まどさんを通して、分かったこと | 読書と、現代詩・小説創作、物語と猫を愛する人たちへ送る部屋

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小説や詩の創作、猫また大学通信を書いています。Twitterは、atlan(筆名:竹之内稔)@atlan83837218 放送大学在学中。「第8回新しい詩の声」優秀賞を受賞。
 京都芸術大学の通信洋画&文芸コース卒業/慶應義塾大学通信卒業/東洋大通信卒業/放送大大学院の修士全科生修了。

文藝別冊「KAWADE 夢ムック  まど・みちお」を読んでいる。

 
面白い。
実に面白い。
 
久々に、ストーリーじゃなくて、研究者心を刺激されました。
 
まどさんのエッセイで、
「幼い子どもにとって、音色、ひびき、抑揚、リズム、テンポ、こめられた感情等々を持った生のことば以外には、どんな抽象的なことばも無いのだということを教えます。
(中略)絵本のことばは当然ながら受け手の子どもを感動させるだけでなく、その前に読み手のおとなを感動させるものであることが望まれます
(中略)けれどもおとなの作者はどんなに逆立ちしてみても子どもにはなれませんし、おとなの読み手とて同じです。そしてこのことを、児童文学にとって不幸なことだとは私などは考えていません。
(中略)ですから児童文学作品の評価は子どもに分かる部分についてだけでなく、分からないかも知れない部分についてもなされなければなりません。そしてそれは幼い子どもの絵本のことばについても同じことだと思います。」
 
「幼い子どもとそのことばについて考えるとき、私は初めて自転車に乗れるようになった少年のころの自分を思い出します。」
 
「なんとなく想像されるのは、わかりやすいこと。リズミカルであること。のんべんだらりと長くて、子どもの呼吸に合う休止、終止があること、変化があること。などですが何より大切なことは表現が曖昧で無いことではないでしょうか
 
子どもと、大人の関係なんて、幼年文学に深く関わってきた当事者ならではの、深みのあることばで、
改めて、僕自身も、自分と幼年文学、いや、児童文学との関係について考えさせられました。
 
自分がこれまで、言葉と、児童文学の関係を、対子ども、対大人と合わせて考えたことはなかったんですよね。
 
僕にとっては、そこに詩と童謡を掛け合わせることで、全く新たな視点が見えてきた気がします。
今までのわだかまりを捨てて、
素直に幼年文学も書ける気がしてきました。
今回の童謡のように、子どもの視点と大人の視点と両方から攻めてみればいいんですよね。
思わぬ拾い物をした気分です。

僕は、こうして生涯、学び続けると思います。