神楽坂ほおずき市・毘沙門天善国寺で行われています。

東京の祭りは凄い人出です。

 この日は、新宿区神楽坂にある「毘沙門天善国寺」境内で開催されている「神楽坂ほおずき市」に出掛けることにしました。

同行は緑子さんです。「毘沙門天善国寺境内と門前」は、物凄い人出です。

境内どころか、神楽坂の通り一面にはみ出して、

多くの「ほおずき屋さん」と「屋台」が並んでいます。45店舗の屋台が、「毘沙門天善国寺前」の坂上、坂下に並んでいます。

それにしても物凄い人出です。「毘沙門天善国寺前」は人が多すぎて、まともに歩けません。「毘沙門天善国寺境内」も 人だらけで、

撮影も自由に出来ません。

東京は大きいから、あちこちから夕涼みがてら、大勢の人々が出て来たのです。私は、こんなに大勢の人出を、神楽坂では初めてみました。

 「毘沙門天」とは;古来よりインドで信仰されてきた財宝の神であります。「毘沙門天」は 仏教では四天王の一人に数えられ、須弥山(しゅみせん)の中腹に住み、夜叉(やしゃ)、羅刹(らせつ)を率いて北方守護を司ります。
法華経には「仏法と帰依する衆生を守護する」とあります。
左手に宝塔を捧げ、右手に矛を持ち、甲冑で身を固め憤怒の表情で知られ、七福神の一人に数えられています。

ここ神楽坂の「毘沙門天善国寺」の毘沙門天像は文禄4年(1593年)の創立以来祀られており、多くの方から信仰され、開運厄除けの福運を日々授けておられるのであります。

 私の学生時代、六大学野球リーグで、早稲田大学がリーグ優勝を遂げると、学生たちは、こぞって 神楽坂か高田馬場か新宿へ出てきて、

酒を飲み、お祭り騒ぎをしておりました。

当時は、早稲田大学は野球が強くて 私の在学中も、確か3度ほどリーグ優勝を遂げました。

私は当時から酒は弱くて、そう飲めませんでした。

中には普段でも、大学からも 歩いてそう遠くもない神楽坂に、遊びに来る学生も多かったです。

そんな学生時代を思い出させる「神楽坂」、

今回は 人出が多すぎて、撮影も十分出来ないほどでした。

東京は、「人が多い!」と実感します。人が多いから、商売を始める人も多いです。

事業所も多いので、我々は、上手くやれば、顧客も たくさん獲得出来るのです。

その逆では、競争も激しいので、家賃は高く、人件費も高いです。都心では パートさんも採用し難いです。

私は そのように見越して、早くに 事務拠点を千葉市に移しました。千葉市は、土地も広いので、まだまだ 事務所は拡大出来ます。東京の営業所は がんがん顧客を獲得して来ます。

東京と地方のバランス感覚が大切だと思います。

社員寮も 土地代の安い千葉市や地方都市に限ります。

うちの事務所では、千葉市に、社員寮が30部屋ほどあり、埼玉県に 同じく20部屋ほどあります。地方から インターネットを利用して採用するには、社員寮が必須であると考えます。

「神楽坂まつり」の前半 2日間は「神楽坂ほおずき市」でした。後半 2日間は、「阿波踊り」です。

総勢40連1200人も踊る「阿波踊り」は 凄いと思いました。

 人があまりに多いので、

坂の左右の奥にある「料亭街」に入って行きましょう。

普通の家のように見える「割烹」、食堂風の「料亭」、

黒塀の昔は遊郭であったであろう「料亭」、

会社が接待などで利用するのでしょう。

江戸時代の風情を残す「神楽坂料亭街」でした。

 蒸し暑いし、帰りましょう。

江戸情緒を楽しみながら歩いた「神楽坂ほおずき市」は 懐かしくて、楽しかったです。

 

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パワースポット東京都内にある古墳・渋谷区代官山の猿楽山古墳・旧朝倉家住宅で心を洗う

 この日は、東京都渋田区代官山に行くことになりました。

代官山と言うと、

流行のファッションとか服飾とか、

最近は若者の街と言う様相の近代的町並みであります。

 そんな「代官山」とは、江戸時代に「代官」が住んでいて、「代官」が勢力を張った土地柄であるとか、「代官」が この辺りの土地を持っていて、「代官様の土地」であるとか、ともかく「代官」から出た町の名前であります。

「代官山」とは、そこは 山になっているからであります。「代官山」に行くには、坂を登ります。「代官山坂」を登って行きます。「代官山」には「古墳」がありました。「猿楽塚(さるがくづか)古墳」と書かれています。

「猿楽」とは、平安時代に成立した日本の伝統芸能で、「能」は 江戸時代までは 猿楽と呼ばれました。明治時代以降は、「猿楽」は、「狂言」とともに「能楽」と総称されるようになりました。 

したがって、この「猿楽塚古墳」は、昔は ここで、人々を集めて、「猿楽」を演じていたのでしょう。程よい高台となっていて、自然の舞台になっていたと思われます。

 江戸時代には、「猿楽塚古墳」は かつて、大小二基の古墳があり、当時は 朝倉家の屋敷があったのです。大正時代、その内のひとつを取り壊した時、中から大量の武具が見つかりました。その後、現場指揮を担っていた者が奇病に取り付かれ、武具を元に戻した途端、病から回復したとの話から、残された塚の上に、「猿楽神社」が創建されました。

「少し怖いですね!」、怖い古墳は、パワースポットとしても知られています。

 夏ですから、怖い話が好きな方は、ここ「猿楽塚古墳」にやって来て、まだ 古墳の下に眠っている大量の武具を想像しながら、塚の上の「猿楽神社」で、

貴方の願いを掛けたら如何でしょうか?

今回 同行の「田渕祐」は、「間もなく結婚しますが、彼女に逞しく思われるよう、一生懸命勉強し、社労士試験に合格し、うちの社労士法人の社員となり、西村事務所を更に大きくしていきたいです!」と言いながら、願を掛けました。まだ少し早いかも知れませんが、いずれ知れることです。私から 言ってしまいましょう。

 

「田渕祐」は、最近までうちに在籍していた「鈴木美音(みお)」さんと この11月に結婚します。すぐですね。結婚まで、あと3カ月、「田渕祐」は、張り切っております。

 同じく同行の「近藤礼菜」も、この9月に結婚します。あと1カ月、どうせ 皆さんに、通知することなので、私から 前もってお知らせします。「近藤礼菜」は、「智敬さ~ん!大好きで~す!」と、「猿楽神社」で 大きな声で、幸せな結婚を願いました。(上野)に苗字が変わります。

ここの一基の古墳から、「大量の武具」が出たと言うことは、江戸時代、「代官山」には、この地を統治した「代官様」が住んでいたに違いありません。「代官様所有の山林」では 大量の武具は出てこないでしょう。この「猿楽塚古墳」は 壊された1基を含めて、ほぼ隣にある広大であった現「旧朝倉家住宅」のある敷地内にありました。

 現在でも、「旧朝倉家住宅」は 広大であります。

現在 「旧朝倉家住宅」は、国の「重要文化財」の指定を受けております。

 その敷地内に、「猿楽塚古墳2基」が あったと言う、「旧朝倉家住宅」を 私と同行の田渕祐、近藤礼菜が訪れました。

 さすが、「重要文化財」だけあって、

手入れが行き届いており、チリひとつ落ちておりませんでした。落ち着きます。

旧朝倉家住宅」は、東京府議会議長や渋谷区議会議長を歴任した朝倉虎治郎氏によって、 大正8年に建てられました。

私の父親が 大正4年生まれの102歳ですので、父の4歳の時に、旧朝倉家住宅」は、建てられたのです。
大正ロマンの趣のある2階建ての建物内と回遊式庭園を ゆっくりと見学することが出来ました。

 のんびりとして、

また 外神田事務所に戻ります。渋谷区代官山まで来て、良かったです。

 

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うえの夏まつり、ハスの花、歌謡ショー、骨董市。
 この日は、毎夏恒例の夏まつりが 上野公園で、行われているので出掛けました。

同行は 大森桂子と天沼裕子です。事務所から上野公園まで、歩いても15分ほどであります。まず、不忍池のハスの花を眺めながら、

撮影です。

ここのハスは、古代ハスです。2000年前のハスの種が、現千葉市花見川区検見川の東京大学グラウンドで、発掘されて、

東京大学の大賀博士が発芽させ、そのハスを増やして各地に広めました。

うちの千葉事務所の池にも、古代ハスは、繁茂して 毎年花を咲かせております。

不忍池を背景に、3人で撮影しました。大森桂子とハスの花は似合います。

天沼裕子とハスの花も似合います。

二人は、ハスの花のように、美しいと思いました。

しとしきり、撮影して、

骨董市を覗きます。

以前は 不忍池の廻りは、多くの植木屋、食べ物屋などが、びっしりと並んでおりました。

夕涼みがてら、多くの客が、来ておりました。今は まるで、夕涼み客は、いませんね。蒸し暑い外よりも クーラーの利いた室内で、寛いだほいが良いのでしょう。客が来ないなら、植木屋も食べ物屋も廃業です。時代が変わりました。

大きな建物が見えます。上野公園水上音楽堂です。ここで、毎夏、歌謡曲ショーが行われます。

入場料は一人300円です。

こんなに安くて 歌う歌手たちは、儲かるのでしょうか?

しかも、毎年入場者は、減っています。

暑いです。水上音楽堂には、冷房設備がありません。客は、あまり来ませんね。中には 歌う歌手が、「暑くてやってられない!裸になる!」と言って、背広とワイシャツとズボンを脱ぎ、ランニングシャツとステテコになり、裸で歌い出しました。この歌手は、半田浩二さんでした。「済州エアポート」などのヒット曲がありますよ。彼と私は、大相撲の阿武松部屋の打ち上げパーティーで、何度かお会いして、名刺交換もしています。互いに顔見知りです。

暑い中、和服の歌手は大変ですね。汗も拭けません。5人ほど、歌手が出てきて、唄いました。

さすがプロです。しかし、こんなに上手いのに、

名が出ない歌手が多いのです。歌手も汗だく、観客も汗だく。「あれ!」大森桂子の様子がおかしいです。

顔は真っ赤、

汗だく、

意識が失せかけています。

顔が変です。「危ない!」熱中症です。「外に出ましょう!」
外に出たら、大森は、正気に戻りました。
夏まつりを終わって、道路を渡ると、湯島の繁華街です。

二人は、何店かの前で記念撮影です。

似合いますね!

このような店で大勢が働いているのですね。

帰りがけ、ちょっとアルバイトをしている方々も多いのではないでしょうか。

歩いて 10分ほどのところにある、うちの神田事務所は、

上野公園には、毎日でも 出掛けられます。

 

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