太宰治『富嶽百景』読書会のもよう (2020.3.20) | 信州読書会

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2020.3.20に行った太宰治『富嶽百景』読書会 のもようです。

 

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私も書きました。

 

「道化の小道具としての富士」

 

遊女の幸福を富士山に托す。社会のマージナル(境界線)の人間を救済するのが、左翼の政治運動だとすれば、そこから脱落した後の太宰治の文筆業というのは、文学の想像力において遊女の境遇を救うことで、せめて己の慰めとしていたかのように見える。しかし、愛人との玉川上水への入水という裏切りによって、残された家族を社会のマージナルに追いやるような人間が、遊女の幸福を托して、富士山に話しかけるなどというのは、虫が良すぎるのではないか、と私は思う。

 

太宰は、井伏鱒二の押し掛け弟子であり、この作品に描かれている通り、彼にとっての月下氷人(げっかひょうじん)=媒酌人であった。御坂峠まで師を追いかけてきて、師の読者まで手なづけてしまう不肖の弟子のめんどくささに付き合いきれず、困惑する井伏先生の内心が、タバコを吸いながらの放屁によく表れている、と私は感じたが、この放屁も井伏鱒二の『惜別』というエッセイ(井伏鱒二『風貌/姿勢』講談社文芸文庫所収)によると、太宰による作り話であるという。この放屁のくだりに気を悪くした井伏は、今後は作品内で自分について一切書いてくれるな、と太宰に釘を刺したという。

 

佐藤春夫は、遺書で井伏を悪人扱いした理由を、『井伏鱒二は悪人なるの説』の中で述べている。

 

(引用始め)

 

それで彼(=太宰 ※引用者注)は感じた(と僕(=佐藤春夫)は想ふ)所詮人並の一生を送れる筈もないわが身に人並に女房を見つけて結婚させるやうな重荷を負はせた井伏鱒二は余計なおせつかいをしてくれたものだな。あんな悪人さへゐなければ自分も今にしてこんな歎きをする必要もなくあつさりと死ねるのだがなあ。井伏鱒二のおかげで女房子供に可愛そうな思ひをさせる(と太宰は井伏を悪人にして一切の責任をこれに転嫁した)井伏鱒二は悪人なりの実感のあつた所以である。それ故あの一句の影には太宰の、女房よ子供よこの悪い夫を悪い父を寛恕せよといふ気持を正直に記す気恥しさを「井伏鱒二は悪人なり」と表現したのであつた。あの一句からこれだけの含蓄を読み取り、この心理的飛躍と事実の歪曲とを知る事が出来ないでは、結局太宰の文学は解らないわけである。

 

(引用終わり)

 

一句に含蓄を込め、自己正当化を繰り返しては、自己嫌悪に陥入り、富士のもつ、わかりやすい詩情の中に、己の正体をくらますというのが太宰の文学である。恍惚も不安も自己韜晦なのだから始末が悪い。

 

(引用はじめ)

 

「富士山には、もう雪が降ったでしょうか。」

 私は、その質問に拍子抜けがした。

「降りました。いただきのほうに、――」と言いかけて、ふと前方を見ると、富士が見える。へんな気がした。

「なあんだ。甲府からでも、富士が見えるじゃやないか。ばかにしていやがる。」やくざな口調になってしまって、「いまのは、愚問です。ばかにしていやがる。」 (P.75)

 

(引用おわり)

 

佐藤春夫先生の洞察を敷衍すれば、この部分は、こうなる。

太宰にとっての『道化の小道具としての富士』のからくりを、未来の妻は、すでに直観していたという恐ろしさを、盛り込んだのだ、ということだ。「ばかにしてやがる」とは、未来の妻の女の直観に対する太宰の自作自演のレスポンスだ。

 

こういう手の込んだ作り話を一所懸命に書いたあげく、太宰は死んだのである。関係者はたまったものではない。

 

                                                  (おわり)

 

読書会の模様です。

 

 

 

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