「統一教会の政治介入」と同位相の「日本遺族会の政治介入」 | MTFのAkemiのblog イタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き

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私は、イタリア児童文学が大好きで、皆既日食も大好きで、足摺岬も大好きな、団塊の世代に属する元大学教員で、性別はMTFです。季節の話題、お買い物の話題、イタリア語の勉強のしかた、新しく見つけたイタリアの楽しい本の話題などを、気楽に書いていこうと思っています。

わたしが昨年刊行した拙著『間違いだらけの靖国論議』を書くにあたっては、途中で一度出版社から「カルトと靖国」という切り口に変えてみたらいかがですかと提言いただいたけど、それは無理だったということを先日書きましたね。

わが道を「愚直に行く」しかない | MTFのAkemiのblog イタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き (ameblo.jp)

 

ただ、今から振り返ってみると、「カルトと靖国」と括れるような、「統一教会的カルトと靖国とに共通する要素」もないことはない、と気がつきます。

 

ここ三十年ほど、家庭やジェンダーに関する制度の見直しというテーマが浮上するたびに、自民党の中から強硬に反対する勢力が現われ、選択的夫婦別姓などの立法がまったく前に進まなくなったのは、じつは統一教会が自民党の議員に対して、自分たちの教義的立場からする家庭観を政治に反映させることを条件に選挙で応援するという取り引きをしていたからだということが、最近明らかになってきましたね。

 

それと同様のことが、日本遺族会を票田とした国会議員の振る舞いの中にも見いだされます。日本遺族会は「靖国神社の信徒団体」と言えるほど同神社のイデオロギーを忠実に信奉する団体(半ば宗教団体)として続いてきたものですが、千鳥ヶ淵戦没者墓苑の創設をはじめ、宗教に中立的な戦争追悼施設を設ける議論が起こるたびに、そに企画を極力前に進ませないようにと妨害し、千鳥ヶ淵の例のように施設自体を設けることは不可避となると、それが靖国神社にとって代わることがないようにと、極力その意義を低めようと画策してきた勢力があります。それはみんな日本遺族会の息のかかった議員たちでした。

 

古くは、千鳥ヶ淵戦没者墓苑が創設された前後に、その意義をできるだけ低めるべく意見をさしはさみ、政府から言質をとった逢澤寛という議員がいました。

千鳥ヶ淵を日陰者にするために奮闘した逢澤寛議員 | MTFのAkemiのblog イタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き (ameblo.jp)

 

中曽根康弘首相の「公式参拝」が物議をかもした1985年以後、靖国神社への公式参拝は外国の手前を憚って続けられなくなりましたが、その情勢の中でも「靖国神社こそがわが国の戦没者追悼の中心的施設である」とする政府見解だけは引き出しておきたかったらしい日本遺族会系の尾辻秀久議員という人が、大先輩の逢澤寛議員から学んだかのごとく、政府から言質を取るようなことをしています(それまでの政府見解を変更させています)。

議事録をよくよく読むと不一貫 | MTFのAkemiのblog イタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き (ameblo.jp)

 

さらに、自民党ではないけれど、戦没者追悼の問題についてはいろいろ発言していた民社党の受田新吉議員という人の場合は、社会党にいた当時は千鳥ヶ淵戦没者墓苑の開苑を祝して、特定宗教に偏らない公的な追悼施設ができたことは大いに喜ばしいと言っていたのが、

途中で右旋回したらしい受田新吉議員 | MTFのAkemiのblog イタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き (ameblo.jp)

 

民社党に移ってからは態度を豹変させ、靖国神社こそが国家的・公的な追悼施設であり、特定宗教の施設とみなされるべきではないというような趣旨のことを言って、当時の鈴木善幸厚生大臣(後の首相)に対して、焚きつけるような発言をするようになりました。

鈴木善幸を焚きつけた民社党・受田新吉議員 | MTFのAkemiのblog イタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き (ameblo.jp)

 

これはもう、何がゆえの変節なのか、ほぼ見え透いています。たぶん社会党時代よりも票田が縮小して焦ったあげく、日本遺族会から支持をとりつける必要上、昔の持論を翻したのでしょう。すべては票のためなのです。

 

こういうふうにして、「票田」としての力によって政治家の首根っこを押さえている日本遺族会が、自分らのイデオロギーを何がなんでも国政に反映させるべく暗躍し、その結果、宗教に中立的な、だれでもわだかまりなく表敬できるような戦争追悼施設が、ずっとできないままという状態を招いたのです。

 

統一教会の政治介入と相似形ではありませんか。