おとといの寝不足のため、昨日は爆睡した。
本当は20時くらいから眠りたかったのだが、そうもいかない。
まだまだ子供たちはおめめパッチリ!
お願いやから早く寝かせてぇーー。
というわけで、今日は寝坊してしまった。
会社には間に合ったけど、家はクチャクチャのまんま。
夫はいい気せーへんやろうな。
まあ、たまにはいいとしよう。
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結婚式が終わって、新婚旅行にも行かず私たちは準備に取り掛かった。
時間もお金も何とかなったのだが、その時は“企業準備”こそがそれより優先されるものだった。
私は、今まで夫の職業に携わったこともないし
企業の手続きなんて未知の世界だった。
それでも新しいことに取り組んでいく楽しさはある。
それに、二人で作り上げていく…
それがとても嬉しかった。
私まで仕事を辞めてしまって先行きの不安はあったが、
まあ何とかなるだろう(してくれるだろう)という安心感のほうが大きかった。
“安心感”今となればこの大切さが本当に良く分かる。
夫の父親も経営者である。
彼の父親はもともと夫名義で有限会社を設立していた。
おかげで、手続きは簡略できた。
有限会社から株式会社、及びその他もろもろの組織変更。
事務所も存在していたので家賃を払ってそこをそのまま使用できることになったのだ。
会社の体制がある程度整った後は、人員募集。
これも割りと早く決まった。
夫が社長、二人の新人営業マン。そして事務員は私。
こうして一つの会社が動き始めた。
あの時の感動は今でも鮮明に覚えている。
“どんな困難も乗り越えていける”そんな気持ちの私たちに怖いものはなかったかもしれない。
私も“四六時中一緒に居られる”それが嬉しかった。
でも、“四六時中一緒”そんなことが本当に楽しいのか?
それが楽しいのはおそらく長くて最初の一ヶ月だろう。
仕事には個人的な感情は出てくるし、
家庭には仕事の話を持ち込む。
私たちは育った環境も、いままで携わってきた職場環境も全く違う。
私は割りと大きい企業で働いてきたから細かいことまできちんと管理しなくてはいけないと思っていたが、
夫が働いてきた今までの職場の経験、彼は“細かいことよりも、全体のつじつまが合えばいいんじゃないか”という考え方が強い。
私たちはぶつかることが多くなってきた。
例えば外出するとき、私は必ず行き先と帰社予定を確認した。
暫くは何も言わずに答えていた夫だが、ある日こう言い出した。
『あんなぁ、いちいちどこに行くとか聞いてくるなよ!』
私は個人的興味で夫の行き先を聞いていた訳ではない。
あくまで社内業務の一環だった。
『今まで社員の行動予定を管理するのは当たり前やったし、あなたあてに電話がかかってきた時に対応しなあかんから聞いてんねんで。』
勘違いされても困るし、私も自分の意見を伝えた。
それでも夫は
『そんなんされたら息苦しい、電話がかかってきたら“連絡とってみます”とかでいいやろ?』
といって自分の意見を曲げなかった。
そう、彼は“偉い”のだ。さからってはいけないのだ。
それでもそこまで腹が立たなかったのも、私が従来“強い男”が好きだったからだろう。
父も“強い父”だった。
“亭主関白”とか、“妻は一歩下がって…”とかそんな夫婦像にちょっとした憧れもあった。
(実際出来てはいなかったと思う…)
そんな自分に酔いたかったし、出来る妻と思ってもらいたかったのだ。
昨日は夫と大喧嘩。
そのためにほとんど寝てない。年齢的に睡眠不足は肉体的に過酷だ。
だいたい喧嘩をするときは精神的に満たされていないときのほうが多い。
幸せな気分のときはちょっとした事で起こる気にならないものだと思う。
ほんまに、なんであんなことであそこまで…
無駄な時間を使ったなぁ。
今日は早く寝よう。
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起業話
夫はもともと自分が携わっている仕事で独立起業したいという気持ちが大きかった
彼の営業能力はそれに比例するもので、サラリーマン時代はお給料も月収100万円以上はあった
適当に遊んで、好きなものを買ってもお金は残ったらしく
独身時代に1000万円のお金を貯金して株式会社設立の準備を着々と進めていた
私はそんな彼が大好きだった
とても尊敬していた
自分の目標に向かって着実に歩いている彼は本当に輝いていた。
結婚を決めたのもある意味起業がきっかけだったかもしれない。
ある日一緒にお酒を飲んでいたときに彼はこう切り出した。
「俺、独立するのやめてもいいかなって思ってるねん。」
びっくりした…
意味が分からない
あんなにしっかり計画してきたのに急に何を言い出すのか?
真意を突き止めるとこういうことだった
つまり、最近結婚願望が目覚めてきて
その相手が私だったのだ
独立すると可能性も広がるがリスクも大きい
自分ひとりなら何とかなるが、結婚してそのパートナーまで巻き込むわけにはいけない。
嬉しかった、でも寂しかった。
私だって本当に好きな相手と結婚するということはリスクも分かち合うことだと思っている
それで安定した生活を私のために選ぶということで私が喜ぶと思ったのだろうか?
そして話し合いの結果
“じゃあ結婚して一緒に頑張ろう”
という結論に至った。
出合って3ヵ月後の出来事だった
その一週間後に彼は我が家に挨拶に来た
これと決めたら行動が早い
そして出合って一年後の6月に私たちは入籍した
不安もあったけど、希望でいっぱいだった
結婚式の記事を書くにあたって、結婚式のビデおを見返してみた。
あまりにも幸せそうな顔をしている自分に見とれてしまった
子供たちもなぜか妙に気に入って何度も見返そうとする
両親の幸せって子供たちにも嬉しいものなんだろう
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結婚式
それは世間一般の女の子と一緒で
私の中でも人生の中で大きくてとても嬉しいイベントだった
準備は本当に頑張った
夫は仕事が忙しかったため、私はほとんど一人で準備した
今思えば、そんなところからもこの結婚生活が予測されただろうと思う
大阪在住の私たちだったが
結婚式場は京都だったので毎回1時間ほどかけて通っていた
わざわざ京都の会場を選んだのも私なりのプライドからだった
夫の家は会社を経営していて割りと裕福な家庭
私の家は小さい大衆食堂を経営していて暮らし並は標準からちょい下だった
家庭環境があまりにも違った為か
変に『馬鹿にされたくない』と思っていた
京都のそのホテルはまあまあ有名なホテルで新しい事もありとても綺麗だった
天井も高くて高級感もある
そのホテルを知り合いのコネで通常より安く利用できると聞き会場をそこに決めたのだ
これなら会場のレベルと価格とを照らし合わせても納得の行くものだ
少しでも値段を押さえるためにお色直しはあきらめようと思ったが
祖母が”結婚のお祝い”として衣装代を負担してくれた
十数万円のレンタルドレス代はかなりの出費だったろうと思う
その気持ちも背負っての結婚式、本当に気合を入れて準備をした
結婚式当日
天気も良く最高の一日だった
とにかく楽しくて仕方なかった
嬉しくて仕方なかった
挙式の間、
露宴の間
ほとんど笑っていたような気がする
最高な一日だった
ただ、結婚式のスピーチで
『なかなか家にいつかないでしょうが』とか
『帰宅が遅くなる事が多いでしょうが』とか
『寂しい思いをすることがあるでしょうが』とか
今から夫をかばうスピーチがこれほど多い結婚式はなかなか無いように思う
みんなわかっていたのだ夫の性格を
当の私も予想はしていた
そして、その予想は新婚当初からぴったり当たっていたのだ
好きな人と出会って、結婚して、子供を産んで。
そりゃ、それなりに色んな事件や揉め事なんかもあるだろうけど、
それなりに普通に喜んだり、泣いたり、喧嘩したりしながら
人並みに家庭を築いていけるものだと思っていた。
だいたい、その“普通”とか“人並み”とかって言う表現もかなりあいまいで、
人それぞれに捕らえ方は違うだろうが、
それを踏まえたうえでも我が家は普通の家庭ではないと断言できる。
でも、結婚当初は童話の最後のせりふのように“Happy Ever After
”って言葉が似合う家庭を築いていきたいと思っていた。
それまでの人生はまあ、それなりに色々経験はしてきたものの、
普通の人生だったと思う。
両親は小さい頃に離婚をしていたけど、
それを苦に感じたことはなかったし、
海外留学なんてしちゃったけど、
今のご時勢たいして珍しいことではない。
あの人と出会ってから、私の人生は大きく変わったのだ。
あの人、それは私の夫のことだ。
彼とは出会って、運命を感じたのかすぐに結婚を決めた。
その運命とやらが正しかったのかはいまだに分からないが、
それが私の人生に試練を与えたことは事実だ。
夫は結婚と同時に退職。そして起業した。
それからの生活は楽なものではなかったが悪くもなかった。
そして、浮気の発覚。
男とやらは一つの場所に居座ることが出来ないらしい。
そして、ギャンブル。
多額の借金。
家庭も、会社もボロボロになった。
どん底から少し精神的に落ち着いた今、
私は自分の経験を書きとめようと思う。
私の経験がどんなパワーを発揮できるかは分からないが、
自分自身、そして誰かの勇気になれればそんな嬉しいことはない。
どんなに深い谷の底にいても絶対に光はつかめると私は信じている。
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