本日は神武天皇2600年式年祭の日、祭日とは神武天皇がお隠れになった日、命日の事です。奈良の橿原神宮や宮崎の宮崎神宮では神武天皇を偲ぶお祭りが行われます。また2600年という節目の年である今年は天皇陛下皇后陛下、秋篠宮殿下同妃殿下が橿原へ行幸啓をされています。


平成28年 天皇皇后両陛下 奈良行幸啓
2016/04/02 に公開
平成28年4月2日 天皇皇后両陛下 奈良行幸啓 神武天皇二千六百年御式年に当たり神武天皇陵御参拝併せて地方事情御視察 御出発。



天皇皇后両陛下 奈良を訪問 土器の修復など視察(16/04/02)
2016/04/02 に公開
天皇皇后両陛下は2日から3日間、奈良県を訪問されています。 両陛下は午後3時半ごろ、専用列車で奈良県橿原市に到着し、出迎えた人たちに手を振っ­て応えられました。その後、「奈良県立橿原考古学研究所」を訪れて、遺跡から出土した­土器の修復作業などを視察されました。



平成28年 秋篠宮同妃両殿下 奈良お成り

2016/04/02 に公開
平成28年4月2日 秋篠宮同妃両殿下 奈良お成り 神武天皇二千六百年式年祭の儀山陵の儀につき天皇皇后両陛下に供奉 御出発。 担当の警護関係者の皆さん大変お疲れ様です。



両陛下、神武天皇二千六百年式年祭で奈良県ご訪問
産経ニュース2016.4.2 12:07更新

天皇、皇后両陛下は2日、神武天皇二千六百年式年祭に臨むため、奈良県に向かわれた。この日は橿原市の県立橿原考古学研究所で遺跡から出土した土器の破片の整理・修復作業を視察される。

初代天皇である神武天皇の式年祭は大正5年以来100年ぶり。両陛下は命日とされる3日に同市の神武天皇陵で行われる山陵の儀に臨まれ、秋篠宮ご夫妻も同行される。皇居での皇霊殿の儀には皇太子ご夫妻が臨まれる予定。両陛下はその後、神武天皇をまつる橿原神宮にも参拝される。

4日は、両陛下で明日香村の高松塚古墳を初めてご訪問。昭和47年に見つかった極彩色壁画のレプリカを隣接する高松塚壁画館で見学した後、帰京される。



神武(じんむ)天皇は初代天皇です。神武という漢風諡名(おくりな)は平安初期に定められたもので、日本書記には神日本磐余彦尊彦火火出見天皇(かむやまといわれびこほほでみのすめらみこと)、または始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)と和風名で本文に書かれています。


御名は神倭伊波礼毘古命/神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこのみこと)、諱は彦火火出見(ひこほほでみ)。


御父は鵜葺草葺不合命(うかやふきあえずのみこと)、御母は海神の娘の玉依毘売(たまよりびめ)。


また御父の父、つまり御祖父は火遠理命(ほおりのみこと)/山佐知毘古(やまさちびこ)。そう海彦山彦神話の山幸彦なのです。その山幸神話が浦島太郎というおとぎ話を生んだともいいます。


そしてさらにその父は邇邇芸命(ににぎのみこと)で、天孫降臨の主役です。天孫というのは、邇邇芸命が天照大御神の孫だからなのです。


日向で育った神倭伊波礼毘古命が四十五歳の時に、天下に君臨するのにふさわしい東方の美き地(よきくに)である大和に都をかまえるために出発したのが神武東征の始まりです。


三人の兄が次々に亡くなり、全軍が倒れるようなこともあり、道に迷ったりもしましたが、天照大御神から授けられた剣や八咫烏に導かれ、苦難の末に大和を平定しました。


畝傍山の麓の橿原に宮殿を建て即位したのが、皇紀元年一月一日、二千六七六年前です。現在の暦ではその日を二月十一日とし日本の建国のいわれの日となります。


神武天皇は、即位四年目に詔をしました。


「我が皇祖の霊が、天から降り眺められて、我が身を助けて下さった。今、多くの敵は全て平らげて天下は何事もない。そこで天神を祀って大孝を申し上げたい。」


これは大和朝廷に古くからあった、天皇(大王)自身が祖先神(皇祖天神)を祭祀される伝統の原点を示すものです。つまりこれが日本人が先祖を祀る習慣の原点ともなるわけです。ここで詔されたということは、長い間そういう習慣があったからこそのことでしょう。


神武天皇祭は、幕末の孝明天皇の時代に御陵祭として始まりました。「諸事、神武創業の始に基づく」王政復古の大号令を発した明治維新政府は、明治三年(1870年)の三月十一日、神祗官に天皇の出御を仰ぎ、神武天皇祭を親祭として発足させました。つまり神武天皇にならったのです。それが同6年から新暦に換算して四月三日となり、その後国家的な祭日の日として休日に定められました。しかし、昭和二十三年(1948年)を最後に休日からは外されています。


しかし、今も存続している大事な宮中祭祀の一つなのです。


宮中祭祀では初代神武天皇と先帝の三代までの祭日をお祭りされています。そしてその他の御歴代の天皇や皇后、皇族の方々は沢山いらっしゃいますので春季及び秋季皇霊祭にてまとめて一緒にお祭りされているのです。また100年という区切りの年毎にはどの天皇も大祭として当日のお祭りとなります。そして今年は神武天皇2600年目となる大祭の年。

4月3日は2600回目の命日、神武天皇2600年大祭




神武天皇祭では宮中の皇霊殿で儀式が行われるとともに、勅使を差遣して畝傍山東北陵に奉幣を行います。また、橿原神宮や宮崎神宮などの神武天皇を祀る神社をはじめ、日本全国の神社で遥拝式あるいは祭典が行われます。今年の大祭は本来であれば国を挙げて神武天皇を偲ぶ時のはずです。しかし、今どれほどの日本人がこの日を知っているでしょう?これを読まれた方は、ぜひお近くの神社でお祭りがあれば御参加いただきまたお祭りがなくても偲んでいただきたいと思うのです。あるいは、橿原神宮や宮崎神宮方面への遥拝もいいかもしれません。


また神武天皇についてよくわからない、という方はまずは古事記を読んでみて下さい。


なお、今年の大祭は天皇皇后両陛下、秋篠宮殿下同妃殿下の橿原神宮行幸啓となりますので、皇霊殿での儀式は皇太子殿下が行われ皇太子妃殿下も参列されるとのこと。また勅使は天皇陛下の代わりに奉幣を行う役目ですから橿原神宮へは差し遣わされないはずです。


神武天皇は古事記によれば百三十七歳、日本書記では百二十七歳で崩御されました。
古代、日本では半年を1年とする数え方がありました。そのように数えれば古事記では68歳前後、日本書紀では63歳前後で崩御されたことになります。その場合2600年はどうなのか?という風にもなるかもしれませんが、それだけ大昔から日本が続いてきたということです。なにしろ日本は神話から続く神の子孫のシラス国なのですから。



御陵は、畝傍山東北陵(うねびやまうしとらのみささぎ)、奈良県橿原市大久保町にあります。その畝傍山の南東の位置するのが橿原神宮です。



参照:「宮中祭祀」
「天皇のすべて」
「現代語古事記」
「全現代語訳日本書記」
「天皇の『まつりごと』」