遅読のすすめ | けいすけ's page~いと奥ゆかしき世界~

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日々感じたことや思ったことをつれづれなるままに綴っていきたいと思います。

最近はどうも暖かいのだか寒いのだか、よう分からん日が続いております。でもまぁ総じてだんだん春の気候になりつつありますね、肌で感ずるかぎり。


ここのところ、サルトルを順調に読み進めています。三時間で20ページ読めればいい方というペースですがね。でもいいのです。ゆっくり読んでいく。ねちねち読んでいく。それが、今後の僕の読書テーマですから。


以前まではとにかく、より早く、よりたくさんを読書のテーマに掲げていました。おかげで自分の本棚は満席。机の上にも平積みになった本がどさっと置いてあって、作業スペースが縮こまっています。


しかし、これらをざっと眺めていると、なんだか、むなしさを覚えるのです。元来読書は好きではなかったし、勉強のべの字を聞いただけで毛嫌いするような人間だったので、読んだ本の絶対数が増えていくことはある意味自分の勉強に対する自信を獲得していく、あるいは本に対する抵抗力をなくす過程だった。ですが、その数がある程度を越すと、ふと自分の「読み来し方」を思うようになったのです。自分はこれらの本を通して何を学んできたのだろうかと。


本棚に飾ってある本のタイトルを見ながら、この本で俺はいったい何を学んだのか。思いだせないならば、それはこの本を読むだけ無駄だったのではないかと。もちろん、読んだ本の内容はどっか頭の隅っこに蓄積されていると信じたいし、現にレポートの参考としてあの本の内容を使おうなんてことがふと思い浮かぶのですがね。でも、なんかむなしい。これだけの本を読んできたのに、どうも自分の頭ん中が空っぽのような気がしてならない。思考のレベルも稚拙な感じに思える。


三年になった春。そんなふうな現状に不満を抱えていた自分にゼミの教授がアドバイスをくれたのです。それは、大著一冊をじっくり読む、ということ。難しくても投げ出さず、ねちねち文字をたどって読む、ということ。ゆっくり丁寧に読もうとするから、頭に残る。逆に、さらーと読めてしまうものは、さらーと頭から消えていく。そんな本には、自分の人生を揺さぶるような力はない。己の書物で人類の文化を切り開いてきた偉人の本を何か一冊、じっくりと腰を据えて読んでみる。速ければいいってものじゃない。今は何でも早く済ませることが良しとされるが、その態度を疑ってみなければならない。焦ってもいい結果はでない。目の前の試練に辛抱強く忍耐でもって正面から向かっていく。そんな、言われてみれば「王道」のようなものを尊敬する学者に言われ、そして実践しようと思ったのです。


実践。それは今の自分に最も必要とされることがらです。アドバイスというものは実践してこそその価値が分かるのです。実践する前からそんなものに何の意味があるのかと、疑ってばっかりいるから、次から次へと新しく刺激溢れるアドバイスを求めるようになる。結果アドバイスを沢山知るようになる。しかしなにか変っただろうか。勉強法ばかり研究して何一つ勉強しないアホ(昔の自分)と同じだ。


大学三年生を通じて実感し始めた。このままではいけないと。何かに腰を据えなければ、ただ風になびいて飛んでいくタンポポの綿毛のように、いつまでも地に足がつかない感じから脱せない。「大著一冊をじっくり読む」。とりあえず卒業までの二年間、実践したいことです。その過程で自ずと自分も変わっていくはず。現に、本をさらーと読むことに嫌気がさしてきたほどです。どんな内容の本でもじっくり読んでみると、また読書の味わいも変わってくるでしょう。一年の時にクラスの担任だった芥川賞作家の堀江敏幸先生も「ゆっくり読む」ことを重視しておられるようです。速さが求められる時代に逆行するみたいですが、一個の人間の精神世界というものは、味が早送りできないように、ある程度速さが決まっているようです。その限度を超えて、また越えようとしても、いい精神世界を築くことは叶わないのではないでしょうか。まだ実践途中な身分なので、記述はこのくらいにとどめておきましょう。


それにしても、めまぐるしい。世界がめまぐるしい。テレビのニュース番組は我々に何をさせたいのだろう。はあ疲れる・・・。