Akemiのブログ~イタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き~

私は、イタリア児童文学が大好きで、皆既日食も大好きで、足摺岬も大好きな、団塊の世代に属する大学教員です。季節の話題、お買い物の話題、イタリア語の勉強のしかた、新しく見つけたイタリアの楽しい本の話題などを、気楽に書いていこうと思っています。


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昨日、わが家から渋谷区南平台町のカトリック渋谷教会まで行くのに、目黒川の谷の急な上がり下がりを避けて、自転車の楽に漕げる経路をさがした話を書きました。

 

さんざん試行錯誤したあげく、淡島交差点で目的地とは真逆の西のほうへ行き、茶沢通りを北上してから下北沢の一番街を抜け、鎌倉通り、井ノ頭通りをたどり、東北沢に近い大山交差点から東大駒場キャンパス裏へと続く道に入るという、ものすごい迂回路を「発見」したわけですが、この「迂回」の副産物として、意外な場所への近道を発見しました。

 

「意外な場所」とは、代々木上原のイスラム教のモスク「東京ジャーミイ」です。近年注目されている「東京ジャーミイ」というすてきなオアシスのような場所が代々木上原にあって、イスラム教徒以外の人でも見学できるという話は、知人から聞いて知っていましたが、何しろ場所が小田急線と地下鉄千代田線との接続駅である代々木上原ですから、わが家から行く場合は当然、渋谷経由、明治神宮前経由、千代田線代々木上原駅まで行かねばならず、東横線と東京メトロとの二重運賃で、交通費がかかるから、行きづらいなと思っていました。

 

ところが、この「東京ジャーミイ」、ネット上の案内地図でよく見たら、私が渋谷区南平台町へ行くための「迂回路」として「発見」した井ノ頭通りの、大山交差点からわずか300メートルぐらいの場所ではありませんか。

 

つまり、昨日ご紹介した「迂回路」を延々とたどったあげく、大山交差点で右折せず、そのまま300メートル進めば、そこはもう「東京ジャーミイ」の前だ、というわけです。

 

この、大山交差点を通る道は、カトリック渋谷教会へ行く道としてはたいへんな迂回路であるわけですが、東京jジャーミイへ行く道としては、むしろたいへん都合のよい近道ということになります。

 

しかも、この東京ジャーミイでは、平日に異教徒も見学に入ってよいだけでなく、土曜と日曜の午後2時半からは、日本語での詳しい解説つきの見学会があり、少人数なら予約なしでふらっと立ち寄っても参加できます。解説は午後2時半から始まって4時過ぎまで、二時間近く、じっくりと話してもらえます。

 

偶像崇拝禁止のイスラム教のモスクでの内装の美術がどのように発達してきたかとか、豚肉禁止の真意は何かとか、イスラム教には聖職者がいないのに、どうして教えの統一性が保たれているのかとか、イスラム教徒女性のかぶりものである「ヒジャブ」は実はファッション性の高いおしゃれな装束だという話など、興味深い話がたくさん聞けます。

 

みなさんもどうぞお越しください。

 

 

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先日、わが家のあたりから渋谷区南平台町のカトリック渋谷教会まで自転車で行く場合に、上り下りのきつい目黒川の谷をどうやって避けるかについて、私の案を書きましたが、その後さらに検討してみましたところ、その案でもまだ上り下りのきつい場所があって、通りづらいということがわかってきました。

 

具体的には、筑波大附属駒場中・高や都立駒場高校を右に見ながら「淡島通り」を東に進んでゆくと、駒場高校前を過ぎた先で下がって上がる坂になっていて、これがかなりきついのです。

 

これを避けるためには、さらに遠回りにはなるけれども、目黒川水系のもっと上流にあたる場所まで迂回する必要があり、その目的で道をさがしてみました。その結果、以下に述べる道が、いちばん傾斜の緩い、通りやすい道であることがわかりました。

 

三宿交差点を通って淡島交差点へ出るまでは、先日紹介した道と同じです、その先、淡島通りには入らず、交差点から真西方向へ延びる「梅丘通り」へ入ります。そこを真っすぐ進むと、500メートルぐらいで、直行する「茶沢通り(三軒茶屋と下北沢を結ぶ通り)」と交差しますから、そこで右折します。この道は若干曲がりながらも北進して、井の頭線の池ノ上-下北沢間のガードをくぐります。その少し先で大きく左へ曲がって、下北沢の商店街(一番街)に入りますが、そこを道なりに進んで、緩い上り坂になっている商店街を抜けます。

 

抜けきった先で、成徳学園中・高のある交差点に出ますから、そこを右折します。道の名は「鎌倉通り」となっています。この鎌倉通りを約500メートル進むと、北沢中学校前の交差点に出ます。交差している道は「井ノ頭通り」で、そこを右折します。600メートルばかり進むと大山交差点というところで、また広い道と交差しますので、そこを右折します。その道は小田急東北沢駅のすぐそばを通って、松蔭学園前でぐるっと左に曲がって、東大駒場キャンパスの裏を通る道となります。やがてその道は、北からやってくる広い「山手通り」と合流しますので、そのまま山手通りを進み、道が二股に分かれるY字型交差点で、新山手通りのほう(右)へ入らず、直進して旧山手通りのほうへ進むと、もうそこは神泉駅の真上にあたる尾根の上です。まもなく交差する玉川通り(国道246号線)を渡れば、すぐ先に渋谷教会があります。

 

以上の道は、三宿交差点から先で緩く下降し、下北沢の商店街で緩く上昇しますが、それ以外はほぼ平坦な道で、スイスイと自転車を漕ぐことができます。帰り道にも同じ道を利用することができます。

 

距離としてはかなりの遠回りとなり、直線距離の三倍ぐらいありますが、この経路を通ることで、目黒川水系の上がり下がりは、ほぼ完全に回避できたことになります。

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私の住んでいる駒沢陸橋付近の土地は、カトリックの教会へ通うにはなかなか恵まれた土地だということに、このごろ気がつきました。家のすぐそばに教会があるわけではないのですが、そのかわりに、いくつかの教会で囲まれた中間地帯がわが家なので、自転車で行ける範囲内に、よりどりみどりでいろんな修道会の運営する教会があり、ものは試しと、チャーチ・ホッピング(この言葉は「Yahoo知恵袋」で教わりました)ができるのです。

 

修道会は違っても、教えはみんな同じカトリックで、日ごとのミサで読まれる聖書の箇所も一緒ですから、基本的に、どの教会へ行こうとかまわないのですが、それだけに、修道会ごとに少しずつ違う「教会の雰囲気」みたいなもの(しばしば、その修道会の「霊性」と呼ばれます)を、よく味わってみたくもなります。

 

そういうわけで、今までに碑文谷教会(サレジオ会)、三軒茶屋教会(フランシスコ会)、上野毛教会(カルメル会)はみな体験し、往き帰りの経路としても、自転車の漕ぎやすい道をしっかり調べ上げたのですが、最後に残ったのが渋谷教会(ドミニコ会)です。

 

そこは、距離的にはわが家から見て、上野毛教会より近いのですが、上野毛教会へは、先日も書きましたように、自転車で行きやすい平坦に近い道があるのに対して、渋谷教会へは、なかなか適切な道が見つからず、それで、行くのが億劫になっていました。

 

が、せっかくだから、この際、行きやすい道をしっかり調べたうえで訪れてみたいと考え、地図上で検討したり、実際に走ってみたりして、何度か試行錯誤をくりかえしました。

 

渋谷教会は渋谷区南平台町にありまして、そこは、目黒川の谷と渋谷川の谷とを隔てるかなり高い尾根の上です。その尾根は、東急電鉄東横線の代官山駅から、京王帝都電鉄井の頭線の神泉駅にかけて連なっていて、旧山手通りが通っています。明治時代に、東京郊外の景色のいい丘ということで政治家や実業家などに注目されたようで、そうした羽振りのいい連中が別荘用に求めた土地とみられる場所に、今もその後を継いだ洒落た施設が数多く建っています。

 

西郷従道が、下野して鹿児島に帰った兄の隆盛のために、もし東京に戻ってくる機会があればここに住んでもらおうと思って建てた邸宅のあとというのが、今は「西郷山公園」となっています。

 

というわけですが、この丘は、わが家のある土地から行くと、あいだに目黒川の谷があるせいで、上り下りがきつく、自転車では難儀する場所なのです。

 

まず、最短距離で行く道としては、野沢竜雲寺から世田谷観音前を通って、下馬一丁目、上目黒五丁目、東山一丁目を突っ切る「野沢通り」があるのですが、この道は、東山一丁目で目黒川の谷へと下る坂道と、西郷山公園の東側を一気に尾根へと上る坂道が、ともにきつくて、どちらから行く場合でも、下りはスイスイだけれども、上りは自転車ではとうてい登れません。

 

となると、次の候補としては、駒沢通りを恵比寿方面へと向かって、道が東横線と別れる「鎗ヶ崎」で旧山手通りへと左折するという経路が考えられます。が、この道は、祐天寺前から目黒川へと下る下り坂はなだらかであるのにひきかえ、目黒川を越えて鎗ヶ崎へ一気に上がる上り坂はきつくて、とても自転車では漕げません。ただし、帰り道としてだけ利用するつもりならば、目黒川へ向けてスイスイと下ったあと、祐天寺前へ向けては緩傾斜をゆっくり登ればいいのですから、これは使えます。

 

というわけで、あとは、往き道をどう開発するかですが、これについては、目黒川の谷があまり深くない上流のほうで谷を渡ることを基本方針としたうえで、道を探してみることにしました。すると、ぐるっと西のほうへ迂回する道ですが、以下のような道がみつかりました。

 

まず、学芸大学附属高校前から下馬通りを北上したあと、東急バスの下馬営業所のところで左折して、三宿方面へと向かいます。玉川通り(国道246号線)との交差点を越えてさらに進むと、この幅の広い道が行きどまりになっている場所に至ります。そこを右折して細い道へ入り、さらに、すぐ次の交差点で左折して道なりに進むと、淡島交差点というところに出ます。ここで右折して淡島通りという道に入り、以後はひたすらこの道を進みます。道の右手に、筑波大附属駒場中・高とか、都立駒場高校とか、有名校がならんでいます。この道はすでに目黒川の谷を越えた北側になっており、途中で二か所の上り坂があるものの、鎗ヶ崎の上り坂のようなきつい坂ではありません。

 

この淡島通りが神泉駅の近くで旧山手通りに突き当たりますので、そこで右折して旧山手通りを少し進めば、左側にカトリック渋谷教会があるというわけです。

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先日も書きましたが、

http://ameblo.jp/akemi-gid/entry-12281066328.html

わたくし、やっと服装に気を使うだけの気力が戻ってきましたので、婦人服を通販で買い足したりしていますが、季節はいよいよ夏の盛り。

 

どうせなら、なるべく涼しいのがいいということで、風通しのいいワイドパンツやガウチョパンツを買っています。

 

が、これらの服って、外出先でトイレに行くときには、かなり面倒なことが起こるんですね。普通の男性のズボンと同じようなパンツならば、トイレでファスナーをはずして下に下げたときでも、パンツの本体は脚にからみついたまま下がらないから、簡単に用を足すことができるんですが、脚まわりの風通しがよくて気持ちいいと感じるぐらいに幅の広いパンツとなりますと、トイレで不用意にファスナーをはずすと、全体がズルッと下がってしまって、裾がトイレの床までついてしまうんですね。

 

床が汚れていたりしたら、さあ大変、……ということになります。

 

ネットで検索してみたら、「ガウチョはファッションとして素敵だけど、トイレで困る」と書いている告白や、「あなたはどういう対策をとっていますか」と尋ねているサイトなどが、たくさんヒットします。

 

それらによると、対策としては、大きく分けて二種類あるようです。

 

ひとつは、「ガウチョ裾止め」と称する輪っかになったゴムバンドを買って、トイレでは、ファスナーをはずす前にそのバンドをガウチョの両膝に装着して、ずり落ちを防ぐというものです。

 

もうひとつは、ガウチョ専用のペチコートパンツをインナーとしてあらかじめ着用しておき、トイレに入ったら、まずそのペチコートパンツの裾をひっくり返してたくし上げ、その中にガウチョの裾を畳み込んでしまうというものです。

 

なるほど。私はこの第二案が気に入りました。これなら、わざわざ裾止めのための小道具を持ち歩かなくてもいいからです。

 

というわけで、さっそく通販で、その種のペチコートパンツを購入しました。ガウチョ専用に開発された「ラクペチ」などという名のものも売られていますが、特にそれでなくても、ガウチョの丈より少し短い、裾幅の比較的小さいペチコートパンツならば何でも、この目的の役には立ちます。

 

(なお、商品の広告というものは、販売期間が過ぎれば速やかにネット上から削除されてしまうものなので、いちいちリンクは張りませんが、私が購入したのは、Amazonで販売している「富士衣料(株)」製の「花束便りペチコート566」です。)

 

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「女の業の深さ」とかいう決まり文句の話を書いたついでに、「アヴェ・マリアの祈り」の訳文にまつわる話を書いておきましょう。

 

グノーやシューベルトが曲をつけたことでも知られている「アヴェ・マリア」は、カトリックで「主の祈り」に次いで頻繁に唱えられているお祈りですが、原文はラテン語で、日本語訳は、キリシタン時代を別としてもこれまでに三種類が知られています。

 

ラテン語版と、それの忠実な訳であるイタリア語版と、日本で長らく使われてきた文語訳をならべて記せば以下のとおりです。

 

  Ave Maria, gratia plena,

    Dominus tecum,

    benedicta tu in mulieribus,

    et benedictus fructus ventris tui Jesus.

    Sancta Maria mater Dei,

    ora pro nobis peccatoribus,

    nunc, et in hora mortis nostrae.

    Amen.

 

    Ave, o Maria, piena di grazia,

    il Signore e' con te.

    Tu sei benedetta fra le donne,

    e benedetto il frutto del tuo seno, Gesu'.

    Santa Maria, Madre di Dio,

    prega per noi peccatori,

    adesso e nell'ora della nostra morte.

    Amen.

 

  めでたし、聖寵充ち満てるマリア、

  主、御身と共にまします。

  御身は女のうちにて祝せられ、

  御胎内の御子イエズスも祝せられ給ふ。

  天主の御母聖マリア、

  罪びとなるわられのために、

  今も臨終の時も祈りたまへ。

  アーメン。

 

この文語訳が古臭いということで、口語訳を作ることになりましたが、その最初のバージョンは次のとおりでした。

 

  恵みあふれる聖マリア、

  主はあなたとともにおられます。

  主はあなたを選び、祝福し、

  あなたの子イエスも祝福されました。

  神の母聖マリア、

  罪深いわたしたちのために、

  今も、死を迎える時も祈って下さい。

  アーメン。

 

しかし、この訳はあまり人気がありませんでした。

「女のうちにて」の部分が訳されていないし、「御胎内の」も訳されていません。そこで、もっとラテン語原文に忠実な訳がほしいという要望が起こり、それに応えて訳文が改訂され、2011年以降は以下の訳が正式なものとして採用されました。

 

  アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、

  主はあなたとともにおられます。

  あなたは女のうちで祝福され、

  ご胎内の御子イエスも祝福されています。

  神の母聖マリア、

  わたしたち罪びとのために、

  今も、死を迎える時も、お祈りください。

  アーメン。

 

この新訳では、冒頭の「アヴェ、マリア」はもはや日本語として定着しているとの判断のもとに、訳さずにそのまま音写することにして、さらに、「女のうちで」も「ご胎内の」も原文通りに訳すことにしたわけです。

 

それにしても、口語訳の最初のバージョンは、なぜ「女のうちで」や「ご胎内の」を忠実に訳すことを避けたのでしょうか。

 

これは、だいたい理由を推測することができます。日本語での「女」という言葉は、例の「女の業の深さ」とか「女という動物の魔性」とかいったバイアスのかかった表現に長年毒された結果、「男を誘惑する罪深い存在」みたいに女性をみなす偏見と結びついた語感をもつようになってしまっていること、それから「ご胎内」と直接的に表現すると、即物的に子宮を連想させて、卑猥なイメージでとらえられかねないことなどを考慮して、あえて訳さずにおいたり、ぼかした間接的な表現にしたのでしょう。

 

が、原文が「in mulieribus」であり「fructus ventris tui」であることは隠しようもない事実ですから、それを避けたのでは、原文の意味を忠実に写したことになりません。そこで、新訳ではそれらを忠実に訳すことにし、これまでの日本語で「女」や「ご胎内」が卑猥なイメージを喚起してきたとしても、むしろこの祈りの忠実な訳をもって、そうしたイメージを払拭する手立てとするぐらいに、矜持をもって臨もうというふうに、訳者たちは覚悟を決めたものと思われます。

 

これはたいへん好ましいことと私は受け止めており、実際、新訳が出た後は、口語旧訳は唱える気にもなりません。

 

 

 

 

 

 

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