過去の記事はコチラ
■その1はコチラ(結婚~就職まで)
http://ameblo.jp/army-noti-hare/entry-12204085985.html
■その2はコチラ(妊娠~第一子出産まで)
http://ameblo.jp/army-noti-hare/entry-12208554140.html
しばらく放置していましたが書こうとおもいます。
この前職での可愛い後輩が、子どもを産んで一年後には育休復帰です。
そんな子たちに、何かわずかでも参考になれば。。。
状況
長男 1歳3ヶ月 復帰して3ヶ月、時短制度利用9-4時
通勤距離がぐっと短くなって、働きやすくなったのは良かったのですが
やっぱり「時短勤務であること」がどうしても、半人前で、使い物にならないという意識がつきまとい
「あ~、おれも早く帰りたいな~」とか
「おっ、今日も重役出勤かい」とかいう
何気ない一言にグサっときたりするなかで、気持ちがどんどん小さくなっていく。
遅く来てすいません
早く帰ってすいません
子どもが熱出して休んですいません
何日も休んで使えなくてすいません・・・
よく泣く子だったので、お休みの日もお出かけ先で
うるさくしてすいません
愛想なくてすいません
ご迷惑おかけしてすいません・・・
なんか毎日頭を下げていたような、初回復帰はそんな印象です。
時短勤務という制度使っているのが、会社では初でして。
仕事はねキチントやることはやるけど、なんかみじめ。
そんな気持ちの毎日でした。
削れる時間は少しでも削って早くお迎えに行きたい。
更衣室で私服に着替えることもなくなりました。
ズボンだけ作業着のまま、パーカーを羽織って会社を行き来。
いつしかこの格好でスーパーで買い物も恥ずかしくなくなりました。
前までは、絶対に作業着で買い物はしたくない!と思っていたはずなのに・・・。
母になって、価値観がガラッと変わっていく。。
それに気づいているというより、無意識で大きく変わっていった時期でした。
あとで、そこはちゃんと価値観が変わったことを
意識化して整理するべきだったなぁ~と思うんですが。それはまた後の話。
夜泣きや早朝起きなど、ハードな生活の中、なんとかやっているなか
2人目の妊娠。
子育てと仕事とつわりとで地獄のような期間もありましたが
生まれると、忘れるように出来ているw
あまり細かくは思い出せないんですよね。不思議なことに。
ただ、1年後の復帰後。また3ヶ月で異動を命じられることになります。
(長男、3歳、次男1歳)
育休後に同じ部署に戻れず異動、とかいうのとはちょっと違います。
偶然に人手不足の状況が、育休直後に来ただけで
やっぱり継続して働いていないので、同じ部署でのキャリアがないため
異動人員を考えたときに、まず最初に私が候補になるんですよね。
そこでも、とにかく6時間でも8時間分働いてやるとおもって
無駄口たたかず、できるだけ効率的に、改善をためらわず、
何か少しでも、その部署のお役に立てるようにということを考えてやってきました。
製造の技術的な知識はないので、ファイリングの効率化とか、申請・回覧の効率化とか
職場の3Sとか、そんなところの仕事を中心に。
そんで、また1年経った後くらいに3人目の妊娠。
(入社面接の時の有言実行です。)
でもその頃は、週に何回かは通勤1時間の工場&立ち仕事で
つわりが毎度のこと、ひどいので、工場のニオイがきつすぎて
1時間ごとに吐いては作業の繰り返し。
通勤時間のせいで時短の意味もないし、
17時頃に保育園に迎えに行っても、つわりで辛く、
帰ってもまともなご飯も作れず
納豆とご飯とかだけだったりする。
部屋も散らかって、
洗濯も溜まりまくり
自己嫌悪のまいにちで、精神的にも肉体的にもギリギリ
余裕のなさで、まだ小さい子どもたちに強い口調をすることもあったと思います
極めつけは服に染み付いた工場のニオイが
つわりで何倍にもきつく感じられて
そんな状態のママがご飯を作ることに、
子どもたちに申し訳なさがこみ上げてきました。
「私ってなんのために働いてるんだっけ・・・?」
この頃ですね。ぐるぐるしていた思考が一つの結論に到達します。
「ママが元気でイキイキと毎日を過ごすことが
子どもたちや家族の笑顔に繋がるはず」
いつか、同じように悩むママの支援や、応援をしていきたいな。と。
つわりが一段落したころに、
昔受けたことのあるドリームマップを思い出しました。
10年以上も前。
思い出したのは、そのときの夢ではなく。
受講生のイキイキした顔。
60代のおばさまが、描いた夢を発表しながら
「わたしこれから何でもできるの!!」と言っていたその顔が出てきたんです。
何歳になっても、夢を描くことは、自分らしく生きること。
ママになっても自分の人生をイキイキと生きる。
ドリームマップにはその原動力となるところがあるんだ!
でも私みたいに何もキャリアのない人がね
突然、「ドリームマップを~」って言い出してもなんの説得力もないわ。と思い
ドリームマップをやるために、まずは何か講師としての説得力が増す知識や資格がほしい!
と、CDA(キャリア・デベロップメント・アドバイザー)の資格取得に乗り出すことになります。
「自分らしく生きるお手伝い」というところでは、求めるものそのものでした。
3人目の長女が生まれて、1ヶ月から、土日は家族に協力してもらって通学講座に通い、
部屋中には暗記のメモを貼りまくり、だっこしながら暗記、授乳しながら勉強
とにかくがんばった。
そして1年経った復帰のころには1次試験(筆記)は通過、
2次試験(実技)は一度不合格になり
2回目に向けて特訓しながら、という状況でした。
ここで、また大きく決断をします。
もう顔をうつむいて、あんな思いで毎日を送るくらいなら
思いきってフルタイムで復帰してみたい。
朝は7時、夜は18時の保育園。
こどもたちは3人一緒だから、さみしくないよね、とちょっと救われたところもありました。
何より、長時間の保育士さんが、働くママの全面的な味方をしてくれるので
本当に安心して預けることができました。
あの時期を乗り越えられたのは、先生方のおかげです。
そしてこの後、フルタイムで復帰してちょっと自信を取り戻すも
予想もしなかった展開へと発展していくのです・・・。
そのお話は、また次回に。。。
■その4(3人保育園でフルタイム突入)
http://ameblo.jp/army-noti-hare/entry-12287444509.html
■その5(再び時短に変更~退職の決断)