19日の午前中に葬儀屋さんのホールで告別式をして
火葬場へと向かいました。
前日が友引だったり、
近くの火葬場が改修中で使えないという理由で混雑していました。
他の遺族の持っている遺影を見ると
10代か20代くらいの若い男性と思われ、
妹だろう女学生や(私より10歳くらい年上か?)若い親が泣いていたりしました。
叔母は平均寿命よりも10年以上早く逝ってしまいましたが、
若くして…親に見送られて旅立つというのは本人も家族も辛いだろう。
棺が火葬されてしまう瞬間に気持ち悪くなってしまったものの、
平静を装って待合室で姪2号の遊び相手などしていた。
一緒に待っていた住職が、
私も知らないような私の家の屋号を知っていたり、
叔母と母が銀座で募金していた所がテレビに一瞬映った所を見ていたり…
「恐るべしお寺のネットワーク!」
と感じました。
住職さんによると、
私の家は以前タバコ屋だったのに『酒屋』と呼ばれていたらしく、
住職さんが小さいころは既に雑貨屋(タバコ屋)だったので
一族の老人たちが私の家を未だに『酒屋』と呼んでいるのは何故?
と父に聞いたところ、タバコ屋の前に酒屋をしていたのだとか…。
住職さんは祖父の代に福島県からやってきた新参者ということらしいけど、
3代に渡ってお寺を守っているのだから新参じゃぁないよね。
私の住む町には3つの旧家グループがあって、
私の家はその一つの分家なので金持ちじゃ~ないんですが、
未だにグループの本家の人や本家に近い人が亡くなると末席に参列するような風習があります。
墓参りする時も一族の墓に線香を少しずつ置いていくし。
東京都内でもそんな感じなので、
地方とかになるともっとガチガチなんだろうなぁ…。
最近は地元にもマンションとかアパートとか住宅も増えて
そういうのを知らないで住んでいる若い親とかも多いだろう。
(マンションとかアパートのオーナーは本家筋の人が多い…っていうか殆どがそうなんだよね)
閑話休題。
そんな事を考えていたら、
呼び出されて火葬された遺骨を確認しに向かうことになりました。
もう泣かないと決めていたのですが、
骨となって出てきた叔母さんを見て涙が出てしまった。
姪2号に「泣いてるの?」と言われて「泣いてないよ」と嘘をつくダメな大人です。
遺骨を一つ骨壷に納めて、最後は係りの人が残らず骨壷に骨を納めて蓋をして終了。
住職さんはお寺へと送迎されて家族は葬儀屋へ戻って食事をすることに。
仕出し弁当には自分ではあまり贅沢をしない叔母が好きだったマグロの赤身がありました。
入院してからは美味しくない病院食ばかりだっただろう…
叔母さんにマグロの寿司を食べて欲しかったなぁ…。
食事を終えて散会。
納骨は四十九日後にするらしく、
それまでは仏間で過ごしてもらうことになり
遺骨と位牌と遺影を葬儀屋さんの車に乗って持ち帰りました。
未だにフワフワとした感覚ですが、
大人気無く泣いたりしたので幾分かは立ち直りつつあります。
無事に退院して数年は普通に過ごせると思っていたのに突然亡くなったので、
感覚的には事故死に近いんですよね。
時間をかけてお別れの準備ができていないから。
亡くなる1週間くらい前までは
歩けるようにリハビリして家に帰ってくるとばかり思っていたので。
叔母が入院してから1ヵ月半という短い期間だったので
見舞いや世話に奔走していた母が疲れ果てる前だった事が救いでしょうか。
●食事とか
19日
仕出し弁当
20日
コロッケパン
湯豆腐
コロッケパン率が高いんだけど、
吾輩コロッケパンが好きナリ