どれだけの方が期待しているのかはわかりませんが、先月デジタル化しました発掘ネガからの画像から、今日は1998年2月の阪神電車の画像を掲載していこうと思います。
阪神電車(阪神電気鉄道)はいうまでもなく大阪と神戸を結ぶ大手私鉄で、今年で開業110周年を迎える大手私鉄です。日本の都市間電気鉄道のパイオニアとも言える私鉄で、それは電気鉄道であることを示す稲妻でレールの断面を囲っただけの社章にも表れています(他に“電気鉄道”の類がなかった…阪神電車より古い歴史を有する鉄道は蒸気機関車による“汽車”型鉄道か市内電車・馬車鉄道の域を出ない“軌道”がほとんど)。とはいうものの、当時は“お上”による官設鉄道(後の国鉄→JR)の平行路線は敷設免許が下りる見込みが低く、それならばと“鉄道”とは監督官庁の異なる“軌道”として認可を得て開業しました。すでに平行して開業していた官設の東海道線が沿線集落を無視した直線状の線形としたのに対し、途中の乗客獲得のために街道沿いに敷設されたため、結果的にカーブの多い線形となり、“阪神カーブ式会社”と揶揄されるようにもなりました。
いわゆる“阪神間”には、阪神電車の他にも国鉄→JR西日本東海道線、山陽新幹線と阪急電車神戸線が平行していて、阪神電車はその中で最も海側を走り、また駅の数も他の路線より多くなっています。このため、沿線人口は大幅に増える要素もなく他社より編成が短めであることや、短い間隔の駅に停車しつつ急行系列車の足手まといにならない運転が要求される普通車などに特徴が見られます。また、近年では神戸方で山陽電車(山陽電気鉄道)へ、大阪方では近鉄電車(近畿日本鉄道)へ相互直通のエリアを広げ、遠く奈良や姫路でも阪神電車が見られます。
経営面では、村上ファンドによる買収工作が露呈し、そのような買収への対策として長年競合関係にあった阪急電鉄と経営統合がなされ、現在は阪急電鉄とともに阪急阪神ホールディングスの傘下となっています。経営統合後も両者は独立した企業ではありますが、回数券の相互利用や車両新造・改造などで同一グループとなったことによる影響がみられます。
もっとも、歴史ある阪神電車ですが、小田急や近鉄のような有料特急がある訳でもなく、鉄道事業は阪神間の狭いエリアにとどまっていることから、鉄道会社としての阪神電車よりも、プロ野球の“阪神タイガース”や甲子園の方が全国的な知名度は高いのではないでしょうか?
その野球輸送も阪神電車の特徴かと思います。同業者として、必ずしも一定していない試合終了にあわせた臨時電車運転がスムーズに行くものだと感心させられますね。
それでは前置きが長くなりましたが、撮影順にどうぞ。
撮影日は1998年2月28日、撮影場所は福島駅~野田駅間のJR西日本大阪環状線と交差する辺りの歩道橋です。最近は行ってないので、今も同じように撮影できるかはわかりません。撮影日からピンと来る方もいらっしゃるかと思いますが、山陽電車との直通特急運転開始直後ですね。
5261形5264の高速神戸行き普通
5261形は、1967年度から1970年度にかけて導入された普通車です。
阪神電車では、古くから急行系と普通車で車両を分けていましたが、1958年度以降、普通車には急行系列車の足手まといとならないように加減速性能を高めた専用の車両を導入することになりました。加減速性能を高めるために全電動車編成とし、小型高速回転型主電動機を採用、車輪径を小さくすることで他に例を見ない加減速性能を実現しています。また、駅停車時間を短縮するために1400㎜幅の両引扉を採用し、急行系車と比較して車内の手すりも多くなっています(扉や手すりはその後の急行系車でも普通車同様となりました)。その性能から、当時の航空機のプロペラ機に対するジェット機になぞらえて、“ジェットカー”との通称が付きました。但し、この結果高速性能は犠牲となり、普通車専用として運用されることになります。後述する急行系が赤系の塗装となったのに対し、普通車は上半こそ急行系と同様のクリームとしつつも下半はウルトラマリンブルーのツートンカラーとなり、以後“青胴車”とも呼ばれるようになります。
この5261形はそんなジェットカーの増備車として導入されました。架線電圧が直流600Vから1500Vに昇圧されてからの導入なので、複電圧構造が廃され、2両ユニットとなりました。7ユニット14両が導入されましたが、1970年度導入の2ユニット4両は同時期導入の急行系7001・7101形と7801・7901形同様冷房を装備しました。非冷房で導入された5ユニット10両も1976年度から1977年度にかけて冷房化され、併せて主制御器を交換し、抑速ブレーキ装備となっています。
1995年1月17日に発生した阪神大震災では4両(5265-5266+5267-5268)が廃車となりました。また、連結相手の5151形2両を失った5269-5270は、同様に“相棒”を失った5131形5143-5144と組み合わされることになり、片や表示幕無し、片や表示幕ありという特殊な編成となりました。
その後は5500系増備による代替で1998年度から1999年度にかけて廃車となり全廃されています。
9000系9208の山陽姫路行き直通特急
9000系は、阪神大震災による急行系車の被災廃車の代替として1995年度に6両編成5編成が導入された車両です。
同年度、同じく普通車の被災廃車代替として導入された5500系に続きVVVF制御やボルスタレス台 車を採用しましたが、短期間に30両揃える必要があったこと、当時の阪神電車お抱えの車両メーカーである武庫川車輌の余力がない(被災車両の修復や5500系の新造などで手一杯)ことから、川崎重工で製造されることとなり、製造ラインの都合もあって車体は軽量オールステンレス製となりました。関西大手私鉄ではあまり見かけないステンレス車ですが、阪神電車ではこれが初ではなく、1959年度に導入された5201形“ジェットシルバー”以来となります。
現在は1000系とともに近鉄直通に抜擢され、運転台や前面非常脱出口が改造されたほか、前面と側面のラインもオータムレッドから黄色味の強いヴィヴァーチェオレンジに変更されています。
5500系5504の三宮行き普通
5500系は阪神大震災による普通車の被災廃車の代替として1995年度から導入された車両です。
ただし、9000系と異なり、震災前から5261形などの代替用として計画されていたこと、被災廃車補充完了以降も所要増による増備や5261形、5311形の代替もあって、1999年度までに4両編成9編成が導入されました。車体は8000系後期型に近い普通鋼製ですが、カラーリングは長らく続いた“青胴”から、上半アレグロブルー、下半シルキーグレーの新色が採用されました。機構面では阪神電車初となるVVVF制御とボルスタレス台 車を採用しています。性能的には、普通車故に従来の普通車同様、加減速性能を高めたものとなっていますが、起動時の加速性能を若干落しつつ高速域の伸びを持たせています。また、車輪径は一般的なサイズとなっています。製造は武庫川車輌と川崎重工の2社があります。
現在、普通車の最大勢力となっています。
9000系9206の須磨浦公園行き特急
山陽電車直通の特急ですが、須磨浦公園駅発着と東須磨駅発着となる列車は種別表示こそ特急のままですが、三宮駅以西各駅停車となります。また、乗務員も山陽電車の乗務員と交代せずに阪神電車の乗務員が車両ごと乗り入れます(山陽姫路方面への直通特急は神戸高速線内の高速神戸駅で山陽電車乗務員と交代)。
5331形5340の高速神戸行き普通
5331形は、1961年度から1962年度に導入された5231形の台 車と主電動機を流用して1981年度から1983年度にかけて導入された普通車です。
第二次オイルショックの影響から省エネルギー化が求められるようになったことから、電機子チョッパ制御を採用、電気ブレーキも回生ブレーキを採用しています。同様の経緯で5131形も登場していますが、両者の違いは電機子チョッパ制御装置のメーカーの違いのみで、それぞれ5331形が三菱電機製なのに対し、5131形は東京芝浦電気(東芝)製となっています。
5231形の廃車と5331形・5131形の導入により、阪神電車では1983年度に大手私鉄初となる全車冷房車化を達成しています(但し、武庫川線で運用されていた3301形は自車に冷房電源を持たなかったことから、1両で運転される同線では冷房が使用できませんでした。武庫川線を含めた全車冷房化は1984年度)。
当初は夜間の2両運転もあったことから2両編成で導入されましたが、1987年度のダイヤ改正で本線普通車運用の終日4両編成化が図られることとなり、1988年度から4両固定編成化が実施され、先頭車への前面貫通扉の非常脱出口化と中間組込車の運転台撤去・客室化、併せて前面と側面への表示幕装置が設置されました。5331形は5ユニット10両、5131形は7ユニット14両の陣容であり、ともに4両固定編成化により1ユニットずつ半端が生じてしまうため、両者混結の編成が出現しています。
阪神大震災では、2両が廃車(5337-5338)となり、件の混結編成5143-5144-5339-5340から5339-5340を確保して5335-5336-5339-5340の新編成を組成(5143-5144は5261形5269-5270と組み合わせて5143-5144+5269-5270の混結編成を組成)、現在は2編成8両の陣容となっています。
8000系8220の甲子園行き急行
8000系は、1983年度から導入された急行系車で、阪神電車初の6両固定編成です。
それまでの阪神電車は1・2・3・4両の固定編成を適宜組み合わせて運用していましたが、8000系では他形式・他編成との併結を考慮せず6両固定編成として運用(ユニットとしては3両)することを前提に開発されました。最初に導入された1編成は3801・3901形に準じつつも前面貫通扉周囲の貫通幌などを省略した外観でしたが、1984年度に導入された2編成目からは大幅なモデルチェンジが図られ、阪神電車のイメージを大きく変えました。
性能的には改造車3000系に続いて界磁チョッパ制御を採用、ブレーキ関係も従来車との連結を考慮しないことから電気指令式となりましたが、従来車との操作性の違いをなくすためかワンハンドルマスコンの採用などはなく、縦軸式の2ハンドル型を踏襲しています。
1984年度以降、1950~1960年代に導入された急行系車の代替のため1994年度までに6両編成21編成の126両が導入されました。導入が長期に亘ったことから、幾度かのマイナーチェンジがあり、外観のみならず内装もいくつかのバリエーションがみられます。
126両という数字は、いうまでもなく阪神電車最多の車両ということになるのですが、これは当然、阪神大震災での被災廃車の数にも表れていて、21編成中10編成が被災し、15両が再起不能となり廃車されています。復旧に当たっては、車号や導入時期が揃わない編成が出現したほか、3両の代替新造車が出現しています。
1998年2月15日から始まった山陽電車との直通運転(梅田駅~山陽姫路駅間・直通特急)に際しては、9000系とともに直通対応車となり、山陽電車で必要な機器の設置などが施工されましたが、編成前後で形態の異なる8523~8502編成(8102-8002-8502は1983年度導入の1編成目の生き残り)は直通運用車から除外されました。
2001年度からは当時の最新型急行系車9300系に準じたリニューアル工事が開始され、一時中断したものの現在も継続されています。詳細は割愛しますが、リニューアル工事ではカラーリングが変更され、9300系同様の上半プレストオレンジ、下半シルキーベージュのツートンカラーに改められました。
現在、リニューアル工事未施工の編成は2編成を残すのみとなり、最近では鉄道趣味誌だけでなく新聞などでも“消えゆく赤胴車”のような記事が散見されています。
2000系2210の高速神戸行き特急
2000系は1970年度から1972年度にかけて導入された7001・7101形と7801・7901形を種車として添加励磁制御に改造した車両です。1990年度から1993年度にかけて7001・7101形全車と7801・7901形10両が6両編成8編成に改造されました。
改造にあたっては、前述の制御方式の他、6両固定編成化(先頭車の貫通扉を非常脱出口化と中間組込の先頭車運転台撤去と客室化)、内装更新、2203~2204編成以降はLED式車内表示器設置などが実施されました。
阪神大震災では8編成中5編成が被災し、再起不能な12両が廃車となり、6編成36両に再編成されました。
2007年度以降、近鉄直通用として導入された1000系に代替される形で廃車が始まり、2011年度までに全廃されました。
ところでこの車両、前照灯の位置が左右でずれているということで地元ファンの方には有名らしいですが、なぜこうなってしまったのでしょうか?
7101形7110だった頃は正当な位置だったらしいですが・・・
5131形5134の高速神戸行き普通
5131形は5331形同様の経緯で導入された車両です。
4両固定編成化により5331形5339-5340と組合わされた5143-5144は、震災後の組成変更で5261形5269-5270と組合わされ、編成前後で異なる車体形状や相棒に表示幕装置がないことから宝の持ち腐れな表示幕(常に“普 通”表示)などに特徴がありました。1999年3月に5269-5270に先立たれてからは5311形5313-5314と組合わされ、5550系導入により2010年度に廃車されています。
現在は4両編成3編成の12両が活躍しています。
8000系8238の梅田行き急行
8000系は幾度かのマイナーチェンジを繰り返していますが、1990年度導入の8233~8234からは側窓拡大と連続窓化、座席の占有幅拡大とバケットシート化、車内LED表示器設置などがなされています。
山陽電車5000系クハ5611の山陽姫路行き直通特急
山陽電車5000系は、旧型車置き換えのために1986年から導入された車両です。当時、国鉄が採用した添加励磁制御を採用し、山陽電車初の回生ブレーキ車となりました。車内は片側3扉車ながらも扉間に固定クロスシートを採用(後年の増備車で転換クロスシート採用)し、当初3両編成で導入され普通車専用として活躍しましたが、4両編成出現により特急にも進出するようになり、1991年度からは6両編成が登場しました。
直通特急運転開始にあたって、阪神直通対応機器設置などの改造を施工しています。
直通特急は運転開始当初、阪神電車の10分サイクルのダイヤと山陽電車の15分サイクルのダイヤの最小公倍数である30分間隔で設定されましたが、2001年以降、山陽電車の特急を立て替える形で増発され、現在、山陽電車の特急はないに等しい状態となっています(阪神電車では、30分間に3列車ある特急のうち、2列車を直通特急とし、残り1列車を特急として存置)。
山陽電車からは、この5000系のほか、5000系を基にVVVF制御とした5030系が直通特急に充当されます。
3000系3212の梅田行き特急
3000系は1963年度から1964年度にかけて導入された7801・7901形24両と1966年度から1969年度にかけて導入された3521形12両を種車に1983年度から1989年度にかけて界磁チョッパ制御・回生ブレーキ・抑速ブレーキ装備に改造した車両です。
種車同様、3両編成のまま改造(3両編成12編成)されましたが、1991年のダイヤ改正により急行系車の5両編成運用がなくなってからはほぼ6両固定編成扱いとなりました。
阪神大震災では6両編成2編成が被災し、1編成(6両)が廃車されました。
電装品は3000系化に際して新調された物が多いものの、車体は7801・7901形初期車のもので経年が高いことから、1997年度から2002年度にかけて廃車されています。
貫通幌付きの前面に特急マークを掲げた誇らしげな特急も過去のものになってしまいましたね。同系の車体を有する7861・7961形が3901形を改造した7890・7990形と共に武庫川線では今なお現役ですが本線では・・・
8000系のリニューアル着手から13年で本線の赤胴車がなくなるとはだれが想像したでしょうか・・・