沼津「高尾山古墳」がモーニングバードで取り上げられます! | misaのブログ

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道路の渋滞緩和のために取り壊されそうな沼津市の『高尾山古墳』が、本日の朝8時からのテレビ朝日「モーニングバード」で取り上げられる事になりました!

ご都合の合う方は是非ご覧になってくださいね。

どんな報道がされるのか、興味深いです。

『高尾山古墳』については私のブログでも何度か書いてきましたが、

高尾山古墳が破壊の危機に
「沼津壊滅予言」と「高尾山古墳」との関わり
古墳存続 崖っぷち

沼津市長さんや自治会の方々は、利便性の方を優先し、古墳の重要性をなかなかご理解いただけないのです。

なので、東日本最古で最大級の『高尾山古墳』を何故守らなければいけないかを、あらためてお伝えしたいと思います。

『高尾山古墳』は、道路整備にあたり、上にあった神社を移動したことにより発見されました。

なので、古墳の存在はやっと最近になって明らかになったのです。

そして、調査が入るまでそれが、どれほど偉大な王を祀っていたか、誰にも分からなかったのです。

『高尾山古墳』は、後方部の木棺跡から出土された鏡・鉄鏃の副葬品と土器の組み合わせなどから、3世紀前半頃のものと判明しました。

という事は、『高尾山古墳』は、卑弥呼の墓とされる奈良県『箸墓古墳』とほぼ同じころに築かれたものである事が分かります。

大和王権の象徴的墳形である「前方後円墳」に対して、この高尾山古墳は「前方後方墳」であることは、独自性の強い当地固有の古墳形態として、貴重な発見だったのです。

沼津市には最古級の「前方後方墳」と「上円下方墳」などの最新の古墳まで同じ地域に揃っており、大和王権の象徴や思想とは異なる、むしろ反逆とも取れる様式は、当地の豪族が一大勢力を誇示していた事を裏付けています。

このように、邪馬台国の時代に、沼津市のある辺りでは独自の文化が形成されていたのです。

愛鷹山麓から見下ろす事が出来、駿河湾入江の最も深いところに古墳が位置していることから、豊かな湿地帯で人の流れが活発だった事が窺えます。

弥生時代には低墳丘墓が一般的であったにもかかわらず、平野部の前方後方墳にも土を盛り上げて高塚を持つように築造されているのです。

「前方後円墳」は、近畿地方の「邪馬台国」を中心に大和王国として広がったとされているのに対し、「前方後方墳」を造営したのは、東海地方を中心に邪馬台国に対立していた「狗奴国(くなこく)」であったと云う説が有力です。

日本列島各地に点在した地域国家が、大和王権によって徐々に統合され、古代国家が成立する過程で、「前方後円墳」に代表される首長「卑弥呼」の権威に対して、アンチ・大和王権の象徴として、「前方後方墳」が存在していたのです。

その国を治めていた王は誰か。

卑弥呼が生きている時代に、「前方後方墳」を造るだけの有力豪族がこの地に存在していた事を『高尾山古墳』は物語っているのです!

(参考:こちら

市長さん、この重要性に気づいてください!!

『魏志倭人伝』には、「邪馬台国」はそのにある「狗奴国」という国と争いを続けていたことが書かれています。

その国の男王は『卑彌弓呼(ヒミココ)』と呼ばれ、その争いはかなり激しく、それも邪馬台国が郡に窮状を訴えるほど不利な状況であったことが記されています。

ここで、『南』と出てきた事に疑問を持たれた方はいらっしゃいませんか?

そうなんです。「邪馬台国」がどこにあったのか、なかなか場所を特定出来ずにいたのも「魏志倭人伝」に出てくる方位に原因があったのです。

新井白石、本居宣長以来、わが国の国文学、歴史学、考古学が、様々探し求めてきた「邪馬台国」。

その存在の鍵を握るのが、中国の3世紀後半に書かれた「魏志倭人伝」でした。

邪馬臺がヤマトとも読めるというので、その解釈を巡って、九州説と畿内説に分かれて、邪馬台国がどこにあったのか論議されて来ました。

300年にわたって論争を呼んできた「まぼろしの邪馬台国」も、どうやら奈良県「纒向(まきむく)遺跡」で落ち着いたようです。

卑弥呼はその遺跡の中の「箸墓古墳」に眠っているとの見方が有力です。

photo:01


箸墓古墳は、全長およそ280m。後円部径は155m、前方部の直径は125m。

「魏志倭人伝」に出てくる卑弥呼の墓の大きさとも一致しています。

日本中の弥生時代の墳丘墓のどこを探してみても、これほど大きな墓はありません。

一方、九州説の方は有名な「金印」が博多湾の志賀島から発見されたのですが、「魏志倭人伝」の距離と方位に従うと、「邪馬台国」は海の中になってしまう為、その事が本居宣長らを悩ませる原因になりました。

ここに意外な盲点があったのです!

実は「魏志倭人伝」では、日本列島を南北逆さまに認識しているのです。

photo:02


「この世は謎だらけ」より抜粋

李氏朝鮮で作成された地図に「混一疆理歴代国都之図(こんいつきょうりれきだいこくとのず)」と呼ばれる一枚の地図がある。

これは「行基図」を写したと言われている。

「行基図」は奈良時代の僧・行基が描いたとされる地図で、北海道を除く日本列島が細長く南北逆転して描かれている。

邪馬台国の時代、中国人の頭の中に逆転日本列島という地理観があったとすれば「魏志倭人伝」に反映されてもおかしくない。

「魏志倭人伝」の記述が現実の地理と整合性がないというなら日本列島の方が動いたということになる。

事実、古地磁気を分析した結果、東日本列島は青森県を中心にして反時計回りに回転し、西日本列島は九州北部を中心として時計回りに回転したことが判明している。

北海道は東北アジアから時計回りに分離し、東日本列島と同じく一気にフィリピン沖まで南下し、そこから反時計回りに大きく回転していたことが読み取られている。

邪馬台国時代の日本列島は南北逆転していたことは事実である。

それゆえ「魏志倭人伝」の記述どおり進むと三輪山の麓に広がる纏向遺跡こそ邪馬台国の中心地だったことが判明したのである。

邪馬台国論争の元凶は「魏志倭人伝」の記述と現実の地理が一致しないことにあった。

過去の日本列島が現在の日本列島よりも約90度時計回りに回転した状態にあったことに気づけば邪馬台国の所在地は畿内説が正しいことがわかるのである。

4500年前、地球はノアの大洪水に見舞われた。

超大陸パンゲアが水没し、地球の急激な膨張と共に分裂し、地殻変動によってプレートが高速で移動を開始した。

それに伴い日本列島も形成されていく。

二つの日本列島が太平洋上にあった時代、アメリカ大陸を故郷とするポリネシア人たちが上陸した。

東日本列島にはインカ系のインディオが中心となりイヌイットを吸収すると共に縄文文化を形成し、狗奴国連合を形成した。

西日本列島にはマヤ系のインディアンたちが中心となって弥生文化を形成していった。

彼らは中国の稲作を導入することによって邪馬台国連合を形成した。

しかし卑弥呼が邪馬台国の女王として担ぎ出される直前、日本列島に大事件が起き、東西の日本列島が回転しながら衝突したのである。

フォッサマグナは東日本列島と西日本列島が衝突して出来た構造線である。

皮肉なことに最終的に東西の日本列島を手中に収めたのは狗奴国でも邪馬台国でもない第三の勢力が瞬く間に日本列島を征服していった。

日本列島が急激に移動を開始したことは地球規模で地殻変動が起こったことを意味している。

この状況を勝機とにらんだ夫余系騎馬民族は朝鮮半島南部から九州へ上陸し、そこから畿内へと侵攻してきたのである。

瞬く間に邪馬台国を征服し、王家は邪馬台国の王族に入り婿する形で王権を継承し、大和朝廷を開くことになる。

日本列島を征服した騎馬民族は夫余系である。

夫余族は高句麗や百済の王家と連なる民族でモンゴロイドである。 中でも重要なことは古代イスラエルの血統であったことである。

失われたイスラエル支族の本隊は北極圏を目指したが、ガド族に率いられた一軍は朝鮮半島から日本列島へと侵入してきたのである。

古代天皇がイスラエルの血を引いているという事実はアメリカ大陸からやってきたインディアンやインディオたち(縄文人と弥生人)との関係でも重要になってくる。

熊襲や隼人の琉球民族は西日本列島の先住民であり弥生文化を担ってきた。

東日本列島のアイヌもアメリカ大陸からやってきた。

アイヌと琉球民族はインカ文明やマヤ文明を築いたインディオたちと同じ血を分け合っている。

<抜粋終わり>

何か、目からウロコって感じですよね。

地殻変動は太古の昔にあったとしても、何故か「魏志倭人伝」を記した人々に日本列島は逆さまに覚えられているのです。

それで、「卑彌弓呼」率いる「狗奴国」が「邪馬台国」の「南」って言うのも理解が出来ます↓

photo:03


ほらね!

卑弥呼さえも恐れをなしていた偉大なる東日本の王「卑彌弓呼」が眠る墓を、渋滞緩和の道路なんかの為に、破壊してしまっていいのですか?

「卑弥呼」の墓なら残すんですか?

静かに眠っている王を、叩き起こし道路を作る為にどいてもらうなんて事、出来るんですか?

そんな事をしたら、祟りがあるかも知れませんよ。

崩してしまったら、取り返しのつかない事になります。

それよりも、西の「邪馬台国の卑弥呼の古墳」に対する、東の「狗奴国の王・卑彌弓呼の古墳」として重要史跡にした方がいいんではないでしょうか。

その方が沼津市長さんも、道路よりも歴史的宝を残すと言う『正しい決断をした市長』として名を残せると思います。

どうか、高尾山古墳を壊すのを止めてください。お願いします。

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