ウラ・遠憲・ファンクラブ Vol.1 | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

 
 
  
     仮題: 数字に追われ 本物を見失う人生  ~ 『 W K K K 』序章
 
 
 
ほとんど半分以上、アタマおかしくなっていて
有楽町のマリオン時計台の下、
仕事の待ち合わせをしていたある夏の夜、俺は、
「ここにいる奴等、俺以外は全員、空から降ってきた鉄の串に刺されて死ね」
と、もう人間ではないような顔(だったと思う)で、
辺りを見回してた時、一人の女が声をかけてきた。
「またお逢いしましたね」
なんの罪もないような、はにかんだ笑顔だったが、
俺はほとんど無視して数寄屋橋の方へ歩いた。
仕事の待ち合わせといっても、ゴールデンタイムのくだらんドラマの通行人の穴埋めで
「くだらねぇから、これも辞めるか…」と、思っていた矢先、
目の前にいたレゲエのオジサンが烏と会話していた。
スポンサーべったりの各局の下請けにいるテレビのドラマ制作会社の中には、
職業監督をはじめ様々に優れたスタッフも多いが、
”映像”を勉強したという学校出の作る内容は見栄えばかりで中身がない。
流行りの中で演じる役者も、一年中、似たような顔が似たようなドラマに出演しているだけで
誰の何のどんなヒット作が連発されようが、打ち上げで涙流して騒いでるのは、
この広大な世界中の、日本の中の都心の一部に過ぎない。
雇う奴も雇われる奴も港区のテレビ局の連中にへぇこらして、
プロデューサーから忠告を受けた撮影スタッフは
そのレゲエの人に缶ビールを差し出す。
俺はまた揉み消した吸殻を地面へ放り投げて、そいつらの指示で歩く。
「カメラ前に立つな!」
暗闇にそんな怒鳴り声が聞こえて誰かが謝ってる。
そんな生活を98年の5月から三年間やっていた。
別に、来る日も来る日も毎日がエキストラってわけじゃなかったけど。
仕出し屋の仕事はカネにはならないけど気分転換にはなった。
なんせ、大好きな映像芸術の現場だったからな…。
…だったんだけど、数字を追い回す連中とは仲良くなれなかった。
視聴率ってのが、そんなに重要か?
倉本先生の芝居(テレビドラマ)の本で『玩具の神様』ってのがある。
主人公の有名脚本化、その恩師が死んで逝く中で印象的な台詞。
「 -------- それをみんなで寄ってたかって…」
台詞にその前の件【くだり】はあっても、その先はない。
要するに、日本のテレビ業界をシニカルに、倉本先生ならではのタッチで描いている話。
いつまでも数字に追い回されてる人達の姿が浮き彫りにされてる。
”数字”という言葉はジャック・ニコルスンから借りたものだけど
あるインタヴュー記事の中で
「数字だよ。絶望的だ。しかも、対抗できる手段はない。
俺の生命は、生きながらにして数字に喰われてる」

と、そのあと、アメリカ・テレビ業界の”自由なTV”とか、
大手企業スポンサーの宣伝予算の無駄についてを皮肉っていた。
それは90年代はじめ頃だったから、そう云っていた本人もきっと、
役者しかやることがなくて、辞めずに、
あれほどのアカデミーの栄光(?)を獲得して現在に至ってるんだと思う。
それも並大抵の根性じゃないけど、
1990年、別の取材記事で、ジャック・ニコルスンはこうも云っていた。
「作品を通して人に刺激を与える。それができれば職人として
文化と社会に対する義務を果たしたことになる。
人が、自分の住んでいる世界に対する興味を常に持ち続けるように刺激すること。
芸術は人間が旅立つための刺激剤なんだから・・・」

ロマンポランスキーに鼻を切られた蒼白い顔の探偵が、
パート2では やに太り気味で少々心配にはなったが、
見事、カムバックしたデニス・ホッパー に並んで、 http://ameblo.jp/badlife/entry-10010302528.html
今もヴェンチュラ・ハイウェイの風に吹かれてる俳優、ジャック・ニコルスン。 
是非ともピーター・フォンダにもカムバックしてもらいたい・・・・。
 
 

 ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
 イージー・ライダー
 
 
 
見上げると映画『恋愛小説家 』のデカイ看板が、
ざわめく夜の街のネオンに溶け込んで見えた。
俺はその、銀座の夏の夜、そんなことを考えながら、また、
過去に堀田さんていう役者が云っていた言葉を想い出した。
自分が20代後半に役者を目指してた頃、ある撮影現場の待ち時間に、
冬の山中湖付近の別荘地でガンガンの火に当たりながら、
「ヤク者とヤクザは一文字ちがいだからな・・・」
と一言、呟いていた。堀田さんが。
当時、勉強中の役者では食えなかった身で、
時給¥1,300で水道配管工のバイトをやっていた俺に、
その会社の社長は、
「カネ貰ったら素人じゃねぇんだよ!」
と、教えてくれた。
その言葉も当時はよく使わせてもらった。
で、その二つの言葉はどっちも”数字”とは関係ない。
確かに、視聴率を追いかける本人達は、それで飯を食ってるのだから、
そういう意味では立場は変わらないかも知れない。でも、
「何のためにやってる?」
「自分が自分として生きてる確認ができてる?」
という疑問が頭から離れない俺としては、
「ホントウはこんなことじゃなくて、俺がやりてぇことは・・・」
というような他人の腹の中が視えてしまう。
テレビの連中ってのは、今にもそういう反吐を吐き出しそうな人ばかりに見えた。
そんなある日、
「この人、ちょっと違うぜ・・・」という役者さんに逢った。
遠藤憲一さん
三年間のトラ時代の中で4回くらい別々の現場で会って、
その度に一言二言、ちょっとだけ話す機会もあったけど、
遠藤さんは、話すより観ていた方が楽しい。
役者じゃなくても色々と勉強になる。
今も遠藤さんが出ているテレビだけは全部、観る。
真田さんのも全部、観る。
奥田さんも全部、観る(テレビだけね)。マムシの親分、カッコイイ!
赤い狐は回す。一回転、丸マル、チャンネルを回す。ジャイアンが嫌い。
でも福沢諭吉は何人いてもいい。漱石と野口くんはピン札がイイ。
「僕なんか川原乞食みたいなもんだから・・・」
と云っていた三國連太郎さんの芝居も面白い。
カネじゃ買えないモノを伝える心意気がヒシヒシと伝わってくる。
そういう意味では竹中さんも、一応は観る。
ナムを食べる人、またやって欲しいけど、スタジオで口笛は止めた方がいい。
あまり、ホオジロザメではない。(・・・口笛は俺の方が上手だぜ。)
スグに説教を始めるような年配の役者さんには次世代の役者を観て、
もう一度、若い頃の自分を取り戻して欲しい・・・と思ってしまう人も大勢いる中、
仮面ライダー・カリス変身役の”ハジメさん”。
あのメソードを取り入れた演技も、素晴らしい可能性に満ち溢れてる役者さんだと思う。
でも遠藤さんは全然、別格。
同じスーパーヒーロー・タイムで別番組が映画化された中、
あの悪役を演じる遠藤さんの”眼”には計り知れない恐ろしさと楽しさを感じる。
『実録・青森抗争』 (ワーキング・タイトルか?)というビデオ撮影現場が、
第三期の俺の仕事納めだった。
そこでも遠藤憲一さんの光る演技を目の当たりにできる。
だから(?)、絶対に負けないで欲しい。数字に。
勝負はハリウッドまで持って行ってほしい。
カンヌだとか、ベネチアだとか、それも総ナメにして、
日本のフヌケた映像業界をブチ壊して欲しい。
・・・遠藤さんにはそういうパワーを感じる。(俺はな)
だから途中でクタバったりしちゃダメだ。
遠藤さんがテレビの中、映画の中で昇っていく姿を観て、
俺は何度も励まされてる。
それは、武道館の矢沢永吉の姿を観ても、ローリング・ストーンズを見ても、
そっちはそっちで励ましてくれる。
同じように遠藤さんは、芝居という限りない可能性を職業として人間をやってる。
職人でも名人でもなく、”人間”をやってる。
なんか、俺の趣味のような話に流れてるけど(かなりな。)、好きな女優さんもいっぱいいるよ。
でも幸せそうな人は、まだ見たことがない。一人も。
「ウヘェ、そりゃぁ大変だろぉ…」とは思うけど、いないよ。なぜか日本の女優さんとか歌手には…。
隣の韓国には生意気にも国営のフィルム・コミッショナーの制度がある。
日本は、政府もアホを逆様にして柳の下の泥鰌を養殖してるくらいだから、
映像芸術の素晴らしさが判らない。
役者も、撮る側も、自分が本当にやりたいこと、造りたいモノを実現できない。
   
いつか、六本木のキャンティって店の前を散歩してた夜、
死ぬ三日前の伊丹監督の姿を見た。
赤いドアの向こうの店の奥で三人で坐って熱心に話をしていた。
一人は若い女性で、もう一人は外国人の年配の男の人だったと思う。
とは人生最期の映画である」と、テレビの中で言っていたことがある。
「まず宣伝するに足りる映画を全力で作ること。宣伝を上手くすれば
社会現象化するような映画を作ること…」
そう云っていた生前のご本人は、残念だったのか何だったのか、
(俺を含めて)馬鹿な日本人を相手にした映画を造って騒がれ過ぎたのか、
あるいは造り足らなかったのか・・・・。
北野監督がヨーロッパで認められた騒ぎの、そのスグあとだった。
「それはマズイだろ、一緒にやりたい人は後にも大勢いたのに…」
と、夜の六本木を散歩した三日後に、そう思った。
でも日本の女優さんはみんな根性あるから自殺はしない。
しないけど地獄から何度も這い上がったような顔で女優をやってる。
だから恐い演技はみんな得意だけど、
子役以外は“幸せそうな女の演技”というものも見たことがない。(吉永さん以外は
「あの人、どこへ行ったの?」と世間でヒソヒソ言われても、
本人達は必ず這い上がってくる。そういう宿命にある。
俺がこんな生意気なこと云っても、必ず這い上がってくる。
伊達に女優になったわけじゃない。それなりの覚悟があって生きてきた。
子宮が腐ろうが、卵巣にどんなに大きな腫瘍がのさばろうが、
乳癌に襲われて腕が不自由になろうが
、そんなことは女優とは関係ない。
ずっと長い間、商品として扱われては来たけど、にんげ・・・・。
もうやめとこ。誰も読んでねぇし。
 
 
 
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遠藤さん、演ってくれてます。
 ポニーキャニオン
 ショコキ!