永田町異聞 -4ページ目

日本記者クラブの品格とは?

昨日、日本記者クラブで開かれた党首討論会の第2部は、共同記者会見の場となった。


思考の監獄から脱走できない記者クラブメディアの“牢名主”のようなベテラン記者の質問に、各党党首が答える盛大なイベントである。


読売の橋本五郎、朝日の星浩といえば、昨年8月の民主党代表選で小沢の支持を受けて立候補した海江田万里を以下のように責めたてた小沢バッシングの急先鋒だ。


「党員資格停止中の方が大きな影響力を持っている。異様な光景だ。どう考えているのか」(橋本)


「小沢さんは秘書三人が逮捕起訴され公判中で、本人は強制起訴された。いまだに国会での説明はない。どうお考えか」(星)


いまや小沢一郎は無罪が確定し、検事の捏造捜査報告に誘導された強制起訴の不当性が問題になっている。もともと無理筋捜査であることを承知のうえで小沢政界追放の論陣を張ってきたのが彼らだが、いまだに反省の色はない。


30日の党首討論会における橋本は、「品格ある質疑にしたい」と挨拶しながら、日本未来の党、嘉田由紀子代表に次のような偏見に満ちた質問をぶつけた。


「卒原発を唱えているが、それ以外の政策はどうも、原発依存ならぬ小沢依存ではないか。小沢さんが役職に就けないのならますます影でという話になる。小沢問題をどういう消化のしかたをしてるんですか」


小沢問題とは何か。嘉田代表の背後で小沢が悪だくみでもするといいたいのだろうか。


嘉田が「なぜみなさん、小沢さんをそう怖がるのか」と語り始めるや、嘲笑とともに“牢名主”たちが声を上げて反応した。


「怖がってません、嫌がってるんです」


つい本音が出たのだろう。「嫌がっている」。事実よりも気分本位で記事を書いてきた証しだ。「嫌悪」の心理の底に「怖れ」があるのに気づいていないのも、おめでたいほどの単眼思考だ。


嘉田は彼らの心理を見透かしたように「嫌がっている」と、言いかえたあと、再びおだやかな口調で続けた。


「小沢さんの力を利用した方々が怖がっているのではないでしょうか。国民が求める政治を実現するために小沢さんの力を使いたい。小沢さんを使いこなせずに官僚を使いこなすことはできません」


しなやかで果敢な切り返しといえよう。


嘉田は前日のネット党首討論会でも「これまで、小沢さんを利用した人は、自分のために利用したかも知れません。私は小沢さんの力を、日本の政策実現、未来のために使わせていただきます」と語っている。


「小沢を利用した人が怖がっている」。この言葉には深い意味を感じる。


どれだけの政治家が小沢の世話になり、薫陶を受けながら、自らの立場やポストを守るため、そのもとを去って行ったことか。マスメディアは、この20数年間、小沢を悪者に仕立て上げ、どれほど世間をあおって商売に利用してきたことか。


日本記者クラブが真に「品格ある質疑」を望むなら、好き嫌いの牢獄から脱し、事実本位の人間観、社会観、政治観を持つジャーナリストを育成することに力を注ぐ必要がある。


新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)

卒原発への小沢関与を嫌悪する大メディアの政治的未熟

小沢一郎が脱原発勢力の結集に向けて、滋賀県知事、嘉田由紀子を口説き落としたのがこのひと言だったという。 


「嘉田さんが国のために動いてくれるなら、国民の生活が第一がなくなっても、自分が代表から降りてもいい」(産経)


多くの人が知っている通り、「日本未来の党」は、小沢という政治家がいなければ生まれなかった。


09年の政権交代も、93年の非自民連立政権誕生も、江藤淳が「構想力雲のごとき」と形容した小沢のひらめきと、分析、決断、行動力がなければ、なし得なかっただろう。


民も自も維新も、大飯で明らかなように原発再稼働を容認する政党だ。日本未来の党は「段階的に原発を減らして10年以内にゼロにする」という。脱原発に賛同する民意の受け皿として日本未来の党が明瞭に浮かび上がってきたことは間違いない。


この動きに嫌悪感を示しているのが読売と産経だ。


「国力を衰退させる脱原発を政治目標に掲げる政党に、日本の未来を託せない」(読売社説)


「脱原発を掲げる政党は理念ばかりが先行し、現実を見ていない。企業が上げる悲鳴に、逃げない答えを示すべきだ」(産経主張)



朝日はその意義について評価するが、小沢が水面下で動いたことは他紙と同様、気にくわぬらしい。マックスウエーバー流にいえば「それこそ政治のイロハもわきまえない未熟児」だろう。


政治的未熟児の論説はこうだ。


「ただ、気になる点もある。一つは小沢一郎氏の存在だ。自らの党の埋没に危機感を抱いていた小沢氏は選挙の顔として嘉田氏をかつぎ、生き残りのために結党をおぜんだてした。そうした見方があるのは事実だ。新党を作っては壊し、力を保ってきた小沢氏の政治スタイルが復活するようなら、脱原発も選挙むけの口実に終わる」(朝日社説)


未来の党への評価は異なるが、小沢に対する見方はいずこの大メディアも同じだ。


だが、09年の政権交代、93年の非自民連立政権誕生と政治改革は朝日の言う「小沢氏の政治スタイル」がつくり上げたものではなかったか。冷戦終焉後の世界の変化に対応するため、自民党長期政権にあぐらをかいてきた統治機構を改革しようともがき、試行錯誤する過程で、壊してはつくるという繰り返しになったのではないか。


どうやら、大メディアは日本の政治史に小沢が登場せず、自民党政権がつねに安泰であり続けていたほうがよかったようだ。


国有地を払い下げてもらい、再販制による新聞価格維持、テレビ電波、記者クラブ利権など甘い汁を吸いながら、旧態依然とした紙面をつくり続ける大新聞の記者諸氏には、壊す決断の難しさなど理解できないに違いない。


もし自民党に93年以降に生まれた政権交代の危機感がなかったら、もっと永田町、霞ヶ関の腐敗は進んでいただろうが、そんなことには一顧だにしない。


経済界も巻き込んで10年後の原発ゼロをめざすドイツを視察し、小沢は日本でも可能なはずだとの確かな手ごたえをつかんだ。選挙戦術としての脱原発という側面がないとはいえぬが、そのように選挙で国民に公約する内容を判断させていくのが民意の力である。


いずれにせよ、嘉田は小沢という政治力の担保があってこそ、新党の顔になる決断ができた。小沢は政治家としても環境社会学者としても芯の通った嘉田を押し立て、自らは裏方にまわることで、「卒原発」「脱原発」の旗を明確に掲げて選挙を戦うことができる。


土壇場になってこういう芸当のできる政治家は、やはりいまの日本には、他に見当たらない。


新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)

石原という苦労を背負い込んだ橋下維新

都知事としての功罪はさまざま見方があろう。日中関係悪化の張本人ということも、さておこう。確かなのは、国会議員時代に、これといった実績がないことだ。


その石原慎太郎が、どうやら首相の座をねらっているらしい。それも「橋下さんは義経、私は弁慶だ」と大阪市長を持ち上げ、すり寄って。


万が一、日本維新の会が選挙で大躍進し、石原が首相にでもなれば、弁慶が頼朝に豹変するのではないか。選挙目的でにわかにくっついた烏合の衆は権力を与えられると同時に主導権争いをはじめるだろう。


平家との戦いの立役者でありながら、のちに頼朝に疎まれ、自刃へと追い込まれた悲劇の武将、源義経に橋下がなるとすれば気の毒なことだ。


ところで、息子の伸晃が「明智光秀」呼ばわりされて自民党総裁になれなかった仇討ちか、腹いせか、それとも積年の夢をかなえる最後のチャンスと興奮したのかはしらないが、石原に国政で何ができるというのだろう。


国会議員をつとめた25年間。環境庁長官や運輸大臣はつとめた。中川一郎、渡辺美智雄らと青嵐会をつくり、極右、タカ派のイメージでならした。『「NO」と言える日本』を盛田昭夫と共著で出版し話題を呼んだこともあった。


しかし、その活動の多くは緻密な戦略を欠くパフォーマンスの色濃いものだった。第1作目「太陽の季節」で華々しく作家デビューし、石原裕次郎の兄としてスター性を兼ね備えていながら、彼に心酔して集まってくる政治家は少なかった。大きな政治勢力をつくりえなかった。


それでも1989年、平沼赳夫、亀井静香、園田博之らに推されて自民党総裁選に出馬したが、わずか48票しか取れず、最大派閥竹下派が推す海部俊樹に敗れた。


石原が小沢一郎を毛嫌いするのは、当時の竹下派(経世会)の事務総長として、海部政権誕生に辣腕をふるったのが小沢であるからに他ならない。


このときの怨念がいつまでも石原の心中にくすぶっているのか、海部政権時代、湾岸戦争にのぞむ米国に130億ドルの資金を小沢幹事長の一存で提供したかのごとく言いふらす。そればかりか「そのカネの一部が日本にキックバックされた」という噂まで持ち出して、小沢のフトコロに入ったと言わんばかりの話をする。


130億ドルもの巨額資金が小沢一人の指図で出せるはずがない。当時、橋本大蔵大臣らが米側の要求に苦悩し、資金拠出に同意するまでの経過は手嶋龍一著「外交敗戦」に詳しい。


それにしても、いとも軽々と他人の名誉にかかわる悪口を言える品性の粗雑さこそが、政治家としての石原慎太郎という人物の限界であろう。


ただし、彼が唯我独尊、傲岸不遜な言動を続けるのは、才能と自尊心に満ちた心の底に、激しい“コンプレックス”もまた存在するからではないかとかねがね筆者は思っている。若くして時代の寵児になったゆえにこそ、人知れず抱き続ける苦悩があるのではないか。


とりわけ小沢のように常に政界の中心に居つづける存在は、石原の嫉妬の対象とはなっても、手を握る相手にはならないだろう。たとえ、官僚支配、中央集権の解体で一致できるとしても。


橋下徹は、「石原慎太郎」という苦労を背負うことになった。超有名人の甘言に幻惑された自業自得ではあるが…。 


 新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo) 

メディアは二審無罪までの小沢報道を自ら検証せよ

「天声人語の一文目」という朝日新聞のテレビCMをこのところよく目にする。


美しいピアノ曲をバックに、コラムの最初のセンテンスが映し出される。「書き写しノート」のPRも抜け目なく添えて、朝刊一面の看板に「教養」の金箔をはりつける。


筆者の手もとに、北風三六郎という方から届いた私家版の冊子がある。


「小沢バッシングの正体」というタイトルのその冊子には、2009年3月4日から2012年5月にかけて、朝日新聞が小沢一郎氏について書いた社説と天声人語が収められている。


そのうち、天声人語の記事数を数えてみると、じつに54本にのぼる。およそ20日に1度は天声人語に「小沢」が取り上げられている勘定だ。


小沢氏はあまりにも当然のことながら、二審でも無罪となった。しかも東京高裁は、元秘書らが土地取得に関して故意に記載時期をずらせたとする一審判決を「事実誤認」と指摘し、元秘書らも小沢氏とともに無実であるという認識を色濃く打ち出した。


ここに至って、あの産経新聞でさえ申し訳ていどではあるが「検察審査会の暴走」に言及しはじめた。報道ステーションの古舘伊知郎氏ですら自分たちのこれまでの報道にちょっぴり反省の弁を述べた。


朝日新聞の紙面から感じられるものは、相変わらずの自己正当化と、われらこそ「日本の知性」といわんばかりの、傲岸不遜ぶりだ。


その最たるものが、書き写すほどに文章の模範とする人が多いという「天声人語」であろう。その教養と知性とやらは、小沢を罵倒する数々のフレーズによって、お里が知れる。


まずは、西松事件で大久保元秘書を逮捕、起訴したあとの次の文章。


◇下心みえみえのゼネコンから党首が巨額の献金を受け、どこが悪いんだと居直る。(2009年3月26日)


この件については、のちに検察が無謀捜査を覆い隠すため訴因変更し裁判そのものが消滅している。


大久保逮捕後のマスコミの大騒動によって代表辞任を余儀なくされた小沢氏について。


◇「本当に怖い」「猛獣が野に放たれた」。党内から漏れる声を聞けば、辞任会見で言っていた「民主主義」とは何かと思う。(2009年5月14日)


政権交代後、マスコミへのリークによる検察の世論操作に民主党内で批判が強まった。そのさい、検察に寄り添う姿勢を示したのが天声人語の下記の文章だ。


◇これでは捜査への嫌がらせである。…西松事件で小沢一郎氏の秘書が捕まった時、野党の民主党は、政権と結んだ国策捜査だと非難した。目下の状況は与党の思い通りになっていないのだから、「検察の独立」を誇ればいい。(2010年1月21日)


野田政権が誕生し、小沢氏に近いといわれる輿石氏が幹事長に就任したことに関して。


◇党内融和を最優先した人選だが、かけ違いはないか…そもそも世間に「小沢的なもの」への嫌気がある。(2011年9月1日)


「小沢的なもの」への嫌気があるとすれば、それをつくってきたのは誰なのか。一般市民の政治家への好悪は、マスメディアの送り出すメッセージによって変化するものであろう。


2012年4月26日、東京地裁は小沢氏に無罪判決を言い渡した。この翌日の天声人語は、なぜか1983年のロッキード事件一審判決で田中角栄元首相が有罪になったことから書きはじめた。


◇政治を動かした判決といえばやはりロッキード事件だろう。…闇将軍が表舞台に戻る日は遠のいた。…約1年後、田中派の重鎮竹下登らは、分派行動ともいえる創政会の旗揚げへと動く…▼さて、この判決は政治をどう動かすのか。資金問題で強制起訴された小沢一郎氏の無罪である。…だが顧みるに、この人が回す政治に実りは乏しかった▼若き小沢氏は心ならずもオヤジに弓を引き、創政会に名を連ねた。以来、創っては壊しの「ミスター政局」も近々70歳。「最後のご奉公」で何をしたいのか、その本心を蓄財術とともに聞いてみたい。(2012年4月27日)


まず小沢氏がオヤジと慕った田中角栄氏を持ち出して「金権」イメージをダブらせる。さらには、創政会参加でその恩人を裏切った権力亡者のように書く。


こうした作文術で、小沢悪徳説に読者を誘う。朝日新聞をはじめとするマスメディア各社が長年にわたり続けてきた典型的な小沢攻撃の手法である。


一、二審とも無罪になった人物に対し、巨額裏献金を受け取った悪徳政治家のごとく根拠もなく吹聴してきた朝日、毎日、読売、産経、日経、そして各テレビ局は、なぜ、これまでの報道を自ら検証することをしないのか。


このところ、iPS細胞に関する読売新聞の大誤報や、尼崎連続変死事件で別人の顔写真を掲載するなど、報道の不祥事が相次いでいる。小沢報道についても、いかにウソをくり返してきたかは、一、二審の無罪判決が明確に示している。


2009年3月3日以来の小沢報道を検証し、本来の報道がどうあるべきだったかを読者、視聴者に自ら示すことこそが、マスメディアの信頼回復にとって最低限必要なことではないだろうか。


新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)

読売の原発信仰とその系譜

この国に原子力を導入した張本人は読売新聞の柴田秀利である。正力松太郎が「原子力の父」と呼ばれたのは、柴田がその影武者として動いたからだ。


保守合同で自民党が誕生した1955年に読売新聞が原子力キャンペーンを開始し、同年4月28日、経団連を中心に「原子力平和利用懇談会」が発足した。それが、原子力村の起源であり、原発推進の第一歩だった。


その時代からの理念を受け継いでいるのか、読売新聞は、福島第一原発の放射能災害が国土を汚染し、無数の国民の命を危険にさらした今となっても、原発重視の社論を変えようとしない。


23日付の社説では、「冬の電力需給 北海道の停電は命にかかわる」と題し、「泊原発を再稼働すれば電力不足を解消できるのに…今冬には間に合わなくなった」と、北海道民に脅しをかけて、原発再稼働の必要性を説いている。


電力不足など日本全国、どこにもない。使い古した脅し文句はもう通用しないのではないか。


これはもう読売新聞の“ジャイアンツ愛”ならぬ“原子力愛”というほかない。その萌芽をたどると1953年の夏に行きつく。


この年、二人の日本人が別々に、それぞれ異なる目的でアメリカに渡った。一人は衆院議員、中曽根康弘。もう一人が読売新聞の柴田秀利だ。


中曽根はマッカーサー司令部の対敵諜報部隊(CIC)に所属していたコールトンと親しく、その勧めにしたがってハーバード大学夏期国際問題セミナーに参加するため7月に渡米、2か月間ほど滞在した。


一方、柴田は日本テレビ開局にともなう1000万ドルの借款交渉を任され、この年は数度にわたり渡米したが、ちょうど中曽根と同じく7月から8月末にかけて米国で最後の詰めの仕事にあたっていた。


その年の12月8日、ソ連の核開発が活発さを増すなか、アイゼンハワー大統領が国連で、原子力の平和利用を呼びかける演説をしている。


柴田が日本テレビ開局に必要な1000万ドルを借りる条件を整え、帰国前のあいさつまわりをしていたころのことだ。友人の紹介で会ったジェネラル・ダイナミックス社の副社長からテレビのエレクトロニクス技術と原子力の平和利用についての話を聞いた。


ジェネラル・ダイナミックス社といえば世界初の原子力潜水艦ノーチラス号を造った会社だ。柴田は原子力の将来性を想像し、興奮をおぼえた。


柴田と中曽根が米国で接触したかどうかは分からないが、二人とも原子力に強くひかれたことは間違いない。


中曽根は渡米の翌年、すなわち1954年3月、数人の議員とともに、原子力研究のための2億6000万円の予算修正案を国会に提案して通過させた。


柴田は第二次読売争議にかかわり、吉田茂と相談のうえ共産党勢力を撃破した男だ。その力量をGHQに見込まれ、左翼思想に染まっていたNHKに投入された。


1947年ごろから1951年の講和条約成立まで、ニュース解説者をつとめて米国の情報戦略に一役買った。そんな特殊な経歴が米国要人との人脈を築いていた。


柴田もさっそく動きはじめた。中曽根らが原子力予算を通したすぐあと、偶然にもビキニの米核実験による第5福竜丸の被曝事故が発覚し、反核・反米運動が燎原の火のごとく広がったからだ。


柴田は、ビキニ事件をきっかけとした反核・平和運動が、ソ連による資本主義打倒の世界戦略の一環だと信じて疑わなかった。


柴田は、日本人の反米感情をおさえるための方策を原子力の平和利用に求めようとした。そこには、米国側からのひそかな働きかけがあった。


米国の密使が訪ねてきたときの状況を柴田の著書「戦後マスコミ回遊記」からうかがい知ることができる。


「このまま放っておいたらせっかく敵から味方へと、営々として築きあげてきたアメリカとの友好関係に決定的な破局を招く。ワシントン政府までが深刻な懸念を抱くようになり、日米双方とも日夜対策に苦慮する日々が続いた。このときアメリカを代表して出てきたのが、D・S・ワトソンという私と同年輩の、肩書きを明かさない男だった」(戦後マスコミ回遊記より)


柴田はワトソンにCIA要員かと問うと、ワトソンはこう答えた。「違う、僕は国防省の人間である。ホワイト・ハウスと直結しているから大使館など、まどろっこしいところを経由する必要はない。何とか妙案はないか、考えてくれ」


このやり取りがあって数日後、柴田は考え抜いたあげくワトソンに次のように結論を告げたという。


「日本には昔から“毒は毒をもって制する”という諺がある。原子力はもろ刃の剣だ。原爆反対を潰すには、原子力の平和利用を大々的に謳いあげ、それによって、偉大な産業革命の明日に希望を与える他はない」


原子力は核爆弾にもなれば、国の産業を発展させるエネルギーにもなる。米国が提唱する平和利用のキャンペーンを強力に進めることによって、反米・反核感情がやわらぎ、国民が共産思想に染まっていくのを防ぐことができると思ったようだ。


ワトソンは「柴田さん、それで行こう」と、柴田の肩をたたき、ギュッと抱きしめたという。


その後、とんとん拍子に日米の話し合いが進み、おおむね次のような経過をたどる。


1955年春に経団連を中心とした「原子力平和利用懇談会」が発足して間もなく、ジェネラル・ダイナミックス社のホプキンス社長を団長とする米国の原子力平和利用使節団が来日、それを読売新聞や日本テレビが大々的に報じた。


そして日本政界では、同じ年の5月15日、三木武吉と大野伴睦が会談し、保守合同、自民党結成へと進む。これにより日本に確固たる親米政権が誕生し、ソ連の影響力は弱まっていく。


米国は反共・親米プロパガンダのために日本テレビ創設を後押しし、CIAが正力にポダムという暗号名をつけて、正力や柴田を利用してきたフシがある。


つまり、日本のテレビや新聞を使い、「自由と民主主義の国・アメリカ」を印象づけるとともに、原子力の平和利用を宣伝して、反米感情や核アレルギーをやわらげるという企てだ。


そうした心理作戦が大きな効果をあげて、ライフスタイルのアメリカ化が進むにつれ、米国的な利便、効率、経済優先主義にもとづく原子力発電への傾斜が強まっていったといえる。


読売新聞の米国追従、原発推進路線は、その成り立ちからして、筋金が入っている。


「今年度上期の貿易赤字は初めて3兆円を突破した。安全を確認できた原発を順次、再稼働していかないと、国富の流出に歯止めがかからない」(23日読売社説)


そのように、普通の生活というかけがえのない財産を原発で失った国の大新聞が社説でしゃあしゃあと言ってのけるおぞましさには、ふつうの神経ではとうてい太刀打ちできそうもない。


新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)

軽減税率をねだる読売社説の恥知らず

経営陣の魂胆が見え透いていたとはいえ、読売新聞の18日付社説を読んで、良識ある新聞人は、顔が赤らむ思いだったのではないだろうか。


消費税増税の必要性をあれだけはやし立てておきながら、自らのことになると下記のごとく「新聞は軽減税率にすべきだ」と主張してはばからない。


◇新聞は民主主義と活字文化を支える重要な基盤だ。消費税率引き上げでは、新聞に対する税率を低く抑える軽減税率を導入すべきである。(中略)
新聞は、全国で誰もが安く手に入れて活用できる特色があり、公共財的な社会インフラだ。コメなどの食料品と同じような必需品として、新聞の重要性を認める読者は少なくないのではないか。◇


毎月4000円近い料金を支払わねばならない新聞が公共財、社会インフラだというのは、さすがに業界トップクラスの給料を誇る新聞社だけのことはある。所得格差が広がるばかりのこの国で、低収入にあえぐ庶民の痛みなど、どこ吹く風だ。


大手新聞ほど、国家権力に庇護されている民間企業はない。国有地を安く払い下げてもらってそこに本社を建て、電波利権を与えられてテレビ局を開設し、なおかつ新聞だけは公取委に再販制度を黙認させて、新聞価格を高く維持している。


官庁まるがかえの記者クラブに入ってさえいれば、放っておいても記者会見がセットされ、役人が提供してくれた資料に少し手を加えただけで一本の原稿があっという間に出来上がる。記者クラブがなかったら、現有の記者数では新聞紙面の半分以上を白紙で出さねばならないだろう。


まさに利権の巣窟であるがゆえに、金繰りの苦労を知らないど素人が経営者になっても、会社を存続できているのだ。


そういえば、週一回出している筆者のメールマガジン2011年2月10日号で「消費増税をあおる新聞界の策謀」と題する記事を書いた。読売の今回の社説を予測したような内容なので、あらためて以下にその一部を転載しておきたい。


◇◇
大新聞と財務省の関係をうかがわせる人事があった。昨年(2010年)11月16日、丹呉泰健氏が読売新聞の社外監査役に就任するという小さな記事が各紙に掲載された。


丹呉氏といえば、2009年の政権交代直前に財務事務次官となり、2010年7月に退任したばかり。OB人脈を含めた財務・大蔵一家のなかでの影響力は大きい。


読売新聞がなぜ、丹呉氏を必要とするのか。読売グループのドン、渡邊恒雄の意思がはたらいているとみるのが自然だろう。この人事の背後に、「消費増税」への新聞界の思惑が透けて見える。


消費税が数%でもアップされると、ただでさえ人口減、インターネットの台頭、広告収入の大幅ダウンに見舞われている新聞業界はもたない。


そこで、渡邊氏ら新聞界のトップが考えているのが、英国のように食料品など生活必需品の税率をゼロ、もしくは軽減するよう世論を誘導し、その生活必需品のなかに、さりげなく新聞をもぐりこませるという算段だ。


それを可能にするために、財務省の増税路線を大いに支援して恩を売っておく必要がある。いざというときの橋渡し役として、丹呉氏はうってつけだと考えたに違いない。


新聞にとって、もうひとつの恐怖は、再販制度と特殊指定の特権を剥奪されることだ。現在のところは、再販制度によって高価格に維持できているからこそ、まがりなりにも新聞の経営はなりたっている。


ふつうの商品なら、価格を決めるのは小売であり、メーカーが価格を押しつけると独禁法違反になる。新聞は特殊指定によって、メーカーである新聞社が価格を決めることができる数少ない商品だ。


渡邊恒雄氏ら新聞業界トップには再販制度をめぐるこんな前歴がある。


2005年11月、公正取引委員会が、再販制度について新聞の特殊指定を見直す方針を打ち出した。実はそれよりはるか前の1998年にも公取委が「基本的に廃止」の方針を固めたことがあったが、新聞協会会長だった渡邊氏らの政界工作で、「当面見送り」にさせた経緯がある。


05年の見直し方針に対しても同じだった。新聞協会は猛反発し、各政党への働きかけによって政界の支持を得た新聞協会に公取委が屈して、方針を取り下げた。


記者クラブの独占的取材体制など新聞協会の既得権に手厳しい小沢一郎氏は、マスメディアにおもねる体質が色濃い政界にあって異彩を放っており、それが異常なバッシング報道を受ける大きな要因であることは確かだろう。


ちなみに、再販制度を所管する公正取引委員会の委員長、竹島一彦氏は大蔵省OBであり、読売新聞の社外監査役となった丹呉氏が、この方面でも一定の役割を果たすことになると推測される。


こうしてみると、強大な予算配分権の維持をめざす財務省は国家財政の危機を過大に喧伝して増税の必要性を唱え、現実に経営危機が迫りつつある新聞社とその系列のテレビ局を抱き込むことで、世論調査という擬似国民投票に右往左往する菅内閣が財務省の言いなりになる形をつくることに成功したといえる。
◇◇


18日の読売社説によると、日本新聞協会が青森市で開いた今年の新聞大会で、全国紙から「民主主義、文化の最低のライフラインを守るためには、軽減税率の導入が必要だ」との訴えがあったという。


もちろん読売だけの問題ではない。全国紙みな、そろいもそろって、恥知らずというほかない。「民主主義、文化の最低のライフライン」に全国紙がなっているかどうか、お得意の世論調査で調べてみてはどうか。


再販制度と特殊指定の特権など返上し、競争原理のもと、新聞をもっと買いやすい値段にすることこそ、「最低のライフライン」に近づく道ではないだろうか。


ライフライン、インフラ、民主主義、公共財…などと思いつく限り、我田引水の美辞麗句を並べ立て、国民をあざむいて、特権を守りたいという腹が透けて見える。


 新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)

手をつなぐおじさんの総裁選で蘇った自民崩壊のA級戦犯

民主党政権がお粗末なのはわかりきったことだが、候補者五人がもっぱら民主党批判を唱和して、それぞれの意見の違いをはっきりさせない自民党総裁選は、「手をつなぐおじさんの会」をことさら強調したショーのようで、気色の悪さといったらなかった。


民主党が喧嘩ばかりしているからといって、いまさら「一致団結箱弁当」を持ち出さなくてもよさそうなものだが、論争なき総裁選に傾けたマスメディアの異様な情熱や、野田首相が間髪を入れず安倍新総裁に祝いの電話を入れたという報道をながめるに、世の中やはり、「体制翼賛」に向かっているのかと、なおさら不気味に思える。


それにしても再び安倍晋三をトップに選ぶ自民党というのは、よほど寛容の精神の持ち主が多いとみえる。


参院選で「私をとるか、小沢さんをとるか」と国民に迫った末に惨敗、「安倍をとらなかった」民意を無視して総理の座にしがみつき、あげくの果ては、国会で所信表明までしておきながら、テロ特措法の延長に反対する小沢に以下のような恨み節を残して、唐突に政権を投げ出した。


「本日、小沢党首に党首会談を申し入れ、私の率直な思いと考えを伝えようと、残念ながら党首会談については、実質的に断られてしまったわけであります。先般、小沢代表は民意を受けていないと、このような批判もしたわけでございますが、大変残念でございました」


厚労省指定特定疾患の難病、潰瘍性大腸炎の持病が悪化したのが辞任の原因だったのだが、参院選と同様、嫌われ者「小沢」の名を出して自らをかばったのである。


もうあれから5年余りの時が流れたというのに、安倍の幼児性、あるいは「人のせい」にする性癖が改善されたとは思えない。


総理経験者として、いささか言動が軽すぎるのも気になるところだ。


彼は昨年5月20日、記者を集めて、菅首相の原発対応に関する、ある情報を吹聴した。その内容は、安倍が出したメールマガジンで知ることができる。




 安倍晋三です。

福島第一原発問題で菅首相の唯一の英断と言われている「3月12日の海水注入の指示。」が、実は全くのでっち上げである事が明らかになりました。

複数の関係者の証言によると、事実は次の通りです。12日19時04分に海水注入を開始。同時に官邸に報告したところ、菅総理が「俺は聞いていない!」と激怒。官邸から東電への電話で、19時25分海水注入を中断。実務者、識者の説得で20時20分注入再開。…しかし、やっと始まった海水注入を止めたのは、何と菅総理その人だったのです。◇


鬼の首でも取ったような、この文面のはしゃぎようはどうだろう。実際には海水注入は続いており、ガセネタだったことがのちに判明している。


国会事故調報告によると、事実はこうだったようだ。


「12日19時04分に海水注入を開始。19時25分、官邸にいた東電の武黒フェローは、吉田所長との電話により海水注入の開始を認識したが、官邸にて海水注入のリスクについて検討中であったため、吉田所長に対していったん停止を指示した。吉田所長は、テレビ会議システムの発話上、海水注入の中断を命ずるも、実際には継続しており、海水注入は中断されなかった」


その後、筆者の知る限りでは、元総理として一定の影響力をもつ安倍がこの偽情報を公に訂正した形跡はない。人間の品格としていかがなものか。


どの候補者が総裁になっても、似たようなものであるが、もしもマスメディアが喧伝するように自民党政権が復活し、安倍が首相になるようなことがあったら、安倍版「決断できない政治」ショーの再現を、いやというほど見せつけられるに違いない。



 新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)


維新幻想製造装置としての橋下市政

面白がっている場合ではないが、選挙も間近になってくると、いろんな人間が踊りだす。たとえきれいに化粧して、にわか仕込みの舞姿となっても、中身は醜い欲の塊であることはご承知の通りだ。


原発再稼働をしておきながら、原発ゼロと選挙向けの公約をまとめようとする民主党の下心は見え見えだし、政権奪回を皮算用して権力亡者がてんやわんやの自民党もはしたない。


野党時総裁としてリリーフ登板させていた谷垣禎一を降板させようとする動きは予定通りだろう。


細川非自民連立政権時代、野党時の自民党総裁だった河野洋平に引導を渡したのは同じ派閥、宏池会の加藤紘一だ。村山退陣にともない実質上の首相選択選挙となった総裁選で他派閥の橋本龍太郎を支持し、河野の再出馬を断念させた。


その加藤が、「加藤の乱」で天下を狙い、同じ宏池会の古賀誠が反対工作をして野望をくじいたのは有名な話だが、加藤の子分だった谷垣がその後の派閥分裂と恩讐をこえて再合流したはずの現宏池会会長、古賀にバッサリ斬られ、総裁選出馬が危うくなっているというのは、どういう因縁だろうか。


さて、古賀といえば、思い出したくないのが東国原英夫という名ではなかろうか。


宮崎に出向いて2009年総選挙への出馬を掻き口説き、一時は「私を総裁候補に」と言うまで増長させた苦い経験がある。


その東国原が、東京都知事選の敗戦を経て、今度は、「大阪維新の会」から衆院選に出馬するという。


思えば、橋下徹は「反面教師」として東国原から多くを学び取ったに違いない。


宮崎県知事として話題性のあることをやっているうちは、マスコミにちやほやされ、何かやってくれそうだという「幻想」も人々に抱かせることができた。ところが、国政だ東京だと彼の欲が高じるにつれ、逆に世間の目は醒めてゆく。


橋下は大阪の首長であるからこそ独裁的とも思える手法で思い通りに政治ができ、世間の支持が集まる。


いつ彼が国政に出て大改革をやるだろうかという「幻想」を醸し出すことができ、その発言を中央政界や大メディアも無視できない。


橋下が衆院選に出るなどしてこの好都合な状況を捨てるはずがない。橋下が力を持つには大阪市長でなければならないのだ。


そこでこの新党、たいそう風変わりな組織になるらしい。


本部が大阪で、大阪市長が党首、大阪府知事が幹事長、その下に府議団、市議団、国会議員団が同等の立場でぶら下がる。国会の活動は国会議員団の団長や幹事長が担い、最終決定権は大阪市長の橋下が持つという。


だとすると、万が一にでも「維新の会」という名称になるかどうか知らないこの新党が政権を担うことになった場合、国会議員団の団長とやらが首相になり、首相を橋下が支配するという、大阪市長の傀儡政権になるのだろうか。


パラドックスとしては実に戯画的で面白いが、現実的といえるかどうか。


それでも「維新幻想」製造装置としての橋下大阪市政を温存するにはこれしか手がないのだろう。


国政進出の成否は大阪改革を進める橋下の宣伝効果にかかっている。世間の橋下支持ムードに依存する構造から脱さない限り、国の改革を進める真の実力を蓄えるのは難しい。



 新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)

財務省の高笑いが聞こえる

「一体改革」とは名ばかりで、実は公共事業へのバラマキを潜ませる増税案に過ぎない「社会保障と税の一体改革法案」が、参院でも可決され、成立した。


12兆円の税金を使っている天下り法人という「シロアリ」退治に向かったはずの野田首相が、シロアリの巣窟の居心地の良さに魅了されたのか、もっと税金をよこせと、シロアリの味方になってしまった。


肝心の社会保障をどうするかは先送りで、国民には重税感だけがのしかかり、これでは景気が上向くはずもない。


シロアリ賊の頭目、財務省という集金・分配モンスターは、日本国のカネをあてにする米政府とも、大企業の論理しか頭にない日本財界ともつながって、庶民のフトコロからカネをむしりとる方策をかねてから用意し、国民の代表としてそれを実現してくれる人物の登場を待っていた。


「改革」の仮面をかぶっていた野田の本性を見抜き、大蔵OB、藤井裕久の引きを頼んで財務副大臣に迎えたことが、当時の主計局長で今の事務次官、勝栄二郎にとって幸いだった。


財務省が長年かけて増税派として育ててきた谷垣禎一が自民党総裁に、同時に野田が財務副大臣から財務大臣を経て総理大臣になるという、まさに千載一遇のチャンスを生かすべく、財務省官僚たちが民、自、公の間を消費増税法案の実現をめざして奔走した。


「社会保障と税の一体改革法案」は、社会保障という大義名分と改革の名のもとに国民の目をくらませ、将来に幻想を抱かせる内容だ。


「税制の抜本的な改革の実施等により、財政による機動的対応が可能」とする「附則18条の2」を法案にくっつけて、巨額と見込まれる財源の余裕分を公共事業にまわす仕組みにした。


利益誘導政治の復活を熱望する自民党の政治家に歓迎されることはうけあいだ。こうして民自公三党の合意ができあがった。


冷静な頭で考えれば、増税で社会保障に対応できないのは自明のことだ。


社会保障は当面の間、年々増え続けるが、消費税を毎年のように上げ続けることなどできはしない。


にもかかわらず、欧州経済危機などを利用した財務省の巧みな「ご説明」によって、消費増税で財政再建ができ社会保障も安心であるかのごとき宣伝が大手メディア各社の編集幹部や、有識者、学者、評論家と呼ばれる人々に浸透し、テレビ、新聞、雑誌を通じて世間に広がった。


財政健全化というウソで塗り固められたこの悪法の参院における採決をめぐって、「国民の生活が第一」など自公以外の野党が不信任決議案と問責決議案を提出すると、それをきっかけに一時は財務省も頭を抱える事態に陥った。


自民党の谷垣総裁が「衆院解散を確約しなければ、不信任決議案と問責決議案を独自に提出する」と、三党合意に矛盾するようなことを言いだしたからだ。


早期解散で自民党が政権復帰できると踏む楽天主義者や、選挙資金が底をつかないうちにと焦る代議士浪人たちの激しい突き上げが、谷垣をうろたえさせた。


すかさず、財務省の影響下にあるマスコミが野田政権を援護射撃した。


◇首相と谷垣自民党総裁にあらためて求める。ここは一体改革の実行が最優先だ。両党首が先頭にたって事態を打開し、関連法案の成立を確実にすべきだ。(朝日社説)


◇実現目前の一体改革を白紙に戻すのは、愚の骨頂である。(読売社説)


◇首相と谷垣禎一自民党総裁の党首会談で民自公3党合意の崩壊を阻止しなければならない。(毎日社説) 


これらメディアを通じた財務省の間接支配ともいえる“指令”が谷垣に不信任決議案と問責決議案提出を思いとどまらせた。


ただ、谷垣は早期解散への党内の期待感に応え、民主党との妥協への反発を和らげるため、野田の「お告げ」を必要とした。


そこで、民主党の使者が伝えてきたのが「近い将来」の解散であった。わざわざ「将来」とつけて、削りやすくしたのがミソだ。


そのシナリオ通り、「将来」を削って、「近いうちに」の合意で自公が矛を収めるかっこうとなり、法案成立への道筋が整えられた。


民自公が“指令”通りにコトを運んだことをマスコミ各社は評価した。


◇改革の頓挫という最悪の事態だけは避けられた。(朝日社説)


◇「何も決められない政治」に再び戻る危機はどうにか回避された。自民党が強硬路線の矛を収めたことを、まずは歓迎したい。(毎日社説) 


◇野田首相は、低支持率にあえぎながらも、消費増税を実現し、国民に信を問おうとしている。党内外の妨害にひるむことなく、その信念を貫くべきである。(読売社説)


野田首相に歯が浮くような激励メッセージを贈る読売の姿勢といい、この法案を「改革」と言い切る朝日の能天気といい、読んでいるほうが気恥ずかしい。


明治以来続いているとはいえ、これほど大政党トップや大手マスコミが霞ヶ関の掌中で意のままに踊らされている図を見るのは、珍しい。


戦前のスローガン「満州は日本の生命線」を、今はやりの「決める政治」に置き換えてみると、どんな施策も決めればよし、といわんばかりの横並びマスコミ論調がいかに危険なものかがよくわかる。


 新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)


原発と電気をすり替えて坂本龍一を批判した「産経抄」

長年、石井英夫氏の味のある筆で読ませてくれた「産経抄」も、その降板後のここ8年ほど、執筆者に恵まれないようで、とくに昨今は薄っぺらい記事が多い。


7月21日の「産経抄」などはその典型だろう。論理もへったくれもなく、ただただ原発再稼働反対デモに参加した坂本龍一氏への憎悪をぶちまけて、一面コラムの品格などどうでもいいといった風情である。


ニューヨークの高級マンションに住む「いまどきのおしゃれな文化人」というていどの坂本龍一観をもっているらしい「産経抄」の筆者は、16日の反原発集会における坂本の演説についてこう書いた。


彼は、「たかが電気のために、この美しい日本の未来である子供の命を危険にさらすべきではない」とのたまった。確かに、たかが電気である。命には代えられない、と思わずうなずきたくなる甘いささやきではあるが、「たかが電気」がどれだけ多くの命を救ってきたことか。▼東日本大震災でも17年前の阪神大震災でも真っ暗だった被災地に明かりが蘇(よみがえ)ったとき、どれだけの人々が感涙にむせんだことか。大震災直後の昨年春、たかが数時間の計画停電で、病院に影響が及び、どれだけの病人が困ったかを坂本教授は知らないのだろう。


坂本が「たかが電気のために」と言ったかどうか筆者は知らないが、かりにそうだとして、彼がこの言葉にこめた意味をかみしめたとき、すり替えの論理をそのあとに続ける気になる人は、よほど詭弁好きといえよう。


坂本は原発再稼働反対のデモに参加したのである。だから「たかが電気のために」は次のように解釈しなければならない。


「電気は原発でなくともつくることができる。原発が再稼働しなければといって停電の不安をあおらなくとも、ほかの電力供給や節電努力でなんとでもなるだろう。たかが、それだけのことだ。子供の命を危険にさらしてまで原発を動かすべきではない」


大震災の被災地に明りが蘇って人々が感涙にむせんだのは、原発が必要かどうかとは関係がない。原子力なしに発電していこうという人々の思いが、あの官邸前デモに結集したのだ。


産経抄は、坂本のこととおぼしき「架空の」文化人について、こうも書いた。


若いときに電気をふんだんに使ったコンサートをやって人気者になり、ニューヨークの高級マンションに住む。もちろん税金は大好きな米国に払って日本には払わない。▼菜食主義を一度は試し、電気自動車のコマーシャルに出る。還暦を過ぎれば流行の「反原発デモ」の先頭に立って、アジ演説をぶって拍手喝采される。目立ちたいのは文化人の業だが、もう少し本業に専念しては、と望むのは古くからのファンのないものねだりだ。


これも皮相な人物観といえる。坂本が本業をおろそかにしているとは思わない。


作曲、編曲、演奏など多彩な音楽活動はいうまでもないが、テレビ番組でも、NHKのEテレでやっていた「スコラ 坂本龍一 音楽の学校」は音楽の素晴らしさを若者に伝える非常にユニークな内容だった。


おしゃれな文化人が目立ちたいため反原発デモの先頭に立って演説したという、実に近視眼的なものの見方から、反原発運動を叩きたい産経の社論とともに、執筆者自身の文化度の低さが浮かび上がってくる。


  新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)