永田町異聞

メルマガ登録・解除
*上の「詳細ページへ」をクリックすれば、申し込みページに飛びます。

■□■□■□■□■□

2月16発行メルマガ  

検察審提出資料を操作した検察の重大犯罪

  

新 恭 (あらた きょう)  

 動画  小沢を書く理由




1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
2012年02月11日(土)

記事作成ロボットになるなかれ

テーマ:政治

誰がつくり、使い始めたのか、「社畜」という言葉がある。企業に飼いならされ、自分の意思と良心を捨て、奴隷と化したサラリーマンのことを揶揄しているという。


マスメディアの記者たちは、自らに問いかけてほしい。


「社畜」になっていないだろうか。締め切りに追われ、原稿を催促され、時間のゆとりと思考の自由を奪われて、型にはまった記事を書き続けるマシーンに成り果てていないだろうか。


小沢一郎氏が出演したBS11の番組(10日)に関する記事が日経新聞に掲載されていた。筆者は番組を見ていないので、小沢氏の発言内容を知るにはこの記事が頼りだ。


記事は小沢氏の発言として、次の2つを紹介している。


(野田首相の増税路線について)「国民に対する背信行為であり、有権者への冒涜だ」。


「野田さんにもう一度政権交代の時の原点を思い起こしてほしい。最後まで期待する」。


番組に関する内容はこれだけしかない。選挙のさいに約束したことを守らない現政権を批判するのはまっとうなことだ。


しかし記者は、まっとうな小沢を書きたがらない。デスクや部長や編集局長らが納得しないからだ。


独り歩きする小沢の悪党イメージをからめて書けば、まずボツにはならないだろう。そこで、権力闘争と裁判闘争にくっつけるのが手っ取り早いと考えたに違いない。以下のような記事になった。


◇…消費増税で、小沢元代表の敵対姿勢が目立つ。グループ内の求心力維持に躍起だが、政治とカネをめぐる裁判闘争を抱えて焦りもにじむ。

「国民に対する背信行為であり、有権者への冒涜だ」。10日、BS11番組。元代表は首相の姿勢を厳しく批判した。

年明け以降は公の場で発言する機会を増やしている。最近は支持議員との会合に積極的に顔を出し、昨年末に発足した週一回の勉強会には欠かさず出席。9日には101人を集め、首相の消費増税路線をけん制した。

展望を描けない現状への危機感も見てとれる。17日の公判では、判決のカギを握る元秘書の供述調書の証拠採否が決まる。不採用なら裁判の展開が元代表に有利に働く可能性がある。逆に「万が一、有罪になればグループは瓦解する」(若手)との声が出ている。(以下省略)◇


「グループの求心力維持」。「焦りもにじむ」。「展望を描けない現状への危機感」。こうした言葉を随所にちりばめることによって、いかにも追い詰められ焦っている小沢氏がグループの勢力を維持することばかりに躍起になっている印象を抱かせる。


「小沢一郎記事作成」ソフトというものでもあれば、前掲の発言内容と、いくつかのキーワードをパソコンにインプットするだけで、簡単に出来上がりそうな記事である。


そこで思い出すのが「ニュース制作ロボット」の話だ。


7、8年前だっただろうか、米国のメディア研究者二人が制作したショートムービー「EPIC2014」が、話題になった。


ニュース制作ロボットがメディアを席巻し、NYタイムズを事業縮小へ追いやるという架空の近未来劇だ。ストーリーを簡単に紹介しておこう。


◇グーグルとアマゾンが合併し、グーグルゾンが誕生。そのコンピュータは、あらゆる情報ソースから事実や文章を抜き出して、それらをふたたび組み合わせることで、新しい記事を自動的に作り出す。これがニュース制作ロボットだ。


ニューヨーク・タイムズは、グーグルゾンのロボットが著作権法に違反するとして、訴訟を起こすが、敗訴する。


グーグルゾンはニュース制作ロボットを進化させた「EPIC」を公開した。混沌としたメディア空間を秩序立て、情報配信するシステムだ。個人ブログの文章や画像、映像レポート、フリジャーナリストの取材が記事作成に貢献する。


この万能ニュース制作マシーンに対し、NYタイムズはインターネット上で歯が立たず、最終的にはエリート層と高齢者向けの紙媒体のみを発行する。◇


記者があらかじめプログラミングされたかのごときステロタイプな記事を書いているようでは、ニュース制作ロボットが誕生したら歯が立たない。このショートムービーにはそんな皮肉と警告がこめられているのではないか。


マスメディア共通の問題だが、たまたま日経の記事を取り上げたついでに、元日経新聞記者、大塚将司氏が「世界」3月号の誌上対談で次のように語っているのを紹介しておこう。


「日経などは、思想・理念的な問題というより、もっとつまらない次元で、例えばあそこの社長とうちの部長がすごく親しいから、あそこの(会社の)問題はあまりやらないほうがいいんじゃないかとなったりします。どこでもそうです。社畜の世界になっている」


これでお分かりのように、「社畜」は大塚の発した言葉である。部長の顔色をうかがう記者たちの姿が目に浮かぶ。


記者が「社畜」であれ、「ニュース制作ロボット」であれ、読まされる側は人間の心から紡ぎだされたものと信じて誘導され、情報の罠にかかってしまいやすい。この怖さを記者の多数がほとんど意識せずにいることが、なおのこと怖い。

 

 新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)



2012年01月23日(月)

消費増税で思考停止に陥った野田政権

テーマ:政治

国から降ってくる資金や仕事を口をあけて待っているあまたの企業や団体がある。


そこから票とカネをもらうために省庁と癒着し、予算をぶんどって、国民の血税を流し込む政治家がいる。


そうした企業や団体や政治家に幅と睨みをきかせ権勢を誇示するために全国民からできるだけ多くの税金をかき集めたい財務省がある。


その財務省では、消費税という、官僚組織の「安心財源」、国民の「不安財源」を勝ち取った事務次官には、省の歴史に名前を残すという意味での、勝利の勲章が与えられる。もちろん、財務省というコップの中の栄光だ。


そして、官僚は国家の機密情報を独占し、自分たちに都合のいい「ご説明」で政治家や学者・文化人を舞い上げ、操って強力な代弁者、広報係となし、国民の目をくらませている間に、生涯不安のない天下り天国をつくりあげる。


財務省の代弁者の代表格である与謝野馨氏は「100年に一度症候群」の自公・麻生政権と、「ギリシャ危機症候群」の民主・菅政権で、消費増税への旗振り役をもののみごとにこなしたといえる。


その証拠に、菅氏のあとを継ぎ、勝栄二郎財務事務次官に洗脳されつくした野田首相は、金融市場の恐怖、すなわちヘッジファンドの空売り、国債暴落の悪夢にさいなまれながら、未曾有の消費不況の中、奈落への坂道を勢いよく転がるように突っ走ろうとしている。


バカな話ではないか。肥満の人からも、痩せ細った人からも、肉をそぎ落とそうとしている。痩せ細った人は骨と皮だけになって死に至り、肥満の人はこれしきでは肥満を解消できないまま贅沢に明け暮れて、死によってすべてを無くす恐怖から逃れるべく気を紛らわせる。


お金持ちからは所得税でドンと税金をとってあげるのが親切というものだ。人はいずれ天に召される。冥途にカネはいらない。一刻も早くカネの呪縛から解き放ち、心の自由を取り戻してあげることだ。


そもそも、890兆円とか、カウントの仕方によっては1000兆円とかいわれる国の借金を減らそうと思ったら、資産を売るしかないではないか。企業でも家庭でも、収入が少なくて借金を返せなくなれば、不動産や証券を売るだろう。


日本国の資産は650兆円とも700兆円ともいわれるが、天下りの受け皿である独立行政法人や関連団体、企業の資産はそのうち200~300兆円はあるという。


ほんとうに国がもたないのなら、これらの組織を売却して民営化したり、不動産や証券を売りさえすれば、消費増税で焼け石に水のようなことをやらなくても財政健全化はあっという間に進む計算になる。


思えば竹下内閣の1988年に3%の消費税が導入されたが、その後の国内消費は悪化する一方だ。


橋本内閣で5%に引き上げられると、不景気風の勢いは強まり、増税効果は1年で終わって財政の悪化に歯止めがかからなくなった。


米国のバブル消費や中国など新興国の経済成長により、大手輸出企業がグローバル経済の恩恵にあずかってきたことはあっても、国内で商売をしている者は、儲けが減少しているのに消費税だけは赤字でも払わねばならない。


このために、生活苦からうつ病に陥り、自殺する中小零細企業の経営者は後を絶たない。


デフレで賃金や売り上げが低下し、どうやってこれから生きて行こうかと不安におののいている多くの国民の前に、いくら社会保障という大義名分を掲げているとはいえ、財務官僚の勝利の勲章に過ぎない「増税」を差し出しても、庶民の生活実態を知らない能天気な連中のたわごととしか思えない。


それなのに、庶民の味方を気取るマスコミ貴族ときたら、小沢一郎氏ら消費増税反対のグループを切り離して、思考停止状態の野田民主党と自民党が手を握るようにけしかけるばかりである。


そして新聞協会のフィクサーは財務省にすり寄って、新聞に軽減税率を適用させようともくろんでいるフシがある。


もしも消費増税が強行され、特権に守られている新聞が軽減税率でのうのうとしているようであれば、それこそ不買運動でも起こして、国民の不信を思い知らせねばなるまい。


新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)

2012年01月10日(火)

小沢の「表舞台」復帰に恐れおののく朝日社説

テーマ:政治

朝日新聞は小沢一郎復権によほど恐怖を感じるらしい。


小沢一郎氏の被告人質問について書いた1月9日の社説は、わなわな震えるような筆致で、書き手に同情をおぼえるほどである。


「私たちは小沢氏に対して繰り返し、国会で説明責任を果たすよう求めてきた。ところが、氏は国会に出ていくことも、記者会見での突っ込んだやり取りも拒み続けた」


まことにみごとな恨み節からはじまった。「私たち」という何者かが求めた通りにしない小沢氏はけしからん、というのである。


小沢氏はフリージャーナリスト、外国人記者らにも開放してたびたび記者会見を開き、説明してきたと思うが、何が不足なのだろう。記者クラブ員だけの特権的密室記者会見に応じないのに腹が立つのだろうか。続く記述に移ろう。


「土地取引の原資になった4億円は、どんな金なのか。支援者からの浄財だ、銀行融資だ、個人資産だと説明が二転三転したのは、なぜなのか」


4億円ものカネがどういう流れで小沢氏のもとにやってきたのかを一括りに語れという。おそらくその中には「支援者からの浄財」もあれば、「銀行融資」もあれば、「個人資産」も含まれているのだろう。


カネが口座に入金するたびに全額引き出して、これはどういうカネか色か印でもつけてタンス預金しておけば、区分けができ、どの種類のカネが残っていたかも確認できる。


しかし、それを使うさいに、どの色のついたお札を使ったか記録しておかねば、朝日新聞や検察当局のご要望に応えられないのではないか。


そういう考え方をしない理由があるとすれば一つしかない。4億円全額が、どこか1か所からこっそり手渡されたはずだと邪推する場合である。


つまり、小沢氏が4億円の裏献金をもらったと思い込んでいるか、そう思いたいか、どちらかだ。


人の先入観とか希望的観測というのは脳内からちゃんと文章となって出てくるから面白い。…いやまてよ、そうではないかもしれない。ちと人が好すぎる解釈をしてしまったのかもしれぬ。


裁判で小沢氏が被告人質問を受けるのにさいして、その直前に、さんざんこれまで吹聴してきた小沢悪玉論をいまいちど蒸し返し、ぶち上げることで、裁判官に圧力をかける効果を狙ったのかもしれぬ。


だとすれば、朝日新聞、おぬしも相当ワルじゃのう、ということになる。しかし、次の部分はあきらかに小沢復権恐怖症候群がみてとれる。


「このところ小沢氏には、4月に予定される判決の『その後』を見すえた動きが目立つ。本人の刑事責任の有無は裁判所の判断をまつほかないが、忘れてならないのは、元秘書3人がそろって有罪判決を受けているという重く厳しい事実である。 その政治責任、監督責任を棚上げにしたまま表舞台に立とうとしても、多くの有権者が納得するはずがない」


これは何を言わんとしているのだろうか。「4月に予定される判決の『その後』を見すえた動きが目立つ」「表舞台に立とうとしても、多くの有権者が納得するはずがない」。


どうやら朝日も、無罪判決が出ることを予想し、「だからといって復権できると思うなよ」とクギを刺しているようにみえる。


その理由として、証拠もなく裁判官の「推認」「推測」だけで小沢の元秘書3人を有罪にした判決を持ち出し、「重く厳しい事実」とその裁判史上の汚点ともいうべき出来事を賛美しているのである。


小沢氏への恨み節からはじまって、4億円一色論でなじり、金権政治家イメージをふりまいたうえ、奇怪な元秘書有罪判決をもって、小沢の「表舞台」復帰はまかりならぬと、上から目線で断じてはばからない。


この感情過多で空威張りの過ぎる論説に、再販制や記者クラブ制度などに守られた大商業新聞の特権が、小沢という危険な男にぶち壊されないかと恐れおののく守旧的新聞人や経営者らの姿が浮かび上がってくる。


新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)

2011年12月29日(木)

日経の事故調批判は原発再稼働進まぬ苛立ち

テーマ:政治

福島第一原発の政府事故調査委員会が12月26日、中間報告をまとめ、野田首相に提出した。


そのあとに開かれた記者会見では、報道する側が聞き出したいことと、調査委メンバーが究明しようとしている内容の、大きなギャップが浮き彫りになった。


簡単に言えば、調査委は事故原因についての証言やデータを収集し、分析し、議論して現時点で判明したことを報告にまとめたが、記者たちは責任の所在がどこにあるのか、再稼働についてどう考えるのかという、きわめて政治・行政的な方面に関心を振り向けた。


そこで、委員の一人、柳田邦男氏が会見の最後に漏らした次のような嘆息の声が、この場面を傍観しているわれわれ一般国民の印象に強く残ることとなる。


「今日皆さんの質問を聞いてて、クエスチョンを感じたことがあります。原発が機能停止した最大の原因は、非常用ディーゼル発電機が浸水して全電源が喪失したといわれるが、我々の議論は違う。ディーゼル発電機が動いても、電気を配る中枢神経である配電盤が地下にあり、それが冠水したため、いくら予備電源をもってきても電源は回復しないわけです」


ジャーナリストとしての大先輩でもある柳田氏が、なぜ最も肝心な配電盤の問題に関心を向けないのかと、後輩たちを、やさしく叱責しているように筆者は感じた。


配電盤さえ冠水しない位置に設置してあれば、予備電源をつなげば対処できたかもしれないのだ。


しかし、多くの記者は「事故の犯人捜し」に躍起となり、一部の記者は「原発再稼働」の後押しになる安全対策確立を期待する。


原発事故の原因調査は急げばいいというものではない。利害得失の関わらないメンバーによって綿密に、科学的に、冷静に進められなければならない。


原発推進とか脱原発とか、あらかじめ前提を置いてするものでもないだろう。純粋に原因を究明できれば役に立つ情報、教訓が得られるが、何らかの意図のもとに行われば、バイアスのかかった中身になる。


福島第一原発の政府事故調査委員会は、そのあたりをよく心得ているらしく、まだまだ調査、分析不十分な部分、委員どうし審議を尽くしていない課題にはふれないまま、ひとまず予定されていたスケジュール通り、中間段階での報告書を作成した。


予断をもって報告書の体裁を見ばえよく繕うより、情報として十分な価値を有するとは思えないものは盛り込まないほうが、報告書としての価値はむしろ高いはずだ。


ところが、日経新聞は、そうは受け取らなかった。この報告書に対し、27日の朝刊一面解説記事と社説で敵意むき出しの批判を連発し、比較的素直に報告内容を受け取った他紙との違いを見せつけた。


一面に掲載された滝順一編集委員の記事は、いきなり「中間報告は目的にかなう内容とはいえない」と断じた。その理由はこうだ。


「事故の検証からくみ取った教訓を原発の安全な運転や安全規制の仕組みづくりに生かす必要がある。踏み込み不足の報告では国民の納得が得られず、原子力への信頼回復につながらない」


つまり、財界の機関紙色をいっそう強める日経新聞としては、脱原発という選択肢はハナからあり得ず、「原子力への信頼回復」につながる報告書が必要だと主張しているのである。


どういう報告書を日経が望むのかがはっきりしないが、どうやら原発再稼働につながる安全対策や提言が打ち出されていないと言いたいようだ。


「原発がある自治体の中には、事故の徹底検証を再稼働の条件とみるところもある」とも書いているが、徹底検証とは何かとなると難しい。


そもそも、原発再稼働の理由づくりがこの調査の目的ではない。


あらゆる先入観を排して事故関連の事実を集め、どんな仕組みや考え方が不足していたのか、どうしてシステムが機能しなかったのか、なぜ組織が機能的に動かなかったのかなどを検証しつくして、事故原因の本質に迫るのが目的であるはずだ。


事故調の畑村洋太郎委員長(東大名誉教授)は、少なくとも福島原発事故発生以前、「原発は危険だが便利であり、絶対安全などないということを前提に徹底した事故防止対策を講じるべきだ」と述べていた。今の考えはわからないが、どちらかといえば原発容認論者のようにも思える。だとすれば、筆者とは考えが違っている。


それでも、筆者は畑村事故調を前向きに評価してきた。あえて10人の委員に原子力工学の専門家を入れなかったのは、いわゆる「原子力村」の学者の利害を排除するためだろう。原発を批判的に論じてきた吉岡斉九大副学長も物理学者だ。


ただし、委員とは別に、事故原因等調査チームには原子炉過酷事故解析と原子炉物理の専門家をそれぞれ一名加えている。


もうひとつ重要なのは、経産省が事故調の操縦を画策したにもかかわらず、畑村氏はそれを受けつけず、事務局の官僚に「畑村の考えで進める」と宣言したことだ。


そこで、「畑村の考え」への理解を深めていただくために、筆者が6月16日のメルマガ版で書いた「畑村事故調の骨抜きを画策した経産省」から一部を抜き出して、以下に転載する。


◇◇◇
もともと機械工学の専門家である畑村氏が、自ら「勝手連事故調」「隠れ事故調」と称するように、公的機関とは無関係に、事故原因の徹底究明を本格的に始めたのは、2004年に六本木ヒルズで男児が回転ドアにはさまれて死亡した事故がきっかけだった。


畑村氏は「こうした痛ましい事故が続くのは、事故の原因がきちんと知識化され社会で共有されていないからだ」(著書「危険不可視社会」)と考え、本当の事故原因を検証する私的プロジェクト「ドアプロジェクト」を立ち上げた。


事故を引き起こした人間の失敗には、学ぶべきさまざまな教訓が生きているはずだ。ところが、従来は裁判やメディア報道において、失敗した人間の責任追及ばかりに重きが置かれ、被告側が制裁を避けるため原因究明に必要な真実を隠すようなケースが多かった。


裁判が終わると、その事件事故の記憶とともに、学ぶべき教訓も忘却の彼方に消えてゆく。それでは、被害にあった人々も浮かばれまい。


畑村氏が「失敗の知識化」をめざして、私的に活動をはじめたのはそういう思いがあったからだ。多くの仲間がそのプロジェクトに手弁当で参加してくれたという。


これまでJR福知山線脱線事故や日航の連続トラブル、金融システム障害、リコール隠し、ロケット打ち上げ失敗など、様々な事故やトラブルの原因解明に取り組み、原発関係ではJOC臨界事故などいくつかの問題に切り込んでいる。


もとより原発は、推進、廃絶、縮小など争論のタネになりやすいテーマである。政治やイデオロギー、産業界の利害などとは隔絶された地平で、徹底した原因究明が必要であることはいうまでもない。
◇◇◇


「畑村の考え」は、失敗の知識化であって、誰かの責任追及に重きを置いているわけではない。


日経の滝順一編集委員は同じ記事の中で、次のように書く。「畑村委員長は記者会見で『事故調査と再稼働は別のもの』と強調した。だが国民の期待は、調査で得た教訓を一刻も早く原発の安全な稼働や事故の再発防止に生かすことにある」


日経は滝記者の記事でも、社説でも、「踏み込み不足」という表現で、畑村事故調の中間報告を批判する。


しかしこの「踏み込み不足」は、「原発再稼働」を後押ししていない物足りなさを言い表しているだけであり、日経新聞の社論を基準にした言葉に過ぎない。


いま全国の原発54基のうち47基が停止している。現在稼働中の炉も定期点検入りしてゆくため、このままどこも再稼働しなければ、来春にはすべての原発がストップする。


経済産業省所管の日本エネルギー経済研究所は来年の夏になって全国の原発がストップしたままなら、国内全体で電力供給が7.2%不足するとの試算を出したが、逆にそのくらいなら、原発全停止でもなんとかなるのではないか。


日経社説は「事故から1年になる来年3月の節目には、掘り下げた検証結果を示してはどうか」と焦りを隠さない。しかし、ここは拙速をいましめ、十分な調査、分析をつくして、真に役に立つ「失敗の知識化」を進めるべきであろう。



 新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)

2011年12月14日(水)

米議会グアム移転費削除で焦りは禁物

テーマ:政治

米国上下両院が沖縄海兵隊のグアム移転予算1億5600万ドル(約123億円)を全額削除することに決めたという。


もっとも、グアムの基地施設やインフラ整備がいっこうに進んでいないというから、さほど影響はなさそうである。


問題があるとすれば、移転費の6割を負担することになっている日本が米側に渡してきたカネが使われないまま、たまっていることだ。2009年度に346億円、10年度に468億円、計800億円ほどにのぼっているという。


そもそも100億ドルをこえる移転費に、米側の過大見積もりのフシがあったことを考えると、ひょっとしたら日本負担分だけで基地建設ができると米議会は踏んでいるのではないか。


ならば、防衛省は来年度予算の概算要求519億円を取り消してショック療法というのはどうだろうか。米側が予算を削除するのだから、日本も同調すればいい。


「そんなことをしたら、普天間移設とパッケージのグアム移転ができなくなり、沖縄住民の負担軽減という目的が達せられない」と防衛省、外務省はいつも通りの物語を繰り返すに違いない。


はたしてそうだろうか。


アメリカは世界軍事戦略を再構築するために、沖縄の海兵隊を大挙、グアムに移転させる計画をつくった。オーストラリア・ダーウインに海兵隊を駐留させるという、最近発表された構想も米軍再編の一環だ。


8000人の海兵隊員とその家族をグアムに移住させるのが沖縄の負担軽減のためというのは、日本国内向けのストーリーにすぎない。


それに、米国が日本の負担で辺野古に新基地をつくることにこだわる最大の理由は、老朽化した普天間飛行場を脱出し、真新しい設備の整った基地に移りたいからである。


長年の交渉の末に合意して得た権利を手放したくないし、そんなことをすればオバマ政権に対する議会の風当たりがますます強くなる。


つまるところ、グアムも、沖縄の新基地も、普天間周辺住民のためではなく、米軍の再編に必要なだけだ。


いくら議会から軍事予算削減圧力が強まっているとはいえ、アジア太平洋に世界戦略の軸足を移しつつあるアメリカが、既設の海軍、空軍基地に海兵隊を加えて巨大軍事ハブを築こうとしているグアムへの移転を断念することはありえないだろう。


辺野古への基地移転合意が実行されなければ、グアム移転も白紙になり、結果として普天間を使い続けることになるという、日米安保マフィアの言いぐさは、従来から毎度くりかえされる脅し文句にすぎない。


普天間などの基地問題は、「沖縄のため」という装いをほどこされながら、米国に「打ち出の小槌」のように利用されてきたのである。


新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)

2011年12月06日(火)

価格算定委候補、山地名誉教授が再生エネ否定に用いる欺瞞的データ

テーマ:政治

筆者は「永田町異聞」メルマガ版の今年6月9日号に、「山地名誉教授が語る太陽光発電巨額コスト論の欺瞞」と題する記事を書いた。


山地、すなわち山地憲治氏は、地球環境産業技術研究所長をつとめる東大名誉教授で、再生可能エネルギーに否定的見解を持つ学者だ。


山地氏をあらためて取り上げるのはほかでもない。再生エネルギーの推進に赤信号が灯りそうな人事案が経産省から出てきたからだ。


再生エネ法にもとづいて電力買い取り価格を検討する委員会(5人)の政府人事案に、山地氏を含む再生エネ導入反対派3人の名があがっていることに、与野党の有志議員や有識者が反発。5日に記者会見して、人事案の差し替えを求めた。


他の2人は進藤孝生・新日鉄副社長と山内弘隆一橋大学大学院商学研究科教授だ。


新日鉄の進藤氏は、電気の大口ユーザーの立場であり、国会の参考人として出席したさいに「日本経済の空洞化を助長する買い取り制度を現段階で導入することは避けていただきたい」と、明確に買い取り制度そのものに反対の立場を表明している。


交通経済学の専門家であるらしい山内氏も固定価格買い取り制度に否定的な発言をしてきた。


経産省は今国会中に人事案への同意を得たいようだが、5人の委員のうち山地、進藤、山内の3人が再生可能エネルギーの推進に後ろ向きでは、ビジネスとして成立する買い取り価格になるかどうか、おぼつかない。ビジネスにならなければ、再生可能エネルギーが普及するはずもない。


筆者も強い危機感をおぼえており、人事案に異議を唱える議員や有識者に賛同の意をあらわしたい。


そこで、取り急ぎ、問題の3人の候補者のうち、エネルギーの専門家である山地氏の見解にひそむ欺瞞について書いたメルマガ版6月9日号の一部を以下に転載することにした。この問題を考える読者の参考になれば幸いである。


◇◇◇
再生可能エネルギーの行く手には、強力な抵抗勢力が待ちかまえていることは確かだ。


電事連、経団連、そしてその傘下の企業に天下りする官僚組織がときの政権に揺さぶりをかけ、マスコミもうまく抱き込んで、原発がなければ経済は衰退するとか、電力不足に陥るとか、ネガティブキャンペーンを繰り広げて、覚醒し始めた国民を再洗脳しようとするだろう。


すでに、福島第一原発事故や浜岡原発の停止、世論の反原発気運に危機感を抱いた専門家、ジャーナリストらが、さまざまなメディアに登場し、再生可能エネルギーの欠点ばかりをあげつらって、原発の重要性を説いてまわっている。


たとえば、山地憲治・東大名誉教授は、月刊「選択」6月号の巻頭インタビューで、「電力にも品質の問題がある」と強調して、電力に占める自然エネルギーの増加に懸念を表明している。


さらりと読んでしまうと、「そうか、自然エネルギーの電力は品質が悪いのか」と、単純に受け取ってしまうだろう。そこで、じっくり山地が語っている内容を吟味したい。


まず山地はこういう話から始める。


「再生可能エネルギーが自然条件に大きく影響されるのは当たり前だが、このことが経済に与える影響についての視点が抜けている。電力にも品質がある。これは周波数と電圧の安定度によって決まる。たとえば周波数が変動すると(工場の生産機器など)様々な機器に影響が及ぶ。…不良品を生じ…経済活動がストップする…」


再生可能エネルギーで得られた電力では品質が悪く、工場の生産に支障をきたすというふうに読める。ところが、インタビュアーが「品質を保つうえで必要なことはなんでしょう」と質問すると、次のように答える。


「需用電力に対して供給電力をいかに合わせるか。需要が供給を上回ると、発電所に負荷がかかり、周波数が低下する。電気は溜めることが難しいので、過剰になれば周波数が上がる。日本の電力会社は、変動する需要に合わせて、比較的調整が容易な火力発電所の出力をコントロールしてバランスし、この国の産業を支えてきた」


これを読むと、再生可能エネルギーがどうこうということではなく、要は需要と供給のバランスをとれば電力の品質が保てるようである。


そこで、聞き手はさらにこう質問した。「再生可能エネルギーが増えるとどんな影響が出ますか」


山地「再生可能エネルギーが大きな割合を占めると、需要側に加え、(自然条件によって出力が変わるので)供給側も変動することになる。供給量が暴れるといってもいい。火力発電所があっても需要に供給を合わせるのが難しくなる」


やはり電力の需給を合わせることが肝心らしい。変動する自然を相手にすると、それがやりづらいということのようだ。では、技術力でその難題を克服できないのだろうか。そのためにスマートグリッドがあるのではないだろうか。


山地は「技術で欠点を補えませんか」という問いに「可能だが、大変なコストがかかる」と言って、次のように続けた。


「供給側が暴れることによって、やむを得ず生じる余剰電力を蓄積し、再び供給するための設備が要る。発電設備への投資とは別に必要になる。2020年までの国の目標である2800万キロワットていどの太陽光発電でも、数兆から十数兆円が必要になると試算されている。…(電気料金が)高価であれば、製造業は国外へ逃げてゆくことになるだろう」


スマートグリッドについては一言もふれず、自然エネルギー発電量のコントロールをするための蓄電供給設備に言及し、それに要する投資が巨額で、ワリに合わないことを強調する。


一方、原子力発電所の建設に投じられる地元対策費や交付金、使用済み核燃料の再処理、放射性廃棄物の処分、管理、貯蔵などにかかる巨額な費用については棚に上げたままだ。


そこで、山地の言う数兆から十数兆円という試算がどこから出た数字なのかをさがしてみた。経産省のホームページでは、2020年の2800万キロワットという太陽光発電の目標値は見つかったものの、「数兆から十数兆円」に該当する資料は見当たらない。


ようやくそれらしき数字に遭遇したのは、山地が所長をつとめる地球環境産業技術研究所のウェブサイトに公開されている資料「日本の発電コスト比較」のなかである。


これは、石炭、天然ガス複合、原子力、風力、太陽光それぞれについて、発電費、その他費用の推定値を表にまとめたものだが、まず驚くべきことに風力と太陽光のみに記入されている系統安定化のための追加費(周波数調整、余剰電力、配電対策等)に、こんな但し書きがつけられている。


「限られた文献からの引用となったため、引用文献の一部については、前提条件の想定が適当とは考えられないものや精度の高い推定と考えられないものも含まれるので、注意が必要」


あらかじめこんな注意書きをつけた太陽光発電の「系統安定化のための追加費」の欄には以下のごとく、経産省研究会と環境省研究会の試算が記されている。


◇【経済産業省研究会試算2009年7月】 

~2,800万kW:3000億円程度(2030年まで累積)
~5,100万kW:4.6兆円程度(2030年まで累積)
~5,321万kW:最大7兆円(2030年まで累積)

【経済産業省研究会試算2010年5月(出力抑制無、系統側蓄電池ケース)】

~2,800万kW:16.2兆円(20年まで)

【環境省研究会試算2009年2月】

~7,900万kW:3.56兆円(2030年まで累積)◇


この数字のバラツキはどういうことであろうか。山地の言う2,800万kWの場合、「経産省研究会試算2009年7月」では、30年までの累積で3000億円に過ぎないのに、「経産省研究会試算2010年5月」だと、20年までで16.2兆円かかることになっている。


そして、環境省研究会試算では、30年までの累積で3.56兆円である。


3000億円、3.56兆円、16.2兆円の3つの試算があるのだから、山地は「数千億から十数兆円」と正しく言うべきところを、あまりの数字の開きにバツが悪いのだろうか、「数兆から十数兆円」とごまかしてしまったようだ。


この明らかにいい加減な数字を駆使して、自然エネルギーは高くつく、ゆえに増やすべきでないと主張するのは、あまりに国民を愚弄しているといわざるを得ない。


日本の不幸は、権威に胡坐をかいたエリートがこのように国民をバカにし、平気で騙すことである。


新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)

2011年11月27日(日)

大新聞の特権意識が生んだ渡邊、清武の泥仕合

テーマ:政治

筆者が駆け出し記者だった数十年前の話だが、読売新聞の若手記者が取材先に「ジャイアンツの読売新聞です」と電話していたのを聞いて、唖然としたことがある。


王、長嶋を擁する巨人軍がⅤ9を達成し人気絶頂だった勢いに乗って、読売新聞は「拡材」すなわち景品、サービス品を乱発し、部数を増やし続けていた。


それで定着した「販売の読売」という世間の評価は、筆力をほめてもらいたい個々の記者に複雑な思いを抱かせただろう。


ところがその若手記者があまりにも屈託ない様子で電話取材を続けていたものだから、他社ながら同業として気恥ずかしさを感じてしまったのだ。


猛烈な勢いで朝日の発行部数に迫っていた当時の読売にとって、圧倒的なファン数を誇るジャイアンツは販売戦略上、密接不可分の重要な存在であった。


公称とはいえ1000万部の発行部数で日本一の座を勝ち取った今も、読売新聞と巨人軍の一体性は変わるところがない。


スター不在が続き、かつてのような国民的人気はなくなったにせよ、読売新聞はあいかわらず巨人の栄光を必要とし、常に他の球団より強くあることを義務づけている。


江川投手の「空白の一日」事件で、スポーツに政治工作を持ち込む悪しき前例をつくった渡邊恒雄が、85歳になったいまも、読売グループのトップとして、独裁的な支配力をジャイアンツに及ぼし続けている理由はそこにある。


GMの職をはく奪された前球団代表、清武英利が記者会見まで開いてコーチ人事への介入を理由に渡邊を批判したことは、私憤と公憤の混乱により、いちじるしく説得力を欠いた出来事ではあるが、筆者は清武にも、渡邊にも、新聞記者特有の思い上がり、特権意識を感じてならない。


渡邊は清武の首を切り、対する清武はいかにも渡邊の急所を握っているような素振りだったが、何も出てこない。


憎悪がいっそう深まりゆく双方が、今後、裁判沙汰の泥仕合をしようがしまいが、そんなことに関心はない。問題は新聞社のあり方である。


大手新聞ほど、国家権力に庇護されている民間企業はない。国有地を安く払い下げてもらってそこに本社を建て、電波利権を与えられてテレビ局を開設し、なおかつ新聞だけは公取委に再販制度を黙認させて、新聞価格を高く維持している。


官庁まるがかえの記者クラブに加盟していれば、放っておいても役人がネタを提供してくれ、資料に少し手を加えただけで一本の原稿があっという間に出来上がる。記者クラブがなかったら、現有の記者数では新聞紙面の半分以上を白紙で出さねばならないだろう。


まさに利権の巣窟であるがゆえに、金繰りの苦労を知らないど素人が経営者になっても、会社を存続できているのだ。


しかし、プロ野球でファンを増やし、読者増につなげるという拡大主義的発想がいつまでも通用するとは思えない。


インターネット時代の進展で記者クラブ加盟メディアの情報独占体制が崩壊しつつあるなか、過去の成功法則にとらわれたパラダイムを大きく転換しない限り、新聞は逆に読者を失っていくだろう。


怒りを抑えかねた清武がジャイアンツブランドの威光で大勢の記者を集めて記者会見したのも、「君は破滅だぞ。読売新聞と全面戦争になるんだ」と渡邊が品性下劣な言葉で脅したのも、若い時から垢のごとくたまってきた特権意識のなせるわざではないか。


政治記者として鳴らした渡邊は政権中枢に深く食い込み、社会部の敏腕記者だった清武は警察や検察の幹部と親しい関係を築いた。どちらも、権力の凄みを知っている。


とくに渡邊は連立工作など、様々な局面で政界を動かすとともに、その政治家顔負けの力でメディアとプロ野球界を牛耳ってきた。テレビで「無礼な。俺を誰だと思ってるんだ」と報道陣に怒鳴り散らした姿に違和感を覚えた方も多いだろう。


清武は、渡邊が読売グループ内でどのような存在なのかを朝日新聞に問われ、こう答えた。


「やっぱり、恐ろしいですよ。悪意とちゃめっ気の両面持った人ですが、みんな怖がっている。…あまりにも強引な面があった。やりすぎだと社内の人間は思っている」


清武は案の定、孤立無援で読売を放り出された。渡邊は名誉棄損で訴えると息巻いている。


渡邊はいつまで読売の主筆として、社論の形成にかかわるのだろうか。



新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)


 

2011年11月10日(木)

TPP参加への希望的観測と特攻精神を捨てよ

テーマ:政治

米国アラバマ州のジェファーソン郡が9日、米連邦破産法の適用を申請した。自治体では過去最大の破綻だという。


沈みゆく米国を象徴する出来事のひとつだ。


ウサマ・ビンラディンなる、もはや悪のブランド名しか存在感のなかったテロリスト集団の親玉を、西部劇のごとく撃ち殺し、大統領が「アメリカの偉大さ」を強調せざるを得ないほど、米国は泥舟となって沈み続けている。


連邦政府の2011年度の財政赤字は1兆6450億ドルで過去最大。地方自治体も、カリフォルニア、ニューヨーク、フロリダ、イリノイなど大きな州ほど、歳出の半分しか歳入がないような、税収不足にあえいでいる。


リーマンショック後の09年ごろから失業率は9%をこえる高い水準が続き、住宅価格上昇に支えられていた借金消費のブームは泡と消えても、貿易赤字は500億ドル前後で、いっこうに輸入を輸出が上回らない。


手早い巨額金儲けを旨とする金融帝国主義がはびこって製造業がふるわなくなったせいなのだが、とにかくいまの米国はなりふりかまわず他国の需要を取り込みたい一心のようである。


その象徴が、「自由」の名を冠したマーケット略奪作戦「TPP」であり、弱腰外交と豊かな市場をかねそなえて魅力満点の日本をひっぱり込むため、例によって伝家の宝刀「普天間圧力」をふりかざし、関係閣僚たちをあたふたと沖縄詣でにかりたてた。


TPPは、工業品、農産品など全ての品の関税を撤廃するとともに、公共事業など政府調達や、知的財産権、金融、医療サービスなどにおけるすべての非関税障壁をなくして自由化するのが目的だ。


経団連などに加盟する多国籍企業にとっては、国家の壁は邪魔でしかない。米英の金融資本家が描く世界政府構想に相通じる強者の論理ともいえる。


ちなみに経団連会長、米倉弘昌率いる住友化学とその米子会社は、遺伝子組み換え農作物で知られるモンサント社との間で昨年10月20日、遺伝子組み換え農作物の種とともに、自社の製品を含む除草剤を米国内で売る契約を結んでいる。


モンサント社の除草剤「ラウンドアップ」は世界で最も売れている農薬だ。その威力はすさまじく、過剰に使用すれば雑草だけでなく、肝心な作物そのものまで枯らしてしまう。


モンサント社はこの農薬に耐える作物をつくる必要に迫られた。そこで考え出されたのが除草剤への耐性を持つ遺伝子を作物の種に埋め込む方法だった。すなわち遺伝子組み換え作物をつくり、除草剤とセットで売る仕組みである。


これにより、農家は空中散布などで大量に除草剤を撒くことが可能となった。省力化で人件費などのコストダウンがはかれるため、農業経営の大規模化にはきわめて都合がいい。


一方で、一度このシステムを採用した農家はモンサント社に依存せざるを得なくなる。農地は除草剤大量使用のためにいわば不毛の地になり、耐性のある遺伝子組み換え作物しかつくれなくなる。


麻薬のようなこの依存システムにこそ、モンサント社の快進撃の秘密があるわけだが、遺伝子を人間が操作してつくった農産品を食べ続けることや、環境、生態系への影響など、不安は尽きない。


住友化学の米倉氏は9日、経団連会長として、全国農業協同組合中央会(JA全中)の万歳章会長と都内のホテルで会談した。


利権集団のトップどうしの対面は、冒頭の握手と、それぞれの型通りの主張だけがテレビ放映されたが、欲の皮が突っ張った人間のぶつかり合いほど醜悪なものはない。


農協といえば、組合員の大半を占める零細兼業農家のコメ販売を一手に引き受けて、巨額の販売手数料を稼ぎだす。


同時に、農家が得る収入を預金としてJAバンクにあずかり、国内最大の機関投資家、農林中金がその巨額資金を運用し、カネと票で農政に口をはさんでいる。零細農家の集積こそがその力の源泉だ。


一方、米倉氏の住友化学は、米国のみならず日本にもモンサント社と提携した自社農薬を売りたいだろう。農業改革を大義名分に、米国流大規模農業をこの国に広めようと皮算用しているかもしれない。


資金力をバックに政治を操る点で、経団連と農協は同質だ。似たものどうしだから対立もする。会談した二人の視線の先に国民は存在せず、利益共同体の主だったメンバーの顔だけが浮かんでいることだろう。


したがって、筆者が農協の肩を持つつもりは毛頭なく、ただひたすらTPPのうたう「自由」を疑い、競争原理がはびこってアメリカ化する「他律」となることを恐れている。


仮に締結するとした場合、先述した食品の安全性のほか、株式会社病院の参入や混合診療の解禁によって国民皆保険が崩壊する恐れなど、さまざまな分野で心配な要素が多いが、これに対し日本政府に確固たる戦略があるのだろうか。


日米二国間でなく、マルチ(多国間)の交渉だから大丈夫だ、などという安易な考えが外務省にある限り、不安はぬぐえない。


新自由主義的な経済・金融システムが破たんし、ウオール街に集まった若者らが強欲企業への怒りのデモをくりひろげるなか、米国は最後の頼みの綱として日本市場を囲い込もうとしているように見える。


野田首相はTPP交渉に参加するかどうかの表明を一日延ばして考えるという。もし先に「参加」ありきで、「慎重な判断」を求めた民主党の提言にどういう理屈で対応するか頭をひねるための時間稼ぎなら意味はない。


この国の将来を左右する重大な岐路にさしかかっている。いくら心配しても過剰ということはないだろう。


自由放任、弱肉強食資本主義の不安定世界に、希望的観測だけで無防備に突進する特攻精神だけは、きっぱり捨ててほしい。


新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)

2011年10月19日(水)

マッチポンプ記事のあとを追う言葉狩りマスメディア

テーマ:政治

昔のマスコミもひどかったが、今に比べると、少なくとも、武士の情けというか、ある種のおおらかさがあったように思う。


平野達男震災復興担当相が民主党参院議員らの研修会で次のように語ったことなど、誰も問題にしなかっただろう。


「前の津波の経験からここの高さに逃げていれば大丈夫だと言ってみんなで20~30人そこに集まってそこに津波が来て、のみ込まれた方々もいます。逆に、私の高校の同級生みたいに逃げなかったバカなやつがいます。彼は亡くなりましたけれども…そういったことも全部、一つ一つ検証して、次の震災に役立てることがもう一つの大きな課題だと思っています」


発言場面をテレビで見たが、親しい友達に「なんで早く逃げなかったんだ、バカだよお前は」と語りかけたい切なる気持ちが伝わってきた。公人だから個人的感情をすべて封印してしまえというのも、いかがなものか。


この発言を記事にしてやろうと最初に思いついたのは、ネット上で知りうる限り、産経新聞の記者だったに違いない。10月18日6時ごろにこんな記事がMSN産経ニュースに登場した。


◇平野達男震災復興担当相は18日、東日本大震災の津波被害に関し「私の高校の同級生みたいに逃げなかったバカなやつがいる。彼は亡くなったが、しょうがない」と述べた。福島県二本松市で行われた参院民主党の研修会のあいさつで語った。犠牲者やその遺族への配慮を欠いた発言で、進退問題に発展する可能性も出てきた。◇


産経の本社デスクはさっそく、野党や地元住民のコメントをとるよう出先の記者にこう指示したのだろう。「平野復興大臣が『逃げなかったバカがいる』と発言したらしい、談話をとってくれ」


野党にしてみれば、「待ってました」の談話取材である。


自民党の大島理森副総裁 「どういう理由にしろ亡くなった方を『バカ』という表現は、大臣として許されざる言葉だ。人を傷つけるような言葉を平気で言う、この政権に復興はできない」(産経)


事情をよく知らない地元の人々の怒りの声も簡単に取れる。


「おふくろは足腰が悪くて逃げたくても逃げられなかった。バカだから死んだというのか」(産経)


記者の思う方向に誘導され、心を弄ばれて、新聞づくりに利用される被災住民が気の毒だ。


鉢呂発言のときもそうだったが、どこかの社が火をつけると、あとを追っかけて延焼させようとするのがマスメディアの習性だ。午後8時以降、読売や毎日もネットに記事を載せはじめた。新聞が書けば、テレビも流す。


よく調べれば、「完全無視」の大メディアもあったかもしれないが、おおむねマッチポンプ記者のあとを追ってゆく。


これがまた政争のネタになり、まさかとは思うが担当大臣が辞任ということになれば、復興への足取りはまた鈍る。


この国のメディアはいったい何をやっているのか。こんな言葉狩り記事を書くヒマがあったら、官庁情報を鵜呑みにせず、米国の下心が透けて見えるTPPの問題でもえぐり出したらどうか。


新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)


2011年10月17日(月)

「検察批判は国会で」という朝日主筆の現実離れ

テーマ:政治

朝日新聞の主筆、若宮啓文氏が10月17日紙面の「座標軸」で、小沢氏は国会の証人喚問で検察批判をすべきだという趣旨のことを書いておられる。


「議論の府」である国会での証言を避けていては、小沢氏の「検察の許しがたい権力乱用」という訴えに、議員や国民の共感は広がらないと言う。


果たしてそうだろうか。証人喚問という場で、小沢氏が検察に対する意見を開陳しようとすれば、「尋問にまともに答えず自説を展開」と批判され、朝日をはじめとするマスコミにこっぴどく叩かれるのがオチだろう。


若宮氏が展開するとりすました論理のカラクリをのぞいてみよう。


国会は議論の府であり、そこで行われる証人喚問に出ないことは議論を避けていることになる。ゆえに小沢氏は議論をする気がなく、選挙にしか関心がないから、「政治とカネ」の疑惑を持たれるのだ。ざっとそんなところだろう。


ここに、言葉による概念のすり替えがあるのはもうお気づきのことと思う。証人喚問は尋問の場であり、議論の場ではないという、現実がある。それを議論の国会という言葉で一括りにし、ごまかしているのである。


人は痛いところを突かれると腹が立つものだ。そもそもこの記事は、記者クラブのオツムの構造を、記者会見の場で小沢氏に突かれたところに、執筆の動機がある。


記事は小沢氏の発言からはじまる。


◇「君はどう考えているの。司法の公判が進んでいるとき、立法府がいろいろ議論すべきだと思っているの」「三権分立をどう考えているの」


多くの読者もご記憶だろう。民主党の小沢一郎氏が初公判を終えた6日の記者会見で、国会での証人喚問に応じるかと聞かれて返した言葉である。◇


若宮氏は「小沢氏にこう問い返してみたい」と、次の文章に続ける。


◇あなたが公判で語った激しい検察批判は、国会で与野党の議員たちにこそ訴えるべきではないのか、と。◇


相変わらず「説明責任は?」と呪文のように繰り返す大手マスコミの若手記者に、小沢氏が「君ら少しは頭を使ってるのか」と言いたい気分はよくわかる。


つい語気が強くなると、必ずその部分をクローズアップして、小沢悪役イメージの増幅にいそしむのもマスコミという怪物だが、大新聞社の主筆が記者会見の仇討ちのように大論陣をはるのもいささか大人としては情けない。


しかも検察批判を国会でやれと小沢氏に勧めても、それがいかに現実離れしているかということは、政治の現場を見てきたであろう若宮氏なら重々承知のはずである。


若宮氏はさらに「国民から何も負託されていない検察・法務官僚が土足で議会制民主主義をふみにじり…」「社会的な暗殺だ」などと小沢氏が法廷で述べたことを取り上げ、「それを訴えて共感を求めるべき相手はまず同じ国会の議員たちに違いない」と指摘する。


だが、若宮氏が小沢氏の立場なら、国会で与野党の議員たちにどのような方法で訴えるのであろうか。小沢氏にすればぜひ伝授してほしいところだろうが、それらしき記述は以下の部分しか見当たらない。


「小沢氏は証人喚問だけでなく、何度もあった政治倫理審査会への出席のチャンスを生かそうともせず、野党どころか党内にも理解を広げられなかった」


要するに、証人喚問か政倫審に出ろと言いたいだけらしい。


これでは記者会見の初っぱなに定番質問メニューの「説明責任」を持ち出して、長時間にわたる公判を終えたばかりの小沢氏を苛立たせたくだんの記者と、お知恵のレベルにさほど差があるとは思えない。

 

 新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)

1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
アメーバに会員登録して、ブログをつくろう! powered by Ameba (アメーバ)|ブログを中心とした登録無料サイト