議事録をよくよく読むと不一貫 | MTFのAkemiのblog イタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き

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私は、イタリア児童文学が大好きで、皆既日食も大好きで、足摺岬も大好きな、団塊の世代に属する元大学教員で、性別はMTFです。季節の話題、お買い物の話題、イタリア語の勉強のしかた、新しく見つけたイタリアの楽しい本の話題などを、気楽に書いていこうと思っています。

相変わらず、昭和60年(1985年)の中曽根首相の「靖国神社公式参拝」が巻き起こした波紋の中での国会審議のようすをフォローしておりますが、目を皿のようにして読んでゆくうちに、「同じ中曽根政権の答弁なのに、こことここは矛盾している」とはっきり指摘できる箇所をみつけました。

 

中曽根政権は、首相の靖国参拝を合憲とすることにこだわる理由を尋ねられるたびに、政教分離問題に関して合憲か違憲かの判断をする際には「社会通念」も考慮に入れられるべき要素だとする最高裁判例の「目的効果基準」(資料【四七七】)を引き合いに出し、その「社会通念」のありようの調査がいままで不十分だったので、よく調べ直すために「靖国懇」に審議を求めているのだと釈明していました。

 

つまり、靖国神社公式参拝問題は、国民のあいだに行き渡っている「社会通念」のありよういかんによって、合憲か違憲かの判断が左右されうる微妙なテーマだから、「国民の多くが靖国神社を戦没者追悼の中心的施設と考えているか否か」をしっかり調べてかかる必要があるというのです。

 

そして、公式参拝に踏み切ったあとでは、国民のあいだに上のような「社会通念」があることがわかったから踏み切ったのだ、との釈明を繰り返すことになります。じゃあ、政府の言うその「社会通念」なるものは、あくまで「国民にあいだにそういう通念がある」という意味なのか、それとも、政府自身もそう考えているという意味なのかと、鋭く突っ込みを入れたのは、昭和60年10月30日の衆議院予算委員会で質問に立った二見伸明議員(公明党)でした(資料【六二二】)。

 

ダウンロードは↓このサイトから。

 

 

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○二見委員 それでは、あなたいいですか。国民や遺族の多くが、靖国神社を戦没者追悼の中心的施設であるとし、参拝を望んでいる。それでは伺うけれども、これはむしろ政府にお伺いした方がいいのかと思うけれども、靖国神社が日本における要するに中心的な施設だという判断を下したのかどうか。遺族がそう思うことは、これは自由です。国民がいろいろ思うことは、それは自由です。政府がそういうふうに判断をしたのかどうか。国民が、いろいろな人が思っているというふうに思うのはいいですよ。政府として、一宗教法人靖国神社は、戦没者を追悼する日本の国の中心的な施設だという判断をしているのかどうか、この点はどうですか。

○藤波国務大臣(内閣官房長官) 簡潔にお答えをいたしますが、政府は、靖国神社は戦没者追悼の中心的施設だと考えたわけではありません。

 

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おう、これははっきり答えてくれましたね。同じ見解は、そのひと月あまり後の昭和60年12月13日の衆議院外務委員会での小林進議員(社会党)に対する答弁でも繰り返されています(資料【六三三】)。

 

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○的場政府委員(内閣官房内閣審議室長兼内閣総理大臣官房審議室長) [発言の前半部分省略]

 それからもう一つ、この前もお答えいたしましたように、靖国神社に公式参拝をいたしますのは、靖国神社が国民の多くから戦没者追悼の中心的な施設であると思われているという社会通念をとらまえまして、靖国神社の祭神にお参りをするのではなくて、靖国神社の場をかりて戦没者の追悼と平和の祈念をする、しかもそれは、神道儀式にのっとらない形で行うものであるということがございます。御理解をいただきたいと思います。

 

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前言踏襲。はい、まあいいでしょう。

 

ところがどっこい、それから一年も経たない昭和61年10月21日の衆議院決算委員会で、渡部行雄議員(社会党)から、厚生省が靖国神社への戦没者の身分関係情報を組織的に送付していたことは問題ではないかと突っ込まれた木戸脩政府委員(厚生省援護局長)は、つぎのように答弁することになります(資料【六六〇】)。

 

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○木戸政府委員 私どもは、積極的になぜ靖国神社に通知をしなければならないかというよりは、関係団体から回答を求められるときに、それが違法なものでない限り回答するというのが私どもの基本的な考え方でございます。私どもはやはり、政府の見解でございますが、靖国神社が戦没者の追悼の中心的な施設であるというふうには考えておるわけでございますし、靖国神社に対して、求めに応じて調査、回答するというのは、多くの遺族の方々が望んでいることだというふうに考えているわけでございます。具体的には私どもは、これは今先生がおっしゃいました遺族の心情援護に関する事務、こういうことに理解をしております。

 

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おや、「私どもはやはり、政府の見解でございますが、靖国神社が戦没者の追悼の中心的な施設であるというふうには考えておるわけでございますし、……」と来ましたかあ! 「国民がそう考えているから、……国民がそう考えているから、……」と、今まで責任転嫁で逃げていたのは、本音じゃなかったのですね。

 

そしてさらに、7年後の平成5年(1993年)12月14日の参議院予算委員会では、細川護熙内閣の武村正義内閣官房長官は、日本遺族会の意を体した尾辻秀久委員(自民党)から確認を迫られて、「戦没者追悼の中心的施設である」との認識は中曽根内閣のときの内閣官房長官談話の趣旨を踏襲した現内閣自身の認識であると言い切ることになります(資料【七〇一】)。

 

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○尾辻秀久君 八月十一日だったと思うんですが、官房長官にお会いしました。そのときに、靖国神社は戦没者を追悼する中心的な施設である、これは自民党時代の靖国神社に対する官房長官談話で発表した公式見解でありますが、これは今度の内閣もそのまま引き継いでいただけますかというふうに申し上げたら、引き継ぎますとたしかにお答えになったはずでありますけれども、これは公式にきょう認めていただけますか。

○国務大臣(武村正義君〔内閣官房長官〕) 靖国神社への公式参拝につきましては、内閣総理大臣その他の国務大臣が国務大臣としての資格で専ら戦没者の追悼を目的とし、これをあらかじめ公にするとともに、神道儀式によることなく追悼行事にふさわしい方式によって参拝を行うことは、憲法二十条第三項に反するものではないとの認識に立っているものであります。

 なお、公式参拝は制度化されたものではありませんので、今後公式参拝を実施するかどうかは、その都度諸般の事情を総合的に考慮をしながら各閣僚が判断すべきものと考えております。

○尾辻秀久君 私が今お聞きしたのは、靖国神社をどうするかということなんです。公式参拝のことは聞いていません。

○国務大臣(武村正義君) 済みません。戦没者追悼の中心的施設であると認識をしております。

○尾辻秀久君 これは内閣の公式な見解である、こういうふうに確認をさせていただきます。いいですね。

○国務大臣(武村正義君) 昭和六十年八月の内閣官房長官談話の趣旨を踏襲して申し上げております。

 

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