記事『「論点の論証」≠条文の解釈』に、以下のようなコメントをいただきました。
「ん~、確かに、本番では、条文と問題文で解くことは間違いないが、それには、各条文のうち、どの文言がどういった問題(論点)があり、判例通説はこのように解釈されている、ということは頭に入っていないと、その場であみだすことになり、時間がかかるわりにはめちゃくちゃな自説で、ということになる(はじめてみる論点とかが本番では出るというけど、まずは何が典型的論点かを把握しておかないと、それがイレギュラーな論点なのかがわからない。また論証集で解釈の仕方を把握しておけば、イレギュラーだと気付いた論点もその応用で解釈できる。)。
だからみんなは、あらかじめわかっている典型的論点を論証集で把握しなくては、と。論点がわかっても、緊張しまくりの本番では解釈すらできないから、あらかじめ解釈の仕方も論証集で把握して準備しているのでは?
先生のコメントからは、どうして典型的論点の論証を覚えておかなくてよい理由がいまいちはっきりしません。
よろしく御回答ねがいます。」
隙間時間に少しずつ書き溜めていたこともあってか、かなり長文になってしまいました…平成28年度の司法試験や予備短答も近づいてきましたし、時間がない人は読まない方がいいかも。
1.
まず、「本番では、条文と問題文で解くことは間違いない」ことは、コメントの冒頭で認めてくれていますね。
ならば、普段から「条文と問題文で解く」訓練を積むのが、最も効果的な本試験対策だというのが、私の方法論の根幹です(cf.記事『過去問は「読む」べきか「解く」べきか』の3)。
2.
いわゆる「論点の論証」と似て非なる“条文の解釈”も、例外ではありません。
4Aのような条文単位の処理手順で論文式問題を解いていると、条文の文言1つ1つに問題文の事情をあてはめていく(4Aでは第4段階)中で、「この問題文の事情が、この文言にあてはまるのか?」といった日本語的な違和感・迷い等を感じることがあるでしょう。
そういうときだけ、その文言を、別の言葉に言い換える“解釈”をした上で、その解釈結果に上記問題文の事情があてはまるのかを検討する必要が生じます(cf.記事「解釈と評価の構造・必要性」)。
その“解釈”の手法として最も汎用性が高いのが、その条文の趣旨(その条文が作られた目的・理由等)を、その条文全体や周囲の条文、さらにはその条文が属す法令全体の目的等から想像して設定し、その趣旨からその文言の意味を考えて“解釈”する手法です。
上記3文にわたるプロセス=“解釈回路”は、「条文と問題文」及びこれらに基づく感覚・想像・思考で構成されており、いわゆる「論点」や「論証」といった概念を含みません。
確かに、普段からこのような“解釈回路”を鍛えていない受験生は、解釈を突然「その場であみだすことになり、時間がかかるわりにはめちゃくちゃな自説で、ということになる」でしょう…普段から努力していないことを本番でいきなりできるのは、ほんの一握りの“天才”だけですから。
しかし、『4A基礎講座』の受講生には、その一番最初の導入たる「4A入門講義 第1回」から、上記の“解釈回路”をくり返し鍛え続けていただいています。いわゆる「イレギュラーな論点」だけでなく、「典型的論点」もです(「典型的論点」について上記のような“解釈回路”を説明すらしない講義も多いと思いますが、それは、数学等で公式の導き方を説明せずただ覚えろというのと同じだと思う)…まあ、そもそも「論点」といった概念を使わないので、そういう区別すらしていませんが。
このような鍛錬を積んでいる受験生は、「緊張しまくりの本番」でも、「典型的論点」だろうが「イレギュラーな論点」だろうが(そもそも「論点」といった無駄・有害な概念を経由せずに)、普段どおり上記の“解釈回路”を辿って、スピーディに適切な解釈論を展開できるようになるのです。
なお、上記のような鍛錬を積んでいるうちに自然と、「各条文のうち、どの文言がどういった問題(論点)があり、判例通説はこのように解釈されている、ということは頭に入って」くることもあるでしょうが、それはそれで構いません。
私が警鐘を鳴らしたいのは、いわゆる「論点」や「論証」といった知識を「覚えよう!」「思い出そう!」というような不自然な努力によって形成された「不自然な記憶・理解」だけなので(cf.記事「くり返し解くと覚えてしまう 」)。『「記憶・理解しよう」として“頭に詰め込んだ”(INPUTした)人為的・不自然な記憶・理解ではなく、本試験と同じように問題を解く(OUTPUTする)中で自然と“身についた”記憶・理解でなければ、異常な心理状態に追い詰められる本試験現場では使いこなせない』受験生がほとんどだからです(記事「不自然な記憶・理解」のラスト)。
つまり私は、解釈論を「覚えておかなくてよい」ではなく、原則として「覚えようとしなくてよい」(例外:記事『「論点の論証」≠条文の解釈』の最終段落1文目)と言っているのです…誤解なきよう。
3.
次に、「(はじめてみる論点とかが本番では出るというけど、まずは何が典型的論点かを把握しておかないと、それがイレギュラーな論点なのかがわからない。また論証集で解釈の仕方を把握しておけば、イレギュラーだと気付いた論点もその応用で解釈できる。)」について。
そもそも、「典型的論点」と「イレギュラーな論点」を区別するのは、何のためでしょうか?
もしその区別に意味があるとしても、「典型的論点」と「イレギュラーな論点」をどのように区別するのでしょうか?(人によって異なるはず)
…私は受験生時代から、このような疑問を持っていました(cf.記事「4Aなんて当たり前?」)し、かなりの面倒くさがりということもあって、「典型的論点」だろうが「イレギュラーな論点」だろうが関係なく、そもそも「論点」といった無駄・有害な概念を経由せずに、前記のような“解釈回路”を辿るようにしたのです。
また、「論証集で解釈の仕方を把握しておけば、イレギュラーだと気付いた論点もその応用で解釈できる。」という方法論は、私の受験生時代からありましたし、私もやっていた・やろうとしていた時期がありました。
しかし、この方法論には、
①元となる「論証」が論文本試験現場で制限時間内に「応用」できる形になっていない(ex.長すぎる、使える事案が限定される)ことが多い
②「応用」できる「論証」がわずかにあるとしても、「応用」する手法(これを体系的網羅的に指導する講師がもしいたら、教えてほしいです)にバリエーションが多すぎて、論文本試験でどんな問題が出ても安定的に「応用」できるようになるための訓練をすることが難しい
③「論証集」の分量が多すぎ、それで「解釈の仕方を把握」するだけでも記憶等の負担や時間がかかりすぎる
といった問題点があると考えています。
この点、前記2の“解釈回路”を鍛えるという方法論なら、
①②あらゆる“解釈”に共通するので、そもそも「応用」する必要がありませんし、
③問題を解く中で“解釈回路”を鍛えるので、これとは別に「解釈の仕方を把握」する負担や時間がかかりません(「論証集で解釈の仕方を把握」する方法論だと、それとは別に、同等以上の分量の問題を解く必要があるはずです)。
4.
最後に…コメ主さんというより、いわゆる「論点」・「論証」単位や、それと実質的に変わらない「判例」単位で指導している教育者・教育機関等に言いたい。
法解釈というのは本来、前記2の“解釈回路”のようなプロセスを経ることを意味するのではないでしょうか。しかも、この“王道”を鍛錬する方が、試験対策的にも明らかに効率が良いのです。
とすると、“邪道”であるだけでなく試験対策的にも効率が悪い、「論点」・「論証」単位や、それと実質的に変わらない「判例」単位の指導をする意味は、いったいどこにあるのでしょう?
…少なくとも私は、受験生時代から、そんな指導に身銭を切る価値はないと思っていました。