人間でも施設でも、古くなればあっちこっちにガタがくるでしょ。
この国は、ちゃんと考えた政策やってるのって…感じますねえ。
介護政策も、施設の老朽化も、あまりにも考えと備えなさすぎ。
だいたい、古くなればなるほど、維持管理費は馬鹿にならないのは、人も施設や設備も同じでしょ。
しかも、どんどん費用がかさむ。
存在する以上、下がることはない。
逆に言えば、確実に成長する市場でもありませんか。
そうそう。
高齢化社会を悲観するばかりじゃねえ。
良質な老後のための仕事と、一日でも長く現役でいられるように支援する仕事を、もっと活性化する方法考えたほうが良いのでは。
そして、お達者高齢者の積極的活用。
高齢化を逆手に取る社会は、日々増えていく仕事と高度な知恵と知識と技術の保持と継承が求められる社会といえるでしょうね。
言い換えれば経験豊富なお達者高齢者が、生き生き働ける社会ね。
逆転の発想でないと、先が見えないかも知れませんね。
資源小国日本にとっては、いまでも「人は石垣人は城」ですよね。
高齢者の力も生かせるだけ生かさないと、これから先きびしいでしょうね。
高齢者の力だけじゃない。
多くの若い世代を派遣労働で技能も知識も蓄積させず使い潰した日々は、まさに「失われた10年」では。
知的エリートと複線化した進路で、知識立国ができなかったのは、なんとも惜しいですよ。
一人一人の能力にあった進路が選べる社会が必要なことでは、国民的合意は出来ていたでしょうからねえ。
ひとつの道で落ちこぼれると後がきついから、みんな無理をして同じ勉強する。
でも、その人の能力と適正を伸ばせたかと言うと、疑問。
結局、均質で能力の高い労働力育成のための学習。
経済発展には、多くの優秀な労働力が必要でしたからね。
でも、ある程度発展した経済は、多様な要求にこたえる人材を必要としますよね。
それで、進路の複線化が求められた。
それがなぜ、実現できなかったかですよ。
差別選別で多くの若者の未来が潰される不安を払拭できなかった、腐敗政党自民の大罪。
まあ、今の日本で政治不信を国民に植え付けた自民党政治の責任は大きいでしょうねえ。