「科学忍者隊ガッチャマン」は誰の資質か?
その前段として、
1977年に劇場用に再編集された「宇宙戦艦ヤマト」が予想外にヒットして、
「鉄腕アトム」以来のアニメ(当時の呼称は「テレビまんが」)の概念をくつがえし、
中高生や、それ以上の大人が観ても恥ずかしくない作品
として認識された時、
「いやいや、それなら他にもある」
と誰しもが思い当たったのは、
なんといっても「ルパン三世」(1971年10月~1972年3月)だった。
一方で、
「いや、『ガッチャマン』もある!」
と言う声が、かなりあり、実際に1978年に劇場用再編集版も公開されたりすると、
↑公開当時のポスター、チラシの絵柄
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「ああ、そうそう、
ガッチャマンもたしかにそうだ。
だけどなんで、思い浮かばなかったかな?」
と思わされた。
それで、その理由を探ってみると、「ガッチャマン」という作品の印象は、
放送開始の頃と
↑スッキリと整理された描線が美しい、最初期の絵柄。
終了時では大きく異なり、
↑最終話に近づくに連れ、キャラはうんと濃く、くどい顔立ちに「成長」していった。
中高生以上の視聴者の鑑賞に堪えるようになったのは、
あくまでも後半の方で、
↑最終話のジュンの戦い。
一方で私自身は、番組の第1回からのリアルタイム視聴者(当時11歳)だったので、「ガッチャマン」で思い浮かぶのは、なにしろ一番最初の第1話からだから、
↑第1話から、メカ描写の鮮やかさは際だってはいたが、だからと言って、ドラマがガチガチにハードだったわけではない。
すぐには「ガッチャマン≠子供向け」の図式が思い浮かばなかったわけである。
で、ようやく「ガッチャマンは誰の資質か?」の答は、前半は鳥海尽三(とりうみ・じんぞう)だと思う。
ガッチャマンには、偶然にも二人の「鳥海」姓のクリエイター(二人とも脚本家)が参加していて、しかももう一人の鳥海永行(とりうみ・ひさゆき)氏と尽三氏には、血縁関係はなかったという。
なので本稿では、混同を避けるため、以後、「尽三」「永行」と記述、呼び分けることとする。
で、尽三氏に話を戻せば、アニメでは1964年に虫プロ入社で「鉄腕アトム」、翌65年に請われて竜の子(当時表記)プロに移籍し、「宇宙エース」(1965年5月8日~1966年4月28日)の9話の脚本から参加。
以来竜の子のメインライターとして連投、「昆虫物語 みなしごハッチ」(1970年4月7日~1971年12月28日)
の次のビッグタイトルが「ガッチャマン」(1972年10月~1974年9月)だった。
で、ここから先は長~くなるので、ここまでだけだと短すぎるのは承知の上で、また続く。