フィリパ・ピアス『トムは真夜中の庭で』 | ・・・夕方日記・・・

フィリパ・ピアス『トムは真夜中の庭で』

トムは真夜中の庭で (岩波少年文庫 (041))   トムは真夜中の庭で


トムは弟のはしかのため、しばらく自宅を離れ

おじさんとおばさんのアパートで夏休みを過ごすことになりました。


おじさんの家は、古い大きな邸宅を中で区切ってアパートにした建物の一室でした。

玄関のホールには、三階に住んでいる家主のバーソロミューおばあさんのものである

「背の高い箱入りの大時計(p.16)」がありました。


おばさんは優しく、いろいろ気づかってはくれますが

潜伏期間のために外出できないトムは、一人きりで退屈しきっていました。


ある晩、トムは玄関ホールの大時計が13時を打つ音を聞きます。

時計を見に行ったトムは、文字盤を確かめるために月の光を入れようと

裏口のドアを開けました。


するとそこには、陽の光がいっぱいに降りそそいでいる

れんが塀とイチイの木に囲まれたうつくしい庭が広がっていたのです。

庭園でずいぶん長いこと過ごして戻ってみると、数分しか経っていませんでした。


翌日の昼間に裏口から外に出てみると、庭は跡形もなく消え去り

アパートの住人用のガレージが広がっているだけでした。


トムは毎晩、このふしぎな庭を訪れるうちに

昔この邸宅に住んでいた、ハティという女の子と友だちになります。


両親を亡くし、冷たいおばに引き取られてこの邸宅に住んでいるハティは、

トムと同じく一人の寂しさを庭園で過ごすことで癒やしていたのでした。


トムは二つの時間を行き来しながら、ハティがヴィクトリア朝期の子どもだと割り出し

時間や人間の本質、生きることの意味といった根本的な問題について

自分なりに考えを深めていきます。



トムが訪れた邸宅と庭園は

作者のフィリパ・ピアスが小さいころに住んでいた家と庭がモデルになっています。


ピアスは1920年、ケンブリッジから5マイルほどのグレート・シェルフォード村で

四人きょうだい(姉兄兄)の末っ子として生まれました。

家は祖父の代から製粉業を営んでおり、庭には川が流れ、水車が回っていました。


一家が住んでいた邸宅(ピアスはミルハウス、水車小屋と呼んでいます)は

「19世紀初期の美しい建物で、製粉所と広い庭園があった(①p.5)」そうです。

庭では草花が咲きみだれ、犬や猫などを飼い、

川では泳ぐのはもちろん、カヌーを漕いだり冬にスケートをしたりして楽しみました。


「新しいペンや鉛筆をおろすと、きまって小説を書き始めた(②p.49)」子どもだったピアスは

ケンブリッジ大学に進み、非常勤の公務員を経て

大戦後の45年、ロンドンに出て25歳でBBCの学校放送部門(ラジオ)に就職し、

脚本家兼プロデューサーとして勤務することになりました(~58年)。


1952年、ピアスは肺結核にかかり、ケンブリッジで入院生活を送ることになりました。

11ヶ月に及んだ休職期間のあいだ、ピアスは子どもの頃のことを思い出して

「想像力によって把握された空間」は「生きられる(③p.32)」ことを実感します。


I didn't feel ill at all, and it seemed almost unbearable to be lying in bed

missing all of summer on the river, only five miles away, in Great Shelford,

where I had been born and brought up.

My parents ware then still living in the Mill House, with the river flowing by the garden.

Instead in hospital, I went there in my imagination as I had never done before--

as I had never needed to do, of course.

I knew, by heart, literaly the feel of the river and the canoe on it. (④)


私は自分が病気だとはまったく感じませんでした。

生まれ育ったグレート・シェルフォードからたった五マイルしか離れていないところで、

夏の川辺でのあらゆる楽しみから除け者にされ、寝たきりになっているのは

とても耐えられないと思いました。

当時、両親はまだミルハウスで暮らしており、庭には川が流れていました。

私は病院に閉じ込められたまま、空想の中でその場所へと出かけました。

こんな体験はそれまでしたことがありませんでしたーーもちろん、そうする必要がなかったからですが。

私は文字通り、川と、川に浮かぶカヌーの感じを空でーー心の中で覚えていました。


元気になったピアスは仕事の傍ら、「もちろん夜と週末だけ(②p.51)」を使って

この空想をもとに処女作『ハヤ号セイ川をいく』を書きました。

1955年に発表されると高い評価を得ましたが

この頃、ピアスの父は引退を決め、家と庭を手放すことを決めました。


自分が育った家が売られてしまうことを悲しんだピアスは

この家と庭を舞台にした物語を書くことにしました。

こうして書かれたのが、1958年、38歳のときに出版された『トムは真夜中の庭で』です。


The Mill House had become too big, with its seven bedrooms and

its splendidly-proportioned but unheartable rooms downstairs.

Ah, but it was a thoroughly nice house, in the way some people are nice! . . .

It' s exactly the house of Tom's Midnight Garden, with a story added for Mrs Bartholomew;

its garden is--or was--almost exactly that garden.(⑤)


七つの寝室と、一回には暖房が行き届かないものの

すばらしく調和のとれた部屋を持つミルハウスは、住むには広くなりすぎていました。

ああ、でもそれは、すばらしい人々がいるのと同じように、本当にすばらしい家でした!・・・

この家は、バーソロミュー夫人のために三階を付け加えたほかは、『トムは真夜中の庭で』の館

そのものです。庭も今とーーまたは以前とーーほとんどそっくりに書いています。


庭に関しては、「『真夜中の庭で』のこと」で、さらにくわしく言及されています。


その家は大きく、横にながく、荘重なつくりだった。・・・

ものすごくひろい庭園があって、芝生の周囲を、古いイチイの木がとりまいていた。

イチイの木のあいだには、アーチのような形になった道や奥深く切りこまれた空地などがあった。

大きなツゲのかん木があって、横に大きく口をあけていた。・・・

『トムは真夜中の庭で』のなかに、私はこれらのものをーーいや、これよりももっと多くのものを

ーーみんなぶちこんだ。

ほとんどすべての描写は、細部にいたるまでみな、じっさいのままだし、正確である。(p.347)


トムは毎晩訪れるこの庭の特徴は、二つの時間が融合しているところです。
トムが庭に出て行くのは真夜中であるにもかかわらず、

そこは「一日のうちのいろいろな時間、ちがった季節(p.74)」を表しており、

時間は「まったくあてにならないめちゃくちゃな順序(p.151)」で進みます。


庭園のなかの守られた時間は、バシュラールの言葉を借りれば(くわしくはこちら:

トムにとっての「垂直的時間」=時計で計ることのできない時間の体験だと言えます。

しかし、物語では、避けることのできないものとして「水平的時間」=現実の時の経過が

導入されています。


永久に安全な庭園で遊んでいたいというトムの願いは叶えられることはなく、

庭の中で、ハティはトムを追い抜いて大人になっていきます。


最終的に庭は消えてしまいます。

トムが両親と弟の待つ家に帰らなければならない前の晩、

ずっと庭園にいようと決心して裏口のドアを開けると、昼間と同じ光景が広がっているだけでした。


パニックになったトムがハティの名を大声で呼んだことから、

三階のバーソロミューおばあさんがかつてのハティだと判明します。

夫に先立たれたハティは息子二人も第一次大戦で亡くし、一人で三階に住んでいたのでした。


翌日、ハティであるバーソロミュー夫人はトムに

今年の夏ほど庭園の夢を見たり、小さいころのことと鮮明に思い出したことはなかったと話し、

トムは、一人で寂しかった自分の思いとバーソロミュー夫人の思いが同じだったことに気付きます。


・・・夕方日記・・・-1  ・・・夕方日記・・・-2

現在と過去が結びつけられ、複雑に絡み合いながら調和している庭園は、

少女のハティだけでなく、やがて未亡人となった年老いたハティを癒やす働きもしていました。


バーソロミュー夫人は以下のように言います。


「トム、そのとき〔姉注:嵐で庭のもみの木が倒れたとき〕だよ。

庭もたえず変わっているってことにわたしが気がついたのは。

かわらないものなんて、なにひとつないものね。わたしたちの思い出のほかには。」(p.327)


入院中だった時のピアスと同じように、想像の中で子どもの頃を空想するだけで

バーソロミュー夫人は元気づけられ、活力を得ているのです。

ピアスは子どもの頃を回想することについて以下のように言っています。


子ども時代の思い出のひとこまひとこまが今のわたしの生活に彩りをそえていてくれるもの。

わたしが生まれる前にここで起こったこともね。・・・

よそにいたって、子ども時代の思い出は生きてるわけだし。
わたしの中にはわたしの子ども時代が生きてるでしょ。

でも同時にヴィクトリア時代の子どもたちもわたしの中に生きてるのね。・・・

私たちは過去と密接につながっているんだと思う。(②p.53)

「夢想の存在は老いることなく、幼年から老年にいたるまで

人間のあらゆる年齢を渡っていく(⑥p.124)」ものであり、

子どもの頃の思い出は大人になってからもずっと、立ち返って力をもらえるものなのでしょう。

「時間を堆積していくものととらえ(⑤p.53)」ているところもボストン と同じです。


トムの体験について、上野瞭は以下のように述べています。


トムにとって大切なのは、時間の概念の理解ではない。ハティを知ることである。

人間を理解することである。ハティがたまたま別の時代の人間であることから、

トムは、人間が時間内存在であることに気づく。

人間を独自のライフ・サイクルとともに理解するようになる。

そういうものとして、トムは人間を理解する。(⑦p.75)


トムは個人の中に集積された時間の流れを発見し、

人間がみんな子どもであった時代を持っていることを悟ります。
自分なりに納得した上で、現実に向かい合うところに

庭での体験がトムにもたらした成長を見ることができると思います。


また、ピアスは「人間はあるところで、自分はまったく孤独で

ひとりぼっちの人間であることに気がつかなくてはならない(⑧p.217)」と言っています。


アメリカで受けたインタビューでも「『トムは真夜中の庭で』が哀しい作品であり、

ハティは最後ひとりだという点がアメリカ人から指摘されると、

誰だって最後はひとりですからと厳しい言葉が返されてい(①pp.19-20)」ます。


時間は否応なく過ぎていき、最終的には一人だけれど

「過去のなかに休息をみいだすことができる(③p.48)」こと、(太字はバシュラール先生)

覚えていさえすれば、小さいころの思い出や堆積した時間からいつでも力をもらえることが

あたたかく厳しく、書かれている気がします。


・・・夕方日記・・・-4

もともと母のものだった本で、おもしろいわよと薦められて五年生の時に読みました。

楽しかったとか気に入ったとかを飛びこえて、

子ども心にこれはすごい本だ、と感じたのがいちばん残っています。


庭の描写が「匂いが鼻につんと感じられるくらいリアル(⑧p.64)」だったのもそうですが

(「アスパラガス畑」の語感が好きで、多分これが今のアスパラ好きにつながってます:

13時というのがほんとに心惹かれるファクターでした。


スケート靴など、整合性のある説明がつかないところもあるのですが

「子どもは、ありそうなことであろうとなかろうと、

話の筋の部分々々についての合理的な説明を求めることは、殆どないのである。

物語の世界は身近に受けとられ、しかも図式的に一貫した全体として受けとめられるのである。」(⑩p.208)


J. R. タウンゼンドは、ボストンを高く評価した部分 に続けて以下のように述べ、


ただひとり、彼女〔姉注:ボストン〕に匹敵するのは、フィリパ・ピアスだと私は思う。

しかし、フィリパ・ピアスはボストン夫人とくらべると、さらに物語作家としての才能にすぐれ、

いつまでも記憶に残る人物を創造する小説家としての力と、

バランスのよくとれた作品を完成する建築家的なとでも言うべき才能においてまさっている。(⑨p.62)


もし私が、第二次世界大戦後のイギリスの児童文学作品のなかから傑作だと思われるものを

ただ一作だけ挙げろと言われるならーー三十年間に一作の傑作というのは、まず妥当な比率だと思うがーー

私はこのすばらしく美しくて、夢中にならずにいられない作品を挙げようと思う。(⑨p.65)


と言い切っていますが

ほんとにその通りだなぁと、読むたびしみじみ思います。


ボストンとは友人だったようで、①に収録されている

2003年にピアスの家を訪問して行われたインタヴュー記事では

「友人ボストン(Lucy. M. Boston, 1892-1990)への尊敬に満ちた語り口(①p.23)」と書かれています。



<おまけ①>


物語に出てくる大時計(the grandfather clock)は

「イギリスでは樫の大木とともに、古い家柄と伝統を誇る象徴」で

「時刻を知るという実用面のみならず、家具調度品として装飾的芸術的意義が大きい(p.105)」

のだそうです。


写真は実家にある時計です。上から


1800年代末の置き時計。両側にインレイ(象嵌)があります。

一日10分ぐらい遅れますがそれも楽しむべし@トチー。

こちこちと動く音がとてもいいです。


玄関の時計、1920-30年頃、アーツアンドクラフツの頃のもので

グランドドーター(孫娘)クロックというそうです。

調べてみると、すべてhall clock高さが6フィート(1.8m)以上のものをgrandfather clock、

5フィート(1.5m)以上のものをgrandmother clock(おばあちゃん登場ヽ(゚◇゚ )ノ

5フィート(1.5m)未満のものをgranddauther clockというのだそうです。


ねじを巻いておけばまず遅れることがなく、テレビの時報とともに鐘が鳴るミラクルな時計です。

音は結構大きめで、響きます。


これも同じ頃の置き時計です。

保護色になってしまってますが;

いかにもアーツアンドクラフツな、独特のフォルムとインレイがほんとに壷です。


どれも外側はイギリス、中身はドイツ製だそうです(何となく納得。



<おまけ②(自分内では別枠一位)>


・・・夕方日記・・・-表紙2


物語の中に、なんとビートン夫人の料理書(くわしくはこちら: )がでてきます!


トムがおじさんの家で、ハティの服装がいつ頃のものかを調べようとする場面、

(太字は私が変えています)


台所の棚の上に、ビートン夫人の書いた料理の本やそのほかの料理の本といっしょに、

いかにも人の目をひきそうな『なんでもわかる辞典』という題の本があるのをトムは目にとめていた。(p.171)


He had often noticed on his aunt' s kitchen shelf,

together with Mrs Beeton's and all the other cookery books,

a volume invitingly called Enquire Within Upon Everything.(p.109)


典型的な中流階級として書かれているおばさん宅の台所の描写として

なんの説明もなく当たり前のように登場していることからも、

イギリスの家庭ではよほど一般的な光景だったのかなと

改めてビートン夫人の浸透度を実感しました…

<参考文献>

上野瞭『現代の児童文学 』(中央公論社、1972年)⑦

ガストン・バシュラール『空間の詩学 』(思潮社、1969年)③

ガストン・バシュラール『夢想の詩学 』(思潮社、1976年)⑥

G. フォックス編『子どもの本と教育』(玉川大学出版部、1983年)⑩

J. R. タウンゼンド『子どもの本の歴史―英語圏の児童文学 (下) 』(1982年、岩波書店)⑨

三宅興子編『フィリパ・ピアス 』(KTC中央出版、2004年)①

「ふたつの時間の出会う場所」(インタヴュー:フィリッパ・ピアス/聞き手 清水真砂子)

  (『へるめす』第43号、岩波書店、1993年)②

「物語は時間を超えて」(対談:フィリッパ・ピアス/山田太一)

  (『世界』第498号、1987年2月号、岩波書店)⑧

④Philippa Pearce, "Philippa Pearce Writes, " in A sence of Story, ed. J. R. Townsend

  (London: Longman, 1971), p. 169.

⑤Ibid, p.170.