引き続き、文藝別冊「KAWADE 夢ムック まど・みちお」から思ったこと。
なんか、今までの自分の詩作の立脚点がどんどん、いい意味で揺らいでいく。
自分がいかに、自分自身や人間視点に束縛されてるか、を思い知って、
それがどんどん分解して変容していく感じがします。
拡がっていきます。
地球や宇宙へ。
下手をしたら、時間も遡って。
まどさん的な自分以外の全て、子どもは、もちろん、昆虫など小さな生き物への視点。
命を持たない空や星、雲も含めて。
汎神論的でもあるし、また、まどさんとは違って、
僕自身にある古典教養の万葉人的な国文学的な香りを伴って。
ああって、思いながら。
しかも、それらって、自分のなかにある知識や理解でもあったんですね。
まどさんの詩に、人間以外の視点であったことは既知なことだったんだけど、
あくまで児童文学研究者視点だったから、
また、まさか自分が詩を書き出すとは、2年半前までは思ってもみなかったから、
全然、自分の中で、知識が実感としてリンクしてませんでした。
童話自体を書き始めたのは、
絵本を作ってた11年前のころだったし、
長く絵本やアート・アニメーション、児童文学の研究の時期を入れ出すと、さらに4.5年は遡ってしまう。
それら、僕自身の今まで頭で理解したことを、どんどん転換させている感じ。
例えば、
僕の、書き方である「ズレ・変化・発見」が、
アリ視点とか、芋虫視点とかから見てみること。
この手法で、発見と観察視点展開させると、大人も楽しめるから、無理やり感がないはず。
その為には、人間vs昆虫的な意識のままとかじゃなくて、
まどさん並みの皆、同じ生き物なんだという汎神論的な目線まで、意識を降りて(昇らせる?)行かないと。
もうテクニックじゃなくて、
意識の問題なんですよね。
なんかスピリチュアルなものに近づいて言ってしまうけど。
童謡を書くことは、
今思うと、
やっぱり、シンクロニシティの一つになってしまった気がします。