アリソン・アトリー『時の旅人』 | ・・・夕方日記・・・

アリソン・アトリー『時の旅人』

時の旅人 (岩波少年文庫)   時の旅人 (岩波少年文庫)


わたし=ペネロピー・タバナーが、少女の頃のできごとを話す形式で書かれている物語です。


ロンドンに住んでいたペネロピーは、転地療養のために

母のふるさとであるダービシャーのサッカーズ農場で過ごすことになりました。


サッカーズは、もともとバビントン家のカントリー・ハウスでした。

タバナー家の人たちは代々サッカーズに住んで、領主であるバビントン家に仕えてきたのです。


今は大おじ&伯母にあたるバーナバスおじさんとティッシーおばさんが住んでいて、

姉のアリソン、兄のイアンとペネロピーを温かく迎えてくれました。


仔馬に乗ったり農作業を手伝ったり、田舎の生活を楽しく送っていたある日、

ペネロピーはあるはずのないドアが踊り場にあるのを見つけ、

16世紀(1582-84年)のサッカーズに迷い込みます。

物語の中で、メアリー女王が処刑されてから320年と書かれているので

ペネロピーたちの現在(サッカーズを訪問した時期)は1907年頃と考えられます。


過去のサッカーズにはバビントン家の人々ーー当主のアンソニー夫妻、弟のフランシス、

アンソニーとフランシスの母のフォルジャム奥方たちと、たくさんの使用人が住んでおり、

大黒柱として台所でみんなをまとめているのはタバナー家のシスリーおばさんでした。


アンソニーはスコットランドのメアリー女王の熱心な支持者で、

イングランドで軟禁生活を余儀なくされているメアリー女王を救出する計画を

ひそかに練っていました。


二つの時間を行き来しながら、ペネロピーは

メアリー女王が処刑されることになる、1586年のバビントン事件に連なるできごとが

進行していくのを見守ることになります。


・・・・・・・


サッカーズは、作者のアトリーが18歳まで暮らした生家と農場がモデルになっています。

そのため、農場の描写がほんとにすばらしい!


簡潔な文体で克明に描かれていて

自然だけでなく、室内の様子や暮らしぶりなど、本当に興味深いです。


ペネロピーたちがサッカーズに着いた晩の様子はこんなふう。


炉のそばの丸いテーブルに食事の用意ができていて、私たちはごちそうの前にすわりました。

焼いたオーツケーキ、ローストチキン、黄色いチーズケーキ、

私たちの握りこぶしくらいの大きさの、奇妙なでこぼこのパン、

それから、ムギの束の型が押してある金色のバターのかたまりなどがならんでいました。・・・

 暖炉の明りと金色の照り返し、ゆったりとあったかいアクセントではなすおじさんたちの声、

天井のあちこちからぶらさげてあるハーブの束から部屋中にただよういいにおい。

すばらしい第一夜でした。(pp.41-42)


とにかくアンティークがいろいろ出てくるのが、心底楽しいです。


「はめ込み細工のかざり(p.15)」のあるチェストやオークのテーブル、スパイス入れの戸棚に

「前側にうずまき模様の彫ってある大きなひじかけいす(p.16)」といった家具から

象牙の針入れにろうそく立てやバタープリント、

銅の火のし(おばさんがこれでベッドを暖めてくれます)などの生活雑貨、

さらには銀のブレスレットや黒玉(ジェット)のロケット、

打ち出し細工の金の時計とか透かし彫りの銀の箱といった装飾品までほんとにたくさん。


・・・夕方日記・・・-1


大きな鉄鍋など、16世紀からずっと使われているものがあったり、

16世紀当時のパン焼きかまどをティッシーおばさんが食器棚として再利用?していたり

時代をこえて使われているものが出てくるのもおもしろいです。


16世紀のサッカーズでは砕いた卵の殻を洗濯に使っていたり、

床にハーブをまいて消臭剤にしていたりと

昔の暮らし方、生活の知恵のようなものも興味深かったです。


砂糖は「台所で使うにはぜいたくすぎる、高価な新しい材料(p.285)」と言われていますし、

食事のときにはピューターのお皿と角の柄のナイフ+ビールを入れる角杯が並びます。


ペネロピーがフォークは?と聞くと、「フォークなどというものは、

イタリア人が持ち込んだ新しがりの風習で、まともなイギリス人が使うものではない(p.185-6)」と

一蹴されてしまいます(当主のアンソニー夫妻だけが、銀のフォークを一本ずつ持ってる。


ペネロピーが読み書きができるというと、身分違いの教育を受けていると驚かれ、

緑の服を着ていたペネロピーに、「ロンドンでいちばん新しいはやり歌(p.203)」と言って

フランシスが歌ってくれるのは「グリーンスリーブス」です。

♪グリーン・ノウでトーリーがフルートで吹くのもこの曲



・・・夕方日記・・・-2


ペネロピーの時間の往復の仕方は、基本的には全くの不規則です。


今は存在しないはずのドアを経由するときもあるのですが、

普段使っている部屋のドアを開けたり、庭でふと顔を上げたりした瞬間に過去に戻ることも多く、

ペネロピーにはそのタイミングを選ぶことはできません。


16世紀にいるあいだはペネロピーの腕時計は止まったままで、

現実の世界では時間が経っていません。


この時間の感覚について、アトリーは後に書いた本の中で以下のように述べています。

(かなり意訳です、すみません。ちゃんとした訳は①p.67に載っています)


For solar time is not present in dreams. We get away from its influence

when our consciousness is lulled and the absolute time of infinity comes into play.

That is the reality, and within this conception of time we can disport ourselves,

and spend an eternity in a second.(②p.19)


太陽が進むのに従った時間ーーつまり時計が示す時間の進み方は、夢の中には存在しない。

意識が静かに寝かしつけられ、無限に続く絶対的な時間の進み方が効果を示し始めると、

私たちはいわゆる時計が示す時間から逃れられる。

そこでは絶対的な時間のほうが現実となる。

この、時計で計ることのできない時間が存在するという概念の中で、

私たちは楽しんで、一瞬のうちに永遠にも思えるような時間を過ごすことができるのだ。


このsolar time はバシュラールが言うところの水平的時間、

the absolute time of infinity は垂直的時間に相当すると考えられます。


また、


Time can be folded back upon itself, and the past co-exists with the present. (②,p.115)
時間はそれ自体、折りたたんで重ねることができ、過去は現在と共存している。



とも述べています。太字は私が変えています


昔のサッカーズに初めて旅して戻ってきたとき、ペネロピーは次のように考えています。


やわらかな光のなかに、五重になった丘が、一つ一つ、薄紫、藍、紫と色を変えて連なり、

その谷かげに小さな村々をかくしていました。

もやのかかった谷間で、だれにも見られず、人々の暮らしが続いていました。

そして、もう一つべつの暮らしが、時の重なりのあいだで営まれているのでした。(pp.126-127)


The fivefold hills were lavender, indigo, vioret in the soft light,

one behind another, concealing the small villages in their shadowed troughs.

Life went on unseen in those misty shallows, and another life moved in the folded layers of time.(p.86)


水平的時間と垂直的時間の導入の仕方はピアスと、

歴史や思い出のある場所に時間が堆積して「重なる(fold)」という考え方は

ボストンと共通しています。

(私が記事にした順番がめちゃくちゃで申し訳ありません;出版順は

1939年に『時の旅人』→1954年に『グリーン・ノウの子どもたち 』→1958年に『トムは真夜中の庭で 』)


ただ、トーリーがおばあさんと、トムが弟のピーターと秘密を共有するのに対して

時間を越えた旅のことは、ペネロピーは自分一人の中にとどめたままです。


時間の境界はしだいに曖昧になっていき、

浮かび上がるように昔のバビントン家の人々が現れては消えていくことも増え、

ペネロピーは現在の生活よりもむしろ、昔の人々に親しみを覚えるようになります。


スコットランド女王メアリーが幽閉されていたウイングフィールドの遺跡を訪れたときには、

一瞬だけ16世紀に戻るかたちで

祈祷書カバーに刺繍をしているメアリー女王を見ているほど。

(ほんとに刺繍をしていてなんだか嬉しかった: ←間違い)


物語は現実のサッカーズでも16世紀でも、クリスマスの場面でクライマックスを迎えるのですが

サッカーズにやって来た両親を案内しながら、ペネロピーは

「知らない人たち(p.425)」の相手をしている気分に陥ります。


・・・夕方日記・・・-3


ペネロピーは、過去の世界で自分が会った人たちに悲劇が待っていることを知っていました。


ペネロピーが最後に昔のサッカーズを訪れてから二年後の1586年に、

バビントン事件(Babington Plot)が起こります。

メアリー女王とアンソニーがひそかにやりとりしていた手紙の内容から、

アンソニーはイングランドのエリザベス女王の暗殺を企てた罪に問われ、ロンドン塔で処刑され

翌年にはメアリー女王も処刑されてしまいます。


(アンソニーが考えていたのは、もともとはメアリーをフランスへ脱出させる計画でした。

手紙はビール樽に入れて秘密裏にやりとりされていたのですが、実は運ぶ係の人が

二重スパイとしてイングランド側に付いてしまっていました。

暗号で書かれた手紙は途中で一度抜き取られて解読され、内容が筒抜けになっていたのです。)


それをどうすることもできないまま、グリーンスリーブスの歌を歌いながら

アンソニーとフランシスは馬に乗って行ってしまいます。


物語は以下のように終わっています。


 五百年のあいだサッカーズの四季を包んできた安らかさが、私の中を流れていきました。

それは、あの人たちにしたと同じように私に強さと勇気を与え、私をあの人たちに結びつけました。

 生きているうちにあの人たちに会うのは、これが最後だとわかりました。でも、いつの日か、

私はあの勇敢な影の人々のところへもどり、あの人々といっしょになるでしょう。(p.438)


トムやトーリーのように、異なる二つの時間を体験することによって

成長したり友だちを増やしたり、

わかりやすくプラスの方向へ向かうといった現象は、ペネロピーには起こりません。


いつの日か会えるというのはおそらく自分が死んだときを指すと思われ、

読みようによっては消極的というか、ゆるやかに戻っていくような印象も受けます。


ただ、アトリーが書きたかったのは、こうした喪失の悲しみを越える力、

その直前の段落に書かれている部分もあると思うのです。


サッカーズの地面からわき出てくる泉を見ながら、バーナバスおじさんは次のように言います。


「背後に、かくれた水の力があるからこそじゃ。命と同じじゃ。背後に力がなければならん。

人間を苦難と闘わせ、負けずにがんばらせる力が。サッカーズの泉は、かれたことがない。

これからも、かれることはない。いつまでも、いつまでもつづいていく。(p.354)」


時間を往復するペネロピーのまわりでただひとつ変わらなかったのは、

「刈りたての干し草と野バラとラベンダーと、

そして、古い時代がまざりあったようなにおい(p.225)」に包まれたサッカーズ農場でした。


悲劇も嬉しいこともすべて抱き込みながら季節はめぐって、

そこで暮らす人たちを見守るように、自然は圧倒的な力強さで存在し続けるのでしょう。


そうした自然の力への信頼と、土地に根ざして生きることの尊さがこの物語の根底にあって、

哀しい余韻を残して終わりつつも、

いっそ安らかな、一種の向日性が示されている気がします。



<参考文献>


佐久間良子『アリソン・アトリー (現代英米児童文学評伝叢書) 』(KTC中央出版、2007年)①

デニス・ジャッド『物語の紡ぎ手 アリソン・アトリーの生涯 』 (JULA出版局、2006年)

脇明子『ファンタジーの秘密 』(沖積舎、1992年)

Uttley, Alison. The Stuff of Dreams. London:Faver, 1953.②

英文のページ数はJane Nissen Books版のものです


裏メインおまけ>


サッカーズのみなさんのダービシャー弁がゆったりした感じで、和みます。


16世紀のサッカーズの台所では

"Thou call'st me Aunt, niece Penerope? Art thou a niece of mine? What's thy name?"(p.62)

というふうに、古英語が使われています(thou=you, thy=your)。


一番びっくりしたのが


Them plagury bullies eatin' buds offen cherry-trees, and eaten' off''en peas.(p.113)
(あの厄介な鳥どもが桜のつぼみや豆を食べている)という一文。


「burryはずんぐりした小鳥や魚などに使われる方言(①p.116)」だそうで、

ずんぐりした小鳥といえば…


・・・夕方日記・・・-5


バリィさん!!!!


地名以外にも掛詞になっとるΣ(・ω・ノ)ノ!



<蛇足>


ペネロピーのお父さんはエジンバラ出身のスコットランド人で、

お兄さんのイアンはバグパイプが吹けると書かれています。


スコットランド女王メアリーの人気の高さ?がいまひとつふしぎだったのもあって

バビントン事件について調べる過程で読んだうち、おもしろかったのが

高橋哲雄『スコットランド 歴史を歩く (岩波新書) 』です。


タータンの成り立ち(商業ベースだったり政治的パフォーマンスが関わっていたり)なども

おもしろかったのですが、一番驚いたのは

明治期の殖産工業政策がスコットランドに学ぶところが大きく、

造船技術者の最大の留学先だったグラスゴウでは日本語での受験も認められていて、

問題を作っていたのが、当時イギリスに留学中だった夏目漱石だということでした。

とっても見てみたいです、過去問残ってないのかな…


・・・夕方日記・・・-4

画像は実家の家具と、ワイルマンのシスル(スコットランドの国花のあざみ)です