平成25年8月24日~25日、後輩ともともが東京へやってきた。
『東京おもてなし劇場~1日目~』の続きから・・・
初日、年甲斐もなくハッスルしすぎた私たち(主に私。)は、
朝、ひっじょーに疲れていた・・・
もはや寄る年波には勝てない。
ああ~。年相応のはしゃぎかたをしないと、体が言うこと聞かないわ~。
としぶしぶ起きる(=目を開けただけ)と、隣で寝ていたともともと目が合った。
私(ともとも、疲れてる・・・)
と(あも先輩、疲れてる・・・)
お互いの顔を見て、お互い無言で、お互い同じことを心に思った(と思う。)。
私「おはー」
と「おはようございます~」
私「今日、何時の新幹線で帰るんだっけ~」
と「◎時です~」
私「帰る前にどっか行きたいとこ、ある?」
と「もう昨日で行き尽くしました。うむ。」
私「そうかそうか。うむうむ。じゃあ適当に東京駅に行こっか~」
と「は~い」
昨日の滝川クリステルよろしくあもステル気取りも、どこへやら。
けだるい感じで出発の朝が始まった。
寄る年波には勝てん。
てなわけで、適当にやってきました東京駅。
しかしながらすでに時間はランチタイム。
けだるくても腹は減る。
ご飯食べようぜ~。
私「あ、ここのつばめグリルだけどさ~(看板を指差して)。
うちの母親が~東京来るたびにここに行きたがるんだよ~。この前もやっぱり行ったし。」
あもママ上京物語の詳細はこちら→「ミルクババア卒業旅行~前編~」
「ミルクババア卒業旅行~後編~」
と「じゃあ私もココに行ってみたいです~」
私「よ~し、じゃあココにしよう!」
と「いただきま~す!」
私「窓からの景色もお楽しみ下さい。」
と「向かい側のビルに、こっちのビルが映ってる!!!!!!!!」
私「あ。ほんとだね。・・・」
そんなに大量の「!」が必要?ってほど感動していたともとも。
いやいや、私の実家の地域のように、一番高い建物は小学校、というならともかく、
ともともの家はうちよりは多少(笑)都会なんだし、そんなに驚かなくても!!!!!!
そして私のお約束。
食事の最後に、付け合わせのクレソンをもしゃもしゃ食べ始めた私。
と「あれ?!私のハンバーグにクレソンなんてついてたかなあ。」
私「ちょっと~。うちの母親と同じこと言わないでよ。そういう時は絶対ついてるんだって。」
と「え~。ついてなかったと思うな~。」
私「・・・あ!!さっき撮った写真を見ればいいんじゃん!?あもちゃん、かしこ~い。」
どれどれ・・・
私「ん!?さらにさらにズームイン!!」
私「・・・ふっつーにありますけど?」
と「おっかしいな~。食べた記憶が全くナイ!!!」
あ~。母親と繰り広げたクレソン論争のときも、こうやって写真を見直せばよかった。
いまさらだけど、どれどれ・・・
やっぱりふっつーにあった。
んも~。どいつもこいつも。
のびたくんはいっつもいっつも。by ドラえもん
ブツクサブツクサ。
腹もいっぱいになったところで、あとは東京駅構内をブラブラ。
スペインのパソドブレだかパパブブレだか、なんとかっつー、飴ちゃんのお店。
私「あ!おかしランドだ!」
※おかしランドとは・・・2012年、「ぐりこ・や Kitchen(江崎グリコ)」「森永のおかしなおかし屋さん(森永製菓)」「カルビープラス(カルビー)」の3店舗が集合した"日本初"のお菓子をテーマとしたゾーンのこと。
さすがカルビーには行列が・・・(→店内でポテトチップスを作ってくれるから)
新幹線の時間までまだあるし、並んでみる!?
ということで並ぶことに。
2人「作ってる作ってる・・・ワクワク。」
見た目にはえらい行列っぷりであったが、
並んでみると、10分ほどでできあがり~☆
うっほー!!!
おいしそう!!!!
食ってばっか。
と「いただきます☆」
私「いただきマンモ~ス」→ふるっっ!!!
全部は食べきれなかったので、家に持ち帰って残りを食べてみたのだが、
さめてもおいしさはそのままであることに、驚きを隠せないあもちゃんなのであった。
◇◆
そろそろ、ともとも、帰岡のお時間です。
と「お世話になりました~。」
私「大した世話はしとらんが、懲りずにまた来てね~。」→お・も・て・な・しはどこへやら。
と「そいでは!」
私「気をつけてね~!」
そして半日後。。。。
と「今年一番の充実した日となったのも先輩のおかげ」
そうじゃろう、そうじゃろう。
あもステル、後半、疲労によりすっかり忘れていたが、
気持ちだけはおもてなしをしていたのだよ!!!!!! →!の数が!!!!!!!
今年、残りあと4か月ほどあるが、
今回を超えるような充実した日が、ともともに来ませんように!→コラッ!
と「帰ったばかりですが、近いうちに遊びにまた行きたいです。」
ロゲ会長並みの、いやいや、ロゲ会長以上の『トーキョー』コールであります!
あもステルのお・も・て・な・し、
ともともの東京再招致に成功した、世紀の瞬間なのでありました。