決断の一瞬 | 荒井修のブログ

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荒井修のブログ 荒井修のブログ 順番が違ってしまったが4番目の写真が最初です。荒井修のブログ 荒井修のブログ
三社祭700年の幕開けである五重塔前での奉納舞踊、勘九郎と七之助による清元三社祭が悪天候の中で決行するか中止するかという決断をさまられながら、私と勘三郎が話している瞬間の写真が友人から届いた。

中央で山の字つまり。金龍山浅草寺と三つ網と言われる三社様の紋の入った羽織が私でその右側が勘三郎である。

五重塔前は大変な人だかりであるが、舞台に水溜りが出来ている中で踊らせて勘九郎之膝がもつだろうかという不安を抱いていた私に、「これだけのお客様が待っているんだから決行だ」と勘三郎が言った瞬間である。

「わかった、じゃあ俺、舞台で今から始める事を言うよ」と言って、このあと塔院に向かったのだ。


そして舞台で決行することを観客に言うと大変な歓声が上がり、私は舞台の横に下りてずっと水溜りに気をつけろよと願いながら見ていた。

そして3番目の写真は踊りが終わりに近づいたところで、勘三郎に「どうにか無事に終わりそうだから一緒に舞台裏に行ってくれ」と話しかけているところである。

最後が1番目の写真で、舞踊が終了と同時に私が3人を舞台に呼び、一人づつ挨拶をしてもらっている、最も涙腺が危ない瞬間だったのである。

あれだけの観客の中で、私だけの克明な思い出がこの4枚の中に全て有り、勘三郎とのまるで独り言のような小さな声で顔も見合わせずの会話も

、「舞台が終わるまでは泣かないぞ」という思いでいたため、顔を合わせられなかった事もあり、あまり私の会が怖くて誰も正面から写真を撮れる状況になかったことも、全てこの4枚の写真の中に有ると言って間違いない。

この日午前2時まで勘三郎と飲み、語り、翌日の舟渡御を中村座のバックステージから手を合わせたいと言う中村屋の願いを叶えられるよう手はずを考えていた事を思い出した。

私は一生の友人として彼の力になり続ける事を誓った。

その昔「あんたが死んだら葬儀委員長をやるから芝居のないときに死んでね」と酒飲み話で言われたことがあったが、多分彼は覚えていないだろう。

それでも私は年を重ねるたびにその事を思い出すようになり、ちょっと体調を崩すと彼のスケジュールを調べるようになってしまった。

どうせのことなら浅草観光連盟の現会長とのダブル葬儀委員長でやってもらうかな。などいろいろ考えてニンマリしてしまう。

私の人生あんがい豪華だなという独り言と共に。