さて、この後、私と黒子さんは、「匝瑳市」にある「古墳」を訪れました。

「匝瑳市神崎古墳群」です。まず、「神崎1号墳」です。

神崎1号墳: 前方後円墳 墳長31.3m、後円部径12.7m、同高3.2m、前方部幅14.6m、同高3.4m 南神崎町畑 台地 前方後円墳

神崎1号墳」は、林の中にありました。傍に、「神崎古墳群」の石碑が立っていました。

石碑がないと、古墳は分かりませんね。

私と黒子さんは、林の中の神崎1号墳」に登って、記念の撮影を致しました。

藪は酷いです。しかし、古墳は風化されず、形を 末長く保たれます。

さて 次は、「匝瑳市塚原古墳群」に行くことにしました。そう大きくない古墳がたくさんあります。

1300年以上も、現匝瑳市塚原と申す場所に、風雨に晒されながら、今日まで 古墳の形を保っているとは、凄いと思います。

草や灌木が古墳の上に生い茂り、風化を防いでいるのです。

古墳上では、ススキ状の背の高い草が 全体を覆っています。

1300年以上の間、ススキやら灌木やらが、古墳を守っています。

「匝瑳市塚原古墳群」は、小さな多くの古墳が集まっています。

ざっと見まわしても、10近くの古墳が見えます。千葉県の匝瑳市に、このように小さいとは言え、多くの古墳があるとは、どう言うことなのでしょうか。

古墳時代には、現匝瑳市は、太平洋に面していて、黒潮に乗って、畿内地方から、或いは、大陸から、渡来人が、大陸の文化を持って、やって来たと考えられます。

目的を持ってやって来たのか、遭難して流れ着いたのかは分かりません。「古墳の文化」が 当時 日本にやって来たのです。

考えて見ると、壮大な時代の流れと歴史を感じます。悠久の流れです。

教科書には載っていない、郷土の歴史の勉強です。

 

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人生初・千葉のお花見

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前の記事に本日分の西村治彦のブログも公開しています!

 

 

2018年度入社しました、郡山 実夕と申します。

 

 

入社から1週間以上経ち、少しずつ新生活にも慣れてきました。

新社会人と新居での暮らし、2つの新生活をスタートするのは不安もありましたが、

それも杞憂に終わり、充実した毎日を過ごしています。

 

 

4月3日に社長と先輩社員、新入社員10人と千葉事務所周辺の桜の名所へ行きました。ルートは「千葉城→千葉市埋蔵文化調査センター→大覚寺山古墳→あさくまハンバーグ→おゆみ池→千葉寺」です。

 

 

最初は千葉城です。千葉城は鎌倉時代から戦国時代にかけて戦国武将として活躍した、千葉氏が居城としていたと社長から伺いました。なかでも千葉常胤(つねたね)は、千葉家の家格を押し上げた「千葉家中興の祖」ともいわれる人物だそうです。

 

↑千葉城外観

 

 

↑千葉城と満開の枝垂れ桜

 

 

 

葉桜が多いかと思いきや、ところどころに咲く枝垂れ桜は満開で、美しい風景を見ることができました。

 

 

 

次に向かったのは千葉市埋蔵文化調査センター。千葉市には1,300ヶ所を超える遺跡が存在し、特に多いのは「史跡・加曽利貝塚」をはじめとする縄文時代の貝塚だそうです。市内には120ヶ所以上の貝塚があり、そのうち5ヶ所の貝塚は国の史跡にも指定されています。旧石器時代から始まる千葉市の歴史を学び、千葉はその多くが海だったことがよく分かりました。

 

 

↑施設前にて

 

 

 

 

↑玄関口にある撮影スポット

 撮影用のアイテムが多く用意されていました。

 

 

展示物は、主に市内の遺跡から出土した埴輪や土器です。発掘調査時の様子が分かるよう、多くの写真や図で説明がされていました。

 

 

↑貝塚から発掘された貝殻

 

 

↑出口降りてすぐ目の前にある移築された貝塚

 

 

その後は前方後円墳が2つの丘のようにして残っている大覚寺古墳へ。歩いて周囲を確認すると、その形が分かります。お墓の上に桜が咲き誇るという不思議な光景が広がっておりました。

 

 

お昼ご飯をあさくまハンバーグでいただきました。最近は自炊したご飯を食べる機会が多かったので、久しぶりにボリュームのあるご飯をいただけて幸せなひとときを過ごすことができました。

 

 

一息ついて訪れた先はおゆみ池です。あさくまハンバーグの近くにあり、おゆみ池の間を一本の道路がはしっています。さらに東京湾へと続く川も池から始まっており、その両脇にたつ桜並木は見ごろを迎えていたようでした。

↑東京湾へつながる川の桜並木

 

↑最後の見ごろを迎えた桜

 

 

おゆみ池を出て最後に向かったのは千葉寺です。千葉寺は市内最古の寺院で、奈良時代の和銅2(709)年の創建だそうです。境内には見上げるほど大きな銀杏の木が植えられています。枝に切られた跡があるのは、昔の人が「乳柱を煎じて飲むと母乳がよく出る」という言い伝えを信じ、持ち帰ったからだと社長に教えていただきました。

 

 

今回のお花見研修では、旧石器時代の歴史から現在までの人々の生活や文化を学ぶことができました。今自分が快適に生活を送れるのも、今まで積み重ねられてきた歴史の恩恵に他ならないと思います。

今後も、常に学ぶ姿勢を意識しつつ仕事に励んでいきたいと思います。

 

 

千葉事務所 郡山実夕

 

 

 

 

 

 

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八日市場城址と匝瑳市の古墳群二つ・神崎古墳群と塚原古墳群

 この日は、千葉県匝瑳市(そうさし)にある「八日市場城址」を訪れました。

「八日市場」は、「八日」に市が立つ場所であります。

毎月8日に、売る物を持ち寄って、市が立ちます。 

野菜あり、海産物あり、菓子や餅あり、手作りの品物ありと、近隣の人々が売り上げて、収入とします。

やがて 市は、「八日市町」となりました。現在は、「八日市町」と「匝瑳郡野栄町」が、平成18年に合併して、「匝瑳市」となりました。

「匝瑳市」は読めませんね。「匝瑳市」は、「読めない匝瑳市」を「売り」にしています。

中世初期、この地を領した「匝瑳氏」の居城があり、その「匝瑳氏」から、「匝瑳市」の由来があるのです。

 

さて、私と同行の黒子さんは、車で「匝瑳市」にある「八日市場城址」を訪れました。

「八日市場城」は、千葉氏の家臣「押田氏」の居城と考えられています。

「押田氏」は鎌倉時代からの匝瑳南条庄の在地領主で、戦国時代は、千葉氏の家臣として千葉利胤の妹婿として国政に意見したこともあったそうです。

八日市場城」に相対するように「匝瑳城址」があります。こちらは「古城」と呼ばれ、八日市場城」は「新城」と呼ばれました。

この「二つの城を総称して、一つの城」と見るむきもあります。

 押田氏は、陸奥六郎義隆の末裔と言われます
文明年間(1469~1487)に匝瑳へ進出したと考えられています。
築城も同時期となると想われます。

「八日市場城址」の高台から見える匝瑳高校の校舎が建つ辺りに「匝瑳城」が所在したと伝わります。


中世初期、この地を領した「匝瑳氏」の居城と言われます。
城跡と推定される地は御館台、西城、新城と称されたそうです。
 匝瑳氏は4つの系統が確認されています。
神官系、物部氏系(古代)、上総氏系(鎌倉初期)、千葉氏系です。
このうち匝瑳城は千葉氏の系統が拠点として匝瑳党と称する武士団を形成しました。
匝瑳常広、常正の居城であります。


 鎌倉末期から南北朝期には勢力が衰え名跡を保つ程度でした。
室町期、上杉禅秀の乱後の上総本一揆討伐の余波で匝瑳氏は滅びました}「一部サイトより引用」

現在、「八日市場城址」は、「天神山公園」として、匝瑳市民の憩いの場として、人々が訪れます。

「八日市場城址」から見えた「背の高い塔」は何でしょうか?気になるので、二人は 近づいてみました。

現匝瑳市(旧八日市場町)の「配水塔」でした。

高い所に いったん水をあげて、匝瑳市全域に水道水を送るのです。

格好の良い「水道塔」でした。(つづく)

 

 

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