感傷的で、あまりに偏狭的な。

ホンヨミストあもるの現在進行形の読書の記録。時々クラシック、時々演劇。

ブログランキング・にほんブログ村へ にほんブログ村 本ブログへ にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ にほんブログ村 演劇ブログへ

私の活字好きはどこからきたのだろう。
私の読書好きはどこからきたのだろう。
現在読んでいる本を記録し、語り、私の根っこを探しにいく。
ときどきクラシック。
ときどき演劇。
そしてときどき犬。


(書評についてのお知らせ)
基本的にすべて現在進行形で書いているため、
再読していない限り、
ブログを始める以前に読了している作品については書いていない。
夢違/恩田 陸

¥1,890
Amazon.co.jp

私が見た夢を、あなたも見てみたいですか?


ネタバレします。

(あらすじ)※amazonより
「何かが教室に侵入してきた」。
学校で頻発する、集団白昼夢。
夢が記録されデータ化される時代、「夢判断」を手がける浩章のもとに、夢の解析依頼が入る。
悪夢は現実化するのか? 戦慄と驚愕の幻視サスペンス。
夢を映像として記録し、デジタル化した「夢札」。
夢を解析する「夢判断」を職業とする浩章は、亡くなったはずの女の影に悩まされていた。
予知夢を見る女、結衣子。
俺は幽霊を視ているのだろうか?
そんな折、浩章のもとに奇妙な依頼が舞い込む。各地の小学校で頻発する集団白昼夢。
狂乱に陥った子供たちの「夢札」を視た浩章は、そこにある符合を見出す。
悪夢を変えることはできるのか。
夢の源を追い、奈良・吉野に向かった浩章を待っていたものは―。
人は何処まで“視る”ことができるのか?物語の地平を変える、恩田陸の新境地。

◆◇

第146回直木賞候補作品である。
恩田陸お得意の、不思議系小説であったが、
ありえない世界と現実の世界とをごく自然な形でリンクさせた、非常に技巧的な作品であった。

自分の見ている夢を、映画館などでみんなが見られるようになったら・・・
ひー!
ろくな夢を見てねえなあ、と思われちゃう~。←どんな夢、見てんだ!

そんな愚かしい過去に見た自分の夢などを思い出しながら、
ページをむさぼり、
物語中盤の技巧的な恐怖描写に、一人で読書しているのがこわくなっていた私。


でも・・・

あれ?
何がこわかったんだっけ?
振り返ると、そこには怖さの記憶がない。

そう、まさに、これがこの作品の長所であると同時に弱点でもあるんじゃないだろうか。
ありえない世界を、まるで現実世界のように描いているために、
夢か現か、のくっきりした境界線を(あえて)引かないまま、
私は、ほぼ最後まで霧に包まれた世界から抜け出ることができなかった。

全くの虚構の物語でもないために、
人肌ほどの温もりの記憶はある一方、熱く胸に迫る怖さや熱が残ったわけでもない。

それが目的でもあるのだろうから、
恩田陸的には成功なのだが、サスペンスとしてはどうなんだろう。

なんとなく残る不安と、もやもやが最後まで払拭されず、
読後も、ぼんやりとしたままで、
あらすじは覚えていても、どういう感情を覚えたか、など、
何が心の中で起きたのかすら、ぼんやりとした霧に包まれたまま、忘れてしまう・・・。

恩田氏の『Q&A』でも同様の感覚を覚えたのだが、
読んでいる最中は、ほうほう、と前のめりではあるものの、
本を閉じた瞬間、そこに残る何か、がひどくとぼしい。

思い返してみると、夢ってそんなものなのかもしれない。

夢の中であんなにジタバタ苦しんでいても、
起きてしまえば、寝ている間に感じていた苦しみにはリアル感がほぼないに等しい。
そこに残るのは、
何か自分の夢に対する唯ぼんやりとした不安、それも一筋の不安の影だけである。

そして、ラスト。
全編にわたって広がっていたぼんやりとした不安めいた霧が、一度に晴れていく。

そこで再会する、主人公と結衣子。

で、なんだかとてもいい感じの再会のシーンで終わる・・・。


終了。

え?あれれ?!それでいいの!?それでその後、あんたどうすんの?!
主人公には、結婚を約束した女性がいたはずなんだけど・・・


昔、恋い慕った女性と再会し、やっぱり彼女を愛していた、と再認識するのは
今までの流れで当然わかっていたし、了承済みのことだが、
結婚を約束していた女性とはどうなってしまったんでしょうかな・・・?
その女性は、最初、主人公に対し献身的な女性、という形で一瞬しか出てこず、
説明もないまま、物語は終わってしまった・・・

まあ、別れたんでしょうな。
だって~、思い入れが全然違うんですもの。
その女性に対する愛情と、ず~っと愛していた女性に対する愛情が。

その辺はすべて、読者の想像に任せる感じであった。
というか、そういう小さい事象は気にするなってことだったのかもしれない。

口数多く語りたくなるような作品ではないのだが、
とにかくボソボソっと何かしらの感想をクチにしたい作品ではある。
でもそれは作品の感想、というよりは、夢を通して見た自身のことなのかもしれない。

それでは今夜、夢でお会いしましょう。
恐ろしいことが待っているかもしれませんぞ。。。。

テーマ:
ベンジャミン・バトン 数奇な人生 [DVD]/ブラッド・ピット,ケイト・ブランシェット,タラジ・P・ヘンソン

¥1,500
Amazon.co.jp

しわくちゃの初恋の人に恋をし、小さな愛しき人を看取る人生。


(あらすじ)※goo映画より

あらすじでぜ~んぶネタバレしてます。

ハリケーンが近づく病院で、老女が娘に向かって語りはじめる。
それは80歳の老人として生まれ、次第に若返っていった男の数奇な半生の物語だった。
その男、ベンジャミン・バトン(ブラッド・ピット)は1918年、ニューオリンズで生を受けた。
産むと同時に母は死に、父は呪われた赤ん坊と彼を老人養護施設に捨てる。
それを拾ったのは、黒人の介護士であるクイニー(タラジ・P・ヘンソン)だった。
彼女は、その赤ん坊をベンジャミンと名付け、自分の子供として育てることを決める。
12歳になったベンジャミンは、施設の入居者の孫娘であるデイジーと出会う。
6歳のデイジーは、老いた子供であるベンジャミンに親しみを感じた。
やがて、ベンジャミンは船で働きはじめる。
女と酒の味を覚えた彼は、ボタン工場のオーナーと知り合う。
その男は、ベンジャミンの父だった。ベンジャミンのその後が気になり、彼に接近したのだ。
36年、施設から独立したベンジャミンは恋を知り、第二次世界大戦の戦火もくぐり抜けた。
45年、施設に戻ったベンジャミンは、
成長してバレエダンサーとなったデイジー(ケイト・ブランシェット)に再会する。
デイジーに思いを寄せるベンジャミンだが、彼女はバレエに夢中だった。
そんなデイジーが交通事故に遭い、ダンサー生命を絶たれたとき、二人は結ばれる。
やがて、デイジーは娘を産む。
父から受け継いだボタン工場を売ったベンジャミンは、
デイジーと娘に財産を残して放浪の旅に出る。
それは、自身の人生を確認するためのものだった。
旅から帰ってきた時、デイジーには夫がいた。
外見は少年ながら、内面は老人になり果てたベンジャミンを見守るのは、
夫を亡くしたデイジーだった。
そして、赤ん坊の姿でベンジャミンはこの世を去る。
長い物語を娘に語り終えて、老いたデイジーも息をひきとった。
外では、カトリーナ台風が近づいてきていた。

◆◇

これまた、よそごとをしながら観た映画。
なのに、最後、エグエグ泣いて、鼻水とまらず。
どこぞの、ボトルに入ったお寒いお手紙の映画鑑賞の時とは大違い。
 →参考記事「メッセージ・イン・ア・ボトル

タイトルは、「ベンジャミンバトン 数奇な人生」ではあったが、
映画の内容として正しくは、
「数奇な人生を送るベンジャミンバトンが愛した女の一生」
ではないでしょうかね。

だから、こんなに長く作る必要があったのではないだろうか。
老人の見かけで生まれて、赤ちゃんで最期を迎える
だなんて、とんでもない設定の物語は、
短期決戦で描かないと間が持たないにも関わらず、
ふっつーのラブストーリーとして受け入れられたのは、
作り込むのに長い時間が必要だった、というのもあるのだろうが、
何より、一人の女性の普通の人生を描いていた、というのが大きいと思う。
少なくとも私には、
ベンジャミンバトンが数奇な人生を歩んだ、だなんてちっとも感じられず、
ただただ、デイジーの心に自分の心を沿わせる2時間半ちょっとであった。

ベンジャミンを拾ったクイニーが、本当によくできたお母さんでねえ。
いいお母さんだなあ、と思わず声に出しちゃうくらい。
ベンジャミンはそりゃ不遇な体ではあったけれど、
本当に幸せな一生を送ったと思う。
優しい義母、すてきな初恋、そして一生をかけ愛した女性。
ベンジャミンの周りには、いつもすてきな女性がいて、いつも愛にあふれていた。
数奇な人生は愛でいっぱいだった。

そんなベンジャミン以上に、きっちり描かれていたのがデイジーの心。

自分の知らない間のベンジャミンが日記には描かれていて、
初恋のこととか、デイジーの知らない女性との愛だとか。
それを詠み上げる娘が、
「やめとく?」
と聞くのだが、それに対して
「ううん。彼が淋しくなくてよかった。」
と答えるのだ。

私にそんな度量があるだろうか。
愛する人が過去に愛した女性をもまとめて愛せちゃうほどの度量が。
死ぬ間際なら直視できるかもしれないが。
あ、デイジー、死ぬ間際なんだった。

そういう細かい描写が私は好きだった。
そこここに愛の欠片がちらされている。
ディズニーランドの隠れミッキーならぬ、隠れラブである。

デイジーはバレリーナとして有望視されていたが、
不慮の事故によりその夢は断たれてしまう。
その事故の説明が、ちょっとくどい。
もしあのとき、こうしてなければ、あの人が電話にでなければ、
とかくどい説明がくどくどくどくど入ってくるのだが、
そんなこと言い出したら、ず~~~~~~~~~っと振り出しにもどって、
もし自分と出会っていなければ、から始まらないとだめなわけで。
いやいや、もっと言えば、生まれてこなければ、まで遡らないといけないわけで。
それを言い出したらきりがないが、
とにかくそういう不運が重なって事故に遭った、といいたかったのだろうが、
とにかく、くどい!し、妙にそこだけ妙に浮いた感があった。

そもそも、クルクル回りながら、道路に飛び出すから車に轢かれるんやろ!
と絶対誰しも突っ込みたくなったと思うわ~。
私もよくそういう不思議な動き(奇行ともいう)をしては、
車に轢かれそうになるから気をつけよう・・・。

そんなわけでデイジーは、
不慮の事故により職業婦人としての夢はかなえられなかったが、
女の夢を二つもかなえることができたのだ。

愛する人の子どもを生む
愛する人を看取る

である。

ほんと、うまいこと描いてるわ~。
女性の心理だね、こりゃ。

そして一度は離別をするが、またベンジャミンが戻ってきてしまう。
こらー!戻ってきちゃだめでしょ!!!!
と思ったら、そんなベンジャミンのもとを訪れるデイジー。
こらー!会いに行っちゃだめでしょ!!!
で、そこでまた愛を確認しあう。
こらー!やっちゃだめでしょ!!!

もう、理性で考えたら、NGなことばかりをやらかす二人なのだが、
頭ではわかっているけれど、どうしようもないことってたくさんある。
それをこの数分のシーンで描いた。
そしてどうしようもないことをしてしまって、一生の別れを迎える。
(一生の別れではなかったが、このときは一生の別れ、だと思った。)

愛する人に看取られるより、愛する人を看取りたい。
愛する人を残してこの世を去りたくないのだ。
しかも、もっとも小さな、か弱い形の愛しい人を抱いて、お別れができる幸せ。
デイジーって最も幸せな人生を歩んだんじゃないかと思ったくらいの幸福感。
外は嵐だったが、本当に穏やかな、愛にあふれた人生だった。

別れたり、再会したり、別れたり、そして最期を看取ったり。
二人の数奇な人生を思う存分、味わいました、私は。

あらすじを引用する際、gooの評価をちらりと観たのだが、
あまりいい評価ではないようで、あれ?そうなの?とショック~。

どうも私は、デビットフィンチャーという監督さんが好きらしい。
・・・らしい、というのは、
私は、映画を監督とか他の作品とか、まるで気にせず観るもんだから、
今回、この映画のあらすじを引用するにあたり、
この監督が今まで撮った作品を調べたら、
私の好きな映画が多かった、と知ったのだ。
 →セブン、とか、ファイトクラブ、とか。あら?ブラピが好きなだけ(笑)?

エイリアン3はイマイチだったけど。
というか、当時つき合ってた恋人と観に行った作品、ということしか覚えてないが。
それにしても、初めてデートで観に行った映画が、エイリアン3ってどうなんだろう??

そんな思い出はともかく、なんだか切なくなった映画であった。
自分はおばあちゃんになってて、年上の愛する人は赤ちゃんになっていて、
その愛しい人は先に死ぬんだけど、
自分の腕の中で、意識も全くない状態の赤ちゃんの姿で死ぬ直前、
自分をの姿を認めて、コクリと死んでいく。
なんか、それって一つの夢なんだろうな~って。
監督の夢なのかもしれない。
愛する人の腕に抱かれて、小さく死ぬ、って。

てなわけでこの映画、
掃除しながら見たり観なかったりしていたので、録画もしておいたことだし、
もう一度ちゃんと観なくちゃ。
で、また泣くんだわ~。

ああ、最後にメモ。
この作品、お金、も結構、小さく鍵になってたりする。私の中では。
外見がほぼ同年齢になった、妙齢のデイジーと妙齢のベンジャミンの生活が、
それがまあ~、遊んでばっかりなわけであります。
どうやってこいつら生活していくんだろう?
  →なんだかんだでハンデの多いベンジャミンですし。
と思った私の疑問を一発解決してくれたのが、莫大な遺産!
金にも困らず、愛を純粋にひたすらむさぼれるってわけです。

絲山 秋子の「ばかもの」もそこらへんがきっちり作られていたな~。

愛だ、愛だ、とかいっても、これからどうやって生活していくわけ~?という疑問に
腕を失った彼女が手にした莫大な保険金が解決してくれました!

まあ、そんな金の話なんて、だ~れも気にしてないと思うのだが、
どうもあもちゃん、くだらない世俗的なことまで気になっちゃってね~。

あもちゃん 金まみれな人生。


テーマ:
メッセージ・イン・ア・ボトル [DVD]/ケビン・コスナー,ロビン・ライト・ペン,ポール・ニューマン

¥980
Amazon.co.jp

やれやれ、ほっ。


(あらすじ)※goo映画より 

あらすじで、ネタバレしてます。要注意。

離婚間もないシングルマザーのテリーサ(ロビン・ライト・ペン)は、
息子が父親と一緒に過ごす間、休暇を過ごしやってきた海岸でジョギング中に、
手紙の入ったボトルを拾う。
それは、キャサリンという名の女性に宛てた誠実な愛情に満ちた言葉が書かれていた。
その内容に胸を打たれたテリーサは、
調査員として勤務するシカゴ・トリビューン紙のオフィスにその手紙を持っていくと、
オフィスの女性たちのすべてがこの手紙に感動。
これを見たテリーサのボスのチャーリー(ロビー・コルトレーン)は、
手紙を新聞に全文掲載してしまう。
何も知らされていなかったテリーサは憤慨するが、
読者の反響は大きく、何百通もの感動の手紙が新聞社に寄せられてくる。
テリーサは、瓶が拾われた場所や海流の関係、レターぺーパーやタイプライターの種類などから、
手紙を書いたと思われる男性ギャレット・ブレイク(ケビン・コスナー)を見つける。
初対面で互いにひかれ会うふたりだが、
ギャレットは2年前に亡くした妻・キャサリンを今でも愛しており、
遺品もそのままにして生活していた。
ボトルのメッセージのことも、新聞のコラムのことも言い出せないまま、
テリーサとギャレットとはついにベットをともにしてしまう。
が、ある日、テリーサの部屋で自分が書いた手紙とボトルを偶然見つけてしまったギャレットは、
混乱し、怒り、テリーサのもとを去ろうとする。
だが、テリーサの調査から、ギャレットが海に流した瓶の中に、
亡き妻が書いた手紙も入っていたことを初めて知る。
妻への消えぬ愛とテリーサヘの気持ちの狭間で揺れるギャレットは、
父ドッジ(ポール・ニューマン)に「新しい愛に生きろ」と勇気づけられる。
新たに手紙を記し、海に流すため自分の船で沖へ出ていったギャレットは、
荒波にもまれ難破しかかった船に遭遇。海に落ちてしまった女性を助けようと海に飛び込み、
その女性ともども命を落としてしまう…。
息を引き取ったギャレットのポケットにあった瓶の中には、亡き妻へあてた手紙があった。
そこにはテリーサとの新たな愛に生きる決心が記されていた。
ドッジからその手紙のことを知らされたテリーサは、
ギャレットの死を悲しみながらも、愛することに怯えていた自分が、
いつのまにか立ち直ったことに気づいたのだった。

◆◇

本読みながら、家事をしながら、ぼやーっと見ていた映画。
だから、なのかもしれないが(大した思い入れもなく見たから?)
なんだか途中が、めちゃ気持ち悪かった~。茶番?みたいな。
いい大人が、ゴニャゴニャああでもねえ、こうでもねえ、と言いながら、
でもやるこたやります、みたいな。
一番、それっていいの~?!と思ったのが、調査員という立場を悪用して、
ギャレットに会いに行くっつーところ。それ、犯罪。ストーカーか!
相手が、純朴?な、ケビン・コスナーだったからよかったものの、
そんでもってこっち側が、美人のロビン・ライト・ペンだったからよかったものの、
私がメッセージを入れた瓶を拾ったよ~、とか言って、すんげ~こわい人が来たら困る~。

ま、それはそれで、虚構ですから、美しい感じでごまかされながら物語は進む。

舟が出来たよ、とギャレットはテリーサに手紙を送っておきながら、
進水式に来たテリーサが見たのは、

「キャサリン号」

それは、ギャレットの舟に付けられた名前であり、亡き妻の名前であった。

・・・・

うん、あなたみたいな繊細な女は、こういう男と恋愛するのは、やめとけ。
何事においても、亡き妻を思い出しては、あれこれ揉めるで~。
ギャレットも悪い男じゃないばかりに、隠し事をしないから、
テリーサは頭のいい女であるばかりに、ギャレットの言葉の奥を読んでしまうから、
もし結婚したとしても、
ギャレットはテリーサの何を怒らせたのか分からないし、
テリーサはなぜああも隠し事をしないのか、と何かにつけ悲しむだろう。

とやきもきしながら見ていると、なんかしらんが、ギャレットが突然死んだ。

えーーーーー(  ゚ ▽ ゚ ;)

でも、そのおかげでテリーサ、なんだか救われたっぽい。
少なくとも、私にはそう見えた。

あなたを愛しているけど、一緒になると苦しい事ばかり。
死んでくれたおかげで、私、ずっとすてきなあなたの記憶を愛していける。
そして苦しみから解放されて、一歩前に進める。

くらい思ったと思うなあ。
映画では、そんなことひとっことも言ってませんでしたが。

愛と憎しみは心の同じスペースに存在するものである、と改めて知りました。

あとは、テリーサの愛車が、トヨタのカムリ姫であったことをメモしておこう。
映画観てても、こういうことばかりが気になるあもちゃんなのでありました。

コラプティオ/真山 仁

¥1,800
Amazon.co.jp

今読まずして、いつ読む?

(あらすじ)※Amazonより
「私には希望がある」―国民の圧倒的支持を受ける総理・宮藤隼人。
「政治とは、約束」―宮藤を支える若き内閣調査官・白石望。
「言葉とは、力」―巨大権力に食らいつく新聞記者・神林裕太。
震災後の原子力政策をめぐって火花を散らす男たちが辿り着いた選択とは?
『マグマ』で地熱発電に、『ベイジン』で原発メルトダウンに迫った真山仁が、
この国の政治を問い直す。

第146回直木賞候補作品である。
この作品、文学として面白いか、面白くないか、と問われれば、はっきり言える。
ちっとも面白くない。キリリッ!
しかし、確実に数年後消え行く作品ではあるが、今、読むべき本でもある。

日本の原子力発電はどうなっていくのか。
日本は原子力政策をどう舵取りして行くのか。

今、この時期、最も重いテーマを扱ったのが今作品なのである。

が~。
テーマが重いわりに、作品自体からは重厚な雰囲気もなく、軽めに進んで行く。
舞台はアフリカにまで広がって行くのに、深みは、ゼ~ロ~。
漬物石もびっくりの厚みと重み(内容ではなく、純粋にkg)のわりに、
あっという間に読める軽さ。
何かを考えさせられたり、感じ入ったりすることも特になく、
軽い読み物(kg的には重いけど)として読了。

どの人物もあまり魅力的ではなく、特に主人公の奥さんがダメダメ。
主人公の奥さんが、インテリ気取って(実際、超インテリ)、きーきーうっさいんだ。
随分、ステキな女性、という扱いで書かれていたが、私、こういう女性、きら~い。
作者の真山サンは、こういうキーキー言う女が好きなのかしらん。
私、だんなを愛してますから、高学歴も捨てますけど?!
などとあちこちに言い散らして(あらら?私の空耳かしら?)、
すんげ~高圧的に対応する女がいいのかしらねえ。

主人公の奥さんに限らず、どの女性もあまり魅力的に描かれていなかった。
主人公白石のライバル?である神林の元恋人も、せっかくキーポイント的に登場してるのに、
そのままフェードアウトで二度と出なくなった。
惜しいなあ。
目立つことが大好きで、バカで、この物語をひっくり返す勢いのある唯一の人物だったのに。

こういう作品では必ずといって良いほど登場する、
うさん臭い新聞記者のおっさん(ステレオタイプではあるが)が唯一巧く描かれていた。
私、ああいう独自の確固たる仕事哲学を持っていて、
仕事や目的のためなら、多少の汚いことも平気でやる、みたいなオッサン、嫌いじゃないの。
一緒に仕事はしたくないけれど。

先日、大掛かりな片付けをしていると、
みえない雲」のパンフレットが出てきた。
これは、ちょうど5年前の作品である。
あのときの私や日本国民は、4年後、フクシマのような深刻な事態が起こるなんて、
1mmたりとも思ってなかったはずだ。
明るい日本の未来を想像するあなたも、
暗い日本の未来を想像するあなたも、この映画は今、観るべき作品。
どちらの日本の未来も、私たちが決めて行かなきゃいけないからだ。

そして、この「コラプティオ」。
原子力発電所の事故後の日本を取り上げた作品。
数年後、この作品を読んでも、まるでリアリティのないものになっているかもしれない。
だからこそ、あの地震、そしてあの原子力事故から1年が経とうとしている今、
読むべき作品なのかもしれない。
これからの日本、どうなるんだろう、ではないのだ。
これからの日本、どうしていこうか、なのだ。

でも、文学としては全くおもしろくないこの作品。
再度強調して、書評を終えたい。

テーマ:
2月14日はバレンタインデーであった。
朝、すれ違う女子高校生、女子高生が、
チョコでいっぱいになった紙袋を手にしていた。

友チョコってやつね。時代は変わったね~。
とおばちゃん、しみじみ。


感傷的で、あまりに偏狭的な。

ウヒ!噴水チョコ天国!!!


感傷的で、あまりに偏狭的な。

ますますま~すさんから、友チョコ「だいすき」をいただきました~♪
アハン、うれしい。

ちなみに、あもちゃん、チョコは大好きなので、365日受付チュー。
バレンタインデー・キッス★ ←ふるっっ!!!!

今日は、そんなバレンタインデーチューおばさんのバレンタインデーの思い出を語ってみよう。

◆◇

高校時代、すでに恋人のいた私は、バレンタインデーとは無縁であった。
よくよく考えたらなぜ?だが、告白イベントだと理解していた。と思う。確か。多分。
めんどくさかったわけじゃないぞ!!!!!!!!!←!がやたら多いのは!!!!!!

その年も普段どおり登校し、普段どおり授業を受け、普段どおり帰り支度をしていた。
すると、おうちまっしぐら!!と意気込む私に友人Tが言った。
「◎◎くんにチョコを渡そうと思うんだけど。」

私はボヤッとしながら言う。
「誰、それ?え?1組の?うーん、知らないな。でも、好きなら渡せばいいんじゃない?」

恥じらうオンナゴコロの分からぬ私は、渡したきゃ渡せばええやん、と答えたわけである。

T「あもちゃん、手伝って。」
私「え!?なにを!?」
T「一緒についてきてほしいんだ。」


な~ん~で~、わ~た~し~が~~~~~~??


私「一緒に行って、私が代わりに渡すの?それはできないよ(=めんどくさいから)。」
T「ううん。見てるだけでいいから~」
私「なーんだ。見てるだけならいいよ~。」

というわけで、柱の陰に二人して隠れて、
◎◎くんが通るのをひたすら待つ。待つ。待つ。待つ。お宮の松。

T「あ!◎◎くんだ!」
私「あ~、あれが◎◎くんかあ。顔は見たことあるかも。じゃ、ほら、言っておいでよ。」
T「もじもじ。」
私「さっさと行け!」←早く帰りたい。
T「やっぱ、無理だ!渡せない!!!」
私「いやいや、せっかく用意したんだから、渡しておいでよ。」
T「だって~、やっぱり~、うーん、むり~」
私「あほか!!私、何のために待ってたのよ。」 ←あ、つい本音が。

私、基本、グズグズしてるやつは嫌いです。

T「あ~、◎◎くんが、行っちゃう~・・・」
私「行っちゃう~、じゃないでしょうよ。」

「たかはしく~~~~~~ん!!!!!!」


◆◇

帰宅後、家にて。

私「・・・てなわけで、私が大声で呼び止めたってわけ。んもー、大変だったんだから~」
う「で、Tちゃん、高橋くんに告白してどうだったの?」
私「え!?なんで高橋くんって知ってるの!?」
う「・・・・おねえちゃん、今、たかはしくん、って言ったじゃん。」

私、基本、隠し事のできない体質です。

◆◇

そんな今年のバレンタイン、
部長(通称「殿」。織田信長っぽいから&傍若無人だから。)にあげてみた。

私「は~い、あもちゃんから、殿にラブ注入チョコで~す。」

はっっっっ!!
うっかりあだ名を本人に言ってしまった・・・。←ま、いつかやると思ってたのだが。

私、基本、隠し事のできない体質です。

バレンタインデー、それはきっと、隠し事がバレちゃうDAY。

春から夏、やがて冬/歌野 晶午

¥1,575
Amazon.co.jp

それでも世界は続いていく。

(あらすじ)Amazon、帯、文藝春秋HPより
スーパーの保安責任者の男と、万引き犯の女。
偶然の出会いは神の思い召しか、悪魔の罠か?これは“絶望”と“救済”のミステリーだ。
関東の地方都市にあるスーパーの保安責任者・平田は、
ある日、店で万引きを働いた末永ますみを捕まえた。
いつもは情け容赦なく警察へ引き渡す平田だったが、
免許証の生年月日を見て気が変わり、見逃すことに。それをきっかけに交流が生まれた2人。
やがて平田は己の身の上をますみに語り始めるが、
偶然か天の配剤か、2人を結ぶ運命の糸はあまりに残酷な結末へと導いていく。
ラスト5ページで世界は反転するー

◆◇

第146回直木賞候補作品である。
直木賞からはや1か月。
全く書評を書いておりません。
何度目かのスランプである。 ←スランプってほど大した文章を書いてきたわけでもないが。
そして書きたいことは記憶の彼方へ、さようなら~。
この作品はともかくとして、
直木賞受賞作品の『蜩ノ記』と『ラブレス』の書評だけは真面目に書きたいのに~。

というこの作品とは全く関係のない嘆きはここまでにして、先に進めよう。

子供をなくした親、はその後の人生をどう生きるか。
という手垢だらけのテーマにミステリーという形で挑んだ、ある意味、攻めの作品ではある。

「子供をなくした親」ということしか共通項はないのだが、
イアン・マキューアンの『時間の中の子供』がふと頭に浮かぶ。
ごつごつとした手触りの作品ではあったが、
なんとも幻想的で、甘美で、不思議な世界観であった。

同じテーマでありながら、一体何がこうも違うのだろうか。

こちらがミステリーだからであろうか。
それとも子供の年齢が違うからであろうか。
思い浮かぶ違いだけでもいくつもあるのだが、
一番の理由は、目指す着地点が違ったからではないだろうか。

この作品を
「ラスト5ページで世界は反転するー」
というものにしたかったからではないだろうか。

もったいない。
この作品の帯も、読者をあおるだけのクソみたいなもんだが、 ←口、わる~い。
内容も、どんでん返しにそこまでこだわらなくてもいいんじゃないか、というものであった。

どんでん返しはミステリーには必要なものではあろう。
けれども、なんだかものすごく強引に、力づくでひっくり返しました、という感が否めない。
しかも、その結末も容易に想像できるものであって、
私は想像どおりの、安易なその結末にひどくがっかりし、
せっかくのどんでん返しも、結局、あまり意味をなさなかった。

絶望も救済も、私の知らない、遠い遠い世界で起きている。
世界があまりにも遠い。
愛も憎しみも絶望も。
主人公の絶望を描き出すために、あえてそういう書き方をしたのかもしれない。
が、最後の最後、唯一温もりと切なさを感じさせるべきところも、
読者がそのぬくもりを感じるだけの余裕がなく、一気に詰め寄られて終わった。

この世で一番大切なものを失ったとき、あなたはどうするだろうか。
この世で一番大切なものを奪ったものが目の前に現れたとき、あなたはどうするだろうか。

この作品は、そう考えさせるだけの余裕はなかったように思う。
時間があまりにも早く流れ過ぎて、そして終わり、余韻もなかった。
読者は、いつそのテーマについて考えるのだろうか。
そういった、贅沢な空白があまりに少ない作品であった。

ただ、なくした子供の代わりに現れる、世間からはみ出た少女とDV男の描き方は秀逸。
これが、まあ、ほんと、イライラするんだ。
そんなやつらと関わるなよ~と
ぎゅぎゅっと握りしめた手からは汗、口からはギリギリという歯ぎしりの音が漏れてくる。

歯がかける可能性がありますので、少々ご注意ください。

テーマ:
本が好きだ。
読むはもちろんのこと、眺めるのも、飾るのも、持ち歩くのも。
本は私の生きる姿としての附属品でもある。
だからかっこよくなくてはいけない。
だから美しくなくてはいけない。

てなわけで、このたび、
美しいあもちゃんの(え?なんですって?あーあーちょっと聞こえない)附属品として、
少々劣るものたちを大量処分した。

saryaや同僚Kに途中経過の報告をした時点で、すでに50冊近くを処分済み。
最終的にスーちゃん(「本のソムリエ、始めました。」に登場する彼女)に報告した処分数、
なんと100冊!!

おい、本ども、家賃払え。

◆◇

感傷的で、あまりに偏狭的な。

かねてからの小さな夢をかなえる。
道尾くんと桜庭一樹の特設コーナーである。

ついでに言うと、下のほ~うに、西村賢太コーナーもひっそりと作った。
その一角からはあまりに禍々しい空気が漂ってきたため、写真は割愛。


感傷的で、あまりに偏狭的な。

本のしおりは、ちょっとしたプレゼントとしてよくもらう。


感傷的で、あまりに偏狭的な。

本好きのあもちゃん、栞やブックカバーのような本の附属品も好き。
だが、たいていは役立たず。
例えばこのしおりたち。
どのしおりも、帯に短したすきに長し、なのである。

挟むだけのしおり(写真でいうと、フィルムや漆塗りのイチョウ)は、よく落とす。
クリップ型のしおり(写真でいうと、豚クリップやかんざし風のもの)は、本が痛む。
結局、本にもともとついている紐状のしおりを使うことになる。
もしくは自分の記憶に頼るしかない。←意外と頼りになるが・・・。

落下にもマケズ、
本も痛みにもマケズ、
そんなしおりを作ってみたい。

テーマ:
平成24年2月3日「戯伝写楽-その男、十郎兵衛-」(in 全労済ホール)を観に行く。

$感傷的で、あまりに偏狭的な。

脚本、演出、役者、は三位一体。

<あらすじ>
寛政5年(1793)、喜多川歌麿の美人大首絵が大人気の江戸に、ある男がいた。
男の名は斉藤十郎兵衛(宮野真守)。
ある日、十郎兵衛は友人・与七と共に繰り出した盛り場で、不思議な女・おせいに出会う。
流れの絵描きと名乗るおせいの描く絵の独特な筆使いは、とても余人には真似が出来ない。
そう直感的に感じた十郎兵衛は、おせいの絵で一儲けを企む。
翌日、蔦屋重三郎の店に一枚の絵を持って現れる十郎兵衛。
差し出す絵を見た蔦重は、その迫力に驚き、同時に歌麿以上の才能の発見に喜び、
十郎兵衛に大金を与えて新作を頼むのである。

「雅号は…写楽だ。写すのが楽しいと書いて写楽。東の島・東洲斎、東洲斎写楽!」

十郎兵衛の企み通り、写楽の絵は瞬く間に江戸で大人気となり、
おせいはとりつかれたように、ひたむきに絵に打ち込み続ける。
しかし、その写楽の不思議な魅力にとりつかれる花魁・浮雲(平野綾)が現れ、
事態は思わぬ方向に転じ始める―

[劇作・脚本]中島かずき
[演出]中屋敷法仁
[出演]宮野真守 / 城戸愛莉 / 板倉チヒロ / 玉置玲央 / 有川マコト / 矢内文章  
    山崎健二 / 関智一 / 柴田秀勝 / 平野綾 / 他

シーラカンスプロデュース(古代魚企画)とは、
声優として確固たる実力と知名度を誇る、演劇集団円に所属する朴王路美と、
そして同じく声優として話題作に数多く出演し、
舞台俳優としても活躍めざましい宮野真守の2人が、
演劇制作会社ゴーチ・ブラザーズとスタートさせたプロデュースユニット。
「常識にとらわれず、楽しいことを!」という情熱に共感を得たキャスト、スタッフが結集。
第一弾として上演した「戯伝写楽-その男、十郎兵衛-」は
東日本大震災の影響で残念ながら4ステージのみの上演で中止。
新たな思いを持って、この度に再上演が決定。

。。。。だそうだ。

私が好きな脚本家の一人が、中島かずきである。
知る人ぞ知る、『劇団☆新感線』の脚本家でもある。
その中島かずきが、新感線以外で書いているのだから、←演出もいのうえひでのりじゃない。
こりゃ一度見ないと死んでも死にきれない、と鼻息荒く、全労済ホールに乗り込んだわけである。
いつ大号泣してもいいように、と準備万端、大判タオルを膝にのせ、
中島かずきよ、れっつらごー!

あり?うーん。。。大しておもしろくなかった。

いや、脚本自体はおもしろかったんじゃないかと思う。
「写楽」は誰か?「東洲斎写楽」は一人の版画家ではなく、写楽というグループか?
という説?をおもしろおかしく、よく揉みほぐして書いていた。
もともとミュージカルとして書き下ろしたものを、今回ストレートプレイに直したらしいが、
ミュージカルとしてそのまま演じてもおもしろかったんじゃないかと思ったし、
ストレートプレイでももっと違うやり方でやればおもしろくなったんじゃないかと思った。

演出が見慣れないせいなのか、役者さんたちがイマイチだったせいなのか、
いつものわざとらしいくらいの、いのうえ歌舞伎チックな脚本が
ま~ったく、生きていなかった。
しかも、その脚本で全く違う演出になっていれば、別物として受け入れられたのだと思うが、
そこここにいのうえ臭がほんのり香ってくる。
そうなってくると、どうしてもいのうえ歌舞伎と比べちゃうんだなあ。無意識に。

そしてちょっと気になったのが、ライティング。
いのうえ歌舞伎を意識したようなライティングと暗転方法だったのだが、なんだかださい!
って岡山のいもすけにいわれたかないでしょうが、だってださいんだもん。
音楽はなかなかよかった。

以前、
クラーク記念国際高等学校のパフォーマンス公演『SHIROH』
を観に行ったことがあったが、→2009.3.3「パフォーマンス公演『SHIROH』
この当時は、演劇のことがま~ったくわかってなかったので(今も)

「脚本はどうやら劇団☆新幹線のどなたかが書いた、とか聞いたような(ウソかも)。
なので脚本はおもしろかったし、よくできていたと思う。」

とか無知の極みの記事を書いているが
(しかも素人にありがちな「新感線」を「新幹線」と書いてしまうという致命的な誤字)
この脚本ももちろん中島かずきであった。

こちらの高校生の舞台のほうがずっとよかった。
役者としてのうまさだけみれば、そりゃ今回の舞台がうまいのだろうが、
物語世界に体する一体感やら束感やら理解力が役者よりも高校生のほうがはるかに高かった。
いのうえひでのりの演出をかなり踏襲していた、というのもあるのだろうが。

声優の平野綾の声が、さすが声優、通りまくっていた。
舞台の奥までキーンとな。
しかし、その一方調子はどうにかならんか。
そのでくのぼうぶりは、NHKの「平清盛」の松田聖子ばり。
そして喜多川歌麿やら蔦屋重三郎を演じた中年おじさんたちが、
想定外の軽い演技で、肩すかしをくらう。
そう考えると、演出よりも役者の腕が舞台の足をひっぱっていたのか。

でも、まあ、私は知っている。
何が一番足をひっぱったのか、ということを。

それは、パンフレット。
舞台が始まる前に、パラパラめくったときに入ってくる色や世界観だけで、
もう私はワクワクしちゃったのだ。
なに、この、躍動感!
なに、この、不思議感!
と。
で、舞台が始まると、ズルルルルル~、と私の期待はみるみるうちに下がりまくり。

今回の舞台が期待はずれだったのは、
完成度100%のパンフレットが私のハードルをあげまくっちゃったのがいけなかったのだ。

テーマ:
一昨日、東京でも雪が降った。

いっそ電車が止まってしまえばいいのに。
最近、お疲れ気味のあもちゃんは一心不乱に願った。←呪った、も正解。

・・・・

止まらねえ。
まあ、止まらねえ。
むしろ通常営業。

仕方がないので、完全防備でしぶしぶ出発。


感傷的で、あまりに偏狭的な。

こんなことをしてるから、遅れるのだ。


ピロ~ン♪

母「雪が降っています。スリップに気をつけてね。信号待ちの時、前に出ない様に。
  車が突っ込んで来るからね。」

ママン・・・私、今年38になるんだよ。。。

私「大丈夫~。ちなみに雪はもう降ってないよ。道路はカチコチだけど。」

プルルルルル~♪

私「はいは~い」
母「カチコチが一番危ないんじゃ!あんた、よー転ぶんじゃけ、気をつけねえよ!!!」
私「・・・ふえ~い」

まさかのメール+電話攻撃。
私は、いつまでも、母の娘。


◆◇

先日、人生史上まれに見る、嬉しいことがあった。
大学時代のH教授から贈り物が届いたのだ。

その宛先には・・・

「○○様方 あもる様」

どっひゃーーーーー!!!!

私のブログが見つかってしまった理由はだいたい見当がつくのだが、
あもちゃん・・・
はずかしーーーーーーー!!!!!!!
あんなことや、こんなことや、たくさん書き連ねているのに!!!!

という話を元同僚Kに話しましたらば、

「あもちゃんのGとかバレちゃったわね、おほほ。」

しまったーーーーーーー!!!!!!!
それもあったかーーーー!!!!!!!

もうすっかり鳴りを潜めてから、はや数年。
過去の負の遺産、G。
私がそんなGを患ったことなどがバレちゃったのだ。きっと。

それだけならまだいい。←いいのか?
普段からアッパラパーなことばかり書いていることがバレちゃったのだ。
メッキだらけの私の糞ブログが、私の恩師の目に!!!

わあああああん。

パラリ・・・。

贈り物には、あもちゃん宛てに一通の手紙が添えられていた。
そこには、やんややんや、ブログ大絶賛の嵐。←ほほほほ、ほんとなんだからね!!あわわ。

詳細は省くが一部抜粋。

「あもるさんの隠れたパワーとして文章の構築力があるのです。
 友人の◎◎(←私の本名)さんと同様、論理的で理詰めの文章を書ける方だと思っています。」

明日、死んでもいい。
明日、生きてたらコピーとって、みんなに配り歩きたい。

何度も何度も繰り返し読んだ。
穴があくほど読んだ。
覚えるほど読んだ。

友人の◎◎さんと同様、という表現が、柔軟でウィットに富んでてお茶目でステキ。

でも・・・
もともと子宮で感じ、子宮で考え、子宮で文章を書くタイプの私に、 ←感覚ってことですな。
理詰めで論理的な文章を書くことを指導し、鍛えてくれたのはH先生なのだ。
「論理的で理詰めの文章を書ける」ようになったのは先生のおかげ。
今、このブログを細々ながらも続けられているのも先生のおかげ。

私も本当に素直によく勉強したなあ。
学生時代、◎◎◎か勉強、しかしなかったからなあ・・・。←コラッ!

そんな◎◎◎か勉強しかしなかった私が、
進路に迷ったときにはいつも、
人生に迷ったときにはいつも、
H先生はよきアドバイスや励ましを与え続けてくれた。
そして今も。

私は、いつまでも、先生の生徒。


テーマ:
今から数年前。
読者の皆様に衝撃を与えた一枚の写真があった。


$感傷的で、あまりに偏狭的な。

ぶひー!!!!

花粉症真っ最中の妹うーちゃんの衝撃の一枚。

友人トクちゃんをして
「妹さんに人権侵害でいつ訴えられてもおかしくないレベル」
といわしめた、奇才あもやまきしんの作品。

いつ見ても笑えるわ~。
このアングルといい、
この瞬間といい、
すげ~写眞を撮っちゃったよなあ。
自分の(妹をおちょくる)この才能が、あたい、コワイ。

◆◇

そんな妹が・・・
こんな妹が・・・

どうやら、ようやく、冗談抜きで、結婚するらしいです。


うっそーん!!!!!!
男を探して三千 里のうーちゃんが、けけけけけケコーン!?


私「相手は人間なんでしょうね!?」
う「どういうことよ!!!」


感傷的で、あまりに偏狭的な。

う「ケロケロッ。」

カエル星人・サイズ・縮尺・遠近感・・
なにもかもがおかしい、こんなうーちゃんでいいんですかい?


$感傷的で、あまりに偏狭的な。

一番左)妹
一番右)私

幼い頃、妙な貫禄があった、そんな妹でいいんですかい?


感傷的で、あまりに偏狭的な。

ゴキュゴキュ。

幼い頃、妙な貫禄があった、そんな妹でいいんですかい?その2。


でも・・・


感傷的で、あまりに偏狭的な。

いっつも一緒。


感傷的で、あまりに偏狭的な。

う「おねいちゃん。あたちもやってよ。」

ピンクレディを真似する姉を真似しようとする妹。



感傷的で、あまりに偏狭的な。

このときも、あたちたち、いっつも一緒。


感傷的で、あまりに偏狭的な。

あのときも、あたちたち、いっつも一緒。ず~っと一緒。



感傷的で、あまりに偏狭的な。

う「温かく見守ってください。うい~。」

おっさんか。

こんなんで、本当に結婚するのかねえ。
おねいちゃん、いまだに信じられないよ。

Amebaおすすめキーワード