Perfumeの「不自然なガール」は、いい曲だと思う…というのはどうでもいい(タイトルは、本記事の末尾からとった)。


まいさんから、下記の質問をいただいた。

>今年(新)司法試験を受験する者ですが、司法試験の論文過去問の勉強の仕方について質問させて下さい。
先生のブログを読んで、論文過去問を解く際に、制限時間を設けて条文を用いて論文過去問を解いているのですが、その後自分の答案構成と予備校の参考答案を「照らし合わせ」る作業をどの様に行えば良いか分からずに困っています。もし、自分の答案構成が全く出来ていない場合には、参考答案を熟読して処理手順をマスターすれば良いのですか?先生の動画を拝見させて頂くと、参考答案を読んで暗記するのはダメな勉強法だとの事でしたので悩んでいます。


動画「『4A基礎講座』の予習・復習方法 」の13分30秒ころ~で説明しているとおりではあるんだけど、たぶんなかなか伝わらない感覚だし、司法試験以外の予備試験・法科大学院入試の受験生にも伝えたいと思ったので、記事にして強調したいと思いました。


一言でいうと、「照らし合わせ」も、自分なりに“テキトー”にやってください。


私は、問題演習(4A論文解法パターン講義の復習)=勉強(問題演習以外は勉強に非ず!)を、

1.本試験と同様、制限時間の4分の1を目安に、問題文と条文だけから(したがって、その問題についての知識を思い出そうとせずに!これ重要!!)、答案構成(4A図)を作る。

2.上記1の自作答案構成(4A図)を、正解とされる答案構成(4A論文解法パターン講義で板書された4A図)や答案例等と「照らし合わせ」る。

という手順を辿ることを、上記動画でも推奨している。


この2の「照らし合わせ」る作業は、

(1)まず、正解とされる答案構成・答案例に、自分の主観的な感覚を“テキトー”に表現するという感じ。

その目的は、

①問題を解いた“経験”(手続記憶・エピソード記憶)を、ただ問題を解くだけよりも明瞭な形で積み重ねる

②自分の感覚を集積することで、自分の個性・感覚に最適な答案スタイルを確立する

点にある。

たとえば正解とされる答案構成や答案例の

・「良い」「なるほど」「これは使える」とか思ったところに“○”“◎”とかつける。

・「よく分からん」「納得いかない」「後で質問しよう」とか思ったところに“?”とかつける。

・「これはいまいち」「使えね~」「こんなん本試験で書けないから不要だろ」とか思ったところに“△”“×”とかつける。


さらに、もし余裕があれば(時間がなかったらやらない!cf.記事「時間の使い方 」)、

(2)自作答案構成も、自分なりに、自作答案構成とは色違いの筆記用具で添削してみると良い。

その目的は、上記①に加えて、

③自分ができなかったところ=自分の実力を伸ばせるところを明確化して、より効率的に自分の実力向上につなげる

たとえば

・(だいたい)できているところに“◎”“○”、(いまいち)できていないところに“×”“△”

・(いまいち)できていないところについては、「どうすればできたか?」をちょっと考えてみて、対策を思いついたら、それをその部分に書いておく(思いつかなかったら放置…いつか思いつくかもしれないし、自然と改善できるかもしれない)。たとえば「答案構成のここのところで問題文L5に気づいていたら…」と思ったら、自作答案構成のそのあたりに“問題文L5”とか書いておく。

・さらに余裕があれば、(いまいち)できなかったところについて、「なぜ(いまいち)できなかったのか?」まで考えられれば完璧だが、そこまでやる余裕はないのが普通。せいぜい、勉強できない移動時間等にポヤ~ンと考えてみる程度かな。


あと、まいさんの質問には、

>もし、自分の答案構成が全く出来ていない場合には、参考答案を熟読して処理手順をマスターすれば良いのですか?

とあった。

客観的には結構できていても「全く出来ていない」という自分に厳しすぎる人(合格ラインを見切れていないという点でいまいち)もいれば、文字どおり「全く出来ていない」人(「4A基礎講座」を受けるのが急がば回れかと…)もいるので、具体的な答案構成を見てみないと何ともいえないところもある。

しかし、どのような人にも、とりあえず上記2(1)(2)の方法を試す意味(上記①~③)はあるといえる。


やや気になるのは、参考答案を「熟読」するという点だ。これは、参考答案のフレーズ等を記憶・理解しようとすることまで含む表現のように感じられる。

そのようにして参考答案を知識として記憶・理解しようとしてしまうと、くり返しその問題を解くときに、その記憶・理解を“思い出す”という形になってしまうおそれが大きい。

論文本試験では、その問題と同じ問題は出ないし、半分以上は未知の問題が問われるから、その記憶・理解を“思い出す”という形では問題を解くことができないことがほとんどだ。

とすると、記憶・理解した知識を“思い出す”という訓練・努力しかしていないと、本試験で問題を解く訓練・努力を全くしないまま、本試験に臨むことになりかねない。

これで合格できるのは、ほんのわずか一握りどころか一つまみくらいの“天才”か、運に恵まれた受験生だけだ。


しかし、上記2(1)の方法をとる限り、参考答案を知識として記憶・理解して“思い出す”ことしかできなくなる危険は、かなり低下する。逆にいえば、上記2(1)は、そのくらい“テキトー”にやるべきなのだ。「自分の答案構成が全く出来ていない」としても。

ただ、こんな“テキトー”な作業でも、暗記・理解しようとしなくても、くり返す(短答と同様、最低3回、目安5回だが、目指すのは「完璧」に解けるようにすること)うちに、正解とされるものと同じような答案が自然と想起でき・書けるようになってくる。

そのような形で、無意識に自然と記憶・理解された知識は、問題を解いた経験(手続記憶・エピソード記憶)と密接に結びついているので、抜けにくいし、問題を解くために正しく“使える”形になっている。


要するに、「記憶・理解しよう」として“頭に詰め込んだ”(INPUTした)人為的・不自然な記憶・理解ではなく、本試験と同じように問題を解く(OUTPUTする)中で自然と“身についた”記憶・理解でなければ、異常な心理状態に追い詰められる本試験現場では使いこなせないよ~ということなのだ。