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エマニュエル・カントという哲学者の書いた

 

『純粋理性批判』という哲学書がある。

 

読みはじめて、もう1年くらいなのだが、ようやく中巻を

 

読み終わりそうだ。

 

1日に、3~5ページくらいしか読み進めることができない。

 

 

 

 

 

学生時代から持っているのだが、何度も挫折して、

 

ようやく読めるだけの哲学的な読解力がついた。

 

 

実力がついたということだと思う。

 

 

『純粋理性批判』の解説書は沢山出ている。

 

私も何冊か読んだ。

 

 

全然役に立たない。

 

 

哲学書は、抽象的に書いてある。

 

ものごとの、原理を説いている。

 

 

 

だから、自分で抽象論を具体的な話に落とし込めないと理解できない。

 

 

あまり、このことを指摘する人はいないのだが、

 

ここが哲学書を読むポイントだ。

 

 

新聞記事には哲学的問題があふれかえっている。

 

 

例えば、目下報道されている座間の事件

 

 

なぜ、容疑者は、9人も殺したのか?

 

なぜ、自殺願望をもった人がいるのか?

 

なぜ、関係者は、もっと早く事件に気づけなかったのか?

 

今後、同じような事件が起こるか? 同じような事件はあったか?

 

この事件が起こる客観的な社会条件とは何か。(SNSの普及など)

 

同様の手口で、人が集められて被害にあっているケースはないか?

 

容疑者は異常人格なのか?

 

 

ざっと例を上げれば、こんな感じだが、

 

とくに、SNSが普及してからの犯罪は、特徴がある。

 

「匿名性」と「無差別」である。

 

本当の名前がわかなない匿名の人格によって

 

見ず知らずの人間が無差別に巻き込まれるということだ。

 

 

ネット上のコミュニケーションは、匿名性と無差別というレバレッジで

 

爆発的に拡大する。

 

 

オンラインゲームでも、オークションサイト、ネットのFXや株取引などでも

 

プラットフォームは「匿名性」と「無差別」と前提としている。

 

 

 

現実の社会も、その匿名性と無差別に引きづられていくので、

 

犯罪も同じく、匿名性と無差別が特徴になってくるのだろう。

 

 

話は変わるが、「実力をつけて夢を叶えたい」というのも

 

なんだか、ネット特有の現象である。

 

 

歌ったり、絵を書いたりして、注目を集めたいという若者が多い。

 

ネット上に溢れかえっている。趣味の領域でやっていながら

 

あわよくばプロデビューして、業界の人間になりたい。

 

そんなふわっとした感じの人が、たくさんいる。

 

 

歌や絵の実力は、努力の部分と、持って生まれたセンスや才能の部分がある。

 

 

 

しかし、幸か不幸か、ネットの世界は、アマチュアでもそこそこ活躍できるので

 

チャンスがたくさん転がっているように思える。

 

 

 

匿名性と無差別というのが、海外にまで広がっているので、

 

まぐれでも、ワンチャンあるんじゃないか? という淡い期待を掻き立てる。

 

 

この淡い期待というのが、魔物である。

 

 

 

一昔前なら、さっさと諦めていた才能のないクリエーターが

 

期待とナルシシズムをこじらせて、自傷と他罰のかぎりをつくしている。

 

 

 

また、そこそこの実力をつければ、そこそこのクオリティーでも

 

売れるのではないかという、気をおこさせるという点で、

 

ネットの世界は、人に何かをあきらめるのに適さない空間である。

 

 

 

たしかに、一回くらいなら、手段を選ばなければ

 

そこそこ知名度だけをたかめることはできるから、ネットは厄介だ。

 

 

まぐれであっても、複雑なプロモーションを組んでいても

 

一回くらいなら、知名度あげることができてしまう。

 

 

その一回すら、今までなかったのに、

 

今はその一回すらないということはない。

 

 

 

手段を選ばなければ、コンビニのアイスの棚に寝転んだり、

 

コンビニのおでんをツンツンしたりすれば、有名になれる。(犯罪だが)

 

ここでも、やはり、匿名性と無差別が、ポイントである。

 

 

被害の程度を差を、考慮しなければ、

 

おでんをツンツンと座間の事件に、どれほどの距離があるのだろうか?

 

 

わたしはあまり、遠くないのではないかと思う。

 

 

 

つまり、

 

人生で一回とんでもないことやって、退場していく人間。

 

 

こういう人間は、今後も、つぎつぎと現れる。

 

 

ネットからの退場ならまだいいが、人間社会からの退場のケースも

 

1年に一回くらいのペースで起こりはじめている。

 

 

ネットの匿名性と無差別は、人でなしにとって最大の武器になってしまう。

 

 

中途半端な実力しかない、夢破れた人でなしが、

 

人生最後の大勝負に出たとき

 

人間社会で未曾有の大惨事が、現実のものになる。

 

 

出世をあきらめたサラリーマンが、泥酔してあばれたあげく

 

駅のホームで制止する駅員を殴りつけるのとわけが違う。

 

 

酔っ払いなら、せいぜい、一晩の留置場行きだ。

 

 

だが、現在の夢破れた人でなしは、ネットを悪用して、簡単に何十人も殺してしまう。

 

匿名性と無差別ゆえの現象だ。

 

 

私は自戒を込めて思うが、ネットで活動しても、何もしていないのと同じだ。

 

 

ネットで何か発信すれば、匿名性と無差別せいで、なんらか反応はある。

 

 

その反応をいちいち真に受けていると、やばい。

 

実力も才能もないのに、それが、実力や才能だと勘違いしてしまうのだ。

 

 

 

とりわけ、実力信仰は怖ろしい。

 

ネットである程度の反応がある程度のことは、実力でも何でもない。

 

 

 

学芸会のお遊戯みたないものであって、世間からすれば

 

「ぼくちゃん、おもしろいこと、やってまちゅねえ」くらいのはなしだ。

 

 

あるいは、「こんなバカがいるのか」というだけのことだ。

 

 

基本そうだと肝に銘じないと、とんでもないことになる。

 

 

おでんツンツンがいい例だ。

 

 

一過性の人気が、ぐるぐる回っているのが、ネットの世界だ。

 

 

自然界の動物は、実力をつけようと努力して生きているだろうか。

 

シロクマは、実力をつけて、極寒の世界を生き抜いているのか。

 

 

あれはあれで、長い間かけて、適応してあの過酷な環境で生きているのだから、

 

他のシロクマより努力して、ああなったわけではあるまい。

 

 

一世代で、努力して実力を養って、氷山で暮らしているのではない。

 

 

人間は、与えられた環境の中で生きている。

 

南国の人は、一日中ブラブラしている。

 

働かなくても、食べ物が手に入るからだ。

 

 

一方、北国の人は、漬物つけたり、食べ物を燻製にしたり

 

冬場の食料を貯蔵するために、せっせと働かなければならない。

 

 

世代を超えて生き抜く知恵を身に着け、

 

それぞれのやり方で生活している。

 

 

実力というのは、何世代の間で培われるもので、

 

一代の努力で、急激に発展することはない。

 

 

人類は、知恵をシェアして、ともに発展してきた。

 

ネットの匿名性と無差別にあぐらをかいて

 

自分だけ勝ち抜こうという考え方はセコい。

 

 

カントは、具体的にそんなこと書いてないけど、

 

カントの哲学は、以上のようなことを考えるヒントをくれる。

 

 

 

そこそこの実力でブレイクしたいという思考には、

 

自分だけが、豊かでありたいという独善性が垣間見える。

 

 

 

ネットだけの有名人というのは、その独善性の臭いがプンプンする。

 

 

 

 

お前もプンプン臭ってるよ、と言われないように気をつけたい。

 

 

オレは、おでんはつつかない! これがオレの実践理性だ。

 

 

北極のシロクマはおでんをつつくか? つつかないだろう。

 

 

 

動物園のシロクマなら、おでんをつつくかもしれないが。

 

 

 

(おわり)

 

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問題には、答えが含まれているというのが私の持論である。

 

人間は、自分の力では解けないような問題を

 

そもそも、設定できない。

 

必ず、解けそうな問題だけを設定している。

 

 

私が小学生の頃に、酸性雨で地球の森が全部枯れるとか

 

オゾン層が破壊されてみんな皮膚ガンになるとか、

 

盛んにテレビで放送していて、子供心に

 

うわぁ、マジで「うつ」だわあ、と感じだものだ。

 

 

あれから30年。

 

 

 

酸性雨とかオゾン層破壊とか、どうなったんだ。

 

問題になってないどころか、

 

解決されたという話も聞かない。

 

 

あれから30年。

 

 

フロンガスを規制して、オゾン層の破壊は止まったのだろうか?

 

よくわからない。今も破壊されて紫外線が降り注いでいて

 

皮膚ガンの発生は増えているのだろうか?

 

 

また、ドイツの森が酸性雨に侵されて、破壊されてゆくイメージ映像を、

 

小学生の頃のテレビで、さんざん見させられて、

 

今でも鮮明に覚えている。

 

 

ありゃ、何だったんだ。

 

 

 

酸性雨で言えば、中国ではまだ石炭を燃料にして焚いているのだから

 

さぞかし、今も、世界には酸性雨が降っているはずである。

 

しかし、酸性雨の話は、忘れたのか、もう誰もしない。

 

 

現在は、酸性雨もオゾン層破壊も、

 

「地球温暖化」で、まとめられているのだろうか?

 

よくわからない。

 

 

50代以上の人に尋ねてみるとわかるが、

 

この人たちは、いずれ核戦争で世界が滅亡すると

 

かなり本気で思いながら生きてきたそうだ。

 

 

しかし、核戦争は、実際は起こっていない。

 

 

 

昔、核戦争で、いずれ地球が滅亡すると主張してきた人は、

 

今盛んに、このままでは環境問題で、人類は滅亡するとか

 

社会問題で、日本は滅びると言っている人たちと

 

問題設定のあり方に関して、本質的にどう違うのだろうか?

 

 

 

こういう問題設定をする善意の人たちは、

 

(まあ、偽善者だが)どの時代にも一定数いる。

 

 

半数くらいは、まともなのかもしれないが、あと半分の市井にいるのは、

 

自分の頭を支配している恐怖で、ヒステリーになっている愚かな人間だ。

 

 

この愚かな人間は、SNSに大量に湧いている。

 

 

バファリンではないが、彼らの脳みその半分が、独善的なやさしさで、

 

そして、あと半分は、自己正当化で出来ている。

 

だから厄介だ。

 

 

そもそも、彼らの問題設定は、どこかピントがずれているのだから、

 

彼らの導き出す答えは、畢竟、核戦争など、人類滅亡に関わるものになるだろう。

 

 

 

なおかつ嫌だなあと思うのは、SNSに湧く、この愚かな人間たちは、

 

最悪の事態を想定しながら、誰よりもその最悪の事態の到来を

 

どこかで願っているフシのある複雑なメンタリティーの人間なのである。

 

 

貧にして乱を好むというか、自分の思うに任せない世の中が、天罰として

 

滅んでくれればいいと、どこか、マジで思っているらしい。ひそかに。

 

 

預言者体質の人でもある。エセ預言者に似ている。

 

預言を持ってまわってあるく、自己愛的パーソナリティーである。

 

何を生業にしてい暮らしているか怪しい連中だ。職業、預言者かもしれない。

 

 

ハルマゲドンが起こると、本気で信じていた人たちと同じである。

 

 

 

1999年7月に、恐怖の大魔王が降ってこなければ、彼らは役割も

 

存在感もなくなって、それぞれ普通の生活に戻っていった。

 

 

今盛んに、問題をぶち上げる人たちも、予測だか予言が外れて、

 

年月がすぎれば、だんだん声が小さくなるのではないだろうか?

 

 

気がついたときには、ほかの問題に乗り換えて

 

しらばっくれて、別の脅威を、煽りだしたりするだろう。

 

 

はずれたとしても、預言をはずした預言者のように、

 

もっともらし言い訳をあみだして、

 

ほそぼそ活動を続けるだろう。中傷されながら。

 

 

彼らは、オオカミ少年と同じで、実際に狼がやってきたときは

 

テンションマックスで、まっさきに自身が、最初に狼の餌食になる。

 

 

 

それが、本望だったりする。自己欺瞞とは、そういうものだ。

 

 

あるいは、「ほら俺の言ったとおりだ!」と、

 

愚かな大衆を、そのときになって侮蔑するためだけに

 

滅亡の到来を待ちわびて、一生過ごす人もいるだろう。

 

 

そういう意味では、自己正当化というのは、死に至る病である。

 

 

それはさておき、自分の手に負えない問題を個人が考えても

 

時間の無駄であるのではないかと、今の私は思う。

 

 

とりわけ日本の社会問題に関しては強く思う。

 

 

「大学教育の崩壊」とか「少子高齢化」とか「地方消滅」とか

 

数え上げればキリがないほど、いろいろな、社会問題はあるのだが、

 

社会は、いつだってその時代に、社会問題を抱えてきたわけで、

 

それによって、人口が減ったり、人類が滅亡しかかったのかと言えば

 

あんがい、そうでもなくて、現在に至っている。

 

 

 

以前の記事でも書いたが、『安政の大獄と攘夷とコレラ

 

安政の大獄の頃、コレラが流行って、1年で3万人も江戸の住人が死んだが

 

江戸の人口は、それでも増えたのである。

 

 

だいたい、今話題の『少子高齢化』なんか30年前には、

 

予測できていたはずだ。

 

解決策を真剣に考えてこなかったということは、

 

さほどたいしたした問題では、ないということだ。

 

 

じいさん、ばあさんも、介護されないとなれば、

 

健康で長生きするように全力尽くすだろう。

 

あるいは、力尽きて、社会の片隅で介護もなく

 

看取られることもなく、ひっそり死を迎えるだろう。

 

 

それは、野生の動物と同じことだ。

 

人間は死を避けられないのだから、いくら長生きしようが、いつかは死ぬ。

 

人は、常に死とともにある。

 

だから、死が人間の社会秩序を崩壊させることはない。

 

 

高齢者の介護や死は、社会問題である以前に、

 

あらゆる人間に共通な実存的な問題だ。

 

 

他人の老後を管理するという発想が、社会問題を生み出す。

 

 

子どもが少ないとなれば、少ない子どもを大切に育てるだろう。

 

育てられない子どもを、無責任に産むより、マシじゃなかろうか。

 

 

歴史を振り返れば、

 

人口が増えれば、失業者があふれて、革命が起こったり、

 

内政の失策を外に転化して、戦争になったりするリスクがある。

 

 

 

少子高齢化は、GNPなど生産性や成長率を下げるだろし

 

社会保障制度を崩壊させるだろうが、

 

だめになればだめになったで、個々それぞれに自力で生き延びる術を

 

考え出すのではないだろうか。

 

 

 

働きアリの話ではないが、普段サボっている1~2割の働きアリが

 

渋々働き出すかもしれない。

 

 

社会的動物は、分業して暮らすように遺伝子にプログラミングされている。

 

無駄に、競争して、淘汰しあって発展してきたわけではない。

 

 

 

 

結局、大切なのは、やはり自分の問題だ。

 

 

幸せになるとか、健康でありたいとか、

 

美しくなりたいとか、経済的余裕がほしいとか

 

個人的な問題は、生きている限り避けられない。

 

 

個人的な問題を二の次にして、社会問題に取り組むのは、

 

「食べても痩せる!」とかいう、自己欺瞞でしかないダイエット方法や

 

借金まみれなのに、投資顧問の仕事をしているみたいで詐欺師の手口みたいなもので

 

辻褄が合わない。

 

 

解決できない問題は、時間が解決する。

 

あるいは、遺伝子レベルのプログラムが作動して、自然に解決する。

 

あるいは、解決はしないが、どこかの落とし所に落ちるだろう。

 

人間にとっては調和でなくても、自然界では調和かもしれない。

 

その「調和」が破滅的に見えるかもしれないが、

 

人間にとって破滅なだけで、自然からすれば微調整だろう。

 

 

そんなの無責任だという声も聞こえそうだが、

 

太陽がなくなれば、人類は滅びる。

 

太陽のエネルギーだって、きっと有限なはずだろう。

 

 

将来おこるべき太陽の消滅を心配しても、どうしようもない。

 

それは、人間の力の及ばないことだ。

 

 

人間の力の及ばないことのリスクについては、人間は、正確に見積もれない。

 

だから結局、人間の設定する問題なんて、自分の力の及ばないことは無視した

 

都合のいいものでしかないはずだ。

 

 

 

人間が設定する問題は、そもそも解決できそうな範囲で

 

設定しているに決まっている。

 

 

 

あるいは解決できなくても、困らないような問題だ。

 

 

もしかしたら、解けない問題を設定して、儲かる人がいる。

 

オゾン層破壊でフロンガス業者は損したが、

 

フロンガスの代替ガスを作った会社は儲かっただろう。

 

 

ガス繋がりだが、

 

プロパンガスは、高いし、時代遅れである。

 

しかし、オール電化の世の中になれば、

 

災害時のプロパンガスの有用性も見直される。

 

 

世の中は、光と影の裏表だ。

 

裏ばっかり強調しても、バランスが悪い。

 

 

ただ、裏面ばかり強調して、社会問題煽るのが、

 

飯の種になっている人たちもいる。

 

 

週刊誌の中吊りなんか、半分は、人の不安を煽るような文句しか書いていない。

 

あとは「老後も死ぬまでS○X」とか、扇情的な見出しばかりだ。

 

どんだけ元気なんだか。。。

 

 

社会問題の過度な警告も、

 

富士急のアトラクション『絶望要塞』とたいして変わらない。

 

問題が、商売になっているケースも多い。

 

 

まずは自分の問題が優先だ。

 

自分の問題で、なおかつ解決できるものをバシバシ解決していくべきだ。

 

 

自分の問題をあらかた解決して、

 

余裕があるのなら、自分に関係ないような

 

社会問題に取り組んでもいい。

 

 

環境問題の究極的な解決は、皮肉なことだが、人類が滅亡することだ。

 

人がいる限り、環境問題は免れない。

 

 

本当にきれいな水と大地は、人間がいなくなれば実現する。

 

木星や土星に、環境破壊は存在しない。

 

 

人間がいるから問題があるのだ。

 

 

人間の世界の問題の根本的な原因は、人間が存在することに由来する。

 

 

人間は存在するに値するほどの生き物なのか? という問題だって

 

よく考えれば、そもそも解決できるのかわからない。

 

 

もしも、地球以外の惑星に、人間に似た生命がいたら、

 

その惑星にも、なんらかの環境破壊が存在するだろう。

 

 

由々しき問題だ。

 

 

でも、その問題の解決は、その惑星の住人に任せるべきだ。

 

 

この皮肉を噛み締めないと、心配ばかり増える。

 

(おわり)

 

 

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昨日、NHK Eテレのスイッチという番組で

 

いまベストセラーになっている『うんこ漢字ドリル』を

 

企画した古屋雄作さんという映像ディレクターの人と、

 

役者の古田新太さんが、1時間対談していた。

 

 

 

 

古田新太さんというのは舞台出身の俳優らしい。

 

最近は、バラエティー番組にもよく出ている。

 

 

私は、夜中しかテレビ観ないので、夜中によく見る。

 

彼は、『関ジャム』という、関ジャニ∞の音楽番組のレギュラーだ。

 

ハードロックが好きだそうで、ロック系の音楽のことも詳しい。

 

 

私は、関ジャニに興味はないけど、『関ジャム』という番組は

 

好きなので、テレビをつけて、放送していれば、全部見る。

 

 

 

 

最近は、ソフトバンクのCMでも見かける。

 

 

 

柄本明さんのように、セリフがなくても

 

「にいっ」と笑っただけで、伝わるような演技を目指しているそうだ。

 

 

そんなようなことを言っていた。

 

 

 

あと、古田さんという人は、いつも酒焼けしたような顔をしている。

 

最近、一億総健康&フィットネスが主流で、

 

テレビで見るタレントに、酒焼けしたような顔をした人が少ない。

 

 

演じることを仕事にしているんだから、

 

どっか、破綻しててほしいと思う。

 

 

規則正しい生活しながら、舞台俳優やってますというのは、

 

違和感がある。

 

 

四六時中演じることのストレスを、酒で紛らわせるような

 

繊細かつ、ひねくれたパーソナリティーじゃないと、

 

信頼できないような気がする。

 

 

古田さんは、8割の力で仕事をしていると言っていた。

 

一日、2公演あると、全力でやるのは、無理らしい。

 

 

大胆な、ワリキリである。

 

私が古田新太さんに好感を持つのは、

 

8割の力で、継続して仕事をやってる感じだと思う。

 

 

 

全力でやっているのを観ると、観ている方も疲れると思う。

 

 

手を抜いてるんだろうけど、そうだと思わせないくらいの

 

存在感がだせないと、中年以上の役者は、売れないんじゃないかとも思う。

 

 

この人に興味があったので、録画してみてしまった。

 

(ただ、途中で、やっぱり8割な対談だったので、観るのやめたけど。)

 

 

人間、8割以上の力で生きていると、

 

その部分で疲労が蓄積して、いつか、ポキって折れる気がする。

 

 

 

8割。

 

 

8割の感じでブログ書きました。

 

 

(おわり)

 

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昨晩、ツイキャス読書会が終わってから、酒飲みながら、NHKを漫然と見ていました。

 

若手お笑い芸人が、パンクブーブーと品川庄司の品川さんに2組ずつ弟子入りして

 

競い合うみたいな番組をやっていました。

 

 

弟子を指導しながら、「漫才は音が大切だ」と品川さんが

 

言っていたので、なるほどなあと思って見てました。

 

音とかリズムって、大切ですよね。

 

 

品川さんに弟子入りした女性の三人組が漫才やっていました。

 

試行錯誤があって、なんだか、この組が決勝行ったほうが

 

面白いのになあと思いました。

 

 

しかし、ネタのクオリティーが低すぎたのか、

 

彼女たちは、決勝に行けませんでした。残念。

 

 

その女性三人組は、ダメ出しされるとすぐ涙を流していました。

 

毎回泣いています。

 

 

男性のコンビは、泣かないですけど、

 

女性の涙は、汗みたいに出てきます。

 

 

その泣いている理由も、その回では、ボケ担当メンバーの女性が

 

自分が薄々思っていた、ボケの構成の弱さが、

 

やっぱり品川さんにダメ出しされて

 

最初から、自分の意見はっきり言えば、ダメ出しされる前に

 

直せてよかったのに、リーダーシップのある他の二人に気兼ねして、

 

はっきり言えない自分に腹が立って、落ち込んで

 

なんだか泣けてきた、みたいな感じでした。

 

 

まだ、成長段階の途中なので、色々足りないところがあって

 

泣いているのだから、

 

これはこれで、本人たちにとっては大切な経験なのかもしれません。

 

 

 

で、その後の放送で、個人スタイリストをやってる女性が出てきて、

 

依頼者の女性に、その人に似合う洋服をコーディネートする

 

という番組をやってました。

 

 

夫としか会話しないという40代なかばの専業主婦の人が、出てました。

 

 

その女性は、ずっと、自分は派手な服を切る資格が無いと思いこんで、

 

地味な服ばかり選んで着てきました、と告白していました。

 

 

せっかくスタイリストさんに素敵な洋服を選んでもらって試着して、

 

それが似合っていても、なんだか、浮かない顔をしています。

 

 

この浮かない顔が、美醜を越えて、残念な感じでした。

 

 

「自分は、派手なものを着てはいけない」という強烈な固定観念に

 

縛られているのです。

 

 

で、誰が似合わないかと言ったかというと、母親と、妹だそうです。

 

 

 

その女性の妹さんは、学生時代に、ファッション雑誌の読者モデルだったそうです。

 

母にその妹と比較されて、何を着ても、妹より似合わない姉であるという固定観念が

 

今でもトラウマになっていて、それ以来20年、派手なものを着ないという

 

そんなことをしゃべっていました。

 

 

何年前の話だよ、という話なのですが、

 

昔言われたことが、頭に矢のように刺さって、それが固定観念になって

 

あれから20年みたいな人が

 

結構いるんだなあと思いました。

 

 

これ、女性に限らないのかもしれません。

 

よく考えてみると、男性にも、わけの分からない固定観念で

 

何十年も自分を縛っている人がいます。

 

 

矢ガモっていますよね、矢が刺さったままのカモ。

 

あんな感じで生きているひとが、一定数います。

 

 

あるいは、かき混ぜてないヌカ味噌が、

 

乾いて、カチカチになって、石になったみたいな感じです。

 

 

 

矢ガモや石化したヌカ味噌が、一体何に由来するのか、不思議でなりません。

 

 

たいていは、恐怖心から生まれているのでしょうが、

 

何から何を守っているのかわかりません。

 

 

自分の殻っていうんですかね。箱ともいうか・・・。

 

 

誰にでもあるとは思いますが、自分の殻や箱は自分では見えないですね。

 

 

 

 

 

 

(おわり)

 

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子どもが、自分が独身時代飼っていたフェレットだと告白したという話をネットで読んだ。

 

2歳の子供が昔飼っていたペットだったと話しだした
 

この質問を「釣り」(返信をたくさんもらうための創作)とみるか、

 

実際にあったこととしてみるかは、別として、

 

人間の頭の働きというのが、どういうものかを考える上で、参考になる。

 

 

 

超自然的なこと(過去世とか、輪廻とか)の有無は、ここでは、おいておく。

 

 

私は、自分だったら、子どもがフェレットであるとしたら、

 

ちょっとやだなあと思うので、信じられない。

 

 

そもそもペットを飼っていないので、ペットへの感情移入がよくわからない。

 

ペットが好きな人は、自分の子どもが以前フェレットでも

 

それはそれで、アリなのかもしれない。

 

 

自分の子どもの過去世がフェレットであるということを

 

認められるか、認められないかも、問題になると思う。

 

 

認められれば、子どもの語ったことを信じるだろう。

 

認められなければ、何かの空耳で子どもの言ったことはスルーであろう。

 

 

信じるというのは、願望が入っている。

 

 

世界の因果関係を人間は全て把握できない。

 

 

どこかで、妥協して、あるていどの因果関係までで、世界を理解して、

 

何が真実や事実で、なにがフェイクなのか、判断している。

 

 

法律は、個々人の因果関係のすり寄せをベースとして作られている。

 

 

哲学というのは、その因果関係のメカニズムを、

 

それ自体、考察する学問である。

 

 

どこのラインまでの因果関係が妥当性があるのかを見極めないと、

 

物語というのは力を持たない。

 

 

このフェレットの話は、日本では、力を持っている。

 

ただ、イスラム圏だったら(笑)とかで済む話だろう。

 

あるいは、「インシュアラー(アッラーの神の思し召し)」となるのかもしれない。

 

 

文化や慣習で、受け入れられる素地が決まっている。

 

(アメブロにはスピリチュアル系のブログ多いですよね。)

 

日本人はマンガ・アニメが好きだ。

 

 

神話や、民間信仰は、物語を受け入れる日本人の共感力の在り処を示している。

 

(おわり)

 

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2017.10.22にイプセン『人形の家』でツイキャス読書会を開催しました。

メルマガ読者さんから頂いた感想文はこちら


私も書きました。

「自由からの逃走」

「イブセンの人物に似ているのは里見のお嬢さんばかりじゃない。今の一般の女性(にょしょう)はみんな似ている。女性ばかりじゃない。いやしくも新しい空気に触れた男はみんなイブセンの人物に似たところがある。ただ男も女もイブセンのように自由行動を取らないだけだ。腹のなかではたいていかぶれている」

夏目漱石の『三四郎』のなかで与次郎のセリフだ。
 
 ノラのように、夫との偽りの関係に気がついて、鳥かごからでていく現実的な決断を私たちは、ほとんどしていない。自由行動に憧れているけど、あくまでも腹の中だけの話だ。

 音楽やドラマや漫画のなかでは、自由に生きる登場人物を愛しているが、現実生活では、どうだろう? 野々宮さんに好意を持ち、振り向いてほしくて大胆にふるまったが、結局は、お見合い結婚してしまった『三四郎』の美禰子のように、我々も、しぶしぶ現実的な選択に落ちついている。

 自由に行動できるフリはしているが、ホントに自由かというと、全然自由じゃないんだな、これが。

 エーリッヒ・フロムじゃないけれど、むしろ『自由からの逃走』だ。

 『人間は自由なものとして生まれたが、いたるところで鎖につながれている。』とは『社会契約論』のルソーの言葉。

 自由だ! 愛だ! と青春のドラマは訴えるが、せめて、他より見栄えのする鳥かごを見つけるので精一杯だ。

 報道に携わりたいと思って、大手メディアに就職すれば、鳥かごの鳥であることを嫌というほど思い知るだろう。報道の自由とは名ばかりで、幾重もの鎖のような自主規制にがんじがらめにされている。誰が悪いというわけではない。

 とりわけ、国家権力が巨悪だというわけでもない。

 恐怖ゆえに、たいていは、自由から、てめえのほうで逃げ出すのだ。人間は。

 進学、就職、結婚。人生の節目でのあらゆる選択は、自由に見えて、その都度の妥協である。

 ノラのように人形扱いされて、夫の支配下に置かれているのは、この社会の宿命だ。就職すれば会社の支配下だ。

 権利と義務のもとにコントロールされ、共依存関係を余儀なくされる。


 権威の壁は厚い。自由は、卵のように脆い。


(おわり)

読書会のもようです。



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昨日、NHKの72時間という深夜に放送しているドキュメンタリーを観た。

 

マグロ漁船に乗る18歳の男の子が紹介されていた。

 

児童養護施設で育ち、就職でマグロ漁船を選んだのだという。

 

 

 

マグロ漁船を選んだ理由は、

 

「自分は弱いので、陸の上にいると逃げてしまうから」

 

と語っていた。

 

 

彼の顔は幼い、15歳くらいと言われるいう。

 

たしかに中学生くらいに見えた。

 

 

「他の人は簡単な作業でも、自分にとって難しい」と語っていた。

 

「同僚に笑顔がいいと言われたので、いつでも笑顔でいるように

 

心がけている」とも語っていた。

 

 

人には、帰る場所が必要だ。

 

 

彼は、自分が弱いから逃げてしまうというが、

 

帰る場所がある人は、そこが逃げ場にもなるのだから、

 

つらかったり、くじけそうになったりしても

 

帰る場所があると思えば、頑張れるし、

 

帰って、エネルギーを蓄えることができる。

 

 

健気な笑顔だが、人に気を遣って生きてきたという、苦労を忍ばせる、

 

そんな、泣き笑いといった笑顔だった。

 

 

普通の18歳のような、無邪気な笑顔ではない。

 

強いられれば、断れない。

 

断れない弱さゆえに、逃げざるを得ない。

 

そんなことを想像させた。

 

 

だから、あえて、逃げ場のない、誘惑のない

 

マグロ漁船に乗ることを選択したのだろう。

 

 

胸を打たれるものがあった。

 

 

帰る場所があるから、船に乗っていられる。

 

 

渡り鳥も、サケやマスも、やがてふる里に帰っていく。

 

 

帰る場所がないのに、船に乗っているとしたら、

 

その淋しさは、狂わんばかりだろう。

 

 

志賀直哉の『和解』のことをふと思った。

 

 

あの小説も、帰る場所を描いた話なのだなあと思う。

 

(おわり)

 

 

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メルマガ読者さんと、トークスキルについてやりとりあったので

 

思ったことをまとめて書きたいと思います。

 

 

「人は自分の話を聴いてもらえるとうれしくなる」

 

 

自分の話を、真剣に聴いてもらえるとうれしいです。

 

うれしいと感じるのは、子どもからお年寄りまで、共通しています。

 

 

人の話を、真剣に聴けば、たいていは、人に喜んでもらえます。

 

 

 

その一方で、思わず、真剣に聴きたくなるような話には、

 

それなりに、トークスキルがあると思います。

 

 

TVのトーク番組を見ていればわかりますが、

 

トークスキルのある人は、長い話(ネタ)を、

 

飽きずに聴かせる工夫をしています。

 

 

その工夫の部分は、色々あるので割愛しますが、

 

漫然と話すのではなく、ある程度は、工夫して話すことを心がけると

 

聞き手の反応は、だいぶ、変わると思います。

 

 

工夫と言うか、もう少しわかりやすく言えば、演出です。

 

 

トークというのは、自分で自分を演出することです。

 

 

メリハリを付けて話すというのも、演出ですよね。

 

声を張るとか、笑顔で話すとかも演出です。

 

 

その演出のテクニックは、ある程度は、練習で上達します。

 

 

そのためには、自分の声を録音して客観的に聴いてみるのが

 

手っ取り早いです。

 

 

スマホのレコーダーで、記事を朗読した音声を聴いてみるのは、

 

誰にでも、すぐにできる練習方法です。

 

 

ただ、自分の声を客観的に聴くのは、恥ずかしいです。

 

 

それに慣れるまでは、勇気と行動力が試されますが、

 

我慢して続ければ、きっと、自分の話し方の

 

改善点が、いくつか見つかると思います。

 

 

はっきりしゃべることを心がけるとか、

 

声のキーを少し高くするとか。

 

 

あと、自分の声が、嫌いだという人もいます。

 

 

しかし、嫌いだというのは固定観念かもしれません。

 

 

誰かひとりくらいは、自分の声が好きだという人も

 

この世には、いるかもしれません。

 

 

そういう奇特な人がいると信じて、自分の声が嫌いでも、練習してみてください。

 

 

もしかしたら、この世に自分の声が好きな人がいるかもしれないと信じて

 

その人のために練習するつもりで、録音して改善してみてください。

 

 

大切なのは、かならず、誰かが真剣に自分お話を聞いてくれると信じて

 

続けることだと思います。

 

 

そう信じないと、やっても無駄だと思ってしまいます。

 

 

続けていくことでしかわからないことが、

 

たくさんあります。

 

 

続けていけば、プロの細かい演出テクニックに気がつくし、

 

発見したテクニックを、自分で真似することもできます。

 

 

決して声も良くないし、顔も良くないけど、売れてる芸能人はいます。

 

なぜ売れているかと言えば、テクニックがあるからです。

 

自分で自分を演出しているからです。

 

 

 

学校の先生や友だちの話し方を、真似することありますよね。

 

テレビタレントの話し方は、世の中で広範囲に真似されています。

 

 

 

真似されるということは、それだけ演出が効いているということです。

 

 

その人の個性だといえば、そうなのですが、ひとつの演出ととらえて

 

意識して真似するようになると、気づくこともあるし、

 

また、応用が効くと思います。

 

 

試行錯誤すれば、誰でも、ある程度は

 

聴いてもらえる演出の効いたトークが

 

できるようになると思います。

 

 

自分の話を聴いてもらえると、嬉しいので毎日が楽しくなるはずです。

 

自信にもなります。

 

 

(おわり)

 

 

続きは音声でしゃべっています。

 

 

 

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「動物は墓を作らない」という意味のことを、哲学者アランは言っているそうだ。

 

本来なら出典を調べて、ちゃんと引用すべきだが、手許に資料がないので

 

ネットでよんだ孫引きである。

 

 

 

 

 

2017/11/17にツイキャスで志賀直哉の『和解』の読書会を行う。

 

最初に読んだのは学生時代だった。どこがいいのかわからなかった。

 

今回読み直してみて、家とお墓を描いた小説だというのがよくわかった。

 

 

冒頭、主人公が祖父の墓参りに行って、祖父と想像上で語り合うシーンがある。

 

私たちは、お墓参りすれば、お墓のなかにいる人に心のうちで語りかけている。

 

なぜ、語りかけるのかといえば、どこかにまだ霊魂がさまよっていると

 

考えているからだろう。

 

 

昨年、川端康成の『雪国』を読み直した時にも感じたが、

 

日本の近代小説というのは、家とお墓と自由との関係が描かれているケースが多い。

 

夏目漱石の小説が、典型的だ。

 

 

霊魂が存在するかどうかは、証明できない。

 

だが、あるかのようにして、お墓を建てて弔っている。

 

そして、生前親交のあった死者には、語りかけもする。

 

ときによっては、死者も生前語りかけたことを語りかけてくるかもしれない。

 

 

現実の世界というのは、想像上の死者を繰り込んだかたちで存在している。

 

動物のように墓を作らなければ、人間の社会というのは

 

もっと簡素であっただろう。サル山に暮らすサルの群れのように。

 

 

死者が生きているものに語りかけてくる世界に生きている。

 

人間の頭が、過剰な想像力を抱えているのだ。

 

 

過剰な想像力が、世界の半分をかたちづくっている。

 

逆を言えば、過剰な想像力のない世界というのは、

 

サル山のような世界に近いということだ。

 

 

『和解』の最終部分で、親子が和解して一族みんなが、涙するシーンがある。

 

なんで泣いているのか、その理由を説明するのは難しい。

 

和解してホッとしたというなら話はわかる。

 

でも、なぜ、涙が出てくるのか? 

 

涙にまつわる感情と生理のつながりを考えると、いろいろなことが見えてくる。

 

深い。

 

(おわり)

 

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『理神論者は神を信じる、

 

しかし有神論者は生ける神(summa intelligentia 最高の悟性或いは知性)を信じる』

 

(『純粋理性批判』 中巻 カント 篠田英雄訳 岩波文庫 P.296)

 

 

 

カントは、

 

「存在するもの」を認識するのは、理性的認識

 

「存在すべきもの」を認識するのは、実践的認識

 

であると説明している。

 

 

人類の歴史においてが戦争は必然として「存在するもの」であり

 

大岡昇平の『野火』の言葉ではないが、

 

『男がみな人食い人種であるように、女はみな淫売である』と

 

考えるのは、理性的認識である。

 

これは、「存在するもの」を、現実的に分析すれば

 

容易に導ける、身も蓋もない事実である。

 

 

 

現実世界では、人間は戦争をやめないだろう。これからもずっと。

 

そういう意味で、俗物の理性的認識というのは、過(あやま)たない。

 

常に勝つ続ける。改憲論者が、常に勝ち続けるのと同じだ。

 

 

一方、人類が、いつの日か、あらゆる軍備を廃絶して永遠の平和を実現する

 

と考えるのは、「存在すべきもの」を認識する、実践的認識だ。

 

 

「存在すべきもの」を求めるなら、実践が必要になる。

 

 

単に「存在すべきもの」に思いをめぐらせるのは、思弁的認識である。

 

思弁的認識は、経験できない概念をもてあそぶ認識のあり方だ。

 

 

理想を言う人たちがいる

 

「差別をなくす」「貧困をなくす」「戦争をなくす」

 

しかし、それがたんなる思弁的認識だとしたら、

 

概念をもてあそんでいるに過ぎないことになる。

 

 

「存在すべきもの」を、思弁の中でもてあそぶのは、

 

死んだ神を、拝んでいるのと同じだ。

 

あるいは、屍体(したい)を弄んでいるのとかわらない。

 

こういう人たちは思弁が第一で、生きている人間に興味はない。

 

 

「人類が滅亡すれば、逆説的に永遠平和が実現する」

 

それが思弁的認識の結論である。

 

 

生きている神は、常に、現実世界での実践の中にしか現れない。

 

生きた神を信じるものは、生きた人間のために実践する。

 

 

思弁は、意味が無いわけではない。

 

思弁は、実践が伴ってはじめて、現実世界で意味を持つ、とカントはいう。

 

 

人間の悟性(理解力や読解力)や感性は、その究極的な状態である、

 

生ける神の最高の悟性や、感性を、信じることができる。

 

 

 

ただ、それは、人間が生きていればの話である。

 

 

一方、死んだ人間は、思弁をもてあそぶ。

 

例えば『カラマーゾフの兄弟』のイワンは、

 

思弁をもてあそぶ、理神論者として描かれていた。

 

現実主義者ですらない。現実主義者だとしたらもっと俗っぽいだろう。

 

イワンは、死んだ神を拝んでいる人間である。

 

単なる、頭のいい、人でなしだ。人類を憎んでいる。

 

 

ゾシマ長老や、アリョーシャは、有神論者だ。

 

生ける神を信じている。

 

魅力的な人格だ。人類を愛している。

 

 

死んだ神を拝むように、理想を語る人間に、

 

おぞましさを感じるのは、

 

彼らの硬直した思弁的認識が

 

おぞましいからだ。

 

 

現実主義者(リアリスト)の理性的認識は、

 

まだ死んでいないだけマシである。

 

俗物的な部分がやりきれないだけだ。

 

彼らは「存在するもの」にしか興味がないので、

 

実践とは、縁遠い。

 

 

しかし現実主義者(リアリスト)同じように、

 

実践から縁遠いはずの思弁的認識を振りかざす人間は、

 

実は、イワンのような、人でなしであるので、

 

「存在すべきもの」について語りながら

 

怖ろしい結果を生み出す。

 

 

さも善人づらして、理想を語るだろうが、現実的な実践は、皆無だ。

 

議論のための議論を、思弁のための思弁を繰り返すだけだ。

 

それを実践だと、履き違えている。

 

人類を憎んでいるくせに、理想を語るのだ。

 

 

人類を憎んでいるなら、黙っていればいいのに。

 

 

 

(引用はじめ)

 

政治の世界っていうのはね。岡田さん、一種の錬金術です。

 

わたしはあられもない下品な欲望が実に立派な結果を生み出す

 

例をいくつも見てきました。

 

またその逆の例もいくつも見てきました。

 

つまり高潔な大義みたいなのが腐り果てた結果を生み出すのも見てきました。

 

『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編 31』 村上春樹

 

(引用おわり ※改行は引用者が変えました)

 

 

 

 

 

 

牛河が語る、綿谷昇は、錬金術師だった。

 

 

綿谷昇の思弁的認識は、イワンのそれによく似ている。

 

彼には、屍臭がつきまとう。

 

 

思弁的な改憲論者が、現実主義者の改憲論者と手を組んで、

 

日本国憲法の高潔な大義がこれから腐り果てるのが、

 

目に見えるようだ。

 

 

国民主権による平和主義を「存在すべきもの」として実践するなら、

 

我々はまた、ふたたび、生ける神を拝むのしかないのかもしれない。

 

 

平和のための現人神を信じなければ、日本国民は

 

「存在すべきもの」としての平和主義を奉じることができない。

 

これが、日本国憲法に秘められたの循環論法だ。

 

 

『生ける神のみ手のうちに落ちるのは、恐ろしいことである』

 

(『ヘブル人への手紙』第十章第三十一節)

 

 

 

(おわり)

 

 

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