が多い」 その理由。 
 
 むかしから謂われてることなんだけど、
 The Beatles 派と、The Rolling Stones 派っていう、
 どうでもいい比較や巷一般庶民の中にアホくさく芽生えてしまう対立意識…
 体育会系のノリとかスポ魂 vs オタク・ひきこもり・ガリ勉・ガッツのなさ・アソコが不能? 
 という感じで、ストーンズってのは、どちらかというと
 俗にいう不良とかワル、ならず者、放蕩…んまぁ、そういうイメージの枠にくくられがちだった。
 ところが、あのグループ、バンドメンバー(現在は4人組)の過去や
 様々な伝説がどうあろうと、日本人においても、ストーンズのファンには
 中途半端なヤツってのが、あまり少ない。
 女は女、男は男ってのがハッキリしている。割とな。
 …なにを比較しても意味ないんだけど、まぁいい。
 比較しては申し訳ないけど、世間様では他人と自分の比較が好きな人も多いようなので
 そういう低脳な大衆意識にあわせて俺も云う。云わせてもらう。
 単なる偏見ではなく、情け深い皮肉屋としてのバンソウコウ・モードで書く。
 たとえば、
 「ストーンズは知らなくてもビートルズは知ってる」
 というような人。 
 これもまぁ、いわゆる、The Beatles 派の類いだな。
 気合。本気。徹底的。ポジティヴ vs 目先鼻先、その日暮らし、その場凌ぎ、ネガティヴ。
 素直。やるときはやる vs 「やればできる」と思っている。でもSEXは拒絶せざるおえない。
 「カネもらったら素人じゃねぇんだよ」 vs 生業、やっつけ仕事、ヤル気なし。
 ホンモノ志向なプロ意識 vs 「あの頃はヨカッタ」的なノスタルジック志向の巣で燻る。
 身も心も前向きに開放的 vs 今日一日も明日には過去への拘りになる。想像力が豊かでない。
 転がりつづけ、いつまでも現役 vs 死人が多く、再結成や再生も不可能。
 回らないカウンター寿司 vs 回るファミレス・フランチャイズ。

 んまぁ、“全人類、世界のストーンズ”と、日本人にとっての、び~とるず
 ってのはそんなもんだ。俺の中ではな。
 
 昨日、今年 小学一年になった子供に平仮名の種類を説明して思ったんだけど
 『ヤヰユヱヨ』の行に今の時代はもう、「ゐ」と「ゑ」がない。
 そんな文字も、ほとんど遣われなくことがなくなった今、
 俺の子供はいろいろと楽しく興味あって、
 かつては、「や」と「ゆ」と「よ」の間にあった「ゐ」と「ゑ」について知りたがる。
 本人が想像して云うには
 「ぬ」に似ている「ゐ」。「る」が泳いでるような「ゑ」。
 俺の解釈になると、
 “ゐぬ死に”の「ゐ」。そして、黒船来航時代から引きずってる開き直り日本人常識の、
 「ゑぇじゃないか!」の「ゑ」。戦後日本経済の猿マネ、猿まわしの、“ゑて公”の「ゑ」。…など。
 
 そうした中で、「う」に点々をくっつけて「Vu」と発音する、「Vヴイ」の「ヴ」。
 それを平仮名で「ゔ」とする遣い方や表記も、あまり少ないものの、
 「グルーヴ感」だとか「ライヴ」という言葉の語尾にある「ヴ」としては、今も大勢の日本人が遣っている。
 ライブは「Libu」「LieBoo」ではなく、「Live」としての、ライヴであって、
 この「ブ」と「ヴ」のちがいは非常に大きい! 
 「らいぶ」の「ブ」は、ブスの「ブ」、デブの「ブ」と同じで、「LIVE!」とはチガウ。区別がある。
 「ライヴ」というのが、本格的で格式高く、なんか洗練され、
 生まれながらに持ち合わせた能力、才能を発揮するためのセンス、バランス、タイミングとしても
 「LIVE!」の「VE」は「ヴ」として〆た方が、魂が磨ぎ澄まされた感じがする。
 「ライブ」。これでは、フヌケだ。
 
 グリマー・ツインズという作詞作曲者名の二人組み(ミック・ジャガーとキース・リチャーズ)
 によるペン、ソング・ライティングでは
 かつての波乱万丈な生涯を送ったハリウッド・スター、スティーヴ・マクウィーンを題材にした、
 Star Fucker とか、 
宗教の戒律が、“人間の神聖なる性”の部分を俺なりに諷刺した物語 のタイトルにも拝借した、
 All The Way Down など、
 誰かが喜ぶチカン電車とは別に、都会に走る列車のうち
 女性専用車両がどーしただの、人権やセクハラ、ピンクのヘルメットと市川さんがだんだのなんだの、
 最近の人類社会における過剰なまでにシツコイ感じの男女平等思想の狭い枠にいる連中からすると
 単に「女性蔑視な表現のある歌…」などという貧弱な叩かれ方はあるにせよ、
 ストーンズの二人は、人間の女、女性というものを馬鹿にしているわけではない。
 田島先生には ご理解いただけない話かも知れないけど、
 この世には常に、(本来は)男と女しかいないはずで
 そこには、いつの時代も人間に与えられた自由。FREEDOMがある。
 それはまた、Tetsuya Itami という日本のアーティストのソングライティングにも確かにあり、
 たとえば、
 MISS DIAMOND RING  
 という歌などは、
 「おい、ちょっと待てよ」「なんか、ちがぁねぇか? ちょっとヘンだぞ。 」 
 「それじゃヤバイんでないの…? 」 
 てな感じで、今の世の中にどんなに屁のような「ラブソング」が流行っても
 Love Song を単なるラヴ・ソングとしては歌わない。
 完成などありえない人間の成長。常に変化を追い求め、転がりつづける“本気さ”がある。
 そういう(?)The Rolling Stones や、
 昨日が40何回目かの誕生日だった我等がシンガーソング・ファイター、
 Tetsuya Itami の演っていた闘いってのは、「LIVE!」。
 http://ameblo.jp/badlife/entry-10033883007.html  May 18, 2007 
 気合がちがう。本気だ。…おそらくは、今後も
 
 The Beatles は、既に解散後のメンバーの半分が死んでしまって
 林檎に突き刺さる棒がどうあろうとも、ビートルズとしては、
 「LIVE!」ができる現役ではない。
 よって、現役バリバリであっても、
 「ストーンズは、よく知らない」
 というようなケツの青い連中がやってることは、ブスの「ブ」、デブの「ブ」を表記しているだけの、
 「ライブ」。…でしかない。
 だから今日から、あなたも ストーンズ・ファン! 昨日までの Tetsuya Itami 不安?ではないっ ! 
 ん? なんかチガウ? 
 誰が何を反論しようと、言い逃れしようと、その程度なもんだろ。
 実際、今の時代の日本のミュージックシーンなんてもんわ。
  詳細 ☞ The ballade as natural revolution  http://ameblo.jp/badlife/entry-10033920880.html
    
 んで、
 「Love」、“人間の愛”というものも、そういうフヌケ感覚で日本語にするところの
 「ラブ」ではない。
 「ラヴ」だ。「V」の「ヴ」。なぁ。
 「ラブ」の「ブ」では、「ブス」の「ぶ」、「でぶ」の「ブ」。「ブー垂れ」や「ブートレグ」の、
 「B」の「ぶ」になっちまう。
 べつに、いつになっても、“彼氏デキナイさん”や「結婚しないワ・タ・シ」の人たちが
 なにか申し合わせたように、グレーのユニセックス仕様なジーンズを穿いていてもワルクないんだけどさ、
 http://ameblo.jp/badlife/entry-10032595081.html
 俺は、この世に産まれる以前、母親の胎内に存在したときから既に、
 男なので、10代20代の頃 にはハンパにナンパだった時期もあったにはあったけど
 スカートを穿かない女と結婚して スカートを穿かせた男 。 一応な。
 なので、「Love Song」と、「デブ・ソング」のチガイも判る。
 今の日本のミュージックシーンで流行ってるようなのは、デブ…じゃなくって、ラ・ソング。
 BUSU の「ブ」の類いだよな。あんなの
    
 でもなぁ、本来の、自分の子宮の位置がしっかりと安定した母親、お母さんのお腹の中で
 正常な胎児として10月10日を経て、この世に産まれた人間という“条件 ”はつくものの、
 人間には、ブスとかデブってことは、ありえねぇことだったんだけど
 いかんせ、今はもう、育つ場所がちがう。
 教育による母体の破壊、自然界の破壊、人間の営みのあらゆる“あたりまえ”の破壊。
  詳細 ☞ http://ameblo.jp/badlife/entry-10025653644.html
 これについて、今の時代の人間が人間についてを正しく認識できるのなら、
 この世に、ブスもデブもいなくなる。
 まぁ、そういうこった。
 
 
 そしてそういう俺は、ストーンズのBootlegCDにある、
 幾つかの飾り気ない歌を楽しげに歌っていた人の音を想い浮かべながら
 この自然界に今まだ残された人間の役割に責任のようなものを感じ
 田んぼの整備作業をする。
 
 今日の一曲、
 
 Keith Richards で、
 
     Hit the Road Jack!  ☚ クリック一発! 
 
 映像の方はどうでも
 この演奏は、オフィシャルな音源ではないんだけど
 1982年7月、ナポリ。…ツアーの際に泊まったホテルなのか? 
 ホテル・ネグレスコの Suite Room におけるセッション(?)のうちの一曲。(他に Will You Love Me Tomorrow 6分30秒などがある。)
 ブートレグ業界では一流メーカーっぽく気取ってる 、The Swingin'pic レーベルの発掘音源。
 もともとは Ray Charlesヒットナンバー で、
 http://www.youtube.com/watch?v=Q8Tiz6INF7I
 それをラジカセだか何かをバックに、キース・リチャーズがギターを弾きながら歌ってる。
 たぶん、酒の瓶も一本か2本空いたところで、
 その場に居あわせた連中の誰かと盛りあがってる感じなんだけど
 こういうのも、普通のストーンズ・ファン(日本人限定)でも知らない…かも知れないけど 
 今の腐った日本のミュージックシーンには絶対にないスピリットだ。
 
 scene from "Ray"..the birth of Hit The Road Jack  you tube 2007may
 
 映画『ブラックレイン 』で、“What'd I Say ”を熱唱していた Ken Takakura なら判ると思うけど
 世の中、必ず男と女がいて、歌もあれば踊りもあって
 そこには、いつかどこかで、誰かが惚れた晴れたの極限状態もあれば
 身近な女 や熱烈なるファンの熱狂(1966 )よりも
 音楽そのものを愛した人間の人生 (☚)もある。
 
 
 やるっきゃねぇだろ。男なら。女なら。
 
 その人生の軌道修正、俺が手伝ってやるよ。
 
 てとりあしとりは無理だけどな。