社労士に戦国時代はあるか? 昔の下克上に巻き込まれないために | 西村治彦の日記

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 社労士に戦国時代はあるか? 昔の下克上に巻き込まれないために

室町時代とは 足利尊氏 が 1336年( 北朝  建武3年、南朝 延元 元年)に 建武式目 を制定し、1338年 に 征夷大将軍 に選ばれてから 15代将軍義昭1573年元亀 4年/天正 元年)に、織田信長 によって京都から追放されるまでの 237年間を 指します。この室町時代の後半は室町幕府が弱体化し、各地の武将たちが 自分たちの勢力の行き渡る域内で、我こそは 地域での天下を取るのだと、隣同士で 戦いを繰り広げました。戦国時代です。

一般に15世紀末から16世紀末までの約100年間を戦国時代と呼んでいます。
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 隣同士で戦って、勝ったり 負けたり、力を使い果たし、戦いに敗れ、多くの武将たちが消え去っていきました。

 「村上綱清」も 戦国武将として、千葉市の名付け元の「千葉氏」側に立って戦いましたが、悲惨な負け方をしてしまいました。

私は「村上綱清」の居城であった「米本城(よなもとじょう)」に 探検に行ってまいりました。
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なんで そんなことが探検かと申しますと、どこに城跡があるか 分からないからであります。遺構と言えば 空堀と土塁くらいのもので、説明がなければ 城跡とは分からないのです。

入り口をようやく見つけました。竹やぶと雑木林であります。土塁と空堀で、歩くと かなりの高低差があり、なるほど 城跡であると分かります。

この城は「村上綱清」の居城でした。戦いの相手は「太田道灌」。
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江戸城を造った武将として知られています。

当時 戦いの時、太田道灌は「村上綱清の米本城」を、眼の前に見渡せる「権現山」に陣を取りました。
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「米本城」の「村上綱清」と「現、新川」を挟んで 対峙していました。
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「権現山」は現 八千代市にある「飯綱(いいづな)神社」のある山であります。
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私は 以前 この「飯綱神社」に行き ブログを書いたことがあります。
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 当時は その後に見られるような 強固な城ではなく、石の産出のなかった土地柄、この地方特有の土塁、空堀中心の「砦」でした。したがって 強力な相手には ひとたまりなかったと思われます。
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 「村上綱清」陣営の「米本城」は 太田道灌によって 落ちました。
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「米本城」の穴倉に隠れていた 一人の年老いた武士が いぶされる煙によって せき込み、隠れていた全員が殺害されたそうです。
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 敗走した「米本城」の「村上綱清」陣営の武士たちは「落ち武者」となり、現「七百余所神社(しちひゃくよしょじんじゃ)」となっている林の中で集団自害したそうです。
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神社の名のごとく「700人以上」の落ち武者たちが 自害していったのです。
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悲しいかな戦国時代。全員が自害して命果てたのでしょうか?

私なら 死にたくないですね。
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坊主の格好をして 念仏を唱えながら、気に入った姫を数人連れて 逃げます。
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そして どこかに「花園」を築いて 楽しく 余生を送ります。
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大体 700人もの武士たちが 死ぬとは 勿体無いです。逃げたら 敵は 追っかけてきて 殺害するでしょうか? 大勢なら 危ないけれど 私一人と姫二人連れなら 逃げられるのではないでしょうか。


 隣の「千葉氏陣営の村上氏」を「太田道灌」が 殺戮しても、次に「太田道灌」は 他の場所で 他の武士に殺されました。

 プロレスで言う「バトルロイヤル」です。一人を やつけたら、次の一人を やつける。最後 残った武将が また戦う。どちらに着くか、どちらが勝つかは 直前まで分からない。
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 そんな戦国時代の戦いで「織田信長」と、続く「豊臣秀吉」、そして 最後は「徳川家康」が天下を 取りました。安定政権となり、明治時代まで 268年間 徳川幕府が 天下を取ってきました。そして 現代へと続きます。
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 現代は 隣の人や集団を やつけて、自分が 成功するでしょうか? 天下を取れるでしょうか? 戦国時代の武将たちが 物語っています。隣をやつける「バトルロイヤル」では 天下を取れないと。
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 現在の「経営戦略」も「市場開拓」も 隣との戦いでは 勝てません。一つの地域の、一つの大きな町の、一つの地方の、日本全体の、そして世界経済を考えて 戦略を立てないと、あえなく敗北となってしまいます。

社会保険労務士はどうでしょう? 一つの小さな町で 顧客を見つけるだけの方法で成功するでしょうか? インターネットの時代です。隣の町、住んでいる大きな地域、県、地方全体、あるいは日本全体で いかに市場を広げていくかが 顧客を 劇的の増やす戦力では ないでしょうか?
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 顧問先に 労力を使って 通い詰めるのは 良い方法でしょうか? 始めは 良いかも知れません。そのうち 顧客が増えれば 通えなくなります。営業の時間がなくなるから 顧客は減り始めます。病気にでも なれば それで 終わりです。顧客を 取った 取られたの「バトルロイヤル」、「戦国時代」では なかなか成功しないでしょう。
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 そんな「戦国時代の弊害、欠点」を 頭に入れながら、うちの事務所では 戦略を立ててまいりました。戦国時代の武将にならないよう、社会保険労務士も 大きく 経営戦力を立てるべきであると考えています。

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