試衛館、彼らが若かった頃 | 青ちゃんのユル~いブログ(★青ブロ★)

青ちゃんのユル~いブログ(★青ブロ★)

青ちゃんが、ドタバタしながらあちこち出かけていくユル~いブログです。

【真夏の東京編 その2】


新橋でお腹がいっぱいになったけど流れ星
打ち合わせまでは時間があったので流れ星
寸暇を惜しんで、市谷高良町にやってきました~音譜



何故ここにやって来たかと言うと流れ星
ここには新選組局長である近藤勇が京に上る前に流れ星
天然理心流の近藤家四代目を襲名し流れ星
道場主を務めた「試衛館」跡地があるからでした~ひらめき電球

この日はメッチャ暑かったのですが流れ星
頑張って歩き、横道に入り~DASH!



本当にこの道で合っているのかなと猜疑心が芽生えた時流れ星
何故だか人気の「市谷甲良町1」のプレートを発見しましたチョキ



そして、右に曲がると~DASH!



遂に「試衛館」跡地にたどり着きましたよ~チョキ



今では、都会の片隅にひっそりと佇んでいますが流れ星
この場所で前述の近藤勇・土方歳三・沖田総司を始めとして流れ星
井上源三郎・山南敬助・永倉新八・斎藤一・藤堂平助・原田左之助らが流れ星
明日を夢見て、剣術を磨いていたと思うと感慨もひとしおでした~音譜



過去「青ブロ」では、日野・京都・流山・会津若松・函館など流れ星
新選組ゆかりの地を訪ねましたが流れ星
漸く原点でもあるこの地にたどり着くことが出来ましたチョキ


そして、この隣には約350年の歴史を誇る稲荷神社がありました~音譜




彼らは当然ここにお参りしてたんだな~と思いましたが流れ星

この通りの状態だったので、お参りできませんでした~汗


ざんね~んあせる


そして、打ち合わせ後の夕刻には、小石川にある「伝通院」に行きました~音譜



「伝通院」とは試衛館の面々が京都に行くきっかけを作った流れ星
清河八郎が浪士組結成を呼びかけ集合させた場所なんですよ~ひらめき電球



当時は三流道場の位置づけだった「試衛館」の近藤勇・土方歳三らにとって流れ星
時の将軍 徳川家茂の上洛警護のため、京に上ることは流れ星
この上なく魅力的に映ったことでしょう目



それにしても、この地に近藤勇や土方歳三や芹沢鴨ら流れ星
野望に満ちた大勢の浪人・若者たちが集まり流れ星
同じ空を見上げていたかと思うと、僕までワクワクしてきました~ひらめき電球



やっぱり歴史っていいですね~目

そして、ここには徳川家ゆかりの人々のお墓もあり流れ星
折角の機会なので、見学することにしました~音譜



まずは、徳川家康の生母 於代の方のお墓音譜



この人が徳川家康を産まなければ、日本の歴史は大きく変ったんでしょうねひらめき電球

そして、悲劇の人 千姫のお墓音譜



千姫とは言わずも知れた徳川家康の孫、秀忠の娘で流れ星

豊臣家との政略結婚で豊臣秀頼に嫁がされ流れ星

徳川家康の命により、落城寸前の大阪夏の陣で助け出されたのでした~ひらめき電球



そして、三代将軍家光の妻 孝子のお墓音譜



三代将軍家光は、以前ご紹介した通り流れ星

日光「輪王寺大猷院」に眠ってるので、遠く離れてるんですね~汗

結婚当初から不仲だったとの説もありますが流れ星

二代将軍秀忠とお江の方が増上寺で一緒に眠っていることを思えば流れ星

少し可哀想な感じがしましたよ~汗

そして、ここにはもう一人忘れてならない人のお墓もあるんですよ~音譜


それがこれ、件の清河八郎のお墓で~すひらめき電球




清河八郎は、本当は上洛する将軍家茂の護衛のためではなく流れ星

攘夷活動をするための浪士組を結成することを目的として流れ星

近藤勇・土方歳三ら純粋に将軍を敬う青年たちを偽って招集したことが原因で流れ星
京都において浪士隊は分裂し、あげく江戸に戻った直後に暗殺されたのでした汗


そんなこともあり、僕を含め大勢の方があまり快く思っていないみたいですが流れ星

彼が浪士隊を結成しなければ、当然ながら新選組の結成もなく流れ星

坂本龍馬たち大勢の勤王の志士たちも命を失うこともなかったかなと思うと流れ星

歴史の不思議な因縁を感じえずにはいられませんでした~目


そして、その帰り道音譜


日本指圧専門学校の入口で、浪越徳次郎さんの胸像を発見しましたチョキ



『指圧の心は母ごころ、押せば命の泉湧く』音譜


この誰からも愛されそうな笑顔を見てると流れ星

不意に往年の名セリフが蘇ってきました~ひらめき電球


東京編、まだまだ続きますパー