園田塾 第6期生  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

 
    
かつて、27歳まで俺がやってたっていう
芝居のレッスンというのは毎週日曜日、正午から夕方7時か8時くらいまで。
その他に、暇さえあれば、中野や高円寺、新宿南口近くにあった芝居小屋に
当時の仲間連中が出る舞台を観るのが好きだった。
新宿の永谷テイク8っていうビルの一室がレッスン会場で、もう一つ、
スタジオ船越っていう、これも靖国通り沿いにあって、
別の曜日はヨーガ教室とか、ダンス・レッスンの会場にも使われていた。
今でもあるのか俳優の船越さんのビルだったと思う。
テキストは、向田邦子さんの『冬の運動会』とか、
倉本先生の『前略・・・』とか、
そういう、演じる者同士の“キャッチ・ボール”を大切にした台本を使っていた。

    

“園田塾”といえば中には知っている人もいるかも知れないが、
講師陣は、『サインはV』や『がんばれロボコン』の奥中監督、
『ザ・ハングマン』の小西監督、日活系の小沼監督、斉藤監督、上垣監督
あと、俺がレッスンを受けた間に亡くなった三浦 朗監督、
…この人は塾生にも非常に人気あって、俳優の石橋蓮治さんと深い関係がある。
日活芸術学院では今も語り継がれる昭和の日活芸術の伝説の人・だよねぇ?
他にも色々いたけど、そういうマジメな俳優養成塾だった。
殺陣の授業だけは別業者で『極道ステーキ』の監督の処だったけど、
俺も殺陣や乗馬もちょっとはやってみたけど、カネがなくて先へは進まなかった。
だから、香港の怪しい通信講座でヌンチャクの回し方とか発声練習とか、
自宅(家賃¥3万2千のアパートの2階)で出来ることは何でも、
近所迷惑だったかも知れないが、毎日のようにやっていた。
デカイ鏡の前でデカイ声張り上げてな。
夜中には、スピーカーの音もデカクして、
毎晩のように、映画『レイジング・ブル 』を観ていた。
その頃の俺にとって、あれほど勉強になる演技、芝居…。
日本の映画は、黒澤監督のモノ以外は映画じゃねぇと思ってた。
 
 
 
 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
 レイジング・ブル
 
当時は群馬県高崎市が生活の拠点で、
なぜか“高崎太郎”って、俺は呼ばれてた。
教えている方は名前なんてどうだっていい。
“役者で生きるか死ぬか”そういう覚悟で取り組む姿勢の講師、
で、俺が煙草を吸うきっかけになった斉藤監督の一言、
「太郎!おまえ、役者になるつもりでいる奴が、
タバコの一本もロクに吸えないザマでどうする。今日から練習しろ。
それくらいは買えるだろ…」
そう云われた俺は、その日から嫌いな煙草をバンバンと吸ってやった。
って話は別のページにも書いてるけど、
いつも真剣勝負。いつでも現場で使えるように…というレッスンだった。
塾長がそういう人だった。
確か『Gメン』シリーズとか『キー・ハンター』で演出をやっていた人だったと思う、
園田実彦っていう名前の爺さんで、
それが本名なのか脚本家としてのペンネームだったのかは定かではないが、
樹木稀林さんとか千葉真一さんとか仲良しだったらしいが、
あの、
芸能ブローカー は、その名前は「知らねぇなぁ」と云っていた。
たぶん、写真か何か見せて顔が判れば「ああ、あのスケベジイサンな…」
などと云うと思うが、三浦監督も慕っていた人なので知らないはずはない。
いずれにしても本人は、俺が退塾届けを出した翌年に亡くなってしまった。
それでその園田塾は解散になった。
同期の奴等で、当時、役者を志す若者の間で流行りだった
NYアクターズ関連のスクール(?)へ流れた連中も何人かいたが、
みんな、どこで何をしてるのか映画やテレビの中の後ろの方にも見かけない。
何人か、舞台に目覚めた奴もいて、それはまだ今でも演ってるかも知れないが、
夢に追いつけない年齢と肉体のギャップを本人達がどこまで乗り越えられたか…。
特に”孤独感”ってのは、華が開かない段階では強敵だから、
世間の目や肉親の思いがどうあろうと、そのハードルを克服できない限りは、
役者ばかりでなく、どんな場合でも無理が利かなくなって、精神的にキツクなる。
これも実体験から云ってるけど、何も好んでそんな処に嵌って生きることもない。
芸術の世界で生きる“自由”ってのは、
自分で決めた場所ならいくらでも方向は変えられる・と俺は、実践からもそう思うよ。
つまり、自分の得意分野を見つければいいだけの話で、
頑なに「これだけだ」って限定してしまうのは、ある意味でスピリットを曇らせるぜ。
俺も今は“書くこと”を主体としてるけど、これを世間が認めてるわけじゃない。
またそれが、俺が死んでから認められようが認められまいが、そんなことは、
確固たる目的さえ持ち合わせているなら、そんなに気にする必要もない。
欲はあるよ。「自分で書いたモンが、いつかカネに還って家族を養えれば…」とも思う。
だけどそれは本当の目的じゃぁない。カッコつけてる訳じゃなく、
俺の目的は自分の追究。それによって一人でも多くの人間に“気づかせる”って仕事がある。
これは死ぬまで永遠に続くことかも知れないし、
死ぬまでにある程度は解決しないと死んだあとが困ることになる。
いま読んでいる人には意味が通じなくなってきてるかも知れないけど、
それはいつものことだ。
今後、もうちょっとは判りやすく、それなりに通じるようにはして行く予定だけど、
なんせ、今の時代のネット上。しかも、日本の中の一部の枠の中だけのネット上だ。
一本の電話回線で世界に繋がってはいるかも知れないけど、ほとんどゴミ溜めの中じゃ、
何を云ってもゴミと一緒かも知れない。
それでも俺は可能性を信じる。たとえそれがマイナスでも突き進む。
だからこの先、俺も生きる手段を変える選択に迫られる時がまた来るかも知れない。
それが何であっても本質は変わらない。代わらないし、替えられない。
「そういうバカが世間に一人いても…」とかって、
松本クンが下手糞にカラオケで歌う唄にもあるように、
いいだろ、俺は俺で。これで。