なぜ、子どもたちにリタリン(コンサータ)の薬を使ったのか?
私はアスペルガーと診断される前はADHDとしてリタリンという薬が処方されていた。
今は一部の乱用する人たちのせいで、リタリンはADHDには処方されなくなってしまった。
リタリンを使うと、乱雑になっている頭の中がスッキリと整う感じがした。
不注意もなくなり、言葉もスッと出てくる感じで冴えて、別人になったかのようになる。
リタリンが処方されている時期は私も元気に仕事ができていたと思う。
今は、リタリンに変わる薬がないので、不注意でミスをしたり、忘れてしまったりして、
それを防ぐために強迫的な感覚になってつらさを感じつつ生きている感じである。
今でも、使用期限が切れてしまっているだろうリタリンを残したある。
失敗してはいけないとき、集中して取り組まなければならないときにのために.....
===
もうずいぶん昔のことになるが、今中学3年と1年の息子もリタリン(メチルフェニデート)を
使用していた。今でいう、コンサータになる。
お兄ちゃんは「物を忘れる」、「なくす」、「気が散れる」、「みんなと同じ行動ができない」など
小学校の先生指摘され、病院にかかりADHDと診断され、2年生~4年生までリタリンを使用し、
ADHDの症状が治まり、落ち着いた生活が身に付いた。
しかし、5~6年時に無理解な先生により、不登校気味になり、その時期は抗うつ薬と抗不安薬を
服用してた。きちんとした理解があればきちんとした生活が送れていただろうと思う。
6年の終わり頃になって、教育相談員に入ってもらい、ようやく理解してもらえるようになった。
中学校に行ってからは特に薬は使っておらず、適切な支援と、本人のやる気でうまくいっている。
弟くんは保育園の年長児、自閉的な傾向が強く、集団不適応で、最初の半年は、毎日のように、
保育士から苦情を言われていた。無理矢理の保育が、反抗挑戦性障害という診断名になった。
後半はリタリンを使用するようになり、不適応や反抗はなくなって、
集団での生活ができるようになった。
これが「効果覿面」ということなのだろう、人が変わったように落ち着いた。
小学校入学以来、あれた学級で過ごし、本人もあれた時代があった。
先生の指導力がなく、学級崩壊の中で2年間過ごした。
リタリンを服用していたが、他が荒れていた中で、きちんとした
生活がするというのは難しかった。
2年生夏休みに転校した。夏休み明けから、新しい学校に通学するようになり、
リタリンの使用と週数時間の通級教室ということで、理解のある先生の元で
生活することになり、特に大きな不適応や問題を起こすことがなくなり、
5年生からはリタリンがなくても、ふつうに生活できるようになって、
今も、ごくふつうに生活している。
二人とも現在は、高機能自閉症スペクトラム(アスペルガー)ということになっている。
うちの場合は、一生、リタリンを飲ませるつもりはなかった。
この薬に関しては賛否両論であるとおもう。どう判断するかはそれぞれにお任せするが、
きちんとした生活習慣を身に付けさせるために使用していた。
きちんとした生活ができるようになるまで約3年服用かかったが、
振り返ってみて私はこれでよかったと思う。
薬を使用していなかったらこんなに平和ではなかっただろうと思う。
結局は、日常生活の中で、無理があったために行動や感情をコントロールできなくて、
反作用として、反発するといった行動を引き起こさせていたんだと思う。
本人もつらかったと思う。
薬によってつらさから解放されたといってもいいだろう。
最後に....
子どもの場合は一生使い続けるという意味ではなく、生活習慣を整える目的だと思った方がいい。
それから、苦しくつらい思いから、解放させてあげるという意味をもあると思う。
私も、薬で苦しさやつらさから解放された一人であるから.....
===
★アンケートにご協力ください
「どのようなご立場で訪問されていますか?」→こちら
「自閉症・発達障害の知識について」→こちら
「特別支援教育についての先生の理解度は?」→こちら
結果も見られます。参考に...
今は一部の乱用する人たちのせいで、リタリンはADHDには処方されなくなってしまった。
リタリンを使うと、乱雑になっている頭の中がスッキリと整う感じがした。
不注意もなくなり、言葉もスッと出てくる感じで冴えて、別人になったかのようになる。
リタリンが処方されている時期は私も元気に仕事ができていたと思う。
今は、リタリンに変わる薬がないので、不注意でミスをしたり、忘れてしまったりして、
それを防ぐために強迫的な感覚になってつらさを感じつつ生きている感じである。
今でも、使用期限が切れてしまっているだろうリタリンを残したある。
失敗してはいけないとき、集中して取り組まなければならないときにのために.....
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もうずいぶん昔のことになるが、今中学3年と1年の息子もリタリン(メチルフェニデート)を
使用していた。今でいう、コンサータになる。
お兄ちゃんは「物を忘れる」、「なくす」、「気が散れる」、「みんなと同じ行動ができない」など
小学校の先生指摘され、病院にかかりADHDと診断され、2年生~4年生までリタリンを使用し、
ADHDの症状が治まり、落ち着いた生活が身に付いた。
しかし、5~6年時に無理解な先生により、不登校気味になり、その時期は抗うつ薬と抗不安薬を
服用してた。きちんとした理解があればきちんとした生活が送れていただろうと思う。
6年の終わり頃になって、教育相談員に入ってもらい、ようやく理解してもらえるようになった。
中学校に行ってからは特に薬は使っておらず、適切な支援と、本人のやる気でうまくいっている。
弟くんは保育園の年長児、自閉的な傾向が強く、集団不適応で、最初の半年は、毎日のように、
保育士から苦情を言われていた。無理矢理の保育が、反抗挑戦性障害という診断名になった。
後半はリタリンを使用するようになり、不適応や反抗はなくなって、
集団での生活ができるようになった。
これが「効果覿面」ということなのだろう、人が変わったように落ち着いた。
小学校入学以来、あれた学級で過ごし、本人もあれた時代があった。
先生の指導力がなく、学級崩壊の中で2年間過ごした。
リタリンを服用していたが、他が荒れていた中で、きちんとした
生活がするというのは難しかった。
2年生夏休みに転校した。夏休み明けから、新しい学校に通学するようになり、
リタリンの使用と週数時間の通級教室ということで、理解のある先生の元で
生活することになり、特に大きな不適応や問題を起こすことがなくなり、
5年生からはリタリンがなくても、ふつうに生活できるようになって、
今も、ごくふつうに生活している。
二人とも現在は、高機能自閉症スペクトラム(アスペルガー)ということになっている。
うちの場合は、一生、リタリンを飲ませるつもりはなかった。
この薬に関しては賛否両論であるとおもう。どう判断するかはそれぞれにお任せするが、
きちんとした生活習慣を身に付けさせるために使用していた。
きちんとした生活ができるようになるまで約3年服用かかったが、
振り返ってみて私はこれでよかったと思う。
薬を使用していなかったらこんなに平和ではなかっただろうと思う。
結局は、日常生活の中で、無理があったために行動や感情をコントロールできなくて、
反作用として、反発するといった行動を引き起こさせていたんだと思う。
本人もつらかったと思う。
薬によってつらさから解放されたといってもいいだろう。
最後に....
子どもの場合は一生使い続けるという意味ではなく、生活習慣を整える目的だと思った方がいい。
それから、苦しくつらい思いから、解放させてあげるという意味をもあると思う。
私も、薬で苦しさやつらさから解放された一人であるから.....
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★アンケートにご協力ください
「どのようなご立場で訪問されていますか?」→こちら
「自閉症・発達障害の知識について」→こちら
「特別支援教育についての先生の理解度は?」→こちら
結果も見られます。参考に...