タイ王国の一週間 -2ページ目

Google Earth

Google Earthをご存知の方も多いと思います

ご存知の無い方は

こちらからダウンロード


地理に詳しい方も

そうでない方も

空中散歩が身近に楽しめるのが Google Earth

自分の住んでいる場所を見つけたり

観光地を事前に調べたりするのに大変便利


バイヨークスカイ周辺



あるインフラ整備の仕事をはじめた70年後半

バンコック市内の地図は軍が管理してい為、入手は大変困難でした

したがって、僅かな地図を頼りに地図を作成しながらの作業を余儀なくされました

現在、このような航空写真が公表され

規制されていたトランシーバーでなく携帯電話での容易く連絡などができる

当時を振り返ると隔世の間を感じます


フォアマーク競技場周辺


さて、ここは何処でしょう

判りますか?






プラト・ナーム

「水門」と言えば何となく堅苦しいし

「ウォタ・ーゲート」と聞くと物々しくて事件でも起きそう


やっぱり、無理に訳さず

「プラト・ナーム」の響きが一番いい


ペチャブリ通りからバイヨークスカイを望む

この細い通り(ソイ・インドラ)一帯がプラトナーム

私のお気に入りの場所です





ここは問屋街

ビルの中には同じようなお店が一杯

よく競合して潰れないかと心配しますが・・・

それぞれのお店にお得意様がいて、大量に仕入れていく


これ幾ら?からはじまって

2つでは?・・10では?・・・30で幾ら?

まとめて50なら・・・

こんな取引が見られます

日本人バイヤーの為に、日本語の案内板もみかけます


一般のお客がビルの中に入って一点だけを買うのには何となく・・・

で、周囲には小売の商店が軒を連ねています




さらに、おのぼりさんや、観光客も、気軽に買い物を・・・

かどうか分かりませんが

バイヨークスカイとスイート間の道路で

土、日、祝日の日中、多数の露天商が店を開きます





露天商の一つ、気さくなおやじ3人組が賑やかに歌とおしゃべり

あまり、商売気がないらしいというよりも

3人が邪魔で、商品が選べないぞ!


奥のおやじさん、イサーンの歌を弾き語り

こぶしをころころ効かせてお見事でした


タイのクーデター

タイのクーデター

私が知るところでは

1991年、2006年そして今年2008年の3つ

2006年、クーデターと言っても国会議事堂の前面に戦車が並んだだけで、公共機関こそ休日となりましたが

交通機関や商店、デパート等は通常通りの営業



日本のマスコミ報道では大きく取り上げたようで

現地の日本人は、いったいどこのこと

ってな感じでした 







クーデター後の現場は観光の名所となり

戦車の前で兵隊と記念撮影やら花束をあげたりするという光景も見られました



タイのクーデターは実際の現場となった場所以外は実に平和と言うか一般は無関心

それに、決して血を流すような争い事にはならない

そして、クーデターの解決の鍵は国王が握っていますから

従って今回も国王の動きに要注意ですね!







しかし、我々外国人が

無血クーデター

クーデターはお祭りのようなもの・・・だなんて、に言っている場合じゃありません

民主化とか学生運動などに対する軍の弾圧となると話は俄然違ってくる


1991年の軍事クーデターは

タイ国全土に戒厳令が施行され、軍部はバンコク市内にある
政府広報局、全テレビ局を占拠、首相府、警察局犯罪鎮圧部を制圧下に置いた

しかし大きな混乱や反対もなくスムーズに成功に終わったが・・・その後・・・

首相就任人事をめぐって政治的な混乱が続き

公約をやぶってスチンダ陸軍司令官が首相に就任したことにより

学生・知識人の大きな怒りを買ってしまい

スチンダ退陣を叫んだデモが繰り返された


92年5月17日に、軍が民衆に発砲、多くの死傷者を出し

血の海となった王宮広場

公表では、200人の死者が出たとされていますが

実際は不明、その10倍とも20倍とも・・・



1年後、軍側で撮影されたビデオが流出

そこに映し出された光景は、まさに凄まじい

王宮広場を埋め尽くすデモ隊に水平乱射

かろうじて逃げ込んだホテル内での残虐行為

死者をトラックで運びさるシーンは目を覆うばかりでした


間違ってもデモに参加とか、軽い気持ちで見学はよした方が無難

普段温和はタイ人もキレると怖い

これらの事も踏まえて

危険な場所には近づかないと心に決めましょう

タイの王宮

ツアーでは真っ先に向かうのがエメラルド寺院と同じ敷地内にある王宮

タイ在住の方々も日本から来たお客さんを必ず連れて行く名所中の名所


何度行っても新しい発見がある

私の好きな場所の一つです


王宮・・・何時か水平で撮って見たい


私の好きな角度です



初めてここに来た30年前も、今も、美しさは変わらない

早朝太陽が上がり始めた時刻

王宮の周りを歩いて見てください


鏡や金をふんだんに貼り付けたタイルの輝くさまはなんとも言えない美しさです



ラチャカラヤ・サッパ堂




王宮に入る際、このパンフレットを渡されますが

この係りの人

瞬時に見事に観光客の国を判断してその国の言語で書かれたパンフレットを渡す

中国、韓国、日本人どうやって見分けるのかって

質問して見た

服装と品格で日本人は直ぐ判るとのこと・・・

!!納得!!




服装と言えば肌を露出いたスタイルは入場できません

そこで門を入って右手に長袖のシャツ等を貸してくれる場所がある

女性にはサロンも貸し出してくれるのですが


このサロンが人気で入り口では記念写真を取り合っている観光客を見掛けます

行き帰りにちょっと覗いて見てください

おもしろい光景です

タイの家族愛と本音

日本人が考える家族とは

多くの方々は、主に同居している人達を指す、と思いますが・・・

そして、離れて生活している血縁関係者を親戚と呼んでいます

私の友人がタイ人女性と結婚する以前

家族を食事に招待したところ

20人近くが集まり

家族と言う言葉の認識の違いに大変驚いたとか



タイも少子化が進み夫婦間の子供出生率が2人を切ってしまったようだ

しかしこれは主に都心部であって地方では相変わらず大家族が少なくない

駐在最後の年に社員の出身地を(東北部)回る旅に出た

豊かとはとても言えない社員の家族、

しかし、そこで接した家族一つ一つ出会いの中で

迎えたくれた家族の素晴らしさ、温かさを思い知らされたことは生涯忘れる事はない

家族の絆、結束は、貧しさが背景にあるからかも・・・

と、つぶやく旅でもありました


あくまでも、現地社員とか友人を通じての家族感であり

かならずしも正しいとはいえないかもしれませんが・・・


私の周囲にいるタイ人は、どうも、コツコツ努力することがにがてなようだ

しかるべき結果に至る過程を、いつもショートカットしてしまう

この過程が将来に対しての意味を持ち、大きな価値観を生むのだが・・・


「既に完成したもの」

「既に評価を得ているもの」

「既に成功したもの」

へ、の憧れは、貧富の差に関係なく極めて強い

「たかり」と言う言葉が正しいかは、別として

成功者には、どどっと群がる

困っている家族を助けるのは成功者の勤めとばかり

成功者はろくに考えもしないで気前よく振る舞ってしまう

この行為の結果、お互いが助け合って結束していた家族の絆も遠のいていく



泡(あぶく)銭はやがて消えていくものである

お金を、お足とはよく言ったものだ