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文章を読むことについて

テーマ:ブログ 2012-04-17 21:57:47

文章を読む楽しみのひとつは、相手の表現したいことの核心に触れる体験をすることです。


この体験に至るには読む者には考えることが要求されます。表面的な内容認識では読んだことにならない。筆者の思考の先にあるものを彼とともに見据えること、そこ至るのが読むことです。


考えるとは、読むために必要とされるものと読んだ後に必要とされるものがあります。だから、人に寄り添うまでと寄り添ってからとではやることが違います。また、寄り添ったつもりになることはもちろん、寄り添ってもいないのに相手と同じものを見ようとすると、見え方が変わってしまい、とんでもない勘違いをしてしまうことになります。


寄り添うことは確かに難しいけれども、少なくともそうしなければならない。でなければ、読む行為は言葉群の意味の単なる認識に堕してしまします。


言葉を紡ぐことは、実は非常に難しい。いい文章には必死に紡ごうとして付着した汗やシミがあります。あまりにも美しく出来ているため一見それらの付着物は眼にとまりません。しかし、筆者はどんな思いでこの文章をつづっているのかという想像力をはたらかせながら、一行一行言葉の網の目を見るようにゆっくり文章を追っていくと、その文章の背後に、汗まみれになって考えあぐねながら言葉を紡ごうとする血の通った人の気配を感じることができます。文章を読むとは、まずは、この相手の頭の中へと吸収されていく体験です。けっして、文章を自分の頭の中に吸収することではないのです。


筆者は必死です。精いっぱいです。だから、こちらから出向いてあげなければならない。なぜ執拗にこんなことを言うのか、なぜここでこんな表現を使うのか、筆者にとってOOとはなんなのか、それはなぜなのか。こちらから問いかけることは無限にあります。相手の疑問提示を待っているだけの受動的な構えではいけない。積極的に問いかけ、文章と対話をしながら徐々に近づいていく。その蓄積が、筆者の核心へといざなう。この核心を得ること、そしてその立場から相手と同じものを眺めてみる。そうすると、なんという素晴らしい光景が目の前に広がっていることか。もちろんその全く逆の場合もありえます。筆者はなんという恐ろしいものを見ていたのかと。しかし、いずれにしても、自分という殻を破って他者へと接近し、今まで自分にとって未知であった場を知ることができる。つまり、自己を拡張させることができるわけです。


ここまでは、いかに相手に寄り添うか、つまり読むために必要とされることです。文章を読む楽しみはさらに、それによって拡張した自己とどう向き合うかという段階にもあります。ここから先の体験は人によって千差万別でしょう。ある文章を読んで、文句なしにガーンとやられて一生をその経験を引きづっていく人、自分の檻をやぶって独創的になるひと、感動にいたたまれなくなって文章をつづる人、それを他者と共有することで感動を分かち合うことを目指す人、自分の深い読みを人に自慢する人…。


私の場合は、感動したあと、頭の中で色んな刺激的想念が縦横無尽に駆け巡ります。それを言葉に変換したいけれども、それができずに結局ぼーっとしたり、何かほかの作業をします。しかし、何をしていてもその感動と想念が頭の中にとめどなく溢れてきます。そのことによって成長を感じます。そして、それ以前の過去の自分がどうであったかを認識することによって、そうではない現在の自己の輪郭を感じ取ることができます。これが私にとっての楽しみです。その流れ去る想念をすくってうまく言語化できたら、幸運です。


みなさんは、文章を読むことにどのような楽しみを抱いていますか。

読書会の一年間、と今後

テーマ:ブログ 2012-02-18 23:56:07
今日、一年間読書会で読み続けてたプラトンの『国家』を読み終えました。

4月にゼミ内の6~7人で出発した読書会ですが、ぼろぼろと人が減ったり増えたりして落ち着きませんでした。それでも、6月くらいには出席者も固定化して安定した人数(5人)で一週間に50ページずつ読んで議論することができました。

今日一年かけてゆっくりじっくりやってきたものを終え、なんだか卒論を書き上げたときのような達成感があります。

毎週毎週白熱した議論をやってきたのですが、来週からこのような刺激的な機会がなくなるのだなと思うとやはり寂しいものを感じます。
読書会の日などは若干緊張したりして、自分で創設していながら「あ~大変だなぁ」とか思っていたものを。


どーも何かの終わりにはセンチメンタルになりますね。泣きはしませんでしたが。一年間の来し方を思いかえすと色々と感慨深くなります。


なにより先生に居てもらえたことがありがたかったです。自分達が論点に行き詰まったときに快刀乱麻のごとく議論を整理していただけました。なるべく先生に頼らないようにしようと、僕も司会進行を担当しながら議論に参加しましたが、やっぱり彼のようにはいかない。早く先生みたいになりたい、そのために色んなこと学んでもっともっと考えていきたい、そういう思いばかりが先に出て、ちっとも近づけた気がしません。


だから、これから社会人になっても、価値ある本をもっと読んで集団で議論して自己を高めていきたい。果たして社会人生活でそういう場がもうけられるか分かりませんが、しかしやるからには根性でやらなければならない。読書会を続けるには根気が入ります。メンバーが激減しようがなにしようが、「続ける」ことに重要さがある。そうしていればいつかは思いを共有する仲間に巡り会える。それが今の読書会でのメンバーでした。

しかしメンバーはこの先バラバラ。すでに社会人である一人は大学院に進学し、ゼミ外からの参加者である一人は韓国に留学し、私は就職し、残りの二人はまだ学生(今3年生)。

今は漠然とまた読書会を立ち上げようと思っています。今度はゼミ生ではなく、単に興味があってやりたい人と。このブログを介して募集しようかなとも思います。読む本も集まって決めたいと思います。

どうですか?どなたか一緒に本をネタにしながら哲学的対話・問答(ディアレクティケー)しませんか。興味ある方ご連絡お待ちしています。

日々是決戦

テーマ:ブログ 2011-10-13 07:39:37
早朝のマクドナルドで眠い目を擦りながら英文法の勉強に励む受験生を見ると、なんだか清々しい気持ちになります。
朝早くから外に出て勉強するのは熱意がある証拠だけど、その熱意に体が追いついて行けてない。自分の精神はこんなに強く頑張ろうと思っているのに、自分の肉体がそれを阻止しているようだ。


ついに受験生は机に倒れ込む。
しばらくして体を起こす。しかし彼と参考書との距離は遠い。目の前にあるのにかくも遠い。彼の目は虚ろになる。

それでも彼は握ったペンだけは離さない。必死の抵抗を続けている。こんな朝早くから己れと戦っているのだ。


頑張れ受験生!体は嘘つきで気まぐれだ。騙されずに精神力を振り絞れ!入試は待ってはくれないぞ。日々是決戦。己に勝たずして社会に勝てず。一歩ずつ勝利を重ねていけば、いつかは自分でも予想だにしない未来がやってくるばすだ。

不条理という名の青春

テーマ:ブログ 2011-08-18 22:59:46

ぽつぽつと読者様がつくことはうれしいですね。まぁこのブログに何を書いたらいいのか、もはや分からなくなりましたが(笑)


もともと大学受験の勉強の記録を記そうと思って始めたブログもはや4年半ほど経ちました。

あんころは19歳でした。輝く大学時代を夢見ながら日々をぜぇぜぇ生きていました。



あの頃の未来に 僕らは立っているのかな

すべてが思うほど うまくはいかないみたいだ



世の中というのは、不条理です。それに抵抗するかのように、人間は自由平等という素晴らしい思想を200年前に開発しました。

ややもすると、人はその順序を逆にしがちです。その美しさに負けて、まずもって人間は自由で平等なものであるという幻想の虜になります。そしてその次に、世の中の不条理さがそれを邪魔するという発想をする。


しかし実情は真逆な気がする。この世界の住人たちはみな一人一人異質で、ごつごつしている。神の前での平等だとか、法の前での平等だとかいうけど、結局何かの前でないと平等を語れないように、一人ひとりが異質に作られている。


同質性は極めて近代的な発想なのかもしれない。いまの世の中はジャイアンもノビタもいてはならないように矯正させられている。そしてそれが当たり前で、果ては始めからみんな同じ人間のはずだという先入観を持ってしまう。


自由や平等は所与としてそこにあるものではなく、絶えず創出し続けなければならない。幸福の追求でさえ、それは権利として創出された。初期設定がごつごつした世の中だからこそ、そこに倫理が必要とされた。



「長寿の功」とはよく言ったものです。

「頑張ってもどうにもならないことはあるが、頑張らないとどうにもならない」とはよく言ったものです。

涙ぐましい。どちらも、ごつごつの世界を均して、そこに順序と方向性を作りだしている。


因果関係に論理関係を加えた科学的な思考は、過去を考察し抽象化し整理整頓する方法を採りつつ、未来の創造を見越している。が、その思考に押し潰され続ける人もいるかもしれません。こうすればこうなる・・・。期待。計画。しかし、いかんせん我々が生きる世界は予測不可能です。いつ原発が爆発するかも分からない。いつ大地震が来るかもわからない。


不条理は20世紀の文学のテーマとして有名です。しかし、実はそれは極めて原始的です。初期設定です。


未来を希望に満ちたものとして思い描くのには、不条理はあまりにも酷すぎる。だから不条理は絶望の事柄です。憂鬱の事柄です。不安の事柄です。


小林秀雄は慢性的に不安を抱える時代を生きる学生へ語った。

「不安なら不安で、そこから得をする算段をしたらいいではないか。学生時代から安心を得ようなどと虫がよすぎるのである。」

いったい、この不条理から何を得ればよいのか。


夜空の向こうは、思い描くことしかできない。そのスケッチと実際とがかけ離れていること、そこに不条理が宿っている。


だからといって、本当に絶望することなど、並みの人間にはできない。戯画化した絶望に悩む人は多い。しかし、世の中の大多数の人は、希望に向かって歩まずにはいられない。そうすることしかできない。これ自体が希望なのかもしれない。みんな、希望によって不条理の世の中へと背中を押され続けている・・。人は背中を見ることができないように、希望を振り返ることはできない。希望は背中に張り付いて、人を不条理の世界に促し続ける。そこからなんとか「得をする算段」をすることが、青春と呼ばれるのだろう。

自分を変える、勇気

テーマ:ブログ 2011-08-15 00:05:52

ブログは「書こうと思った時が書き時」ですね。なんか書きたいことが浮かんでも後回しにすると書きたい欲が消耗してしまっている。自分だけか(笑)



さて、人生の夏休みと言われる大学時代でも、とうとう最後の夏休みになってしまいました。大学時代を人生の夏休みに例えるならば、今はもはや夏休み明けの新学期まで残り1、2日ってとこでしょうか。


今年の夏休みは外出が多いです。オケの合宿で新潟と長野にいって、9月には北海道とフランスにも行きます。


ようやく色々「外」を見て回る機会に巡り合えました。「旅は最良の学校」っと最近読んでいる本に出てきました。




そういえば昨日は高校の吹奏楽部の同窓会がありました。浜辺で遊んだりBBQやったり花火したりして過ごしました。


何年ぶりかに会う仲間もいましたが、感じたことは、やっぱり人間というのはそう簡単に変わる生き物ではないんだなってことです。「久しぶり~変わらないね~」なんて常套句だけれど、やはり真実味がある。


見た目はどんなに変わっても内面は変わってない。内面は見た目に現れるなんていうけど、嘘っぱちだ。表面に現れるのはもっと別な、それまた表面的な要素な気がする。内面は内面。


人間そう簡単に変わるものでもなければ変えられるものでもない。意外と人間は頑丈です。いままでの自分の歴史が自分の身体には刻み込まれています。そんなだから、考え方一つ変えただけで別人のように明日を生きていけるなんて発想が間違ってる。人間変わるためには、相当なエネルギーが要る。努力が要る。時間が要る。いろんな犠牲が要る。人生を削る覚悟をしなければならない。


何本深イイ話を聞こうと、優秀な学者や実業家の言葉を知ろうと、そんなんで人は変わらない。本気で自分を変えようとする人にしか彼らの言葉は響かないと思うから。頭ん中働かすだけではダメで、身体を働かさないと人は変わらない。慰めを得るのとは違う。

それはほとんど冒険と同じ。いつ岸辺にたどりつけるか分からない航海の始まりでなければならない。そしてそれには当然、勇気が要る。人生を削らなくてはいけないのだから、変わるのには勇気という投資が必要。その投資なしでは冒険にはならない。自分を大海原に投げ打ち、時間と労力をかけてオールを漕いで、新たな自分という陸を目指す勇気。すると、目的の大陸とは違う色んな島にも巡り合えるのかもしれない。


・・・って何書いてんだか。そろそろ寝よ~と。おやすみなさい。

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