進藤龍也牧師のヤクザな日記

進藤龍也牧師のヤクザな日記

私がヤクザから牧師になった人生が真実の様に聖書の話はありえない!信じられない!ような真実の話です
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パウロの胸の苦しみわかるなぁ


[テサロニケ人への手紙 第一 3:8]

あなたがたが主にあって堅く立っているなら、今、私たちの心は生き返るからです。


[第三版]

あなたがたが主にあって堅く立っているなら、今、私たちは生き甲斐があります。


観察

使徒パウロたちの預言の通りテサロニケ教会の中にあって、苦しみや苦難がおそいかかった。預言があったからこそ、より一層、その問題に立ち向かえたり、対処できたと思う。


いろんな苦しみを通って、テサロニケの聖徒たちは、1つとなって、霊的な成長を遂げたと思う。もともとよく聖書をよく調べる群れだったと書いてあるし、ただそれを実行するのは本当に感情が邪魔をする。しかしそのことを通り抜けて、信仰に固く立ったと言えるのではないか。


苦しみを通る中で、自分が開拓をしたその教会が苦しむ事は、我が心を苦しめる。群れが一致している時に【生きがいがある】とか【生き返る】というパウロの言葉、思いは本当によくわかる。


自分が責められるとよりも、兄弟姉妹たちが諍いを起こしている方が、私はとっても辛い。


適用と祈り

[テサロニケ人への手紙 第一 3:10,11,12,13]

私たちは、あなたがたの顔を見て、あなたがたの信仰で不足しているものを補うことができるようにと、夜昼、熱心に祈っています。

 どうか、私たちの父である神ご自身と、私たちの主イエスが、私たちの道を開いて、あなたがたのところに行かせてくださいますように。

私たちがあなたがたを愛しているように、あなたがたの互いに対する愛を、またすべての人に対する愛を、主が豊かにし、あふれさせてくださいますように。

そして、あなたがたの心を強めて、私たちの主イエスがご自分のすべての聖徒たちとともに来られるときに、私たちの父である神の御前で、聖であり、責められるところのない者としてくださいますように。アーメン。


























第一回能登支援報告

元旦に起きた能登地震、心を痛めつつ、第一礼拝の献金全額94,300円内灘聖書教会に送金する。と言うのは、その教会が支援ベースとなっているからだ。

3.11の仲間の1人五十嵐さんからの要請があり一緒に行きませんかと声がかかる。人とのつながりが多い私なので、広報活動を兼ねて一緒に動いて欲しいと言う要望であった。

罪友教会の素晴らしさは、私が出発する。土曜日の朝までにたった二日間で七尾市の七尾聖書教会のリクエストと能登市の障害施設のリクエストの品物をステップワゴン満載になるほどに集めてくれたことである。金曜日の前日の夜に青山牧師、親子と教会員2人が段ボールに箱詰めをしてくれたことも本当に助かった。



初日

土曜
朝4時半に起きて5時に出発、運転に買って出てくれた林兄弟を連れていざ石川県へ!内灘聖書教会まで450キロ。これは南三陸町までの距離と一緒である。全く持って東北支援活動を思い起こす。長野県に入ると大雪。富山県に入ると粉雪、石川県に入ると吹雪。やっとこさとこ待ち合わせの金沢市のファミレスに到着。今後の打ち合わせを兼ね食事。

作戦を練った後、七尾聖書教会まで90分のドライブ。道は地震でボコボコ。所々家はつぶれ塀は倒れ、宮城県のように電車が止まったままだった。




七尾市の七尾聖書教会に支援を下ろし、牧師先生ご夫妻と歓談し私たち能登町の礎会に支援物資を運び、能登町長に挨拶を済ませた。




宿は金沢駅前のスーパーホテルで4人1部屋の2段ベット2つ並べた部屋。そしてなんと1人4000円素泊まりということで50からみのおっさんが修学旅行気分で爆笑しながら寝た。

2日目
翌日は、内灘聖書聖書の礼拝に参加してご挨拶。酒井牧師と再会,そしてボランティア関係の会うべき人と会い、ボランティアの広がりを確信する。昼食を食べた福天で、今日の宿をゲットし、高級旅館なのに格安で泊めてもらえることになり滞在中はそこにした。





3日目
内灘聖書教会に行く。そこには九州キリスト教災害本部からイチキさんと言う方が能登ヘルプと言う団体を統括するにあたり、分かち合いの時間を持とうということで、話し合いの結果、お互いに協力しあっていきましょうということで話がまとまる。また倉庫のほうはいっぱい状態で物資の受け入れをストップしている状況とのこと。しかし能登に20人の孤立集落があり、そこに水と簡易トイレを運んでほしいとの要請をもらい運ぶことになる。この情報は、私たちからの独自のものであるが、イチキさんからの物資を持っていくことにする。







能登ヘルプの倉庫のスティーブさんも、いちきさんも私とやっと会えた!と言ってくれたのが嬉しかった。話がスムーズにいくからだ。
その物資を分けてもらいつつ、なんと簡易トイレが欲しいとの要望があって輪島市まで運ぶ予定であったのだが、水を3トントラックに運んでいる間に、簡易トイレが到着して6個の簡易トイレを持っていくことができた。それにしても輪島の街並みは酷かった。3.11を思い出す。

輪島市は大変な状況だった。それでも老人福祉施設二箇所に届けることができた。とてもとても喜ばれた。それだけで遠い道のりを運転し、また雪の中を走っている苦労が報われた。

帰り道、二上英治の存在をふと思い出して連絡をしてみる。その連絡と言うのは、私たちの代わりに現地に残り、ボランティアや物資の管理者になっていただくことである。震災のことですぐに動いてくれることになり、明日七尾市で待ち合わせることに。



4日目
七尾聖書教会で待ち合わせた二上とともに奈々市役所に行く。アサヒ飲料といのちの水からの7000ケースの水の受け入れのマッチング成功。
拠点の一つとなる七尾聖書教会の梶山牧師一家との食事会だが、店舗に選んだはま寿司のエリアマネージャーは私のことを知っていた。と、いうのは母がクリスチャンだということで!みんなで記念撮影。そして、従業員も被災されてきるので、イカピーとみんなの分を振る舞う。








七尾市役所には水をもらいに来る人が後をたたなかった。

5日目
デボーションしてノンクリスチャンの家主と祈りを捧げてチェックアウト。丸亀製麺でランチしてお別れ!一路、川口市へ帰宅。高速代金片道1万円。


【続けてきてもらいたいという要請】
高速道路片道1万円でした。
今後の支援は続けていくことみたいです。

私に来てもらいたい理由の
1つは、運搬の車両

2.どこに行っても、クリスチャン団体の担当者が顔を知ってくれていると言う事で話が早い

3.出会うノンクリスチャンが知っていてくださることが多いので伝道がしやすい。

というところでしょうか。

支援する方を支援する支援が今後も必要です。3.11と同じですね。そのようなことを呼びかけて、往復する資金、滞在する資金を呼びかけて、あるいは集めてくださると嬉しいです。










罪人の友 主イエス キリスト

ビブロス堂の集会の後に近隣の牧師とフェローシップしたいということで私の友人牧師たちに声をかけましたら、来てくれる人ばかりで私は本当に感謝でした!


治療の合間にビブロス堂に来てくれたウィルチャーチの宮崎牧師夫妻、

仕事で来れなかったロックオンザチャーチの白上牧師にも感謝!
















土曜日は観光だけだったので、万座毛と美ら海水族館に行きました!













帰ってから夫婦でリンケンバンドを堪能しました!






神も変わらないが悪魔も変わらない。ダビデとアブシャロムの違い、、、


[サムエル記 第二 15:13]

 ダビデのところに告げる者が来て、「イスラエルの人々の心はアブサロムになびいています」と言った。


観察

我が子アブシャロムの謀反!発端はダビデ王自身の姦淫の罪と計画的殺人による。


[サムエル記 第二 11:27]

喪が明けると、ダビデは人を遣わして、彼女を自分の家に迎え入れた。彼女は彼の妻となり、彼のために息子を産んだ。しかし、ダビデが行ったことは主のみこころを損なった。


【神も変わらないが悪魔も変わらない】

悪魔が現代にも異端と呼ばれるキリスト教を用いて、キリスト教を分裂させたり、乗っ取りを行う手法と同じである。

アブシャロム王子が赦されて帰国したのち四年かけて住民の心を盗んだように、異端のタラっパンも既存教会へ潜り込み、乗っ取ってしまう。あるいは、牧師を韓国に招待して絶対漬けにして引き込んでしまう。


異端ではなくても、去っていく教会員が多くを引き連れていくことがよくある。辛いことだ。


【ダビデにあってアブシャロムにないもの】

それは悔い改めの心、素直な心、そして赦す心。また、王であり親に対する不平不満を解消することなく、間違った手法で取り返しのつかない謀反を起こす。現代で言うなれば教会分裂、教会批判、牧師批判である。


人間関係、親子関係の修復を図ることなく立てられた權威に従順することなく、潰そうとする姿は父であり王であるダビデとは真逆である。


適用

正しく怒りは表現すること。

感情ではなく、霊【神】に聴くこと。

取り返しのつかないことはしないこと。


祈り

夫婦の時間が取れました。問題から問題と忙しないようですが、改めて同じ方向を向く同じ船に乗った教会達に感謝と尊敬を表します。あなたが与えてくださった一人一人ですから、大切に生かされますように。アーメン


写真はカウアイ島からのメッセンジャーMatt牧師

私が兄貴としたう元ドラッグディーラーの牧師


















各地の文通相手から、さん付けで呼ばれるようになったと聞いてはいたが、、、


府中刑務所でも受刑者への「さん」付けが始まっており、


受験者には担当のことをオヤジと呼びますが(全国共通)「担当さん」と、呼ぶように指導が入ったようです。


私が初犯の頃に、シャンプーと電子カミソリが使えるようになったのを覚えています。平成3-5年だったかな?












文通を始めてキリストを信じ、そして無料のキリスト教の通信講座をしている受刑者からの手紙である。


今日は4通しか書けなかったけれども、真摯に真面目に答えたので、感謝。足りない時間を削っても、このことを私がしなければならない。




それぞれ友人でありましたが安カ川さんが教会にいた頃、まだ廣瀬満さんとは接点がなかったようでした。


セッションできたらいいなと祈ったことが叶ったという喜び。クリスチャンジャズ演奏者3人が地元蕨でやってくれました。


クリスチャンジャズ演奏者

ピアニストの広瀬満さん

ベースの安カ川さん

サックスさんのサックスのジャズを堪能してきました。


教会の礼拝でのお付き合いばかりで初の演奏を聴くという、、、


演奏者全員ガチな礼拝者であることが私が聴きに行く価値があると思うところ。











クリスチャンが一番葛藤する赦し


[マタイの福音書 18:35]


あなたがたもそれぞれ自分の兄弟を心から赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに、このようになさるのです。」


観察

ありえない1万タラント(1タラントは約6千万円)の借金免除(罪の赦し)のお話の結び、締めのみことば。


【信仰】

クリスチャンが信仰上で 1番葛藤するのが赦しの問題だと思う。自分が無条件で赦されているのに、誰かを赦すことができない。しかし、その葛藤の中で赦したいと願っているのなら、それは信仰である。


【今の時代】

愛が冷えると預言されているように、ちょっとしたことで人間関係を回復しようとすることをせず、自分の罪に対してスポットを当てようともせず、すぐにSNSなどで相手を貶める。愛がないだけではなく、人間関係を切ってしまう。何事もインスタントに考え、インスタントに作ろうとする。また、インスタントに切り捨ててしまう世の中にあって愛を実践する群れでありたい。愛とはなんなのかを求め学び実践していく罪人の友 主イエス・キリスト教会でありたい。


適用

無条件で赦されたのだから、無条件で赦すことを心指す。赦すことをあきらめない。心がついていかなくても

「愛します。赦します。祝福します。」を口に出し告白してゆく。


敵を愛する愛を神に求めていく。


祈り

聖書を読むときに、古代の信仰者たちも同じように苦しんできたことを学びます。あなたがくださったこの聖書を通して私は力を得、愛を得、信仰をいただき祈ることができることに感謝します。この群れの出入りする術を教えてください。アーメン














自分の十字架を歩むとは?


[マタイの福音書 16:24]


 それからイエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。


【十字架の意味】

ここで書かれている十字架の意味は2つある。自分の罪のために代わりとなってくださったキリストのために生きること。そしてもう一つは自分の使命に生きることである。つまり神様がこの世に送り出した、その計画の人生を歩むことである。最初はもしかしたら自分の意にそぐわないかもしれない。しかし、御心とマッチした生き方は充実する。


【苦難でも幸せ】

この自分の十字架を負う。人生と言うのは、パウロのように苦難から苦難への人生であったとしても充実していると言える。また弱い時にこそ私は強いと言える。本当の強さとは感情に振り回されないことであり、ぶれない人生であり、ぶれても戻る人生である。正しく理解し、正しく判断して正しく行動できること。


【苦しみの中で成長したダビデ】

私が口癖にしている、みことばがある。

毎年、この時期になると、通読箇所で読むから今年も書く。


[サムエル記 第二 4:9]新改訳第3版

「私のいのちをあらゆる苦難から贖い出してくださった主は生きておられる」


適用

十字架を歩む。人生とは、まさにダビデのこの信仰告白である。あらゆる苦難から助け出される神は生きておられるのである。


見返りを求めない愛とは何と平安であろうか。たとえ期待通りがなくても裏切られても教えたことを守らなくても平安である。正しいことを誠実に行っている事は神様がご存知である。


祈り

あなたは生きておられます。なんと幸いな人生に私は変えられたことでしょうか。感謝しかありません。あらゆる苦難や迫害から私の命と私の働き場を拡大してくださった神は生きておられます。アーメン