お久しぶりでございます。
アクアでございます。
更新遅くなって申し訳ない。
でも、忙しくやってたということで堪忍してください。
とにかく今の環境はネットで遊びにくくてしかたない。
まあ、今までの環境が間違ってたと言われればその通りやねんけど
でもこれを機にアクアは決意いたしました!!
国家試験にチャレンジします!!
実はこの国家試験、夫の職業と関連があるもので
以前にも受験したことがあったんやけど
あともう少しってところで落ちてしまって…
それから今まで受けてなかったのは生活が安定していなくて
精神的に日々を過ごすのが精いっぱいって理由やってんけど
最近は精神的に落ち着いてきたからか、
夫が仕事を頑張りだしたからか
少しいろんなことが前向きに動き出した気がして
それならアクアもいっちょやったろうやないか!
ってことで、今に至ったわけです。
まあ、結局給料泥棒には変わりないけど、
義父の会社も同じ分野の会社やし、
この資格を持ってることはプラスになるので
会社で勉強してても文句は言われないはず。
時間を最大限に生かしてまたスキルアップしてやるわ!
ブロガー活動は滞りがちだけど
こんなのんきな私にどうぞお付き合いくださいまし…
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ギャンブル依存症とは
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B子の退職後、夫はすぐに事務員を雇いれようとしなかった。
それは
「もしかしてB子が戻ってきてくれるかもしれない。」
なんて気持からではなく、
ただ単に人件費の削減だったと思う。
それくらい、会社のやりくりもせっぱつまっていてのだ。
ママのおかげで借り入れや滞納は
だいぶきれいに片づけることができたのだが、
会社の経費のやりくり関しては
以前と大して変わらぬ状況だったからである。
夫は営業マンに分担して事務の仕事もさせればいいと言った。
『売り上げが悪いのだからそれくらいしてもらわんとな。』
と悪びれずに言ったのだ。
しかし、この状況を作ったのはほかでもない夫自身なのだ。
そんな根本的な事実からも目をそらしていたかったんだと思う。
だからと言ってこの状況をほっておけるわけがない。
営業マンは営業に徹してもらうことが利益を得るための近道なのだから。
そんなわけでアクアは△支店に常勤することを決意した。
出産まで一カ月を切っていたのだが、
そんなことをいってられる状況ではない。
結局自分が動かなくてはだめだということを
またもや思い知らされた気がした。
会社へは幼い杏里も一緒だった。
出産を機に母親を独り占めできなくなってしまう杏里を、
親の都合で長時間預けることは酷なように思ったのだ。
もちろん、託児料がもったいないと思ったのも事実なのだが、
杏里のためにも、
そして自分の自己満足のためにも
アクアは大変だとわかっていながら
1歳半の娘を連れて出社したのだ。
実際大きなおなかを抱え、
杏里の機嫌をなだめながらの勤務は想像以上の苦労だった。
まだ自制心なんてない杏里は会社が退屈で仕方ないし、
いろんなものを触りたくて仕方がない。
そのため、何度も外に連れ出さなければならなかったし、
機嫌を取るために与えたたくさんのお菓子は
彼女にとっても良くないものだっただろう。
それよりも一番大変だったのは昼寝の時間だった。
狭い事務所内に杏里を寝かせてあげられる場所なんてなかったからだ。
まだ小さな杏里にとってお昼寝は日常当り前の行動で、
不可欠なものだった。
では杏里はどこでお昼寝をしていたのだろうか?
それはとても狭いのだけれどとても愛着のある場所。
母の膝の上だった。
杏里は大きなおなか、
彼女の妹にもたれかかりながら睡眠をとっていた。
そんな寝心地の悪いところでしかお昼根をさせてあげられないことに
当時のアクアは自分自身を責めたものなのだが、
今考えてみると杏里はもしかして少し幸せだったかもしれない。
しかし、アクアにとって、それはとても体に負担のかかる行為だった。
膝の上に力の抜けた12キロ程の子供と
大きなおなかを抱えながら、
資料作成、電話対応等を行っていたのだから当たり前である。
しかし、杏里を起こすわけにもいかず、
ただ杏里が早く目覚めてくれることを祈りながら仕事をこなしていたのだ。
そして仕事が終わると晩御飯の買い物をして自宅に戻った。
一日の疲労感どっと押し寄せてくる。
しかし横になって何もかも放棄するわけにはいかない。
アクアには主婦として、
母としての仕事が残っているからだ。
一日だけでも勘弁してもらいたい、
そんな日々はそのあと2週間ほど続いた。
そしてやっと雇い入れてもらった新しい事務員さんに
簡単に仕事を引き継ぎ、
やっと産休に入ることができたのだ。
それは出産まで後一週間を切った頃の出来事だった。