私のピラティス道~第2話・はじまり~ | 呼吸からはじめるピラティスライフ

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昨日からアップしはじめた「私のピラティス道」。
連携しているFacebookのほうに、おもいがけず
「つづきが楽しみ」というコメントをいただき、
嬉しいような恥ずかしいような。^^
なにしろ全く順風満帆ではなかったので。(笑)


私自身にとっても自分を振り返るよいきっかけになってるこの連載、
これから毎晩21時30分頃アップしていこうと思います。


第2話の今日はフィットネス業界に生きるきっかけとなったお話。




■アルバイトスタッフ時代

大学3回生の2月。
3月末にオープンを控えたティップネス京橋店の開設準備室で、
マシンジムのトレーナーとして働くための研修がスタートしました。


トレーニング理論だったり、解剖学だったりの勉強はもちろん、
ウェイトトレーニングのやり方を教えてもらったりするのもはじめてで。
同僚のアルバイトスタッフには年上のトレーナー経験者もたくさんいたので、
未経験・初心者の私は、仲間にたくさんサポートしてもらいました。
スタッフみんな仲良くなって、凄く楽しくて充実した毎日でした。


実はこのときの仲間のひとりが
先月スパイスデートした
今川早都子ちゃん。
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そして3月、いよいよティップネス関西初出店の京橋店がオープン。
バブル全盛期、エアロビクスブーム真っ只中にオープンした京橋店は、
スタジオレッスンはいつもいつも満員で、マシンジムも長蛇の列。
ほとんどのお客様がフィットネスクラブ初体験の方ばかり。
初心者のお客様にマシンの使い方やトレーニングの仕方をお教えしたり、
カウンセリングしてトレーニングメニューを組んで差し上げたりするのが、
とにかく楽しくて楽しくて、ティップネスでのアルバイトが大好きでした。


そして、その頃ちょうど訳あって大学に行くことがイヤでたまらなかった私は、
学生のくせに生活のほとんどをティップネスで過ごすようになっていきました。


■新たな進路

そのとき大学4回生。
就職活動に全力注ぐ同級生たちをよそに、私はマシンジムのアルバイトと、
勤務時間外に受けるエアロビクスのレッスンに、どんどんのめり込んでいきます。


そもそも、エアロビクスインストラクター養成コースを探す過程で出会ったティップネス…
ハナから就職活動なんかする気は全くなくて、在学中に養成コースに通って、
卒業したらインストラクターになる、ってことしか頭にありませんでした。


ところが当初は秋頃に予定されていた養成コースの開校が翌春に延期となり、
私の予定はすっかり狂ってしまったのです。


そんなとき「新卒採用の試験を受けてみろ」と声をかけてくれたのが、
当時の副支配人、私を最初にティップネスのアルバイトに誘ってくれた方でした。


当時のティップネスには「エアロ社員」と呼ばれる社員インストラクターがいました。
トップインストラクターとして活躍しながらマネジメントも担当するような役割。
新卒で入社して、社員として働きながら養成コースに入り、エアロ社員を目指す―――
思いもよらなかった新たな進路を提示され、私はその流れに乗ってみることにしました。


そして、受けることになった入社試験。
京橋店のアルバイトスタッフだった私は、有り難いことに「支配人推薦」をいただき、
トントン拍子で最終面接まで進んでいきました。
就職活動の準備なんて全くしていなかったので、リクルートスーツを用意することも、
面接のシュミレーションもすることもなく・・・かなり非常識な感じだったかもしれません。(汗)
最終面接では社長を前に「養成コースに入ってエアロ社員になります!」と豪語。(笑)
ほとんど勢いとパワーだけで内定を勝ち取ったようなものでしたね。


そんなこんなで、大学卒業ギリギリまでアルバイトを続け、卒業と同時に新卒入社したのです。


つづく・・・


ちなみに、アルバイトに精を出し過ぎたせいか、卒業単位が足りず、
補修試験で卒業が決まったのは、
なんと入社式の2日前・・・
当時から生粋のギリギリガールズだったワタシです。。。(;^_^A