「教育」としての音楽の意味について。*スエヒロの場合* | 末廣亜耶乃のトランペットとピアノまみれの日常

末廣亜耶乃のトランペットとピアノまみれの日常

トランペットとピアノの二刀流音楽家です。
音楽関係のウンチクを始め、
音楽に溢れた日常のぼやきを投稿しています。

「教育」としての音楽の意味について。
*スエヒロの場合*
ちょっと真面目に普段ややこしい言葉で説明されている事を、私なりの優しい言葉で綴ってみようと思います。

2011年~2013年までザンビアに在住していた
●アフリカ帰りのトランペット奏者、末廣亜耶乃(すえひろあやの)● です。



音楽って何で学校の授業にあるのだろう

この超ごもっともなストレートな質問
あまりにもストレートすぎて日本では私は聞かれませんでしたが、
周りまわって耳にしてしまったり しましたが
意外にザンビアでの方が普通に「質問」として聞かれたり(馬鹿にしてる、とかではないです

ここで「情操教育の一貫としてヒカリ3号 」という答えが学校の先生だったらまっとうなのかもしれません。
が、私にとって「情操教育って何
ここが引っかかり、もっとわかりやすい言葉で説明していました。

花 

「あなたの好きな曲は何ですか
「あなたの好きなアーティストは誰ですか

これを聞くと10人いたら10通りの答えが帰ってくる場合がある。
そしてこれはどれが正解、とかいうものではない。

これは皆さんわかるはず。

例えばLet it goだって今や色々な歌手が色々な言語で歌っています。
どれが好き と聞いたらきっとこれも答えは色々。
同じ曲なのに

そう、音楽って突き詰めてゆくと答えがないものなのです。

その答えがない学問を追求してゆくって
大人になってからの人生のあらゆる局面で発揮できる場所があります。

人生ってもちろん原因があって結果はありますが
正解不正解が一重に言えない部分も沢山ありますし
そういう世界の中で自分の中に信念を持って決断を下してゆく事が必要だったりします。

少なくとも
自分の両親は結婚して自分を産んでくれて。
これだって大きな決断の一つで素晴らしい事の一つ。

こうした人生での決断を踏むような場面で
答えがない学問を勉強してきたことっていうのが
物事に対するアプローチの仕方といった「考える力」に
大きく作用します。

そして私の場合、
突き詰める
という事にすごく意味があると思う人間なのですが
このあたりはまた次回の記事にでも 


マリオチラシ 
 



●アフリカ帰りのトランペット奏者、末廣亜耶乃(すえひろあやの)●
現在自宅のある小田急線狛江駅にてトランペット教室をやっております。


お一人ずつに沿った内容で月1回でも通えるので、忙しい方にもイチ押しさせて頂きます♪

●トランペットのレッスン内容の詳細はこちらからご覧下さい。●
●レッスン日程についてはこちらからご覧下さい●
●トランペットのレッスンを受講された生徒様からの声●
●レッスンスタジオのある狛江末廣邸へのアクセスについてはこちら●
●各種お申し込みやお問い合わせはこちらのページをご覧下さい●

お問い合わせは ayano19840102@yahoo.co.jp (末廣)まで。
24時間以内に返信致します


読者登録してね
ペタしてね