明けて14日の0時半ころ、
急に叔母の入院先の病院から私の携帯電話に
「至急来てください」
と連絡がありました。
両親を呼んで到着した頃には遅かった。
看護師の話だと0時頃に急変、
心肺停止してそのまま私たちの到着を待って
説明の後に死亡宣告をされました。
とても私に良くしてくれた叔母だったので、
たいした恩返しも出来なかった事が悔やまれます。
5月頃は元気で毎日のように顔を合わせていました。
7月中旬にはDVDプレイヤーが壊れたから新しいの買ってと頼まれて
Blu-rayプレイヤーを買ってきたらとても喜んでくれました。
8月のお盆の時期になると毎年張り切って準備していたのですが、
今年はご飯も殆ど食べずに寝ていることが多かった。
それでも普通に歩いて病院に通院などはしていた。
その1週間後の22日に突然倒れて昏睡状態になって救急車で運ばれました。
処方してもらっている安定剤を飲みすぎたらしく数日意識が戻らなかったものの
月末には意識が戻って見舞いに行くと
「ずっと点滴されていてご飯が食べさせてもらえないからお腹減った~」
「お風呂に入れないから頭が痒い。早く風呂に入りたい」
テレビで食べ物が映ると「美味しそうね、お寿司食べたい」
「庭にできる柿とアケビの実が食べたい」
「良くなったら温泉に行きたい」
などと言っていました。
1ヶ月以上入院して寝たきりだったので足が弱って歩けなくなってしまい、
「歩けるようになったら退院して温泉に行きたい」、
と座ったり立ったりする練習をしている矢先でした。
入院直後は持病の高血圧と糖尿病だと思っていました。
先週になってガンであると言われ、
手術する病院をどうしようか?などという話になっていて、
それが昨日になって転移していてどうにもならない末期ガンで1ヶ月もつかどうか…
と言われ、今日にも見舞いに駆けつけようと思っていた矢先、
まさかその夜中に亡くなってしまうとは思いませんでした。
信じられなくてまだ気が動転しています。
本当に良くしてもらっていたのです。
よく気にかけてくれていた。
朝になるまでずっと線香をあげつづけ、
幼少期から本当に良くしてもらっていたことを思い出して少し泣いてしまいました。
いつか人は死にます。
生まれたときから死ぬ日へのカウントダウンが始まっています。
だけど自分やその近親者に関してはその事を例外的に考えてしまい、
いざ家族が欠けるとその喪失感に押しつぶされそうになります。