服装で人生のどの時期にいたのかわかるダイアナ。
この写真は1992年5月エジプト訪問時。l
膝下ロングスカートにロングジャケットというコーディネートを好みベージュと白のパンプスがエジプトの砂漠の色に合っていました。
1992年11月に夫妻揃っての最後の海外公式公務で韓国を公式訪問し、そっぽを向いた写真が話題に。1992年12月は別居を正式に発表。
彼女にとって1992年というのは夫婦の決定的な別離の時期でした。このころを境にファッションが変化していきます。
178㎝という長身を生かしながらも初期はロイヤルファッションで世間を魅了。海外公務の際も訪問国に対する配慮。
別離を決意した1993年以降年、低いパンプスは、高いヒールへとかわっていき、長かったスカートも 短く、恵まれたスタイルを強調するボディコンシャスなもの、自立した女性をイメージするよりファッショナブルなものへと変わっていきました。
ヒールの高さで思いだすのは、ハリウッドの中で落ち着きと上品さを漂わせるニコール・キッドマン。
トムとの婚姻時ニコールは友人や服装、キャリアもコントロールされ、夫に遠慮するようにローヒールばかり履いていました。
はじめてトムとあったときを思い出して「トムが立ち上がって握手をして、気がついたら彼のことを見下ろしていたの。自分が何cmも高いんだってわかってひどくドキマギしたわ。彼の背が低いっていうんじゃなくて、わたしがあまりにも高いの...178cmもあるんですもの」と語っています。
浮気され、結婚10年目のパーティーを盛大に開いた後、離婚申請を知らされ、子宮外妊娠から10年ぶりに奇跡的に妊娠した子供をショックのあまりに流産。追い詰めるようにトムからは子供の遺伝子鑑定を求められ...もちろんトムの子だったという酷い別れ方をされた後....宗教(サイエントロジー)と異常なコントロール下から解放されてもニコールはトムを愛しているといい、一切責めることはありませんでした。
美しすぎるニコールの性格的なものを世間はわかっていませんでしたが、メディアから隠れたのちレッドカーペットに戻ってきたニコールは、強がりともいえる元夫に対する一言を述べました。
At Lieast, Now I can wear heels
「これでやっとハイヒールが履けるわ」
このセリフによって、ニコールは離婚経験のある世の女性たちを一気に味方につけ、株をあげます。
上が1987年、下が1992年韓国
【ダイアナ妃 軌跡】
Biography 1961-1997(王室と歩いた1981-97)
1961.7.1 誕生
1981.2.24
チャールズ皇太子との公式婚約発表
ロンドン市のチャリティ・ガラで公式デビュー、グレース妃と初対面。
1981.6.結婚1か月前
レディー・ダイアナ・スペンサー19歳→●
1981.7.29
ロイヤルウェディング
ダイアナ妃の誕生 1981年7月 愛らしく可憐に美しく→●
結婚式ウエディングドレス スケッチ→●
1981.7.ハネムーン
【英国王室】ハネムーンでのダイアナ妃→●
1981.8.15ハネムーン
バルモラル城へ。10月まで滞在
【英国王室】 1981年ダイアナ妃 ハネムーン→●
1981.10
ウェールズ訪問→●
1981年9月Diana at the Braemar Highland Games in Scotland , GREAT BRITAIN.→●
1981.11.3
上院議会開会式に出席
1981.11.5
ロンドン市庁午餐会で公式に妊娠を発表
1981.11.12
リージェントストリートでのクリスマス・ライトの
点灯式に単身出席
1982.2
バハマ、ウィンダミア島でのバカンスでビキニ姿を撮られる
ケンジントン宮殿に移住
1982.3.2
エリザベス・テーラーと対面
1982.6.21
長男ウィリアム王子出産
1982.8.4、
ウィリアム王子の洗礼式
ダイアナ妃&ウィリアム王子 洗礼式写真集 、ウィリアム&ジョージ王子親子→●
1982.9
モナコのグレース王妃の葬儀に英王室代表として一人で出席
1982.11-12
ウェールズ訪問
1982年11月 プリンセス・ダイアナ21歳 茶チェック柄→●
1982.12.
ケンジントン宮殿の 6か月のウィリアム王子とダイアナ妃→●
1983年3月
1983年3月号の「ROYALTY magazine」より→●
1983.3
初 海外公式訪問
オーストラリア・ニュージーランドにウィリアム王子を同行
ダイアナ 1983年4月ウィリアム王子→●
ダイアナ妃 1983年オーストラリア・NZツアー Diana In Yellow →●
・●
プリンセス・ダイアナ 1983年3月28日 ピンクドレス→●
1983.6.14
カナダ訪問(白の美しいドレス)
1983年6月 ダイアナ妃 カナダ訪問→●
1983.7.21.ロンドンでGuildhall を訪れました。
1984.2
初の単身海外訪問ノルウェー
ロンドンシティーバレエの『カルメン』上演に出席
ヘンリー王子妊娠中
1985.4.19-5.5
両王子を伴い一家でイタリア訪問
1985年イタリア訪問(ピンクの衣装)→●
1984.11.15.
英国南部サウサンプトンで行われた豪華客船の進水式に出席
1984年豪華客船ロイヤルプリンセスの進水式→●
1985.10
西ドイツ訪問
1985.10.26
オーストラリア訪問
デイヴィッド・エマニュエルのドレスにグリーンチョーカー→●
1985.11.8
アメリカ訪問
1986.4.14
オーストリア訪問
1986.4.22
英ヒースロー空港でスペイン・ソフィア王妃をお出迎えするダイアナ妃。
1986.4.30
カナダ訪問、バンクーバーの万国博覧会で体調不良の為倒れる
1986年5月 ダイアナ妃 カナダで→●
1986.5.8
夫妻で初来日
1986年来日したダイアナ妃 雑誌「Woman」誌より→●
1986.7.23
ヨーク公爵アンドルー王子とサラ・ファガーソンの結婚式
1986年アンドルー王子&サラ・ファガーソン結婚式写真→●
1986.11
サウジアラビア訪問
1987.2.11-14
ポルトガル訪問
1987.9.9
フランス訪問
1987.11.2-7
ドイツ訪問
1987.8.
親戚のスペイン王室でバケーション。
1987年8月ダイアナ妃と愛息たち ロイヤルファミリー→●
・●
1988.2.3-5
タイ訪問
1988.3.4-5
アメリカ、ピッツバーグ訪問
1988
オーストラリア訪問
1988.11.7-11
フランス訪問
1989.2.1
初の単独アメリカ訪問
1989.3
サウジアラビア訪問
1989.6
ウィリアム王子の通う学校の運動会の母親レースで優勝
1989.11
香港訪問
1990.11.10
天皇即位の礼で再来日
1991.5.10
チェコ訪問
1991.10.23-29
カナダ公式訪問
1991年千鳥格子のスーツ&王子たちとカナダツアー→●
1992.2.10-15
インド公式訪問
1992.3
ハンガリー・ブダペストへの公式訪問
1992.5
エジプト公式訪問
1992.6.16
『ダイアナ妃の真実』が出版
1992.11.2-5
韓国公式訪問(夫妻揃っての最後の海外公式公務)そっぽを向いた写真が話題に
1992.11.13
フランス訪問
1992.12.9
別居を正式に発表。
ダイアナはケンジントン宮殿
皇太子はセント・ジェームズ宮殿とハイグローブへ
1993.3
別居後初めての海外公式訪問ネパール
1993.7
国際赤十字がジンバヴエで運営する施設を訪問
1993.9
ルクセンブルク訪問
1994秋
J・ヒューイットが暴露本『Princess in Love』を出版
1995.2
三度目の来日
1995.8.ロンドンで公務
50the annicersary of VJ day.
1995.11
テレビ番組『パノラマ』出演
1996.2.28
協議離婚に合意を発表
1996.8.28
離婚確定判決の発表をもって正式離婚
1996.11
オーストラリア訪問
1997.1
対人地雷禁止キャンペーンの為、アンゴラを訪問
1997.5
パキスタン訪問
1997.6
クリスティーズオークション(エイズチャリティの為)
対人地雷禁止キャンペーンでワシントンDCを訪問
1997.7.1
最後のバースデー(36歳)
テートギャラリーの100周年記念の式典に出席
1997.7.21
Northwick Park Hospitalへの訪問
英国での最後の公式公務
1997.8.7~10
対人地雷禁止キャンペーンで、サラエボ等を訪問
1997.8.21
地中海休暇
1997.8.31
午前4時(英時間午前3時)パリにて交通事故で死亡。
1997.9.6
Westminster Abbeyにて葬儀。