文藝別冊「KAWADE 夢ムック まど・みちお」を読んでいる。
面白い。
実に面白い。
久々に、ストーリーじゃなくて、研究者心を刺激されました。
まどさんのエッセイで、
「幼い子どもにとって、音色、ひびき、抑揚、リズム、テンポ、こめられた感情等々を持った生のことば以外には、どんな抽象的なことばも無いのだということを教えます。
(中略)絵本のことばは当然ながら受け手の子どもを感動させるだけでなく、その前に読み手のおとなを感動させるものであることが望まれます。
(中略)けれどもおとなの作者はどんなに逆立ちしてみても子どもにはなれませんし、おとなの読み手とて同じです。そしてこのことを、児童文学にとって不幸なことだとは私などは考えていません。
(中略)ですから児童文学作品の評価は子どもに分かる部分についてだけでなく、分からないかも知れない部分についてもなされなければなりません。そしてそれは幼い子どもの絵本のことばについても同じことだと思います。」
「幼い子どもとそのことばについて考えるとき、私は初めて自転車に乗れるようになった少年のころの自分を思い出します。」
「なんとなく想像されるのは、わかりやすいこと。リズミカルであること。のんべんだらりと長くて、子どもの呼吸に合う休止、終止があること、変化があること。などですが、何より大切なことは表現が曖昧で無いことではないでしょうか。」
子どもと、大人の関係なんて、幼年文学に深く関わってきた当事者ならではの、深みのあることばで、
改めて、僕自身も、自分と幼年文学、いや、児童文学との関係について考えさせられました。
自分がこれまで、言葉と、児童文学の関係を、対子ども、対大人と合わせて考えたことはなかったんですよね。
僕にとっては、そこに詩と童謡を掛け合わせることで、全く新たな視点が見えてきた気がします。
今までのわだかまりを捨てて、
素直に幼年文学も書ける気がしてきました。
今回の童謡のように、子どもの視点と大人の視点と両方から攻めてみればいいんですよね。
思わぬ拾い物をした気分です。
僕は、こうして生涯、学び続けると思います。