雪中行軍隊は合祀されていない | MTFのAkemiのblog イタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き

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私は、イタリア児童文学が大好きで、皆既日食も大好きで、足摺岬も大好きな、団塊の世代に属する元大学教員で、性別はMTFです。季節の話題、お買い物の話題、イタリア語の勉強のしかた、新しく見つけたイタリアの楽しい本の話題などを、気楽に書いていこうと思っています。

いよいよ厳寒の季節に突入しましたね。

この季節になると、1902年(明治35年)の1月下旬に青森県の八甲田山付近で訓練中に凍死者多数を出した「雪中行軍遭難事件」のことを思い出します。1971年に作家新田次郎によって『八甲田山死の彷徨』という小説に描かれ、1977年に映画化もされた有名な話です。

 

 


が、新田次郎が小説の巻末に付した「取材ノート」の中に、雪中行軍隊の死者は靖国神社に合祀されたかのように読者を誤解させる話(民間の言い伝えの聞き書き)を書いたため、その後、かなり長いあいだにわたって、「合祀されている」という誤った説が世間に流布される結果となりました。

それが誤報であることは、誤報を生んだ文化的背景まで含めて、2003年に刊行された川村邦光編著『戦死者のゆくえ』(青弓社)という本の中で詳細に解明されており、歴史学的には異論の余地がなくなっています(同書の139~172頁にかけて載っている丸山泰明という執筆者による「八甲田山雪中行軍遭難事件と靖国神社合祀のフォークロア」という論文参照)。

 

 


事件当時の合祀基準が、あくまで「戦争で死んだ者を祀る」であったため、訓練中の事故死であった雪中行軍隊の遭難者たちは、その合祀基準に合致せず、祀られませんでした。だいぶん後になって合祀の請願をした人に対しても、靖国神社自身が「残念ながらこの件はご要望に沿うことができない」との旨、回答しています。

「合祀されていない」との事実の確認は、つとに大江志乃夫によって1976年に学術雑誌上でなされていたそうですが、その情報を一般の人も簡単に入手できる単行本の中に収録して、世の啓発に努めた『戦死者のゆくえ』という本の社会貢献は大です。

そのおかげで、よりポピュラーな本である秦郁彦著『靖国神社の祭神たち』(新潮選書、2010年)でもこの情報は再確認され、今や、靖国神社の歴史を少し詳しく勉強している人にとっては、この情報は共有財産になっています。

 

 


というわけで、私も、「もう、この件についての誤報の拡散はないだろう」と安心していたのです。

ところがところが、念のためにと、ネット上で「雪中行軍隊、合祀」というキーワードでグーグル検索してみたところ、ごく最近である2014年12月22日になってさえ、誤報を大真面目に受け売りしている政治家がいるではありませんか。書き主は、靖国神社に対する熱烈賛美をくりかえし、参拝しない者は日本国の閣僚になる資格がないとまで息巻いている西村真悟というへんな政治家です(ブログ「西村真悟の時事通信」)。

いわく「この雪中行軍隊の体験をもとに、日本軍は厳寒期の軍装を大改革して日露戦争に突入している。/よって、彼ら八甲田の遭難戦死者は靖国神社に合祀されている。」

 

 

 


ネット社会での受け売り情報の拡散、繁殖という病理に、唖然とさせられます。また、「愛国的」を自称する政治家の不勉強ぶりにも、あきれます。「愛国的」政治家たちは大江志乃夫という歴史学者を目の敵にしていますから、大江論文を「食わず嫌い」で読んでいないことは、まあ許せますが、秦郁彦は基本的に彼ら寄りの保守派です。靖国神社を論ずるなら、秦郁彦の本は当然読んでおくべきです。

歴史談義をするならば、きちんとした文献史料に依るべきです。出所不確かなネット上の与太話をコピーすべきではありません。